2020年07月31日

2020年8月

法 悦 8月号 839号

「生きてりゃいいさ」   

       作詞作曲 河島 英五

きみが悲しみに

心を閉ざしたとき

思い出してほしい歌がある

人を信じれず

眠れない夜にも

きっと忘れないでほしい

生きてりゃいいさ

生きてりゃいいさ

そうさ 生きてりゃいいのさ

喜びも悲しみも

立ちどまりはしない

めぐり めぐって行くのさ

手の掌を合わせよう

ほら温りが

君の胸に届くだろう


青色青光

 女子プロレスラーや若手俳優の
自死、ALS患者嘱託殺人など、
ショッキングな事件が続きました。
 一般的にキリスト教では、自死した者は煉獄に落ちると説かれているようですが、仏教では自死についてどの様に説いているのでしょうか?
 お釈迦様ご在世の時、仏弟子の中にも病を苦に自死された方がおられました。しかし、お釈迦様は「彼は涅槃を得た」と、述べられましたが、その善悪について説いてはおられません。
 現実問題として、大切な方に自死されたご遺族や関係者にとって「自死は悪だ」と言われると、喪失の悲しみに加え、故人が死んでも救われないのかと、二重の絶望を味わわされる事になってしまうのです。
 衆生の苦を抜く事(抜苦与楽)を目的とする仏教は、最後まで当事者の苦しみに寄り添い、生ききる手助けを尽くすことが本来の立場なのです。
 今ひとつ気をつけなければならないのは、こういった場合必ず現れる『尊厳死』について、きちんと議論すべきだという意見で、一見まっとうなことのように思われます。しかし、そこに見え隠れするのは、いのちの選別を是とする優生思想であり、老病死を避けられない私たちの誰もが、いつ何時排除される側に立たされるか分からないという事実を忘れている姿です。
 難病を患っても、行き詰まっても、生きること『尊厳ある生』を支え合える社会こそ、真に目指すべき「成熟した社会」とは言えないでしょうか?


住職日々随想

 コロナ禍が終息しかけたかに
見えた日本でも、経済活動の
再開に伴い、再び緊急事態宣言
発出時を上回る勢いで、連日感染者の増加が伝えられています。
 そのような中でありながら、GO TOキャンペーンなるものを展開し、早期に経済を回そうとする政府の対応など、この件に限らず、これまでの政策を見ても、どうにもちぐはぐで、行き当たりばったりの感がぬぐえず、この政権の危機対応能力に、不安を覚えずにはおられません。
 世界中の誰もが、当たり前のように受け止めていた日常生活、それを足下から問い直さざるを得なくなった今、宗教とりわけ仏教は、この世界的危難に対して何をなし得るのか、一仏教者として、自問せずにはおれぬ日々を過ごしています。
 しかし全般的な状況はさておき、一番気がかりなことは、長引く自粛生活と、ソーシャルディスタンス保持の必要から、人と人との間柄が疎遠になり、孤立感を深める人が確実に増えていることです。
 先日も久しぶりに月参りに伺ったお宅で、ほぼ2ヶ月半、誰ともまともに会話をすることがなかったと、涙ながらに語られるご婦人の、寂しく鬱屈した思いをお聞きして、連日の過剰なまでに恐怖をあおるテレビ報道の在り方に、大いに疑問をいだかされました。 
 また、コロナウイルスに感染された方や、感染者の発生した店舗等、更には感染者の治療に当たっておられる、医療従事者の方々までもが、非難され差別されるという現実にも愕然とさせられます。
 先日もあるお宅で「看護師をしている知人が、保育所から、『他の保護者が怖がっているので、お宅のお子さんの登園は遠慮して欲しい』と言われ、致し方なく仕事を辞めた」と聞かされ、実際そのようなひどい話のあることを知らされました。
 共同体を守るためとはいいながら、突き詰めれば「おのれ善ければ全てよし」の凡夫の自性(じしょう)が、差別偏見を生んでいることに気付かされます。
 浄土は「怨親平等・倶会一処(おんしんびょうどう・くえいっしょ)」の世界、親しき者も憎しみあう者も、共にひとつところで出遇う世界。
 それぞれが凡夫の身そのままで、浄土の光を身に受けて、我が身の浅ましい身の事実に、頭の下がったところに初めて開かれる、広大無辺な世界を願う、そのお心を如来より賜り続けながら、お念仏の確かな大道を歩ませて頂きたいことです。

