法 悦6月号 897号
貧乏とは
少ししか持っていないことではなく
無限に欲があり
いくらあっても満足しないこと
私は質素なだけで、
貧しくはない
私たちは経済発展するために
この地球にやってきたわけではありません。
「世界で最も貧しい大統領」 元ウルグアイ大統領
ホセ・ムヒカ
青色青光
今年の5月13日、ウルグアイの第40代大統領であったホセ・ムヒカ氏
が八十九歳で亡くなりました。
中古のワーゲンと自転車を日常の足とし、奥様と愛犬と共に清貧な生活を
送り、自身の報酬は一般庶民の水準に合わせ、残りの大部分は貧しい人びと
に寄付され「世界一貧しい大統領」と言われました。
大学卒業後、軍事政権に対抗する左派武装勢力に属し、自身も13年間
収監されるという経験もしました。
後に中道左派の政治家となり、2010年から2015年まで大統領職
を務めましたが、任期中、自身を弾圧し投獄した元軍事政権の人びとに
対しても寛容な姿勢を貫き、国民からも広く愛され支持されましたが、
その希有な生き様は、現代人の価値観を問うてくるようです。
仏教では人間の根源的な欲望を、食欲・財欲・色欲・睡眠欲・名誉欲の
五欲に分類します。
人間の生存に関わるものを無くすことは困難ですが、「小欲知足
…欲少なく足るを知る」と言われるように、その正体を知り、どう身を
処していくのかが課題なのです。
今日、世界のごくわずかな超富裕層が富を独占し、貧富の格差の
際限ない拡大が、紛争の頻発などに見られるように、世界全体に
不安定化をもたらしています。
富や名誉などは、「結果」として得られる場合もあるでしょう、
が、それを「目標」とすることは、道を誤る元である、とは言えない
でしょうか?
住職日々随想
日本の自死される方の年齢層は中高年、特に男性が多いのが特徴
でした。
近年さまざまな対策や社会の風潮の変化により、中高年の男性の
自殺率は減ってきています。
ところが若者や女性の自死は増加しています。
なぜ、私たちの希望ともなるべき若者や子ども達の自死が増えて
いるのでしょうか?
こども家庭庁から令和5年度の「我が国と諸外国のこどもと若者の
意識に関する調査」が公表されました。
調査対象国は、日本・アメリカ・ドイツ・フランス・スウェーデン
の五カ国、調査対象者は満13歳〜29歳の男女です。
その調査で際立っていたのは、他国と比較して自分に自信があり、
友人も十分で、長所もあり、自分が好きだと思っている若者・子ども
の少なさ、自己肯定感の低さです。
さらに自分の考えをはっきり相手に伝えることができるかとの
問いや、うまくいくかわからないことにも意欲的に取り組む事が
できるか、という問いにも肯定的な回答は他国よりも低く、
気がかりなことです。
様々な要因が相まっての結果ではありますが、「空気を読む」
ことに神経をすり減らす、いわゆる同調圧力を感じずにおれない
文化的傾向は、SNSなどの発達により、近年より強くなった
と言えます。
これはなにも子ども達だけに限ったものではありません。
数値化された結果に、過度に評価基準を置いてしまう傾向や、
失敗することに対する許容度の低さなど、私たちの社会を覆う
病理でしょう。
仏教では高上がりして他を見下す「驕慢」、逆に「どうせ
自分なんか…」と自己軽蔑する「卑下慢」、「あんたも私も
チョボチョボや」という小ずるい「等慢」、いずれも他と
比較するこころの有り様を「慢」と捉え、自尊感情をゆがめる
ものとして戒めています。
また、つらいことがあると、「ずっとこのままだ」と思い
込んでしまうかも知れません。
でもこの世界は全て「諸行無常」、つまり今のつらさも決して
留まることなく、時間とともにその姿を変えていきます。
また「縁起」という考え方に立てば、全てが相互依存し、
決して固定化された自己は無く、いま「自分はこういうものだ」
と思い込んでいることも、時と共に変わるもの。
たとえうまくいかなくても、比べられてつらくても「そのままの
あなたでいい」、「今ここにいるだけでいい」と伝え続けてきた
のが仏教です。
わけてもお念仏の生活は、阿弥陀仏の「たとえ世界があなたを
見捨てても、私はあなたを見捨てず、寄り添い続けます」という
如来の願心を賜り続けるなかに、真実の誇るべき自己を見出して
いく歩みなのです。
真宗入門「浄土真宗のお寺」
仏教寺院には宗派によって、それぞれ異なった特徴があります。
私たちの浄土真宗のお寺は、本堂に特徴があります。
それは一人でも多くの人がお参り出来るようにと、僧侶が出仕し
お勤めする内陣よりも、参拝者が座れる場所の方を、とても広く
取っているところです。
他の宗派のお寺は、本堂を僧侶の修行の場、と捉えているのに
対して、浄土真宗のお寺は門徒が仏様のお話を聞く場、聞法の
道場として開かれています。
また、すべての真宗のお寺では、親鸞聖人のご命日をご縁に
勤める「報恩講」を、一年中で最も大切な行事として、いかなる
困難な時もお勤めしてきました。
報恩講は親鸞聖人のご遺徳を偲び、お念仏のみ教えのいわれを
聞き開く、真宗門徒にとって最も大切な法要なのです。
本山、真宗本廟「東本願寺」では、毎年11月21日から28日
(ご命日)までの七昼夜、8日間にわたるお勤めがあり、御正忌
とも称していします。
聖人のお書きになった「正信偈」 「文類偈」をお勤めし、中日の
25日のお逮夜勤行の後には「御伝鈔」が拝読されます。
私達がお念仏に出遇えたのも、聖人のご苦労あればこそと、
その足跡を尋ねご遺徳を偲び、報謝の思いを新たにするのが報恩講、
私たちは報恩講教団なのです。
法語の味わい
ー法語カレンダー6月号よりー
あたまを下げる あたまが下がる
一字違いで…
私たちは利害損得が絡めば、心の中ではいかに不承知でも、頭を
