2020年06月30日

2020年7月 

法 悦 七月号 838号


 ひとは

 生まれや育ちによって

 賤(いや)しい

 尊いが

 決まるのではない

 ひとは

 その行いによって

 賤しい

 尊いが

 決まるのである


   原始仏典「スッタニパータ―」より
                (要約) 
       
青色青光

 アメリカで発生した白人警察官に
よる黒人青年の殺害事件を機に、アメリカ国内はもちろんのこと、全世界的に反差別のデモが燎原の火のように広がっています。
 今回の事件は、今なお続く、有色人種、殊に黒人に対する人種差別の根深さが、改めて露わになったことに加え、人がまさに殺害される現場がリアルタイムで、SNS動画やニュース映像を通じ、世界中に発信されただけに、その衝撃と影響力は想像を絶するものでした。
 随分以前になりますが、福岡人権研究所の園田久子氏が、大学で教鞭を執っておられたとき、新入学生に対する最初の講義でいつも「人間はいじめもするし、差別もするし、殺しもするよ。」と、投げかけられたそうです。
 もちろん、そういうことは、してはいけないことと教えられてきた学生の中には、泣いて抗議をする人もあったそうですが、人間の心の中に潜む罪業性に向き合って欲しいと、厳しい姿勢で臨んでおられたそうです。
 翻って、お釈迦様はカースト制度という、生まれや血筋によって、明確に人間が階層化されていた二六〇〇年前のインドに於いて、すでに、人間は普遍的に平等な存在であり、その尊卑は、行いによってのみ決まるのだと、人間本来のいのちの平等性を説かれました
 そう、仏教は過去の教えなどではなく、現代の私たちに対する批判原理でもあるのです。

住職日々随想                  

 最近、ご葬儀の折り、病院における
新型コロナウイルスの感染予防の措置により、家族や親族を病床に見舞うことが叶わず、満足な別れが出来ずに見送ってしまったと、悲しく悔しい思いをしておられる方のお声を、聞かせていただくことが続けてありました。
 かく言う私も、親しい先輩の奥様のお見舞いに行けず、見送ってしまったことが、未だに悔やまれてなりません。
 しかし、よくよく考えてみますと、凡夫の身勝手な思い通りになどならぬのが娑婆世界、まさに「堪忍土」と言われるこの世の厳しい事実なのです。
 九十歳で還浄された親鸞聖人の最晩年のお手紙に「なによりも、こぞことし、老少男女おおくのひとびとのしに(死に)あいて候うらんことこそ、あわれにそうらえ。ただし、生死(しょうじ)無常のことわり、くわしく如来のときおかせおわしましてそうろううえは、おどろきおぼしめすべからずそうろう。まず、善信(親鸞聖人の坊号)が身には、臨終の善悪をばもうさず、信心決定(けつじょう)のひとは、うたがいなければ、正定聚に住すること(再び苦界である娑婆世界に退転することなく)にて候うなり。さればこそ、愚痴無智のひともおわりもめでたく候え。如来の御はからいにて往生するよし、ひとびともうされ候いける、すこしもたがわず候う(間違いの無いこと)なり。」
 親鸞聖人の晩年にも疫病が蔓延して、次々と老いも若きもなくなっていかれました、そのさまに驚きを禁じ得なかったからこそ、「生者必滅、会者定離」のことわりは、すでにしてお釈迦様が懇切にお説き下さっていたことではないか、と、誰かに対してではなく、ご自身に対して、説き聞かせておられたに違いないと思うのです。
 ならばこそ、いかんともしがたい事実は、凡夫の身で引き受けることの叶わぬことなのだから、阿弥陀仏の「えらばず、きらわず、みすてない」その大慈大悲のまことに南無し、おまかせする、そこにこそ、臨終という極限の所で、いかなる最後を迎えようとも、能力や、生き様、死に様の善し悪しにもたじろがない、確かな往生浄土の大道が開かれるのだと、また、あらためて念を浄土に懸ける歩みを続けて参りたいことです。

坊守便り
ー安泉寺の活動をSNSでも発信しますー
  
携帯電話・スマートホンでは、映した写真を取り込み、ライン・フェイスブック・ツィッター・インスタグラムといった交流サイトに情報をあげていくことが出来ます。
 日頃お顔を会わせてお付き合いをし、連絡先を交換している方々以外の、どなたにでもご覧頂く事が出来ます
 従来は電話番号を広くお知らせして、何かありましたら、ご連絡くださいと言った方法でした。ですが、SNSで発信しますと、ボタン一つで安泉寺の活動を写真や動画を通してご覧いただく事ができます。
 コロナ禍で、お家時間が増える中、私の携帯電話も若い人のよく使うモバイルに変更しました。そして、お寺も専用のモバイルホンで発信しようかということになりました。
 これまでも、坊守個人の窓口から、安泉寺の各種行事や女性会・同朋の会の皆さんと出かけた、南御堂や東本願寺の行事参加の様子などを、フェイスブックで知り合いの方々に見て頂いていました。これからは、もっと多くの方にお伝え出来るかとおもいます。
 この事は若院からの提案です。何かと腰の重い私ですが、若院が毎日法務に伺う中、多くの皆様が、たいがいラインを使われていることを感じて、携帯端末を使って、もっと皆様にお寺の活動を身近に感じていただきたいと思うことです。

