法 悦 9月号 876号
祖先というものは
いつでも自身のなかにある
祖先が自分に於いて生きている
だからそれは我が業
我が宿業
我が責任である
だから自分自身が助かれば
祖先も助かる
自分だけが助かるのではありません
自分が仏法を信じ
念仏を称え
本願を信じて助かれば
祖先が又助かる
一切の祖先が
どうかおまえ助かってくれと
願っているのである
「私たちにとっての祖先」曽我量深師
青色青光
上記の文章は、真宗大谷派の碩学、
曽我量深師の講義録からのものです。
単純に計算しても、ひと一人につき血のつながった親が必ず二人います。
そして、それぞれの親にも又二人の親があり、とさかのぼっていくと
一〇代で1024人、二〇代で104万8576人、
三〇代で21億4748万3646人、四〇代さかのぼれば、
2兆1990億2325万5550人と、一代およそ25年として
四〇代で1000年、それだけでも現在の全世界の人口を遙かに上回る
人数の、直系のご先祖がおられたことになります。
そのうちの誰一人が欠けても、今の私は存在し得ないわけですし、生命の
起源までさかのぼっていけば、まさに無量無数のご先祖がおられてこその、
我が身であると知られ、驚嘆せざるを得ません。
世界中の仏教徒にとって共通の誓いである「三帰依文」の冒頭は、
「人身(にんじん)受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、今すでに聞く」
とあり、あまたある生き物の中でも人の身を受けること、さらに人間成就の
道である仏法に出遇うことが、まさに難中の難、奇跡とも言えるものだ、
という認識から始まっています。
他の誰でもない、我が身「いちにん」が仏法に出遇い、人間を成就して
いくことが祖先の願いであり、私が救いを願うに先立って、既にして
願いを懸けていて下さるのです。
住職日々随想
生きる望みがありません
私は死にます ごめんなさいお母さん
と、二人の少女が鉄道自殺した
それは彼女たちが十七の今日まで
『人身受けが難し』の一言を ただ一言を
誰からも聞かされなかった不運であった
宇野正一
長期休暇明けは、自死される方が増える傾向が顕著な為、職場や
教育現場などでは、小さな予兆を見逃さない慎重さが求められます。
特に未来を担うべき子ども達が、生きる希望を失ってしまう事など
ないよう、しっかり寄り添う必要があります。
ユニセフ(国連児童基金)が2020年に公表した報告書「子ども
たちに影響する世界」によると、日本の子どもの精神的幸福度は、
先進38か国中37位と極端に低く、教育制度を含めた、子ども達の
育つ環境を改善するよう、勧告が出されています。
ことに子ども達の自尊感情が十分に育っていない事が、国内における
アンケートからも明らかになっています。
私たちは、ややもすると他との比較に於いて、自信を持ったり無くし
たり、一喜一憂いたしますが、およそ仏教に於いては、他と比較する心を、
いずれも「慢心」として戒めています。
他と比較して高上がりする「驕慢」、その逆に、自分なんかはだめだと
自己軽蔑する「卑下慢」、そして、あんたも私もチョボチョボや、
とする小ずるい「等慢」、そのいずれもが、正しい心の持ちようではない
とされるのです。
よく「根拠無き自信」など話にならないと退けられますが、より深く
観てみますと、優劣などを根拠とする自信は、その支える根拠が失われた
とき、一気に失われてしまうものでもあるのです。
そう思い至れば、根拠を他に求める自信ではなく、「自らを深く信ずる信」
がなければならないことに気付かされます。
それはむしろ自身のうちに見いだすもの、というよりも
我が身を支え続けてきてくださった、いのちの歴史に頭が下がるところに
こそ見いだされるものと言えます。
歎異抄に「弥陀の五劫(無限の時間をかけた)思惟の願をよくよく案ずれば、
ひとえに親鸞いちにんがためなりけり。されば、そくばくの(数え切れない
ほどの)業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける
本願のかたじけなさよ」と、親鸞様が常々おっしゃっておられたとあります。