「下げる」こともあります。
しかし、あたまが「下がる」のは、真実に出遭い、この身が
うなずくところにしかありません。
今日の厳しい競争社会の中では、お先にどうぞ、とばかりは
言っておれない現実があります。
でも、ひとつしかない大事なものであっても、「半分ずつ
しましょうね」とか、「交代にしましょうね」と、気遣うこころの
余裕のある方の回りには、何か爽やかな陽だまりが出来ている
ようなところがあります。
それは本人も気付かぬうちに、真実の世界にふれ、あたまが
下がっているからに違いありません。
坊守便り ー大阪教区学習会 ー
ハンセン病問題に学ぶ学習会に参加しました。
大谷派僧侶であり代々医師でもあった小笠原登という方が
おられました。
小笠原家では登の祖父が長崎で医術を学び、母親が薬剤師と
して薬の調合をしていました。
ハンセン病(らい病)は有史以来存在していました。
江戸時代にも患者はおられ、非人として差別されてはいましたが、
市井で共に生活し、隔離されてはいませんでした。
ところが昭和6年から、らい病患者が市中にいることは、
文明国家として恥ずべきことだ、との声が上がり、無らい県運動が
全国的に展開されました。
結果ハンセン病患者の強制隔離政策が実施され、発症された
方々は家族と別れ、故郷を離れ、名前も変え、男女ともに断種、
避妊手術を強要されました。
小笠原氏は隔離政策に異を唱え、勤務先の病院、自宅の医院でも、
ハンセン病との診断報告はせず、長年にわたって治療を続けました。
ハンセン病菌は結核菌に比べても、感染力は強くはありませんし、
戦後はプロミンという特効薬も入り、完治する病ともなりましたが、
神経を冒される症状に伴う身体的欠損などの後遺症により、その後も
忌避され続けました。
残念なことに、日本のハンセン病政策は世界的に隔離政策が
なくなった後も、30年以上続けられました。
今回、小笠原氏の事績に学び、仏教徒として、真宗門徒として、
国を超え、民族の違いを超えて、生きとし生けるものの誰もが、
この世にただひとりの存在、かけがえのないもの同士として認め合い、
ともに御同朋として出会っていくべき存在である、ということを
学ばせていただきました。
六月の行事
12日(木) 午前10時半〜 ピラティス
19日(木) 午前10時半〜 ピラティス
21日(土) 午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 念仏寺 土井紀明師
七月の行事
3 日(木) 午前10時半〜 ピラティス
12日(土) 午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 円明寺 島 章師
17日(木) 午前10時半〜 ピラティス
自身の弱さを認め 必要なとき
手助けを求めることができることこそ
ほんとうの強さ
2025年05月31日
2025年6月
posted by ansenji at 23:14| Comment(0)
| 法悦
2025年04月30日
2025年5月
法 悦5月号 896号
悲しみが濁れば
愚痴になる
怒りが濁れば
憎悪になる
愚痴も憎悪も
常に外に向かって
こころが動く
不純な悲しみや怒りは
自他を傷つけずにはおれない
宮城 師
青色青光
4月21日、信者十三億人を擁する、カトリック教会のフランシスコ教皇が、
八十八歳で亡くなりました。
清貧な生活を好まれ、過去のカトリック教会の犯した過ちに対して、懺悔の
表明をされました。
また世界の安寧と平和を祈りつつ、薬物依存症患者や性的少数者に寄り添う
など、改革派教皇とも称されていました。
そこに見られるのは、宗教の本来持つべき利他と寛容の精神と言えるで
しょう。
仏説無量寿経に「国富民安、兵戈無用」、つまり仏の赴くところは国豊かに
して、武器も軍隊も必要が無く平和が保たれている、とあります。
また、親鸞聖人のお手紙にも「御報恩のために、御念仏、こころにいれて
もうして、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれと、おぼしめすべしとぞおぼえ
そうろう」とあります。
相愛大学の新井俊一教授は「浄土真宗は祈りなき宗教と言われますが、
だからと言って祈りを排斥するよりも,浄土真宗は如来の祈りの上に立つ
宗教と、言い換えた方がいいのではないか」と提起しておられます。
現実の娑婆世界には、真実の平和や永遠の安らぎはありません。
しかし、我々にかけられた如来の祈りを憶念するところに、求めずに
おれない心が念仏生活に研ぎ澄まされて、諦めず歩む力となっていくのです。
住職日々随想
浄土真宗のご法事では、お釈迦様のご説法を文字に起こしたお経、中でも
浄土三部経を読誦いたします。
八万四千とも言われる、およそ全ての経典が、お釈迦様が舎利弗などの、
仏弟子の問いにお応えになって述べられたお説法を、文字にしたものです。
ところが仏説阿弥陀経だけは、どなたかの問いにお応えになった
というのではなく、問わず語りに、つまり、お釈迦様ご自身が一番残し
置きたいお言葉をお述べになったお経「無問自説の経」「出世本懐の経」
と称されています。
この阿弥陀経の冒頭には、お釈迦様が舎衛国の祇樹給孤独園という
ところに、1250人の阿羅漢、数多くの菩薩や仏弟子方と共に居られた
とき、舎利弗を主な聞き手、対告衆(たいごうしゅう)として、
阿弥陀如来の極楽浄土の素晴らしい諸相と、そのお徳を六方におわします
諸仏方が褒め称えられ、お念仏する願生者を守護して、必ず仏陀の悟りを
得しめることが説かれています。
ではなぜお釈迦様は、ご自身の出世の本懐をお説きになったのでしょうか?
