法 悦 6月号 873号
この憲法が
日本国民に保障する
基本的人権は、
人類の多年にわたる
自由獲得の努力の成果であつて、
これらの権利は
過去幾多の試錬に堪へ
現在及び将来の国民に対し
侵すことのできない
永久の権利として
信託されたものである。
「日本国憲法第97条」
青色青光
およそ仏教では「知りつつ犯す過ちよりも、知らずに犯した過ちの方が
より罪深い」と、無明の闇の深さを知らず、無自覚に過ちを犯す事を戒め
ています。
1985年5月8日、欧州の第二次世界大戦終戦記念日に、ドイツの
ヴァイツゼッカー大統領が連邦議会で行った「荒れ野の40年」と題された
演説が、大きな感動を生み、その全文が各国で翻訳出版されました。
わけても重要な言葉が「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも
盲目となる」と、おびただしい犠牲者や、筆舌に尽くしがたい苦難を
強いられた人びとに思いをはせ、心に刻むことの大切さを、そして「若い
人たちにかつて起ったことの責任はありません。しかし、その後の歴史の
なかで、そうした出来事から生じてきたことに対しては責任があります。」
と、歴史に対する無知と無関心が、新たな罪を犯すことにもなりうると
警句を発しています。
政治学者の中島岳志氏が、立憲と民主との関係について述べておられますが、
民主主義というのは今生きている過半数の人間が賛成すれば通っていくのに
対して、立憲主義、憲法というのは今生きているものだけではなく、先人達が
多くの失敗に学び、今生きている我々を信じて託すもの、言わば主語はむしろ
死者であり、そこに生まれる緊張関係こそが、物事をよりよい方向に導くと
指摘しています。その事が最も的確に表されているのが、この97条なのです。
住職日々随想
私事で恐縮ですが、先日散髪中にマスターとの雑談で「最近、コロナ禍の
影響もあってか、携帯電話で手軽に公営ギャンブルができるようになり、
のめり込んでしまう若者が急増していて、中にはそれだけでは我慢できず、
海外のカジノにまで出かけ、あっという間に何千万もの大金をすってしまう
子もいるんですよ。」と聞かされ、驚嘆すると同時に、地元大阪の先行きに
不安を感じ、暗澹たる気分になりました。
経済再生の起爆剤になると盛んに喧伝し、カジノの収益を当てにした、
いわゆる統合型リゾート誘致が、大阪湾の人工島「夢洲」で進められています。
国が許認可権を持つカジノ誘致に、名乗りを上げた自治体は、他にもいくつ
かありましたが、いずれも地元住民の反対などもあって頓挫する中、大阪が
国内のカジノ誘致、一番乗りを果たす形となりました。
そんな大阪の現状とは裏腹に、誘致計画の白紙撤回に至った自治体の一つに
横浜市がありますが、その反対運動の中心となった人物が、「ハマのドン」
と呼ばれ、自民党の有力幹部や地元財界にも太いパイプを持ち、菅義偉元総理
生みの親とも言われる、横浜港運協会会長の藤木幸夫さんという方です。
氏が記者会見で「港の先輩達、この地で汗を流し血を流し、死んでいった人たち
がいっぱいいる。その方々が何か言いたいのだろうと思う。死んだ親父に横浜の
将来をちゃんとしろよ。博打場はやめろよと言わされているように感じる」と。
その藤木さんのお父さんも、地元横浜だけでなく、全国の港運協会にも強い
影響力を持つ方だったそうで、港湾で働く人々の生活安定のために尽力されて
きた中、博打で身を持ち崩し、道を踏み外し不幸になってしまった人々を数多く
見てこられ、その対策に奔走された、その事実が氏の背中を強く押したので
しょう。
いつ命を狙われても不思議ではない、そんな彼の命がけの反対もあって、
カジノ誘致計画が白紙撤回された後、政治学者の中島岳志氏との対談で、
中島氏が柳田国男の「先祖の話」を紹介され、ちゃんとしたご先祖になる。
死んだ後にも仕事があるという話を受け、「私は死んだ親父や先輩達の思いを
背負ってカジノに反対してきた。けれども、こういうことをやるのは俺で最後