阿弥陀様の「えらばず、きらわず、みすてない」お心が掛けられてあるのは、
他の誰でもない我が身であった、という感動がそこには込められていますし、
それは又、諸仏となられた先達の方々の願いを受け継ぐ事でもあるのです。
坊守便り
ー盂蘭盆会お勤めしましたー
夏が近づくと盂蘭盆会の準備が始まります。
今年は山門の提灯が痛んで来たこともあり境内の提灯掛けと合わせて
新しく用意しました。
法要は二日間で五座が勤まります。
初回のお勤めは参加のご希望が多く、今年も感染症が広がっている情報を
聞いて、ご都合に合わせて振り分けさせて頂きました。
お盆には故郷に帰り亡き方に思いをはせられます。
安泉寺にも必ずご連絡くださる方があり、嬉しいことです。遠くに引っ越
されたけれど、ご縁の深かったあの方、この方のお顔を思い浮かべながら
楽しみにしています。
おじい様が毎夏お手伝いしてくださったお宅のお孫さんが結婚され、
双子の赤ちゃんと一緒にお参りくださいました。春には生まれて間のない
二人が花まつりにお越し下さり、花御堂の前で沢山写真を撮りました。
この夏にはハイハイしかけて本堂でお参りくださいました。
お寺参りが受け継がれて、何より嬉しいことでした。
九月の行事
7 日(木) 午前10時半〜 ピラティス
秋季彼岸会永代経法要
16日(土) 午後2時・夕6時
ご講師 阿倍野 即応寺 藤井善隆師
21日(木) 午前10時半〜 ピラティス
十月の行事
5 日(木) 午前10時半〜 ピラティス
19日(木) 午前10時半〜 ピラティス
21日(土) 午後2時〜 祥月講・同朋の会
ご講師 圓龍寺 門井 斉師
*感染予防には十分配慮し各行事を 行いますが、感染が拡大した場合、
変更もしくは中止する場合事が あります。ご承知おきください。
2023年08月30日
2023年9月
posted by ansenji at 12:41| Comment(0)
| 法悦
2023年07月25日
2023年8月
法 悦 8月号 875号
人間の愚かさとは
何事に対しても
答えを持っている
ということです。
ミラン・クンデラ
ー今年の7月11日、94歳でパリの自宅にて死去。
チェコスロバキアで生まれた氏は、1968年に起きた「プラハの春」を
支持したため、国内で活動できなくなり、1975年にフランスに亡命、
映画にもなった「存在の耐えられない軽さ」などの作品により、
ノーベル文学賞の有力候補にもなり、現代世界の最も偉大な作家の一人
とも賞されていた。ー
青色青光
「あの人は無学な人だ」などと言うことは、人を見下すおごりの表れと
言えます。
が、仏教では「無学」とはむしろ最高の褒め言葉、学ぶべき真理を学び尽く
した悟りの境地を指すものであり、そこに至るまで、全身全霊をあげて深く
深く問い続けてこそ得られるものなのです。
物事の本質に関わる事柄ほど、実は広く多面的に捉え、安易に結論に飛び
つかず、問いを持ち続ける胆力が試されるのではないでしょうか。
そういう営みとは真逆に、めまぐるしく変化し続ける現代社会に於いては、
むしろ短い言葉でずばりと論破し、もの言う人が評価されがちです。
絵本作家の五味太郎氏が、新聞のコラムで「物事の根幹に迫るような質問が
できるのは、10歳位までじゃないかな。大人だってわからない事はいっぱい
ある。ごまかすのではなく、『知らない』と言えるかどうか。『なんで世界
平和は来ないの?』って、ほんとにわからない。
わからないことを共有できれば子供も少しは安心できる。さらに一緒に調べて
みようって言えばより建設的なのかな。」
さらに「素朴な疑問と行動は、自己発見につながる」とも述べておられます。
何事に対しても答えを持ち、そこにしがみつけば、一番大切な自身をも
見失いかねないのです。
住職日々随想
いよいよ子供達が心待ちにしていた、夏休みが始まります。長期休暇で
なければ体験できないような、素敵な思い出をたくさん作って、一回りも
二回りも成長してほしいものです。
そんな長期休暇の楽しみの一つに、毎朝放送されているNHKのラジオ番組
「子ども科学電話相談」があります。