祇樹給孤独園、略して祇園精舎と言われている場の持つ願いに、深く
感応されたからに違いありません。
その由来とは、コーサラ国にスダッタという名の大金持ちの商人が
いました。熱心な在家の仏弟子となったスダッタは
「鰥寡孤独(かんかこどく)」…鰥は連れ合いに先立たれた男、寡は
同じく連れ合いに先立たれた女性、孤は親を亡くした孤児、そして
独は独居老人、などの身寄りの無い方々に、施しをするという善行に励み、
「給孤独長者」と親しく呼ばれていました。
この長者は年来の願いとして、お釈迦様に長くお留まり頂き、親しく
お説法をお聞かせ頂きたいと念じておりましたが、たまたま目にした
ギータ王子の所有する園があまりに素晴らしいので、ぜひ分けてほしい
と懇願しました。
が、王子は自身もお気に入りの園だと断ります。それでも懲りずに
願い出る長者に根負けし「この園に黄金を敷き詰めれば、その分だけ
分けてやろう。」と難題をふっかけました。ところが喜んだ長者は自身の
財産を全て黄金に替え、早速敷き詰め始めました。たちまち無一文になり
ましたが、それでも懸命に働き、一枚また一枚と敷き詰めていきました。
その姿を目にしたギータ王子が、その理由を尋ね、深く心打たれ、
それならばと共に精舎を建てて、お釈迦様をお迎えいたしました。
そんな場の持つ深い願いこそが、お釈迦様のお心に響き、問わず語りに、
一番この世にお残しになりたかった、阿弥陀仏のお救いをお説きに
なったのです。
真宗入門「東本願寺と西本願寺」
浄土真宗には十派の宗派があります。
どうして、東本願寺と西本願寺などに別れているのでしょうか?
もともとは一つの「本願寺」でしたが、江戸時代初めに東西に分立
しました。
その発端は、戦国時代におこった「石山合戦」にあると言われています。
これは天下統一を目指していた織田信長から、当時の本願寺の本拠地、
石山本願寺(現在の大阪城あたり)の明け渡しを要求されたことに
始まります。
明け渡しを拒み一〇年に及ぶ合戦をしましたが、宗主・顕如上人は
紀州に退去しました。
長男・教如上人は親鸞聖人の御座所を守ろうと、本願寺に籠城しましたが、
援軍も断たれ、最後には本願寺を明け渡しました。
信長の死後、教如上人は十二代を引き継ぎましたが、一年も経たない
うちに豊臣秀吉の命により、弟・准如上人に宗主を譲りました。
その後、徳川家康から七乗烏丸の土地の寄進を受けた教如上人が、
東本願寺を創立し現在にいたっています。
法語の味わい
ー法語カレンダー5月号よりー
こんな私でも
阿弥陀様は背を向けない。
阿弥陀さまは、私たちの病名を「煩悩具足の凡夫」と診断してください
ました。
煩悩海に沈みきって、むなしく終わっていく重病人とのお見立てです。
ところが私はと言えば、そんな事どこ吹く風というように、阿弥陀様に
背を向けっぱなしでした。
阿弥陀様のお救いは、煩悩や苦しみを持つ者すべてを、無条件で救済
してくださる慈悲のお働きです。
「勝手にせえ」と背中をむけずに「あんたを見捨てたら阿弥陀は阿弥陀
ではなくなる。」と見守って下さる、いのちのみ親なのです。
坊守便り ー 慶讃法要 ー
大阪教区慶讃法要が、4月17日
から20日まで、南御堂で行われました。
浄土真宗の宗祖親鸞聖人のご誕生
850年、立教開宗800年の節目
でもあります。
私達は、この法要で親鸞聖人がこの世に生まれて下さったこと、
「浄土の真宗」というみ教えを私達に遺して下さったことを慶び、
法要を厳修させていただきました。
安泉寺では、2年前にご本山の法要に先立って、お待ち受けの
慶讃法要を勤めさせて頂きました。
また昨年には、本山の法要に団体参拝させて頂きました。
今年も本堂に慶讃法要のポスターを掲示させて頂き、有志の方々に
参拝をお願い致しました。
当寺のご門徒様には、おそろいのTシャツを着用して頂き、今回は
最前列でお詣りさせて頂きました。