だろうな、と思う時がありました。俺がいなくなったらこういうことを言う
やつはいなくなるだろうな、と寂しく思う時もありました。が、それはおごり
でした。俺で終わりだなんて思うのは生意気だね。まだ先があると言うこと
ですね。これで私は死んだ後も戦えます」と。
ややもすれば、生きている者の目先の利益や都合だけで、物事を決めて
しまうことは、危うさの影を濃くしてしまいます。死者も主権者として
ご参加いただき、死者と未来の他者との対話を通して歩んでいくことの
大切さを、改めて知らされました。
それはまた、「先に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は先を訪え」
という教行信証のお言葉にも通じるものです。
坊守便り
ー琵琶の弾き語りと 帯結び(花むすび)展示ー
5月の同朋会は女性の集いと共催させて頂きました。
初めのご挨拶は、同朋の会の稲垣信夫会長にして頂き、最後は三木ふみこ
女性部長に締めのご挨拶をして頂きました。
役員の皆様には5月ならではの柏餅と、お抹茶の接待をしていただき
ました。
展示には、伝統ある装道礼法着物学院、大阪市内支部講師の皆様に、
9体の花むすびを飾っていただきました。
私が長年携わっている会ですが、高い技術力で華やかな帯結びの展示を
してくださいました。
おかげさまで、大阪で花開いた和装の文化を、皆様にお伝えする事が
出来ました。
その後、猪飼野近くでお生まれになられた、琵琶奏者の野田勝香先生に
お越し頂き、弾き語りをご披露いただきました。
お母様から受け継がれた琵琶を演奏され、ますます円熟を極められて
おられます。
今回は「嫁脅し肉付きの面」という、蓮如上人、吉崎でのご教化の
お話を題材にした伝説を、琵琶の引き語りに仕上げご披露下さいました。
嫁の聞法を邪魔する邪悪な姑が改心し、ご信心に目覚めていかれる物語、
今ひとつは「伽羅の兜」という、大坂夏の陣で散った木村重成と
その妻との、美しくも悲しい物語でした。
すばらしく力強い語りと迫力ある演奏に皆さん喜ばれ、楽しいひとときで
ございました。
六月の行事
1 日(木) 午前10時半〜 ピラティス
15日(木) 午前10時半〜 ピラティス
17日(土) 午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
ご法話 専光寺 前住職 島洸陽師
七月の行事
1 日(土) 午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
ご法話 武庫川念仏寺住職 土井紀明師
6 日(木) 午前10時半〜 ピラティス
20日(木) 午前10時半〜 ピラティス
*感染予防には十分配慮し各行事を行いますが、感染が拡大した場合、変更
もしくは中止する事ががございます。
2023年05月28日
2023年6月
posted by ansenji at 23:27| Comment(0)
| 法悦
2023年04月28日
2023年5月
法 悦 5月号 872号
まず凡夫は、ことにおいて、つたなく、おろかなり。(中略)たとい未来の
生処を弥陀の報土とおもいさだめ、ともに浄土の再会をうたがいなしと期す
とも、おくれさきだつ一旦のかなしみ、まどえる凡夫として、なんぞこれ
なからん。(中略)おろかにつたなげにして、なげきかなしまんこと、他力
往生の機に相応たるべし。
人間の八苦のなかに、さきにいうところの愛別離苦、これもっとも切なり。
まず生死界の、すみはつべからざることわりをのべて、つぎに安養界の常住
なるありさまをときて、うれえなげくばかりにて、うれえなげかぬ浄土を
ねがわずんば、未来もまた、かかる悲歎にあうべし。
つぎにかかるやからには、かなしみにかなしみをそうるようには、ゆめゆめ
とぶらうべからず。もししからば、とぶらいたるにはあらで、いよいよ
わびしめたるにてあるべし。酒はこれ、忘憂の名あり。これをすすめて、