七月の行事

11日(土)午後4時〜 祥月講・同朋の会
            ご講師 念仏寺 土井紀明師

16日(木)午前10時半〜 ピラティス

17日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会

30日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

八月の行事

6 日(木)午前10時半〜 ピラティス

7 日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会

9 日(日)午後1時〜おみがき清掃ご奉仕

 盂蘭盆会
14日(金)午後1時・3時〜 夕方7時〜
15日(土)午前10時〜 午後1時〜
       本年より右記の計五座です。
詳細につきましては、改めてご案内申し上げます。

27日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

*七月八月の諸行事は、新型コロナ
ウイルスの感染終息の状況を見ながら、
行ってまいります。
引き続き感染予防にご留意の上、
ぜひ、ご参加下さいませ。 

posted by ansenji at 18:52| Comment(0) | 法悦

2020年06月01日

2020年6月

法 悦 六月号 837号


 自身も含め


 誰かを傷つけずには


 いられない


 それほど深い悲しみは


 あなたが


 そのままのあなたを


 受け容れられない


 罪です


青色青光

「自粛警察」という言葉をご存じですか?
政府から緊急事態宣言が発出され、この国
に住むすべての人に、感染予防を目的として、外出の自粛をはじめとする、様々な要請が出されました。
 そういう状況の中、他府県ナンバーの車への嫌がらせや、営業を続ける店舗や遊戯施設などへの直接・間接的な様々な攻撃など、度を超した行動を批判して言うようです。
 こういうリンチ的な現象をもたらした最大の原因は、先ず、なすべき生活保障を後回しにして、とにかく自粛しろと言うだけの、自己責任ベースの政府の要請にあるのではないでしょうか。
 それはいたずらに人々の不安や、不満をあおり、もともとのクレイマーの他罰感情に、大義名分を与え、要請に従わない他者には、正義の鉄槌を下し、存分に力を振るう事が許されるのだという、誤ったメッセージを与えてしまっているものと考えられます。
 残念なことに、メディアもまた、集中的に取り上げ取材することで、かえってこういう暴走を加速させるようにあおっています。
 むしろ今回のような世界的な危機は、歴史の転換点となり得るエポックでもあります。
 であるならば、この危機を真実のみ教えに出遇う勝縁として、自他共に願うべき世界をこそ、あきらかにしてまいりたいことです。

住職日々随想                  

 子供の頃、未来の生活はいったいどの様になっているだろう、と様々想像を巡らしました。
 きっと未来は自宅の大型スクリーンを使って、仕事や学習が出来るようになる。通勤通学も必要なとき以外はせずに済み、ラッシュに悩まされることなく、食事や買い物もボタンひとつで可能になる、などなど。
 奇しくも今回の新型コロナウイルスの感染拡大によって、何年も遅々として進まなかった、リモートワークや在宅学習などが、ふた月足らずの間に急速に普及しました。
 こういう災いが転じた例もありますが、反面各国が鎖国状態のようになっている中、食糧の六割を輸入に頼っている我が国の有り様は、今のままで良いのか、教育はこのままで良いのか、など、生活全般に見直しが必要になっています。
 今回のような感染症の世界的流行は、地球規模の往来の盛んになった現代社会では、これからも繰り返し起こりうると考えられます。
 一日も早い終息は誰もが願うことではありますが、単に元の生活に戻すのではなく、そこから先に、自分ファーストでは成り立たない事実を見据え、さらに一歩、誰もが共に生きあえる世界に前進させることこそ大切なのです。
 蓮如上人は、たくさんのお手紙(御文)を書かれましたが、「後生の一大事を心に掛け、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏申せ」と、たびたび書かれています。
 普通に読めば死してのちの浄土往生について説かれたものと読めます。しかし、今一歩深く味わってみますと、「後生」とは、単に今生のいのち終えて後の来世の事だけを言うのではなく、今日ただいまより後の世、後の人々に対する道しるべとなるような生き方、そういう生き方を、今あなたはしていますかという問いかけであり、そして、その問いに応えていくことこそが「一大事」なのだ、と教えて下さっていると頂くべきなのです。
 私たちは常日頃の生活の中で、「食わねば死ぬ。いい目をしたい」と、目先のことばかりにかかずらわっています。
 確かに激しい問題ではありますが、「いい目をいくらしても、いくら食っていても死ぬ」という厳然たる事実をから目を背けてはいないでしょうか?正に一大事の忘却です。
 じつにこういう時だからこそ、
真実のみ教えに、深く生きる智慧の
眼を賜らねばならないのです。