坊守便り

大屋根修復事業ご報告 
 昨年から進めていました大屋根瓦
の吹き替えが完了し、その後木材の朽ちていました山門の手摺の修復、門扉木材の欠損直し、黒ずみのあく取り、本堂下屋根の修復、壁の塗り替え、ライトアップ設置工事と順に完了しました。塗装仕上げでは垂木の白い塗りが際立ち、飾り金具も新瓦となった大屋根の美しさを引き立てています。
 今年に入り阿弥陀様もお煤払いをして、お衣を覆っていた黒い汚れもとれました。この際に、テレビにもたびたび取り上げられた職人さんとのご縁を頂き只今は本堂正面上方の欄間とその周囲の梁、梁と桁にかかる荷重を柱にかけ屋根を支える斗供や彫り物の煤払いと木材のあく取りにかかっています。梁の汚れは長年気になっていました。今回のような機会がなければ汚れを取り除くのは難しい事でした。
 欄間は阿弥陀様と同じろうそくの煙をまとい黒くなった部分を落として頂きます。また、今回ははげてしまっている金箔の置き直しと彩色、金具の洗い、塗りの磨きもして頂きます、
 日頃よりお寺を気にかけてくださるご門徒様方のご助力により、一つ一つ修復が完成してゆきます。安泉寺を皆様と共に次代に引き継いでゆく事が出来て嬉しいことです。
 若い方、子供達にも喜んで頂ける事を念じています。


八月の行事

6 日(木)午前10時半〜 ピラティス

7 日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会

9 日(日)午後1時〜おみがき清掃ご奉仕

 盂蘭盆会
14日(金)午前11時・午後1・3時・夕方7時
15日(土)午前11時〜 午後1時〜

*今回コロナウイルスの感染予防の観点から 右記の計6座、かつ密にならないよう、ご 参詣人数等を当寺にて調整させていただき、改めましてご案内をご送付申し上げます。

27日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

九月の行事

3 日(木)午前10時半〜 ピラティス

 秋季彼岸会

9月19日(土)午後2時〜 夕方6時〜 
       ご講師 専光寺 島光陽師

24日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

*コロナ禍の終息状況によっては行事変更もあり得ます。
 悪しからずご了承下さいませ。



















posted by ansenji at 23:48| Comment(0) | 法悦

2020年06月30日

2020年7月 

法 悦 七月号 838号


 ひとは

 生まれや育ちによって

 賤(いや)しい

 尊いが

 決まるのではない

 ひとは

 その行いによって

 賤しい

 尊いが

 決まるのである


   原始仏典「スッタニパータ―」より
                (要約) 
       
青色青光

 アメリカで発生した白人警察官に
よる黒人青年の殺害事件を機に、アメリカ国内はもちろんのこと、全世界的に反差別のデモが燎原の火のように広がっています。
 今回の事件は、今なお続く、有色人種、殊に黒人に対する人種差別の根深さが、改めて露わになったことに加え、人がまさに殺害される現場がリアルタイムで、SNS動画やニュース映像を通じ、世界中に発信されただけに、その衝撃と影響力は想像を絶するものでした。
 随分以前になりますが、福岡人権研究所の園田久子氏が、大学で教鞭を執っておられたとき、新入学生に対する最初の講義でいつも「人間はいじめもするし、差別もするし、殺しもするよ。」と、投げかけられたそうです。
 もちろん、そういうことは、してはいけないことと教えられてきた学生の中には、泣いて抗議をする人もあったそうですが、人間の心の中に潜む罪業性に向き合って欲しいと、厳しい姿勢で臨んでおられたそうです。
 翻って、お釈迦様はカースト制度という、生まれや血筋によって、明確に人間が階層化されていた二六〇〇年前のインドに於いて、すでに、人間は普遍的に平等な存在であり、その尊卑は、行いによってのみ決まるのだと、人間本来のいのちの平等性を説かれました
 そう、仏教は過去の教えなどではなく、現代の私たちに対する批判原理でもあるのです。