動物や植物、天文や昆虫、水中の生物等々、科学の各分野の第一線で
研究活躍しておられる先生方が、三歳くらいの幼児から中学三年生までの
子ども達の素朴な疑問に、言葉を尽くして懸命に答えておられる様子が
伝わってきて、思わずほほえんでしまいます。
最近聞いて驚いたものに、小学校二年生のお子さんの「リスのしっぽは
一度切れてしまえばもう生えてこないのに、なぜすぐに切れてしまうん
ですか?」という質問でした。
しっぽをつかまれたり、何かにひっ掛かったり、身に大きな危険が迫ると、
リスはしっぽを残して逃げることがあるそうで、攻撃する手段を持たない
小動物の必死の行動なのだそうです。
そのしっぽは、枝から枝へ飛び移ったりする時バランスを取ったり、
仲間同士のコミュニケーションに利用したり、拡げて雨をしのいだり、
枕や毛布のように利用したりと、失ってしまうとかなり困ったことに
なってしまうそうです。
小さい子どもに質問攻めにされたりすると、ついついうるさがったり、
ごまかしたりしてしまいがちですが、そのようにして過ごしてきて
しまった事が反省させられます。
ひろく仏教徒に親しまれている偈文(げもん)に
「七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)」があります。
曰く、「諸悪莫作(しょあくまくさ)衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう)
自浄其意(じじょうごい)是諸佛教(ぜしょぶっきょう)」
…もろもろの悪をなすことなかれ。もろもろの善を奉じ行い、自ら
そのこころを浄くする。これ諸佛の教えなり、と。
この偈文にまつわる、以下の有名な逸話があります。
「長恨歌」を作った中国、唐代の詩人、白居易(白楽天)が杭州の
長官として赴任したとき、毎日松の木の上で坐禅をしているという、
高名な道林禅師を訪ねました。
禅師に「あなたは何故そのような危ういところで座禅している
のですか?」と問うと、「あなたの方がよほど危うい、煩悩の火が
燃え上がっていて、どうして危険がないと言えるのか」と、
その答えにうなずいた白居易が重ねて「仏教とは何ですか?」と問うと、
禅師は先に記した「七仏通誡偈」をもって答えました。それに対して
「そんなことは子どもでもわかる、私が知りたいのは仏教の極意です。」
と不満を口にすると「三歳の童、これを解すれど、八十の翁、これ行う
こと難し。」と。
頭の中でわかったこととして、深く問うことをせずに目をそらして
いる。そこに真実の自己に出会う縁すらも失ってしまいかねず、人生を
むなしく過ごしてしまう。
まさに、それこそが人生の危機なのです。
坊守便り
ー鶴橋小学校6年生と街歩きー
安泉寺には、江戸時代から寺子屋として、村の子供達の教育に
携わった歴史があり、地元の鶴橋小学校の社会科授業で、先生が
子ども達とよく訪れて下さいました。
修復された本堂大屋根の新しい瓦にも、6年生の子ども達に
名前を書いて頂きました。
今回は歴史ボランティアのサポートとして、生野区役所・
御勝山古墳・つるのはし遺跡・安泉寺・御幸森神社、最後に弥栄神社、
と付き添わせて頂きました。
区役所の辺りは、明治初年の頃、広大な府立農業学校があり、
畜産の研究も盛んになされていたようで、この南の地域には、養鶏場も
多くあったようです。
御勝山古墳は、大阪夏の陣で徳川方が陣を敷いたということです。
そして安泉寺のある旧猪飼野には、江戸時代の逸話が多くがあり、
さらには日本書紀の頃の歴史もたどりました。
子供達はメモを取り、熱心に聞いていました。
あと少しで卒業し、巣立っていく6年生と共に、安泉寺境内で
休憩して、さわやかな一日となりました。
八月の行事
3 日(木) 午前10時半〜 ピラティス
6 日(日) 午後1時〜 おみがき・清掃ご奉仕
盂蘭盆会法要
14日(月)午後1時・午後3時・夕方7時半
15日(火)午前10時・午後1時 (計五座)
*詳細につきましては改めてご連絡申し上げます。
24日(木) 午前10時半〜 ピラティス
*お盆明け16日より20日まで、当寺よりの月参りは
お休みとさせていただきます。
九月の行事