その模様はユーチューブでも生配信されたようです。
住職は、今回も全体の法要を先導するお役目を、四日間務めさせて
いただきました。
坊守も大阪教区坊守会からの要請で、有資格僧侶の装束を着用し、
二日間、法要と庭儀のお練りに参加させて頂きました。
当日はご門主の息子さんの新門さまが、朗朗としたお声を響かせて
下さり、宗務総長も締めくくりのご挨拶で「大きな節目を迎えま
したが、今からが始まりですよ。」と、気持ちの引き締まるお言葉を
頂きました。とても嬉しく楽しい法要でした。 合掌
五月の行事
1 日(木) 午前10時半〜 ピラティス
15日(木) 午前10時半〜 ピラティス
17日(土) 午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 圓龍寺 門井 斉師
六月の行事
5 日(木) 午前10時半〜 ピラティス
21日(土) 午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 念仏寺 土井紀明師
19日(木) 午前10時半〜 ピラティス
私たちが失ったのは 泣くという体験です。
無関心のグローバル化が
泣くという力を奪ったのです。
フランシスコ ローマ教皇
悲しみが濁れば
愚痴になる
怒りが濁れば
憎悪になる
愚痴も憎悪も
常に外に向かって
こころが動く
不純な悲しみや怒りは
自他を傷つけずにはおれない
宮城 師
青色青光
4月21日、信者十三億人を擁する、カトリック教会のフランシスコ教皇が、
八十八歳で亡くなりました。
清貧な生活を好まれ、過去のカトリック教会の犯した過ちに対して、懺悔の
表明をされました。
また世界の安寧と平和を祈りつつ、薬物依存症患者や性的少数者に寄り添う
など、改革派教皇とも称されていました。
そこに見られるのは、宗教の本来持つべき利他と寛容の精神と言えるで
しょう。
仏説無量寿経に「国富民安、兵戈無用」、つまり仏の赴くところは国豊かに
して、武器も軍隊も必要が無く平和が保たれている、とあります。
また、親鸞聖人のお手紙にも「御報恩のために、御念仏、こころにいれて
もうして、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれと、おぼしめすべしとぞおぼえ
そうろう」とあります。
相愛大学の新井俊一教授は「浄土真宗は祈りなき宗教と言われますが、
だからと言って祈りを排斥するよりも,浄土真宗は如来の祈りの上に立つ
宗教と、言い換えた方がいいのではないか」と提起しておられます。
現実の娑婆世界には、真実の平和や永遠の安らぎはありません。
しかし、我々にかけられた如来の祈りを憶念するところに、求めずに
おれない心が念仏生活に研ぎ澄まされて、諦めず歩む力となっていくのです。
住職日々随想
浄土真宗のご法事では、お釈迦様のご説法を文字に起こしたお経、中でも
浄土三部経を読誦いたします。
八万四千とも言われる、およそ全ての経典が、お釈迦様が舎利弗などの、
仏弟子の問いにお応えになって述べられたお説法を、文字にしたものです。
ところが仏説阿弥陀経だけは、どなたかの問いにお応えになった
というのではなく、問わず語りに、つまり、お釈迦様ご自身が一番残し
置きたいお言葉をお述べになったお経「無問自説の経」「出世本懐の経」
と称されています。
この阿弥陀経の冒頭には、お釈迦様が舎衛国の祇樹給孤独園という
ところに、1250人の阿羅漢、数多くの菩薩や仏弟子方と共に居られた
とき、舎利弗を主な聞き手、対告衆(たいごうしゅう)として、
阿弥陀如来の極楽浄土の素晴らしい諸相と、そのお徳を六方におわします
諸仏方が褒め称えられ、お念仏する願生者を守護して、必ず仏陀の悟りを
得しめることが説かれています。
ではなぜお釈迦様は、ご自身の出世の本懐をお説きになったのでしょうか?