住職日々随想                  

 最近、ご葬儀の折り、病院における
新型コロナウイルスの感染予防の措置により、家族や親族を病床に見舞うことが叶わず、満足な別れが出来ずに見送ってしまったと、悲しく悔しい思いをしておられる方のお声を、聞かせていただくことが続けてありました。
 かく言う私も、親しい先輩の奥様のお見舞いに行けず、見送ってしまったことが、未だに悔やまれてなりません。
 しかし、よくよく考えてみますと、凡夫の身勝手な思い通りになどならぬのが娑婆世界、まさに「堪忍土」と言われるこの世の厳しい事実なのです。
 九十歳で還浄された親鸞聖人の最晩年のお手紙に「なによりも、こぞことし、老少男女おおくのひとびとのしに(死に)あいて候うらんことこそ、あわれにそうらえ。ただし、生死(しょうじ)無常のことわり、くわしく如来のときおかせおわしましてそうろううえは、おどろきおぼしめすべからずそうろう。まず、善信(親鸞聖人の坊号)が身には、臨終の善悪をばもうさず、信心決定(けつじょう)のひとは、うたがいなければ、正定聚に住すること(再び苦界である娑婆世界に退転することなく)にて候うなり。さればこそ、愚痴無智のひともおわりもめでたく候え。如来の御はからいにて往生するよし、ひとびともうされ候いける、すこしもたがわず候う(間違いの無いこと)なり。」
 親鸞聖人の晩年にも疫病が蔓延して、次々と老いも若きもなくなっていかれました、そのさまに驚きを禁じ得なかったからこそ、「生者必滅、会者定離」のことわりは、すでにしてお釈迦様が懇切にお説き下さっていたことではないか、と、誰かに対してではなく、ご自身に対して、説き聞かせておられたに違いないと思うのです。
 ならばこそ、いかんともしがたい事実は、凡夫の身で引き受けることの叶わぬことなのだから、阿弥陀仏の「えらばず、きらわず、みすてない」その大慈大悲のまことに南無し、おまかせする、そこにこそ、臨終という極限の所で、いかなる最後を迎えようとも、能力や、生き様、死に様の善し悪しにもたじろがない、確かな往生浄土の大道が開かれるのだと、また、あらためて念を浄土に懸ける歩みを続けて参りたいことです。

坊守便り
ー安泉寺の活動をSNSでも発信しますー
  
携帯電話・スマートホンでは、映した写真を取り込み、ライン・フェイスブック・ツィッター・インスタグラムといった交流サイトに情報をあげていくことが出来ます。
 日頃お顔を会わせてお付き合いをし、連絡先を交換している方々以外の、どなたにでもご覧頂く事が出来ます
 従来は電話番号を広くお知らせして、何かありましたら、ご連絡くださいと言った方法でした。ですが、SNSで発信しますと、ボタン一つで安泉寺の活動を写真や動画を通してご覧いただく事ができます。
 コロナ禍で、お家時間が増える中、私の携帯電話も若い人のよく使うモバイルに変更しました。そして、お寺も専用のモバイルホンで発信しようかということになりました。
 これまでも、坊守個人の窓口から、安泉寺の各種行事や女性会・同朋の会の皆さんと出かけた、南御堂や東本願寺の行事参加の様子などを、フェイスブックで知り合いの方々に見て頂いていました。これからは、もっと多くの方にお伝え出来るかとおもいます。
 この事は若院からの提案です。何かと腰の重い私ですが、若院が毎日法務に伺う中、多くの皆様が、たいがいラインを使われていることを感じて、携帯端末を使って、もっと皆様にお寺の活動を身近に感じていただきたいと思うことです。

七月の行事

11日(土)午後4時〜 祥月講・同朋の会
            ご講師 念仏寺 土井紀明師

16日(木)午前10時半〜 ピラティス

17日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会

30日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

八月の行事

6 日(木)午前10時半〜 ピラティス

7 日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会

9 日(日)午後1時〜おみがき清掃ご奉仕

 盂蘭盆会
14日(金)午後1時・3時〜 夕方7時〜
15日(土)午前10時〜 午後1時〜
       本年より右記の計五座です。
詳細につきましては、改めてご案内申し上げます。

27日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

*七月八月の諸行事は、新型コロナ
ウイルスの感染終息の状況を見ながら、
行ってまいります。
引き続き感染予防にご留意の上、
ぜひ、ご参加下さいませ。 

posted by ansenji at 18:52| Comment(0) | 法悦

2020年06月01日

2020年6月

法 悦 六月号 837号


 自身も含め


 誰かを傷つけずには


 いられない


 それほど深い悲しみは


 あなたが


 そのままのあなたを


 受け容れられない


 罪です


青色青光

「自粛警察」という言葉をご存じですか?
政府から緊急事態宣言が発出され、この国
に住むすべての人に、感染予防を目的として、外出の自粛をはじめとする、様々な要請が出されました。
 そういう状況の中、他府県ナンバーの車への嫌がらせや、営業を続ける店舗や遊戯施設などへの直接・間接的な様々な攻撃など、度を超した行動を批判して言うようです。
 こういうリンチ的な現象をもたらした最大の原因は、先ず、なすべき生活保障を後回しにして、とにかく自粛しろと言うだけの、自己責任ベースの政府の要請にあるのではないでしょうか。
 それはいたずらに人々の不安や、不満をあおり、もともとのクレイマーの他罰感情に、大義名分を与え、要請に従わない他者には、正義の鉄槌を下し、存分に力を振るう事が許されるのだという、誤ったメッセージを与えてしまっているものと考えられます。
 残念なことに、メディアもまた、集中的に取り上げ取材することで、かえってこういう暴走を加速させるようにあおっています。
 むしろ今回のような世界的な危機は、歴史の転換点となり得るエポックでもあります。
 であるならば、この危機を真実のみ教えに出遇う勝縁として、自他共に願うべき世界をこそ、あきらかにしてまいりたいことです。