7 日(木) 午前10時半〜 ピラティス
秋季彼岸会永代経法要
16日(土) 午後2時・夕6時
ご講師 阿倍野 即応寺 藤井善隆師
21日(木) 午前10時半〜 ピラティス
*感染予防には十分配慮し各行事を 行いますが、感染が
拡大した場合 変更もしくは中止する場合事があます。
ご承知おきくださいませ。
人間の愚かさとは
何事に対しても
答えを持っている
ということです。
ミラン・クンデラ
ー今年の7月11日、94歳でパリの自宅にて死去。
チェコスロバキアで生まれた氏は、1968年に起きた「プラハの春」を
支持したため、国内で活動できなくなり、1975年にフランスに亡命、
映画にもなった「存在の耐えられない軽さ」などの作品により、
ノーベル文学賞の有力候補にもなり、現代世界の最も偉大な作家の一人
とも賞されていた。ー
青色青光
「あの人は無学な人だ」などと言うことは、人を見下すおごりの表れと
言えます。
が、仏教では「無学」とはむしろ最高の褒め言葉、学ぶべき真理を学び尽く
した悟りの境地を指すものであり、そこに至るまで、全身全霊をあげて深く
深く問い続けてこそ得られるものなのです。
物事の本質に関わる事柄ほど、実は広く多面的に捉え、安易に結論に飛び
つかず、問いを持ち続ける胆力が試されるのではないでしょうか。
そういう営みとは真逆に、めまぐるしく変化し続ける現代社会に於いては、
むしろ短い言葉でずばりと論破し、もの言う人が評価されがちです。
絵本作家の五味太郎氏が、新聞のコラムで「物事の根幹に迫るような質問が
できるのは、10歳位までじゃないかな。大人だってわからない事はいっぱい
ある。ごまかすのではなく、『知らない』と言えるかどうか。『なんで世界
平和は来ないの?』って、ほんとにわからない。
わからないことを共有できれば子供も少しは安心できる。さらに一緒に調べて
みようって言えばより建設的なのかな。」
さらに「素朴な疑問と行動は、自己発見につながる」とも述べておられます。
何事に対しても答えを持ち、そこにしがみつけば、一番大切な自身をも
見失いかねないのです。
住職日々随想
いよいよ子供達が心待ちにしていた、夏休みが始まります。長期休暇で
なければ体験できないような、素敵な思い出をたくさん作って、一回りも
二回りも成長してほしいものです。
そんな長期休暇の楽しみの一つに、毎朝放送されているNHKのラジオ番組
「子ども科学電話相談」があります。
動物や植物、天文や昆虫、水中の生物等々、科学の各分野の第一線で
研究活躍しておられる先生方が、三歳くらいの幼児から中学三年生までの
子ども達の素朴な疑問に、言葉を尽くして懸命に答えておられる様子が
伝わってきて、思わずほほえんでしまいます。
最近聞いて驚いたものに、小学校二年生のお子さんの「リスのしっぽは
一度切れてしまえばもう生えてこないのに、なぜすぐに切れてしまうん
ですか?」という質問でした。
しっぽをつかまれたり、何かにひっ掛かったり、身に大きな危険が迫ると、
リスはしっぽを残して逃げることがあるそうで、攻撃する手段を持たない
小動物の必死の行動なのだそうです。
そのしっぽは、枝から枝へ飛び移ったりする時バランスを取ったり、
仲間同士のコミュニケーションに利用したり、拡げて雨をしのいだり、
枕や毛布のように利用したりと、失ってしまうとかなり困ったことに
なってしまうそうです。
小さい子どもに質問攻めにされたりすると、ついついうるさがったり、
ごまかしたりしてしまいがちですが、そのようにして過ごしてきて
しまった事が反省させられます。
ひろく仏教徒に親しまれている偈文(げもん)に
「七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)」があります。
曰く、「諸悪莫作(しょあくまくさ)衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう)
自浄其意(じじょうごい)是諸佛教(ぜしょぶっきょう)」
…もろもろの悪をなすことなかれ。もろもろの善を奉じ行い、自ら
そのこころを浄くする。これ諸佛の教えなり、と。