わらうほどになぐさめて、さるべし。さてこそとぶらいたるにてあれと、
おおせありき。しるべし。
青色青光
毎年二月十五日には、大阪市仏教会の主催で涅槃会(お釈迦様ご入滅日
の法要)が厳修されます。
殊に四天王寺本坊の五智光院で営まれる折には、本堂内陣に巨大な
涅槃図をおまつりし、各宗派年交代回り持ちで、それぞれの宗派の勤行式
で仏コを讃嘆致します。
差し支えのない限り毎年お参りさせていただいておりますが、間近で
巨大な涅槃図を拝ませていただきながら、いつも思い起こされますのが、
上記の覚如上人著の「口伝鈔」の親鸞様のお言葉です。
頭北面西右脇に横になっておられるお釈迦様の周りには、多くの仏弟子方
のみならず、生母の摩耶夫人が天上から駆けつけておられるお姿や、
様々な動物なども描かれています。
が、いつも注目させられるものが、お釈迦様の入涅槃を嘆き悲しみ失神した
アナン尊者、その彼に水を掛けて蘇生させようとする兄弟子の姿です。
「お前は一体何を聞いてきたんだ」としかりつけている、その声が聞こえて
くるように思われるのです。
この時点では、いまだ悟っておられないアナン尊者。
その嘆きは私たち凡夫とも等しく思われてなりません。「他力往生の機に
相応」「酒はこれ、忘憂の名あり…」と、親鸞様の温かいまなざしを感じず
にはいられません。
住職日々随想
「その質問には答えるべきではない」と、お釈迦様が肯定も否定も
なさらなかった問いを「無記」と言います。
すなわち、世間は永遠に存在するのかしないのか?またその限りは
あるのか無いのか?如来は死後も存在するのかしないのか?
命とこの身は同じなのか異なるか?などといった質問で、知的関心から
問う事を、戯論(けろん)と称し、その問いに応えることもまた戯論である
と退けられ、仏教者の取るべき態度をお示しになられました。
その事を「毒矢のお譬え」と言われている話でお説きになっておられます。
曰く、ある商人の一行が山道を進んでいると、どこからともなく一本の
毒矢が放たれ、主人に突き刺さりました。供の者が急ぎ引き抜こうと
しましたが、「ちょっと待て、この矢はだれが射たのか。男か、女か。
その者の名前は。何のために矢を射たのか。矢に塗られた毒はどんな毒か。
それらが分かるまで、この矢を抜いてはならん」と言い張りました。
そうこうするうち、全身に毒が回り商人は死んでしまったと、「無常は迅速、
まさに今も老いや病、死の苦しみがわが身の現実としてあるではないか。
私はこの苦悩の根本原因と、その解決の道を説いている、急ぎ問うべき人生の
一大事とは何なのか、よくよく知らねばならない」と。では、お釈迦様は
こういった問いに、全く応えられなかったのかと言えば、そうではありません。
お釈迦様の在家のお弟子に、マハー・ナーマンという方がおられました。
病に苦しんでおられるこの方を見舞われたお釈迦様に、「このとおり年老い、
治る見込みの無い病を得、この先いのち終えて一体どうなるのか、不安で
なりません。」と、苦しい胸の内を打ち明けられたとき、「マハー・ナーマンよ、
そなたは私の教えをよく守り、正しい生活を送ってきた。
それ故マハー・ナーマンよ、死してのち、そなたのその身は滅ぶであろう
けれども、そなたのその心は、必ずや勝れたところに生まれるであろう」と。
知的関心から発せられたような問いではなく、身の苦悩から発せられた、
実存的な問いに対しては、沈黙されるのでなく、むしろその慈悲と救済の
お心をもって、お応えになられたと戴くことが出来ないでしょうか。
それはまた、阿弥陀様が衆生を一子の如く憐愍される、ご本願として、
今もこの私の身に至り届いています。
まさに念仏は「我をたのめ必ず救わん」という親の呼び声であり、また「応」
と応える子の返事なのです。
坊守便り
ー花まつりー
四月九日に当寺本堂にて、花まつりの法要をお勤めさせて頂きました。
別名「灌仏会」とも言われる仏教行事です。
花御堂の中央の誕生仏に甘茶をそそぎ、子供の健やかな成長を念じます。