祇樹給孤独園、略して祇園精舎と言われている場の持つ願いに、深く
感応されたからに違いありません。
その由来とは、コーサラ国にスダッタという名の大金持ちの商人が
いました。熱心な在家の仏弟子となったスダッタは
「鰥寡孤独(かんかこどく)」…鰥は連れ合いに先立たれた男、寡は
同じく連れ合いに先立たれた女性、孤は親を亡くした孤児、そして
独は独居老人、などの身寄りの無い方々に、施しをするという善行に励み、
「給孤独長者」と親しく呼ばれていました。
この長者は年来の願いとして、お釈迦様に長くお留まり頂き、親しく
お説法をお聞かせ頂きたいと念じておりましたが、たまたま目にした
ギータ王子の所有する園があまりに素晴らしいので、ぜひ分けてほしい
と懇願しました。
が、王子は自身もお気に入りの園だと断ります。それでも懲りずに
願い出る長者に根負けし「この園に黄金を敷き詰めれば、その分だけ
分けてやろう。」と難題をふっかけました。ところが喜んだ長者は自身の
財産を全て黄金に替え、早速敷き詰め始めました。たちまち無一文になり
ましたが、それでも懸命に働き、一枚また一枚と敷き詰めていきました。
その姿を目にしたギータ王子が、その理由を尋ね、深く心打たれ、
それならばと共に精舎を建てて、お釈迦様をお迎えいたしました。
そんな場の持つ深い願いこそが、お釈迦様のお心に響き、問わず語りに、
一番この世にお残しになりたかった、阿弥陀仏のお救いをお説きに
なったのです。
真宗入門「東本願寺と西本願寺」
浄土真宗には十派の宗派があります。
どうして、東本願寺と西本願寺などに別れているのでしょうか?
もともとは一つの「本願寺」でしたが、江戸時代初めに東西に分立
しました。
その発端は、戦国時代におこった「石山合戦」にあると言われています。
これは天下統一を目指していた織田信長から、当時の本願寺の本拠地、
石山本願寺(現在の大阪城あたり)の明け渡しを要求されたことに
始まります。
明け渡しを拒み一〇年に及ぶ合戦をしましたが、宗主・顕如上人は
紀州に退去しました。
長男・教如上人は親鸞聖人の御座所を守ろうと、本願寺に籠城しましたが、
援軍も断たれ、最後には本願寺を明け渡しました。
信長の死後、教如上人は十二代を引き継ぎましたが、一年も経たない
うちに豊臣秀吉の命により、弟・准如上人に宗主を譲りました。
その後、徳川家康から七乗烏丸の土地の寄進を受けた教如上人が、
東本願寺を創立し現在にいたっています。
法語の味わい
ー法語カレンダー5月号よりー
こんな私でも
阿弥陀様は背を向けない。
阿弥陀さまは、私たちの病名を「煩悩具足の凡夫」と診断してください
ました。
煩悩海に沈みきって、むなしく終わっていく重病人とのお見立てです。
ところが私はと言えば、そんな事どこ吹く風というように、阿弥陀様に
背を向けっぱなしでした。
阿弥陀様のお救いは、煩悩や苦しみを持つ者すべてを、無条件で救済
してくださる慈悲のお働きです。
「勝手にせえ」と背中をむけずに「あんたを見捨てたら阿弥陀は阿弥陀
ではなくなる。」と見守って下さる、いのちのみ親なのです。
坊守便り ー 慶讃法要 ー
大阪教区慶讃法要が、4月17日
から20日まで、南御堂で行われました。
浄土真宗の宗祖親鸞聖人のご誕生
850年、立教開宗800年の節目
でもあります。
私達は、この法要で親鸞聖人がこの世に生まれて下さったこと、
「浄土の真宗」というみ教えを私達に遺して下さったことを慶び、
法要を厳修させていただきました。
安泉寺では、2年前にご本山の法要に先立って、お待ち受けの
慶讃法要を勤めさせて頂きました。
また昨年には、本山の法要に団体参拝させて頂きました。
今年も本堂に慶讃法要のポスターを掲示させて頂き、有志の方々に
参拝をお願い致しました。
当寺のご門徒様には、おそろいのTシャツを着用して頂き、今回は
最前列でお詣りさせて頂きました。
その模様はユーチューブでも生配信されたようです。
住職は、今回も全体の法要を先導するお役目を、四日間務めさせて
いただきました。
坊守も大阪教区坊守会からの要請で、有資格僧侶の装束を着用し、
二日間、法要と庭儀のお練りに参加させて頂きました。
当日はご門主の息子さんの新門さまが、朗朗としたお声を響かせて
下さり、宗務総長も締めくくりのご挨拶で「大きな節目を迎えま
したが、今からが始まりですよ。」と、気持ちの引き締まるお言葉を
頂きました。とても嬉しく楽しい法要でした。 合掌
五月の行事
1 日(木) 午前10時半〜 ピラティス
15日(木) 午前10時半〜 ピラティス
17日(土) 午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 圓龍寺 門井 斉師
六月の行事
5 日(木) 午前10時半〜 ピラティス
21日(土) 午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 念仏寺 土井紀明師
19日(木) 午前10時半〜 ピラティス
私たちが失ったのは 泣くという体験です。
無関心のグローバル化が
泣くという力を奪ったのです。