住職日々随想                  

 子供の頃、未来の生活はいったいどの様になっているだろう、と様々想像を巡らしました。
 きっと未来は自宅の大型スクリーンを使って、仕事や学習が出来るようになる。通勤通学も必要なとき以外はせずに済み、ラッシュに悩まされることなく、食事や買い物もボタンひとつで可能になる、などなど。
 奇しくも今回の新型コロナウイルスの感染拡大によって、何年も遅々として進まなかった、リモートワークや在宅学習などが、ふた月足らずの間に急速に普及しました。
 こういう災いが転じた例もありますが、反面各国が鎖国状態のようになっている中、食糧の六割を輸入に頼っている我が国の有り様は、今のままで良いのか、教育はこのままで良いのか、など、生活全般に見直しが必要になっています。
 今回のような感染症の世界的流行は、地球規模の往来の盛んになった現代社会では、これからも繰り返し起こりうると考えられます。
 一日も早い終息は誰もが願うことではありますが、単に元の生活に戻すのではなく、そこから先に、自分ファーストでは成り立たない事実を見据え、さらに一歩、誰もが共に生きあえる世界に前進させることこそ大切なのです。
 蓮如上人は、たくさんのお手紙(御文)を書かれましたが、「後生の一大事を心に掛け、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏申せ」と、たびたび書かれています。
 普通に読めば死してのちの浄土往生について説かれたものと読めます。しかし、今一歩深く味わってみますと、「後生」とは、単に今生のいのち終えて後の来世の事だけを言うのではなく、今日ただいまより後の世、後の人々に対する道しるべとなるような生き方、そういう生き方を、今あなたはしていますかという問いかけであり、そして、その問いに応えていくことこそが「一大事」なのだ、と教えて下さっていると頂くべきなのです。
 私たちは常日頃の生活の中で、「食わねば死ぬ。いい目をしたい」と、目先のことばかりにかかずらわっています。
 確かに激しい問題ではありますが、「いい目をいくらしても、いくら食っていても死ぬ」という厳然たる事実をから目を背けてはいないでしょうか?正に一大事の忘却です。
 じつにこういう時だからこそ、
真実のみ教えに、深く生きる智慧の
眼を賜らねばならないのです。

坊守便り

新型コロナウィルスの感染が拡大
し、私たちの生活は長い自宅待機を
余儀なくされました。
 ステイホームと呼びかけられ自粛
する中、感染の検査はなかなか出来ない状況でした。テレビに出てくる芸能人の方が亡くなり、治療を待っている間に急に病状が悪化したと言う報道には、ただただ恐れが増幅した事でした。
 感染の拡大を抑制するために、密になる事を避け、人と会わない事を合い言葉に日々をつなぎ、仕事はインターネットを利用したテレワークとなりました。「離れたところで働く」「遠くで働く」と言うことです。政府が働き方改革で提案していたことが、ここに来て必要に迫られ、幅広く取り入れられ、今後はさらに日常的にゆきわたりそうです。
 オンラインで会議や、お友達の食事会が行われ、コミュニケーションの取り方も変わっていき、「コロナ禍」が節目の言葉となりそうです。
 とはいえ、みんなで一同に集まる顔と顔のお付き合いは欠かせないことで、コロナウィルスの新規感染者が減少傾向となって、全国的に緊急事態が解除になったことは嬉しいことです。
 安泉寺では、同朋会聞法会、女性会、仏教讃歌、親鸞踊り、ピラティスなど月例で行っています。
 ご門徒さんだけでなく、地域の方も歓迎してお付き合いしています。この交流会で南御堂、東本願寺の行事に、共に参加させて頂くことは何より嬉しいことです。
 六月から状況を確認しながら行事を再開させて頂きます。どうぞよろしくお願いします。

六月の行事

1日(木)午前10時半〜 ピラティス

19日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会

20日(土)午後4時〜 祥月講・同朋の会
            ご講師 即応寺 藤井善隆師

25日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

七月の行事

11日(土)午後4時〜 祥月講・同朋の会
            ご講師 念仏寺 土井紀明師
            
16日(木)午前10時半〜 ピラティス

17日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会

30日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

*六月・七月のの諸行事は、新型コロナウイ ルスの感染終息の状況を見ながら、
 実施可能なものより順次行います。
 感染予防にご留意の上、
 ぜひ、ご参加下さいませ。
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posted by ansenji at 22:26| Comment(0) | なんでも質問箱