南御堂のゆるキャラ、ブットン君にも来て頂き、ピアノに合わせて
三帰依を唱和し、お勤めしました。
親子合わせて三十名ほどのご参加があり、一人ずつ順番に、花御堂に
手を合わせて頂きました。
境内では綿菓子作り体験と、スーパーボールすくいなどをして楽しみ、
ブットン君と記念写真をとりました。
解散後、一度帰宅した四人の子供さんが感謝状を持ってこられ、今日一日
お寺で過ごして、とても楽しかったと書いて下さっていました。嬉しい事です。
第二部は若者のコンサートです。最初に装束を着け、若院と友人により
正式なお勤めをいたしました。一般の若者たちが本格的な法要を体験する
機会は、あまり無いことかもしれません。今後も子供たちや若者にも
お伝えし、お寺に親しみを持って頂きたい事です。若いお父さんお母さん
子供たち、若者と一緒に楽しい花まつりでした。
五月の行事
18日(木)午前10時半〜 ピラティス
20日(土)午後2時〜琵琶演奏を聴く集い
「嫁おどし肉付きの面」その他
演者 野田孝子さん
25日(月)午前10時半〜 ピラティス
六月の行事
1 日(木)午前10時半〜 ピラティス
15日(木)午前10時半〜 ピラティス
17日(土)午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
ご法話 専光寺 前住職 島洸陽師
*感染予防には十分配慮し、各行事を行いますが、感染が
さらに拡大した場合、変更もしくは中止する場合がございます。
まず凡夫は、ことにおいて、つたなく、おろかなり。(中略)たとい未来の
生処を弥陀の報土とおもいさだめ、ともに浄土の再会をうたがいなしと期す
とも、おくれさきだつ一旦のかなしみ、まどえる凡夫として、なんぞこれ
なからん。(中略)おろかにつたなげにして、なげきかなしまんこと、他力
往生の機に相応たるべし。
人間の八苦のなかに、さきにいうところの愛別離苦、これもっとも切なり。
まず生死界の、すみはつべからざることわりをのべて、つぎに安養界の常住
なるありさまをときて、うれえなげくばかりにて、うれえなげかぬ浄土を
ねがわずんば、未来もまた、かかる悲歎にあうべし。
つぎにかかるやからには、かなしみにかなしみをそうるようには、ゆめゆめ
とぶらうべからず。もししからば、とぶらいたるにはあらで、いよいよ
わびしめたるにてあるべし。酒はこれ、忘憂の名あり。これをすすめて、
わらうほどになぐさめて、さるべし。さてこそとぶらいたるにてあれと、
おおせありき。しるべし。
青色青光
毎年二月十五日には、大阪市仏教会の主催で涅槃会(お釈迦様ご入滅日
の法要)が厳修されます。
殊に四天王寺本坊の五智光院で営まれる折には、本堂内陣に巨大な
涅槃図をおまつりし、各宗派年交代回り持ちで、それぞれの宗派の勤行式
で仏コを讃嘆致します。
差し支えのない限り毎年お参りさせていただいておりますが、間近で
巨大な涅槃図を拝ませていただきながら、いつも思い起こされますのが、
上記の覚如上人著の「口伝鈔」の親鸞様のお言葉です。
頭北面西右脇に横になっておられるお釈迦様の周りには、多くの仏弟子方
のみならず、生母の摩耶夫人が天上から駆けつけておられるお姿や、
様々な動物なども描かれています。
が、いつも注目させられるものが、お釈迦様の入涅槃を嘆き悲しみ失神した
アナン尊者、その彼に水を掛けて蘇生させようとする兄弟子の姿です。
「お前は一体何を聞いてきたんだ」としかりつけている、その声が聞こえて
くるように思われるのです。
この時点では、いまだ悟っておられないアナン尊者。
その嘆きは私たち凡夫とも等しく思われてなりません。「他力往生の機に
相応」「酒はこれ、忘憂の名あり…」と、親鸞様の温かいまなざしを感じず
にはいられません。
住職日々随想
「その質問には答えるべきではない」と、お釈迦様が肯定も否定も
なさらなかった問いを「無記」と言います。
すなわち、世間は永遠に存在するのかしないのか?またその限りは
あるのか無いのか?如来は死後も存在するのかしないのか?