フランシスコ ローマ教皇
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| 法悦
2025年03月27日
2025年4月
法 悦4月号 895号
ハチドリのひとしずく
森が燃えていました。
森の生きものたちは、われ先にと逃げていきました。
でもクリキンディという名のハチドリだけは、
いったりきたり
口ばしで 水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます。
動物たちがそれを見て、
「そんなことをしていったい何になるんだ。」
といって笑います。
クリキンディはこう答えました。
「私は、私にできることをしているだけ」
青色青光
岩手県大船渡市で大規模な山火事が発生しました。何日も鎮火せず、
結局降雨を待たなければならなくなり、多くの山林や家屋が焼失しました。
特に東日本大震災の津波被害から、ようやく復興しつつあったところに、
このたびの山火事で二重に被災された方々もおられ、誠に痛ましい
ことです。
上記は南米アンデスに伝わる民話ですが、主人公のハチドリ
(英語名ハミングバード)は体長一〇センチにも満たない非常に小さい
鳥で、最小のマメハチドリなどは体重も2グラムしかなく、ホバリング
しながら花の蜜を吸って主食とし、その玉虫色の姿の美しさから
「飛ぶ宝石」とも言われています。
一度燃えさかると消すことの困難な山火事を、小さなハチドリの
くちばしからのひとしずくで、消すことなど到底かないません、が、
それでも自らに出来ることを精一杯尽くすその姿は、とかくどうせ
微力を尽くしたとて何も変わらないと諦める事を戒める物語です。
法蔵菩薩も師である世自在王仏から「あなたの立てた誓願は、大海の
水をすべて升でくみ取り、海底の宝を体をぬらさず手に入れるほどの
難事である。」と、諭されましたが、決して諦めず兆歳永劫のご修行
の末、ついに一切衆生を救わんという誓いを成就し、阿弥陀仏となられた、
だから我々はすでに救いに預かっているのだ、と説かれるのです。
住職日々随想
能登半島地震とそれに続く水害、大船渡の震災被害と山火事、
同じ地域を二度襲った災害に心痛みます。
まことに火も水も生活に不可欠なものですが、牙をむけば生活を根こそぎ
にしてしまいかねないものです。
七高僧のおひとり善導大師の「観経疏」に、『二河白道の比喩』が
あります。
善導大師はこの譬喩を通して、自らの人生を真に積極的に生き抜こう
とする決意が、いかなる状況にあろうとも、人間にとって何よりも大切な
ものであることを明らかにしておられます。
曰く、旅人がはるか西に向かって進み続けると、無人の茫漠たる広野に
到った。
すると忽然として眼前に、南に火の河、北に水の河が現れた。
それぞれ深さは底知れず南北両方にほとりはない、見ると中間に幅四、五寸、
長さ百歩ばかりの白い道が西の岸に続いている。
が、その道は時に火に焼かれ、時に水に飲み込まれ、と常に水火に侵され
ている。
そのうち後方から群賊や悪獣が、旅人を害そうとして追いかけてくる。
旅人は、引き返しても止まっても殺されてしまう、かといって前に進ん
でも水の河、火の河に落ちて死んでしまうだろう。
いずれにしても死は必定と、しばし逡巡した。
が「すでにこの道があるではないか」ならば前に進もう、と決意した
その時、東の岸から釈迦の「汝この道を行け、必ず死の難無けん」と
勧める声、また西の岸から「心を定めて恐れず直ちに来たれ。
我必ず汝を守護せん」と阿弥陀の呼び声が聞こえてきた。
ここに到って旅人は決然として、白道へ一歩踏み出した。群俗悪獣の
戻って来い悪いようにはせぬ、との声も振り切り、ついに西の岸、
極楽浄土に到り、善友と相まみえることが出来た、と。
慣用句に「怒りに身を焼く」「欲に溺れる」があります。
この二河白道の比喩で表される火の河は、衆生の瞋憎(しんぞう)・瞋恚
(しんに)(いかり・はらだち)水の河は貪愛(とんない)・貪欲(とんよく)
(尽きぬ欲望)を表しています。
怒りはカッとなって火が付き、燃えさかればついにはわが身をも焼き
尽くしてしまいます。
また水がじわじわとかさを増すように、むさぼりの心は、常にもっと
もっとと尽きることがありません。
じつに臨終の間際まで尽きることがないのが、この水火で表される
人間の根本煩悩なのです。
自らを省みる仏道に於いて、この根本煩悩と向き合い続けること、
それが念仏者の生活なのです。
真宗入門「お斎」
「お斎(とき)」とは、仏事の際にいただく食事のことを言います。
もともとは、古代インドで出家者が決まった時間(とき)に食事を
する事を「斎(とき)」と称していました。
これが後に転じて、仏事・法要などの折りにいただく食事どきに
「斎」の字を当てて、「とき」とよぶようになったのです。
歴史を遡ると、新たに僧侶になったときや、新しくご本尊や仏像を
お迎えしたときの法要で「お斎」が設けられてきた事が伺えます。
「お斎」は仏事・法要時の単なる会食でも宴会でもありません。
本願寺・第八代の蓮如上人は、日本全国を行脚し、布教に出向かれ