この偈文にまつわる、以下の有名な逸話があります。
「長恨歌」を作った中国、唐代の詩人、白居易(白楽天)が杭州の
長官として赴任したとき、毎日松の木の上で坐禅をしているという、
高名な道林禅師を訪ねました。
禅師に「あなたは何故そのような危ういところで座禅している
のですか?」と問うと、「あなたの方がよほど危うい、煩悩の火が
燃え上がっていて、どうして危険がないと言えるのか」と、
その答えにうなずいた白居易が重ねて「仏教とは何ですか?」と問うと、
禅師は先に記した「七仏通誡偈」をもって答えました。それに対して
「そんなことは子どもでもわかる、私が知りたいのは仏教の極意です。」
と不満を口にすると「三歳の童、これを解すれど、八十の翁、これ行う
こと難し。」と。
頭の中でわかったこととして、深く問うことをせずに目をそらして
いる。そこに真実の自己に出会う縁すらも失ってしまいかねず、人生を
むなしく過ごしてしまう。
まさに、それこそが人生の危機なのです。
坊守便り
ー鶴橋小学校6年生と街歩きー
安泉寺には、江戸時代から寺子屋として、村の子供達の教育に
携わった歴史があり、地元の鶴橋小学校の社会科授業で、先生が
子ども達とよく訪れて下さいました。
修復された本堂大屋根の新しい瓦にも、6年生の子ども達に
名前を書いて頂きました。
今回は歴史ボランティアのサポートとして、生野区役所・
御勝山古墳・つるのはし遺跡・安泉寺・御幸森神社、最後に弥栄神社、
と付き添わせて頂きました。
区役所の辺りは、明治初年の頃、広大な府立農業学校があり、
畜産の研究も盛んになされていたようで、この南の地域には、養鶏場も
多くあったようです。
御勝山古墳は、大阪夏の陣で徳川方が陣を敷いたということです。
そして安泉寺のある旧猪飼野には、江戸時代の逸話が多くがあり、
さらには日本書紀の頃の歴史もたどりました。
子供達はメモを取り、熱心に聞いていました。
あと少しで卒業し、巣立っていく6年生と共に、安泉寺境内で
休憩して、さわやかな一日となりました。
八月の行事
3 日(木) 午前10時半〜 ピラティス
6 日(日) 午後1時〜 おみがき・清掃ご奉仕
盂蘭盆会法要
14日(月)午後1時・午後3時・夕方7時半
15日(火)午前10時・午後1時 (計五座)
*詳細につきましては改めてご連絡申し上げます。
24日(木) 午前10時半〜 ピラティス
*お盆明け16日より20日まで、当寺よりの月参りは
お休みとさせていただきます。
九月の行事
7 日(木) 午前10時半〜 ピラティス
秋季彼岸会永代経法要
16日(土) 午後2時・夕6時
ご講師 阿倍野 即応寺 藤井善隆師
21日(木) 午前10時半〜 ピラティス
*感染予防には十分配慮し各行事を 行いますが、感染が
拡大した場合 変更もしくは中止する場合事があます。
ご承知おきくださいませ。
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| 法悦
2023年06月27日
2023年7月 2023年7月
法 悦 7月号 874号
染香人(せんこうにん)の
その身には
香気(こうげ)あるが
ごとくなり
これをすなわち
なづけてぞ
香光荘厳(こうこうしょうごん)と
もうすなる
浄土和讃
青色青光
世界的な気候変動に伴い、積乱雲が線状に次々に発生する、災害を
もたらしかねないような集中豪雨域を「線状降水帯」と言いますが、
今まで聞いたこともなかった気象用語を耳にすることが増えました。
それら耳新しい用語の中に暑熱馴化(しょねつじゅんか)があります。
暑い気候に長時間さらされることにより、身体が徐々に暑さに適応して
いくことを指します。
梅雨時のじめじめとした蒸し暑さは不快なものですが、この不快な
時期に、汗をかき、しっかりと汗腺を開いておかないと、真夏を迎えても
適切に体温調節ができず、熱中症になる危険が高まるらしく、この鬱陶しい
季節もなければならないものと、改めて知らされました。
その昔、平安貴族の人たちには、気に入った香を衣服に焚きしめ、ほのかに
その人ならではの薫を漂わせるという、薫修(薫習)という雅びな風習が
あったそうです。