命とこの身は同じなのか異なるか?などといった質問で、知的関心から
問う事を、戯論(けろん)と称し、その問いに応えることもまた戯論である
と退けられ、仏教者の取るべき態度をお示しになられました。
その事を「毒矢のお譬え」と言われている話でお説きになっておられます。
曰く、ある商人の一行が山道を進んでいると、どこからともなく一本の
毒矢が放たれ、主人に突き刺さりました。供の者が急ぎ引き抜こうと
しましたが、「ちょっと待て、この矢はだれが射たのか。男か、女か。
その者の名前は。何のために矢を射たのか。矢に塗られた毒はどんな毒か。
それらが分かるまで、この矢を抜いてはならん」と言い張りました。
そうこうするうち、全身に毒が回り商人は死んでしまったと、「無常は迅速、
まさに今も老いや病、死の苦しみがわが身の現実としてあるではないか。
私はこの苦悩の根本原因と、その解決の道を説いている、急ぎ問うべき人生の
一大事とは何なのか、よくよく知らねばならない」と。では、お釈迦様は
こういった問いに、全く応えられなかったのかと言えば、そうではありません。
お釈迦様の在家のお弟子に、マハー・ナーマンという方がおられました。
病に苦しんでおられるこの方を見舞われたお釈迦様に、「このとおり年老い、
治る見込みの無い病を得、この先いのち終えて一体どうなるのか、不安で
なりません。」と、苦しい胸の内を打ち明けられたとき、「マハー・ナーマンよ、
そなたは私の教えをよく守り、正しい生活を送ってきた。
それ故マハー・ナーマンよ、死してのち、そなたのその身は滅ぶであろう
けれども、そなたのその心は、必ずや勝れたところに生まれるであろう」と。
知的関心から発せられたような問いではなく、身の苦悩から発せられた、
実存的な問いに対しては、沈黙されるのでなく、むしろその慈悲と救済の
お心をもって、お応えになられたと戴くことが出来ないでしょうか。
それはまた、阿弥陀様が衆生を一子の如く憐愍される、ご本願として、
今もこの私の身に至り届いています。
まさに念仏は「我をたのめ必ず救わん」という親の呼び声であり、また「応」
と応える子の返事なのです。
坊守便り
ー花まつりー
四月九日に当寺本堂にて、花まつりの法要をお勤めさせて頂きました。
別名「灌仏会」とも言われる仏教行事です。
花御堂の中央の誕生仏に甘茶をそそぎ、子供の健やかな成長を念じます。
南御堂のゆるキャラ、ブットン君にも来て頂き、ピアノに合わせて
三帰依を唱和し、お勤めしました。
親子合わせて三十名ほどのご参加があり、一人ずつ順番に、花御堂に
手を合わせて頂きました。
境内では綿菓子作り体験と、スーパーボールすくいなどをして楽しみ、
ブットン君と記念写真をとりました。
解散後、一度帰宅した四人の子供さんが感謝状を持ってこられ、今日一日
お寺で過ごして、とても楽しかったと書いて下さっていました。嬉しい事です。
第二部は若者のコンサートです。最初に装束を着け、若院と友人により
正式なお勤めをいたしました。一般の若者たちが本格的な法要を体験する
機会は、あまり無いことかもしれません。今後も子供たちや若者にも
お伝えし、お寺に親しみを持って頂きたい事です。若いお父さんお母さん
子供たち、若者と一緒に楽しい花まつりでした。
五月の行事
18日(木)午前10時半〜 ピラティス
20日(土)午後2時〜琵琶演奏を聴く集い
「嫁おどし肉付きの面」その他
演者 野田孝子さん
25日(月)午前10時半〜 ピラティス
六月の行事
1 日(木)午前10時半〜 ピラティス
15日(木)午前10時半〜 ピラティス
17日(土)午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
ご法話 専光寺 前住職 島洸陽師
*感染予防には十分配慮し、各行事を行いますが、感染が
さらに拡大した場合、変更もしくは中止する場合がございます。