ましたが、お斎も大いに奨励されたということです。
上人はお斎を「合掌して如来・親鸞聖人の御用(おはらたき)として
いただく」とおっしゃっています。
仏祖のはたらきの中に生かされているという、そのご信心を
たしかめることにもつながる、「お斎」は大切な仏事のひとつなのです。
法語の味わい
ー法語カレンダー4月号よりー
天上天下唯我独尊
どうでもよい いのちはない
約二五〇〇年前の北インドで、お釈迦様はお生まれになられました。
誕生後すぐに七歩、歩かれ、天の上と下を指さし「天(てん)上(じよう)
天(てん)下(げ)唯(ゆい)我(が)独(どく)尊(そん)」と獅子吼されました。
その時に大地は喜びにうちふるえ、天からは甘露の雨が降ったと
伝えられています。
今日でも四月八日はお釈迦様の誕生日、降誕会とも歓喜会とも称され、
誕生仏に甘茶をかけて拝むという行事が世界的に行われています。
天上天下唯我独尊とは「世間において私が最も優れた者である」
という意味で、これだけ見れば大変驕慢な言葉のようにも聞こえますが、
じつはこの言葉の後に「三(さん)界(がい)皆苦(かいく) 吾当安之
(ごとうあんし)」と続きます。
「この世の人生はみな苦である。私は苦しみ悩む人々に本当の安心を
与えてみせる」という意味です。
仏様の眼からみれば、どうでもよいいのちはなく、すべての命は尊い
からこそ、最も優れた安心を与えずにはおれないということでしょう。
坊守便り ー 花まつり ー
三年前の安泉寺宗祖親鸞聖人ご誕生800年・立教開宗750年・
本堂大屋根ご修復奉告法要に、たくさんのお子さん達が稚児行列に
ご参加下さいました。
稚児の衣装をまとった小さなお子さんたちが、僧侶の列の間に
加わって、お寺の周りを練り歩き、最後に本堂に入ってお焼香を
してくださいました。
以来、それをひとつの勝縁として続けて参りました花まつりを、
今年も行わせていただきます。
地域社会は縮小し、昔のように遊ぶ子どもの姿を目にすることも
減ってしまいました。
でもこの日ばかりは、すべて命は尊いとお教え下さる、お釈迦様
ご誕生のお姿をお祀りする花御堂をお花で飾り、甘茶を掛けて手を
合わせていただきます。
子ども達もお寺に楽しみに来てくれる日です。昨年秋より、
ご縁のあるサックス演奏の会の皆さんが、朝から爽やかな演奏を
聞かせてくださいます。
また「生野読み聞かせの会」の嶽さんが絵本と生野の民話を
ご披露下さいます。
そのほかにも境内でのスーパーボールすくいや、綿菓子作りなど、
子ども達に楽しんで頂きたいことです。
四月の行事
3 日(木) 午前10時半〜 ピラティス
10日(木) 午前10時半〜 ピラティス
17日(木)〜20日(日)
大阪教区・難波別院 宗祖親鸞聖人ご誕生850年・
立教開宗800年慶讃法要
*20日に当寺より団体参拝いたします。
五月の行事
1 日(木) 午前10時半〜 ピラティス
15日(木) 午前10時半〜 ピラティス
17日(土) 午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 圓龍寺 門井 斉師
ハチドリのひとしずく
森が燃えていました。
森の生きものたちは、われ先にと逃げていきました。
でもクリキンディという名のハチドリだけは、
いったりきたり
口ばしで 水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます。
動物たちがそれを見て、
「そんなことをしていったい何になるんだ。」
といって笑います。
クリキンディはこう答えました。
「私は、私にできることをしているだけ」
青色青光
岩手県大船渡市で大規模な山火事が発生しました。何日も鎮火せず、
結局降雨を待たなければならなくなり、多くの山林や家屋が焼失しました。
特に東日本大震災の津波被害から、ようやく復興しつつあったところに、
このたびの山火事で二重に被災された方々もおられ、誠に痛ましい
ことです。
上記は南米アンデスに伝わる民話ですが、主人公のハチドリ
(英語名ハミングバード)は体長一〇センチにも満たない非常に小さい
鳥で、最小のマメハチドリなどは体重も2グラムしかなく、ホバリング
しながら花の蜜を吸って主食とし、その玉虫色の姿の美しさから
「飛ぶ宝石」とも言われています。
一度燃えさかると消すことの困難な山火事を、小さなハチドリの
くちばしからのひとしずくで、消すことなど到底かないません、が、
それでも自らに出来ることを精一杯尽くすその姿は、とかくどうせ
微力を尽くしたとて何も変わらないと諦める事を戒める物語です。
法蔵菩薩も師である世自在王仏から「あなたの立てた誓願は、大海の
水をすべて升でくみ取り、海底の宝を体をぬらさず手に入れるほどの
難事である。」と、諭されましたが、決して諦めず兆歳永劫のご修行
の末、ついに一切衆生を救わんという誓いを成就し、阿弥陀仏となられた、
だから我々はすでに救いに預かっているのだ、と説かれるのです。
住職日々随想
能登半島地震とそれに続く水害、大船渡の震災被害と山火事、
同じ地域を二度襲った災害に心痛みます。