しかし、だからといって、いかに気に入った香であったとしても、一気に
薫り付けをしようとすると、かえって焦げ臭くなってしまうそうで、何事につけ
日々、徐々に徐々に、たゆまず続けていくことの大切さを知らされます。
同じ事が真宗門徒の日暮らしにも言えます。日々お内仏に真向かい、心静かに
お念仏を申す生活の中で、少しずつ少しずつ、仏祖の願いがしみこんで、
知恩報徳の思いが芽生え、やがてはその人のお人柄とまでなって、あらわに
なってくると言われるのです。
住職日々随想
政府は行政サービスの一層の効率化と、利便性の向上を図るという名目のもと、
マイナンバーカード普及に、躍起になって取り組んでいます。
しかしこの間、この事業を巡って様々な不具合が噴出し、保険証や銀行口座、
そのほか運転免許証など、様々な個人情報を紐付けし、政府が一元管理すると
いう方向で進められていますが、残念ながら、そのことに対する不安がますます
高まっています。
いつ何を購入したか、どのような医療を受けたか、どういうところに行った
か等々、紐付けされる情報が多ければ多いほど、確かに行政サービスなどを
受けるとき、利便性が高まることもあるでしょうが、場合によっては誰にも
知られたくないような個人情報も、政府に差し出すことになってしまいます。
政府や行政に対する絶対の信頼があるというならば、それも納得できること
かもしれません。しかし、国民の側からは、どこまでの情報が把握されている
のか見えません。
一方的に見られている、見られているのではという憶測は、見られる側の
行動に自然、萎縮効果を生み出します。
その典型的な例が、菅義偉元首相の学術会議委員任命拒否の件です。
今に至るまでも6名の委員拒否の理由が明らかにされないため、政権批判とも
捉えられない発信したからではないか等々、様々な憶測を呼び、学術会議委員や
次期委員候補者達に、明らかな萎縮効果をもたらしました。
情報の一方通行がもたらす、こういった弊害を見るにつけ、実際見られて
いなくても見られているのではないかという想いが人々の行動を縛り、
為政者に従順な物言わぬ多数を生み出していくのではないか、と危惧せざる
を得ません。
行政サービスの利便性向上云々よりも、政権の本来の意図がそこにこそある
のでは、と想われてなりません。
未来の子供達のためにも、一部の権威主義的な国のような、まともに物言えぬ
国にならないよう、注意が必要です。 阿弥陀如来が法蔵菩薩として、兆載永功
のご修行をなさるとき、師である「世自在王仏」のみもとにおいて、四十八の
無上殊勝の誓願を発起されたとあります。
「世において自在なる王仏、自らに存在根拠を持つ仏」ここに表現されている
自在とは、あらゆる制約や束縛から解放され、自由に行動し選択する意欲に
他なりません。
以前、ご本山の宗祖七百五十回御遠忌のテーマが「バラバラで一緒、違いを
認める世界の発見」とありましたが、自在な状態を求めるためには、互いの
違いを認め合える社会でなければならないのです。
そこに於いてこそ、異なる意見や経験、対話や相互理解の場が重要な役割を
果たし、個々人は自身のアイディアや才能を自由に発揮し、他者との交流を
通じて人間的成長や、豊かな創造性を獲得していくことができるのです。
まさに浄土の光に照らされる世界とは、自由な発想や行動をどこまでも
受け止める、真に豊かな世界なのです。
坊守便り
ー 第四十六回 大阪教区同朋大会 ー^
コロナ禍により開催できなかった大阪教区の同朋大会が三年ぶりに行われ
ました。
今回各寺院からの参加は一名程度という制限があり、従来とまったく違う
募集に戸惑いましたが、大会スタッフも智慧をしぼっておられての事と推察
いたしました。
大会当日が近づくにつれ若干の追加募集があり、同朋会の現役員さんの方々に
お声がけし、ご参加いただきました。
同朋の声の発表をされた教区内のご門徒さんと、法話のご講師の先生は大会
中止となる三年前に、お願いしていた方々ですが、こころよくお引き受け頂いた
とのことでした。
ご輪番からは「ようやくマスクを外して、顔と顔を合わせての生活が始まって
いきます。」と喜び溢れるご挨拶がありました。