坊守便り

新型コロナウィルスの感染が拡大
し、私たちの生活は長い自宅待機を
余儀なくされました。
 ステイホームと呼びかけられ自粛
する中、感染の検査はなかなか出来ない状況でした。テレビに出てくる芸能人の方が亡くなり、治療を待っている間に急に病状が悪化したと言う報道には、ただただ恐れが増幅した事でした。
 感染の拡大を抑制するために、密になる事を避け、人と会わない事を合い言葉に日々をつなぎ、仕事はインターネットを利用したテレワークとなりました。「離れたところで働く」「遠くで働く」と言うことです。政府が働き方改革で提案していたことが、ここに来て必要に迫られ、幅広く取り入れられ、今後はさらに日常的にゆきわたりそうです。
 オンラインで会議や、お友達の食事会が行われ、コミュニケーションの取り方も変わっていき、「コロナ禍」が節目の言葉となりそうです。
 とはいえ、みんなで一同に集まる顔と顔のお付き合いは欠かせないことで、コロナウィルスの新規感染者が減少傾向となって、全国的に緊急事態が解除になったことは嬉しいことです。
 安泉寺では、同朋会聞法会、女性会、仏教讃歌、親鸞踊り、ピラティスなど月例で行っています。
 ご門徒さんだけでなく、地域の方も歓迎してお付き合いしています。この交流会で南御堂、東本願寺の行事に、共に参加させて頂くことは何より嬉しいことです。
 六月から状況を確認しながら行事を再開させて頂きます。どうぞよろしくお願いします。

六月の行事

1日(木)午前10時半〜 ピラティス

19日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会

20日(土)午後4時〜 祥月講・同朋の会
            ご講師 即応寺 藤井善隆師

25日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

七月の行事

11日(土)午後4時〜 祥月講・同朋の会
            ご講師 念仏寺 土井紀明師
            
16日(木)午前10時半〜 ピラティス

17日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会

30日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

*六月・七月のの諸行事は、新型コロナウイ ルスの感染終息の状況を見ながら、
 実施可能なものより順次行います。
 感染予防にご留意の上、
 ぜひ、ご参加下さいませ。
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posted by ansenji at 22:26| Comment(0) | なんでも質問箱