posted by ansenji at 21:13| Comment(0)
| なんでも質問箱
2023年03月31日
2023年4月
法 悦 4月号 871号
この星
地球
この大地
この自然は
先祖から
譲り受けたものではなく
我々が
ほんのしばらくの間
子孫から
借りているものなのだ
ネイティブアメリカン ナバホ族のことわざ
青色青光
1962年に生物学者・作家のレイチェル・カーソンが、DDTをはじめと
する殺虫剤や農薬の生態系に与える影響の深刻さを告発し、著した「沈黙の春」
は時代を超えるベストセラーとなり、以降、環境問題が世界的な運動に発展
していきました。
そのような流れの中、キリスト教旧訳聖書『創世記』に「生めよ、ふえよ、
地に満ちよ、地を従わせしめよ、海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての
生き物を治めさせよ」と、神が万物の霊長として、世界の支配権を人間に与え
られたと説かれている教えに反し、環境運動の高まりに伴ってアメリカ先住民、
ネイティブ・アメリカンの伝統的な思想や自然観が脚光を浴びる事となりました。
上記のことわざもその一例ですが、元来、土地の私有という概念のなかった
彼らは、「大地は共同体にいのちを与え、そのいのちを存続させていくもの。
しかも大地は七世代後の子孫から、今借りているもの、次の世代には、無傷で
最良の形で残していかねばならない」と。
その姿勢は、仏教の「経」はタテ糸、連続無窮に、後の世の人々に伝え続け、
無量のいのち耀く浄土を願わしめる為にこそある、という思想に通じるもの
なのです。
住職日々随想
東日本大震災発生に伴う福島第一原子力発電所の事故から十二年、地震や
火山活動、その他自然災害の絶え間ない我が国において、一旦事故が起これば
取り返しのつかない事態に陥る原発、そんな原発に依存しない社会を目指そう
というのが、多くの国民の思いではなかったでしょうか?
しかし、複雑に利権の絡み合った原発に比べ、すぐには利益に結びつかない、
再生可能エネルギーの推進に積極的でなかった政府は、エネルギー価格の高騰
を理由に、まともな議論もせず、原発再稼働や運転期間の大幅延長、はては
原発新増設まで目指すという方針を打ち出しました。
調査報道記者、日野行介氏は著書「原発再稼働ー葬られた過酷事故の教訓」で、
岸田政権が急に脱原発の方針を転換した、と多くの国民は誤解しているが、
実は事故後すぐに再稼働有りきで、オブラートに包むようにして進められてきた
種々の施策が、ここにきて開き直ってあからさまにされてきただけで、初めから
何も変わっていない、と。
事故後に設置された「原子力規制委員会」も、再稼働しなければ「規制」
する必要もないわけで、多くの国民の脱原発の期待とは裏腹に、新基準を
満たした原発に「再稼働のお墨付き」を与える事が目的で、当初から脱原発の
ための委員会ではないと、目から鱗の事実を指摘しています。
また、放射性廃棄物の最終処分をどうするかのめどもなく、30年の期限を
つけて「中間貯蔵」を進めています。
更には、どう考えても不可能に思える、百万人近くに及ぶ住民の緊急避難
計画も、再稼働しなければ必要のないもので、進むも地獄、退くも地獄、
どうしようも無いと思考停止に陥った末作成された、非現実的なものなのだ、と。
そのような中、事故からわずか4年5ヶ月の2015年8月に、新基準を
満たしたからと、九州川内原発1号機が再稼働しましたが、これを皮切りに、
いつの間にか何基もの原発は動いている、という事実の前に、国民の多くが
徐々にならされ、それこそ半減期二万年とも言われる放射性物質に比して、
私達の記憶は五年と持たないのか、急速な風化と相まって、傍観者のように
なってしまっているというのが現状ではないでしょうか?