ご講師の伊藤元先生は、はるばる九州からお越しになりました。九〇歳近い
ご年齢ですが、今もかくしゃくとしておられ、全国から出講要請の引きも切ら
ない方です。
大会テーマは「私たちは何を求めて生きているのだろうか?」です。
私達にとって本当に豊かに生きるという事は物に恵まれた生活ではなく、
生きがいを持ち、生きる意欲の持てる、本当に生きたと言える人生だと、
様々な切り口からお話をいただきました。
まさに今、コロナ禍を越えての新しい毎日の始まりです。
七月の行事
1 日(土) 午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
ご法話 武庫川念仏寺住職 土井紀明師
6 日(木) 午前10時半〜 ピラティス
20日(木) 午前10時半〜 ピラティス
八月の行事
3 日(木) 午前10時半〜 ピラティス
6 日(日) 午後1時〜 おみがき・清掃ご奉仕
盂蘭盆会法要
14日(月)午後1時・午後3時・夕方7時半
15日(火)午前10時・午後1時 (計五座)
*詳細につきましては改めてご連絡申し上げます。
24日(木) 午前10時半〜 ピラティス
*お盆明け16日より20日まで、当寺よりの月参りは
お休みとさせていただきます。
*感染予防には十分配慮し各行事を行いますが、感染が再拡大した場合、
変更もしくは中止する場合事があります。ご承知おきくださいませ。
染香人(せんこうにん)の
その身には
香気(こうげ)あるが
ごとくなり
これをすなわち
なづけてぞ
香光荘厳(こうこうしょうごん)と
もうすなる
浄土和讃
青色青光
世界的な気候変動に伴い、積乱雲が線状に次々に発生する、災害を
もたらしかねないような集中豪雨域を「線状降水帯」と言いますが、
今まで聞いたこともなかった気象用語を耳にすることが増えました。
それら耳新しい用語の中に暑熱馴化(しょねつじゅんか)があります。
暑い気候に長時間さらされることにより、身体が徐々に暑さに適応して
いくことを指します。
梅雨時のじめじめとした蒸し暑さは不快なものですが、この不快な
時期に、汗をかき、しっかりと汗腺を開いておかないと、真夏を迎えても
適切に体温調節ができず、熱中症になる危険が高まるらしく、この鬱陶しい
季節もなければならないものと、改めて知らされました。
その昔、平安貴族の人たちには、気に入った香を衣服に焚きしめ、ほのかに
その人ならではの薫を漂わせるという、薫修(薫習)という雅びな風習が
あったそうです。
しかし、だからといって、いかに気に入った香であったとしても、一気に
薫り付けをしようとすると、かえって焦げ臭くなってしまうそうで、何事につけ
日々、徐々に徐々に、たゆまず続けていくことの大切さを知らされます。
同じ事が真宗門徒の日暮らしにも言えます。日々お内仏に真向かい、心静かに
お念仏を申す生活の中で、少しずつ少しずつ、仏祖の願いがしみこんで、
知恩報徳の思いが芽生え、やがてはその人のお人柄とまでなって、あらわに
なってくると言われるのです。
住職日々随想
政府は行政サービスの一層の効率化と、利便性の向上を図るという名目のもと、
マイナンバーカード普及に、躍起になって取り組んでいます。
しかしこの間、この事業を巡って様々な不具合が噴出し、保険証や銀行口座、
そのほか運転免許証など、様々な個人情報を紐付けし、政府が一元管理すると
いう方向で進められていますが、残念ながら、そのことに対する不安がますます
高まっています。
いつ何を購入したか、どのような医療を受けたか、どういうところに行った
か等々、紐付けされる情報が多ければ多いほど、確かに行政サービスなどを
受けるとき、利便性が高まることもあるでしょうが、場合によっては誰にも
知られたくないような個人情報も、政府に差し出すことになってしまいます。
政府や行政に対する絶対の信頼があるというならば、それも納得できること
かもしれません。しかし、国民の側からは、どこまでの情報が把握されている
のか見えません。
一方的に見られている、見られているのではという憶測は、見られる側の
行動に自然、萎縮効果を生み出します。