2020年04月26日

2020年5月

法 悦 五月号 836号


 自分が可愛い


 ただそれだけのことで


 生きてきた


 それが深い悲しみと


 なったとき


 ちがった世界が


 開けてきた

        浅田正作     

青色青光

 仏陀は「心によってどこへ行
こうとも、自己より愛しいものを
得ず。このように自己は他者にとっ
ても愛おしい。それゆえ自己を愛するものは、他者を害するなかれ。」と、お説きになられました。
 しかし、先の見通せない不安に満ちあふれた今日の世界、ややもすれば、誰もが「自分ファースト」の独善的な考えに陥りがちです。
 石川県の松任に、山崎ヨンさんという篤信の念仏者がおられました。
 そのヨンさんの所に「不安を取り除いてあげよう」という新興宗教の方が来られたとき
「不安だらけの世の中でねぇ、けどこの不安あんたらにあげてしもうたら、ウラ(私)何をたよりに生きていったらエエがやろ。不安は私のいのちやもん。」と、不安があるからこそ、仏法を鏡とし、業縁によっていかなる振る舞いもする、そんな我が身を問い続けることが出来る、と。現在ほど、一人一人が仏法に出遇わねばならないときはありません。
住職日々随想
 残念ながら、新型コロナ
ウィルスの感染拡大が止まりません。
 三月下旬になって、ようやく東京オリンピック・パラリンピックの延期が決定され、それを待ち構えていたかのように、感染者の急増が発表されました。
 見たくないものは見ない、見ないもの無いことにする。そういう日本人にありがちな、因習的なメンタリティが為政者の中にもあったのか、定かではありませんが、感染拡大に対する対応が遅れ、未だに十分な検査態勢すら整わず、危機に対する構えが出来ずに、漠然とした不安に覆われてしまっている、ということが実情ではないでしょうか。
 三月四月に予定されていた様々な行事やイベント、卒業式や入学式、入社式、結婚式やご葬儀など、すべてが中止もしくは縮小、延期を余儀なくされ、悔しく残念な思いをしておられる方が、少なからずおられます。
 更には国民の誰もが、やむをえぬ場合を除き、外出を控えなければならない、そんな苦しい状況が続いています。
 かつて、阪神淡路大震災や東日本大震災の時もそうであったように、多くの人が先の見えない不安を抱えて心の平衡を失い、気鬱な状態になってしまっています。
 実際この嵐のような状況の中で、唯一できる事は、体力気力を根こそぎ奪われないように温存し、嵐の過ぎ去るのをじっと待つしかないのかもしれません、が、こういった辛さを、お一人お一人の心の中だけに閉じ込めておく事は、精神衛生上宜しくありません。
 辛い苦しい悲しい思いは、いちど言葉や文章にして解放してあげる、そして気持ちの折り合いをつけ、事実を事実として受け止めて、そこを足場として立ち上がることが大切です。
 住職として、仏法をお伝えする事は当然の責務ですが、今ひとつ、せめて、お一人おひとりの思いを受け止める、「愚痴の受け皿」になれればと、常日ごろ願っております。
 愚痴は言うものではありません、こぼれてあふれ出るものなのです。
 ただ、愚痴をこぼされる方々が、多少なりとも思いを受け止めてもらえた、とお感じになって、ご自身の愚痴に気付いていただければ、受け手の心も軽くなります。
 何より、ご本人が単なる愚痴と思っていらっしゃることの中にも、様々な気づきを与えて下さる、ダイヤの原石のようなものを見いだすことすらあるのです。
 勿論望んでんでそうなる訳ではありませんが、今のこの不条理な状況を耐えることで、「心のひだ」が厚くなる、いわば他者に対する共感力や慈しみの心も豊かに
なるのではないでしょうか。

坊守便り
  阿弥陀様のお煤払い         
 今回、安泉寺のご修復百年事業としまして、
瓦の全面葺き替えをして新調瓦となりました。そうして素晴らしい美しい姿が見えてきますと、大屋根妻側材木や、続き棟になる下屋根・塀の瓦の傷みが露わとなり、それぞれの補修もし、長年の泥やほこりの汚れのついた壁も、真新しく白く塗り替えの出来た事です。
 山門も点検して頂きました。屋外にさらされているため手すりに傷みがあり根元から朽ちていることがわかりました。安全のため手すりはすべて新調となりました。早くわかってよかったです。
 こうして御堂の外側はすっかり美しくなりました。そのような中、長年お寺を大切にしてくださったご門徒さんが本堂でご葬儀をなさいました。その際に担当しておられた葬儀社の方から仏具のお手入れの優れた技術をもっている方がある。と言う情報をいただきました。
 本堂正面の阿弥陀様のおられる、お内陣の扉の中央には安泉寺山号額がかかっています。山号額の周りには深く彫り込んだ鳳凰の欄間があります。その上は木の彫り物となっています。いつも本堂大掃除の際には彫り物のほこりも掃除できないかなと思っていましたので来て頂きました。
 職人さんが下見に来られました。その際言われたことには『私のところは、珍しい技術があるという事で、何度かテレビ取材を受けています。この度、阿弥陀様を洗うところをテレビで放映したいという申し入れがあります。ちょうど良いタイミングで安泉寺さんのお仕事のお話がありました。受けてみられますか?』と言われました。
 何と阿弥陀様を、お洗いして煤を払うとは如何なものでしょうか。と思いましたが、住職と相談いたしました。阿弥陀様も何百年の蝋の燻りで黒くなっておられる、すっきりなさるのも良い事であるかもしれないという事になりました。
 当日はテレビ東京・テレビ大阪、仏教新聞「文化時報」もお越しになり、職人さん5名とスタッフ6名の大人数の見守る中、阿弥陀様は特殊な泡に包まれてするりと金の輝きを取り戻されました。
 台座からは黒くて見えなかった年号が現れました。寛永3年一六二六年約四〇〇年前の作と阿弥陀様が製作された年もはっきりと読み取れました。
 また、輝きを取り戻された阿弥陀様を仰ぎ見て、ありがたい事だと思いました。

五月の行事
16日(土)午後4時〜
     祥月講・同朋の会
六月の行事
20日(土)午後4時〜 祥月講・同朋の会

*五月六月の諸行事は、新型コロナウイルス
 のさらなる感染終息の見通しが立たない現 段階では実施が困難となっております。
 祥月講・同朋の会のみ、内勤めの形で勤行 致します。
 感染予防にご留意の上、お参り下さいませ。

posted by ansenji at 23:40| Comment(0) | なんでも質問箱