親鸞聖人は「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みな
もって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまこと
にておわします。」と、今だけ、ここだけ、自分だけと、「おのれよければ
すべてよし」の、虚仮不実のわが身を、念仏と共に、まことの世界に帰れと
お諭し下さっています。
坊守便り
ー本山慶賛法要団体参拝ー
本年三月二十五日から四月二十九日まで東本願寺では慶讃法要が勤まり
ます。宗祖親鸞聖人のご誕生と立教開宗を讃える御仏事です。
安泉寺でも三月二十五日に有志を募り、近隣の同派の寺院連合でお参り
させて頂きました。
バスの車中では、聖人の求道のご生涯を解り易くまとめたDVDを
鑑賞し、京都国立博物館にて当日初日の、親鸞聖人特別展を見学
しました。関東、北陸、各地から選りの見応えある展示物の数々でした。
その後、本山の名勝庭園・渉成園にて、見頃の桜に出迎えられて、
ひととき春の風情をみんなで楽しみました。
お昼には大寝殿で京料理老舗、泉仙の慶讃法要弁当を頂き、阿弥陀堂
にて記念法要に遇わせて頂きました。
先の法要で修復の終わった光り輝く御堂です。
聖人ご木像のある御影堂と二つのお堂で、ご門主と長男の新門さんが
同時にお勤めなさいました。この事もお二人おられてこその試み。
頼もしい事です。
境内では旧知の職員方と再会しました。それぞれの裏方がこころを
込めて全国の皆さんを待ち受ける、そんな思いの伝わる本山参拝でした。
四月の行事
9 日(日)午後2時〜4時 花まつり子ども会
お話読み聞かせ・ゲーム他 参加費無料
午後6時〜記念コンサート
アルボリビエント・MarieLouise他
チケット 3.000円
門徒前売り 2.000円
13日(木)午前10時半〜ピラティス
15日(土)午後2時〜祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 円明寺ご住職 島章師
24日(月)午前10時半〜ピラティス
五月の行事
18日(木)午前10時半〜ピラティス
20日(土)午後2時〜琵琶演奏を聴く集い
「石の枕」その他 野田孝子さん
25日(月)午前10時半〜ピラティス
*感染予防には十分配慮し、各行事を行いますが、感染が
さらに拡大した場合、変更もしくは中止する場合がございます。
この星
地球
この大地
この自然は
先祖から
譲り受けたものではなく
我々が
ほんのしばらくの間
子孫から
借りているものなのだ
ネイティブアメリカン ナバホ族のことわざ
青色青光
1962年に生物学者・作家のレイチェル・カーソンが、DDTをはじめと
する殺虫剤や農薬の生態系に与える影響の深刻さを告発し、著した「沈黙の春」
は時代を超えるベストセラーとなり、以降、環境問題が世界的な運動に発展
していきました。
そのような流れの中、キリスト教旧訳聖書『創世記』に「生めよ、ふえよ、
地に満ちよ、地を従わせしめよ、海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての
生き物を治めさせよ」と、神が万物の霊長として、世界の支配権を人間に与え
られたと説かれている教えに反し、環境運動の高まりに伴ってアメリカ先住民、
ネイティブ・アメリカンの伝統的な思想や自然観が脚光を浴びる事となりました。
上記のことわざもその一例ですが、元来、土地の私有という概念のなかった
彼らは、「大地は共同体にいのちを与え、そのいのちを存続させていくもの。
しかも大地は七世代後の子孫から、今借りているもの、次の世代には、無傷で
最良の形で残していかねばならない」と。
その姿勢は、仏教の「経」はタテ糸、連続無窮に、後の世の人々に伝え続け、
無量のいのち耀く浄土を願わしめる為にこそある、という思想に通じるもの
なのです。
住職日々随想
東日本大震災発生に伴う福島第一原子力発電所の事故から十二年、地震や
火山活動、その他自然災害の絶え間ない我が国において、一旦事故が起これば
取り返しのつかない事態に陥る原発、そんな原発に依存しない社会を目指そう
というのが、多くの国民の思いではなかったでしょうか?