その典型的な例が、菅義偉元首相の学術会議委員任命拒否の件です。
今に至るまでも6名の委員拒否の理由が明らかにされないため、政権批判とも
捉えられない発信したからではないか等々、様々な憶測を呼び、学術会議委員や
次期委員候補者達に、明らかな萎縮効果をもたらしました。
情報の一方通行がもたらす、こういった弊害を見るにつけ、実際見られて
いなくても見られているのではないかという想いが人々の行動を縛り、
為政者に従順な物言わぬ多数を生み出していくのではないか、と危惧せざる
を得ません。
行政サービスの利便性向上云々よりも、政権の本来の意図がそこにこそある
のでは、と想われてなりません。
未来の子供達のためにも、一部の権威主義的な国のような、まともに物言えぬ
国にならないよう、注意が必要です。 阿弥陀如来が法蔵菩薩として、兆載永功
のご修行をなさるとき、師である「世自在王仏」のみもとにおいて、四十八の
無上殊勝の誓願を発起されたとあります。
「世において自在なる王仏、自らに存在根拠を持つ仏」ここに表現されている
自在とは、あらゆる制約や束縛から解放され、自由に行動し選択する意欲に
他なりません。
以前、ご本山の宗祖七百五十回御遠忌のテーマが「バラバラで一緒、違いを
認める世界の発見」とありましたが、自在な状態を求めるためには、互いの
違いを認め合える社会でなければならないのです。
そこに於いてこそ、異なる意見や経験、対話や相互理解の場が重要な役割を
果たし、個々人は自身のアイディアや才能を自由に発揮し、他者との交流を
通じて人間的成長や、豊かな創造性を獲得していくことができるのです。
まさに浄土の光に照らされる世界とは、自由な発想や行動をどこまでも
受け止める、真に豊かな世界なのです。
坊守便り
ー 第四十六回 大阪教区同朋大会 ー^
コロナ禍により開催できなかった大阪教区の同朋大会が三年ぶりに行われ
ました。
今回各寺院からの参加は一名程度という制限があり、従来とまったく違う
募集に戸惑いましたが、大会スタッフも智慧をしぼっておられての事と推察
いたしました。
大会当日が近づくにつれ若干の追加募集があり、同朋会の現役員さんの方々に
お声がけし、ご参加いただきました。
同朋の声の発表をされた教区内のご門徒さんと、法話のご講師の先生は大会
中止となる三年前に、お願いしていた方々ですが、こころよくお引き受け頂いた
とのことでした。
ご輪番からは「ようやくマスクを外して、顔と顔を合わせての生活が始まって
いきます。」と喜び溢れるご挨拶がありました。
ご講師の伊藤元先生は、はるばる九州からお越しになりました。九〇歳近い
ご年齢ですが、今もかくしゃくとしておられ、全国から出講要請の引きも切ら
ない方です。
大会テーマは「私たちは何を求めて生きているのだろうか?」です。
私達にとって本当に豊かに生きるという事は物に恵まれた生活ではなく、
生きがいを持ち、生きる意欲の持てる、本当に生きたと言える人生だと、
様々な切り口からお話をいただきました。
まさに今、コロナ禍を越えての新しい毎日の始まりです。
七月の行事
1 日(土) 午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
ご法話 武庫川念仏寺住職 土井紀明師
6 日(木) 午前10時半〜 ピラティス
20日(木) 午前10時半〜 ピラティス
八月の行事
3 日(木) 午前10時半〜 ピラティス
6 日(日) 午後1時〜 おみがき・清掃ご奉仕
盂蘭盆会法要
14日(月)午後1時・午後3時・夕方7時半
15日(火)午前10時・午後1時 (計五座)
*詳細につきましては改めてご連絡申し上げます。
24日(木) 午前10時半〜 ピラティス
*お盆明け16日より20日まで、当寺よりの月参りは
お休みとさせていただきます。
*感染予防には十分配慮し各行事を行いますが、感染が再拡大した場合、
変更もしくは中止する場合事があります。ご承知おきくださいませ。
posted by ansenji at 01:18| Comment(0)
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