しかし、複雑に利権の絡み合った原発に比べ、すぐには利益に結びつかない、
再生可能エネルギーの推進に積極的でなかった政府は、エネルギー価格の高騰
を理由に、まともな議論もせず、原発再稼働や運転期間の大幅延長、はては
原発新増設まで目指すという方針を打ち出しました。
調査報道記者、日野行介氏は著書「原発再稼働ー葬られた過酷事故の教訓」で、
岸田政権が急に脱原発の方針を転換した、と多くの国民は誤解しているが、
実は事故後すぐに再稼働有りきで、オブラートに包むようにして進められてきた
種々の施策が、ここにきて開き直ってあからさまにされてきただけで、初めから
何も変わっていない、と。
事故後に設置された「原子力規制委員会」も、再稼働しなければ「規制」
する必要もないわけで、多くの国民の脱原発の期待とは裏腹に、新基準を
満たした原発に「再稼働のお墨付き」を与える事が目的で、当初から脱原発の
ための委員会ではないと、目から鱗の事実を指摘しています。
また、放射性廃棄物の最終処分をどうするかのめどもなく、30年の期限を
つけて「中間貯蔵」を進めています。
更には、どう考えても不可能に思える、百万人近くに及ぶ住民の緊急避難
計画も、再稼働しなければ必要のないもので、進むも地獄、退くも地獄、
どうしようも無いと思考停止に陥った末作成された、非現実的なものなのだ、と。
そのような中、事故からわずか4年5ヶ月の2015年8月に、新基準を
満たしたからと、九州川内原発1号機が再稼働しましたが、これを皮切りに、
いつの間にか何基もの原発は動いている、という事実の前に、国民の多くが
徐々にならされ、それこそ半減期二万年とも言われる放射性物質に比して、
私達の記憶は五年と持たないのか、急速な風化と相まって、傍観者のように
なってしまっているというのが現状ではないでしょうか?
親鸞聖人は「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みな
もって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまこと
にておわします。」と、今だけ、ここだけ、自分だけと、「おのれよければ
すべてよし」の、虚仮不実のわが身を、念仏と共に、まことの世界に帰れと
お諭し下さっています。
坊守便り
ー本山慶賛法要団体参拝ー
本年三月二十五日から四月二十九日まで東本願寺では慶讃法要が勤まり
ます。宗祖親鸞聖人のご誕生と立教開宗を讃える御仏事です。
安泉寺でも三月二十五日に有志を募り、近隣の同派の寺院連合でお参り
させて頂きました。
バスの車中では、聖人の求道のご生涯を解り易くまとめたDVDを
鑑賞し、京都国立博物館にて当日初日の、親鸞聖人特別展を見学
しました。関東、北陸、各地から選りの見応えある展示物の数々でした。
その後、本山の名勝庭園・渉成園にて、見頃の桜に出迎えられて、
ひととき春の風情をみんなで楽しみました。
お昼には大寝殿で京料理老舗、泉仙の慶讃法要弁当を頂き、阿弥陀堂
にて記念法要に遇わせて頂きました。
先の法要で修復の終わった光り輝く御堂です。
聖人ご木像のある御影堂と二つのお堂で、ご門主と長男の新門さんが
同時にお勤めなさいました。この事もお二人おられてこその試み。
頼もしい事です。
境内では旧知の職員方と再会しました。それぞれの裏方がこころを
込めて全国の皆さんを待ち受ける、そんな思いの伝わる本山参拝でした。
四月の行事
9 日(日)午後2時〜4時 花まつり子ども会
お話読み聞かせ・ゲーム他 参加費無料
午後6時〜記念コンサート
アルボリビエント・MarieLouise他
チケット 3.000円
門徒前売り 2.000円
13日(木)午前10時半〜ピラティス
15日(土)午後2時〜祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 円明寺ご住職 島章師
24日(月)午前10時半〜ピラティス
五月の行事
18日(木)午前10時半〜ピラティス
20日(土)午後2時〜琵琶演奏を聴く集い
「石の枕」その他 野田孝子さん
25日(月)午前10時半〜ピラティス
*感染予防には十分配慮し、各行事を行いますが、感染が
さらに拡大した場合、変更もしくは中止する場合がございます。
posted by ansenji at 17:48| Comment(0)
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