まことに火も水も生活に不可欠なものですが、牙をむけば生活を根こそぎ
にしてしまいかねないものです。
七高僧のおひとり善導大師の「観経疏」に、『二河白道の比喩』が
あります。
善導大師はこの譬喩を通して、自らの人生を真に積極的に生き抜こう
とする決意が、いかなる状況にあろうとも、人間にとって何よりも大切な
ものであることを明らかにしておられます。
曰く、旅人がはるか西に向かって進み続けると、無人の茫漠たる広野に
到った。
すると忽然として眼前に、南に火の河、北に水の河が現れた。
それぞれ深さは底知れず南北両方にほとりはない、見ると中間に幅四、五寸、
長さ百歩ばかりの白い道が西の岸に続いている。
が、その道は時に火に焼かれ、時に水に飲み込まれ、と常に水火に侵され
ている。
そのうち後方から群賊や悪獣が、旅人を害そうとして追いかけてくる。
旅人は、引き返しても止まっても殺されてしまう、かといって前に進ん
でも水の河、火の河に落ちて死んでしまうだろう。
いずれにしても死は必定と、しばし逡巡した。
が「すでにこの道があるではないか」ならば前に進もう、と決意した
その時、東の岸から釈迦の「汝この道を行け、必ず死の難無けん」と
勧める声、また西の岸から「心を定めて恐れず直ちに来たれ。
我必ず汝を守護せん」と阿弥陀の呼び声が聞こえてきた。
ここに到って旅人は決然として、白道へ一歩踏み出した。群俗悪獣の
戻って来い悪いようにはせぬ、との声も振り切り、ついに西の岸、
極楽浄土に到り、善友と相まみえることが出来た、と。
慣用句に「怒りに身を焼く」「欲に溺れる」があります。
この二河白道の比喩で表される火の河は、衆生の瞋憎(しんぞう)・瞋恚
(しんに)(いかり・はらだち)水の河は貪愛(とんない)・貪欲(とんよく)
(尽きぬ欲望)を表しています。
怒りはカッとなって火が付き、燃えさかればついにはわが身をも焼き
尽くしてしまいます。
また水がじわじわとかさを増すように、むさぼりの心は、常にもっと
もっとと尽きることがありません。
じつに臨終の間際まで尽きることがないのが、この水火で表される
人間の根本煩悩なのです。
自らを省みる仏道に於いて、この根本煩悩と向き合い続けること、
それが念仏者の生活なのです。
真宗入門「お斎」
「お斎(とき)」とは、仏事の際にいただく食事のことを言います。
もともとは、古代インドで出家者が決まった時間(とき)に食事を
する事を「斎(とき)」と称していました。
これが後に転じて、仏事・法要などの折りにいただく食事どきに
「斎」の字を当てて、「とき」とよぶようになったのです。
歴史を遡ると、新たに僧侶になったときや、新しくご本尊や仏像を
お迎えしたときの法要で「お斎」が設けられてきた事が伺えます。
「お斎」は仏事・法要時の単なる会食でも宴会でもありません。
本願寺・第八代の蓮如上人は、日本全国を行脚し、布教に出向かれ
ましたが、お斎も大いに奨励されたということです。
上人はお斎を「合掌して如来・親鸞聖人の御用(おはらたき)として
いただく」とおっしゃっています。
仏祖のはたらきの中に生かされているという、そのご信心を
たしかめることにもつながる、「お斎」は大切な仏事のひとつなのです。
法語の味わい
ー法語カレンダー4月号よりー
天上天下唯我独尊
どうでもよい いのちはない
約二五〇〇年前の北インドで、お釈迦様はお生まれになられました。
誕生後すぐに七歩、歩かれ、天の上と下を指さし「天(てん)上(じよう)
天(てん)下(げ)唯(ゆい)我(が)独(どく)尊(そん)」と獅子吼されました。
その時に大地は喜びにうちふるえ、天からは甘露の雨が降ったと
伝えられています。
今日でも四月八日はお釈迦様の誕生日、降誕会とも歓喜会とも称され、
誕生仏に甘茶をかけて拝むという行事が世界的に行われています。
天上天下唯我独尊とは「世間において私が最も優れた者である」
という意味で、これだけ見れば大変驕慢な言葉のようにも聞こえますが、
じつはこの言葉の後に「三(さん)界(がい)皆苦(かいく) 吾当安之
(ごとうあんし)」と続きます。
「この世の人生はみな苦である。私は苦しみ悩む人々に本当の安心を
与えてみせる」という意味です。
仏様の眼からみれば、どうでもよいいのちはなく、すべての命は尊い
からこそ、最も優れた安心を与えずにはおれないということでしょう。
坊守便り ー 花まつり ー
三年前の安泉寺宗祖親鸞聖人ご誕生800年・立教開宗750年・
本堂大屋根ご修復奉告法要に、たくさんのお子さん達が稚児行列に
ご参加下さいました。
稚児の衣装をまとった小さなお子さんたちが、僧侶の列の間に
加わって、お寺の周りを練り歩き、最後に本堂に入ってお焼香を
してくださいました。
以来、それをひとつの勝縁として続けて参りました花まつりを、
今年も行わせていただきます。
地域社会は縮小し、昔のように遊ぶ子どもの姿を目にすることも
減ってしまいました。
でもこの日ばかりは、すべて命は尊いとお教え下さる、お釈迦様
ご誕生のお姿をお祀りする花御堂をお花で飾り、甘茶を掛けて手を
合わせていただきます。
子ども達もお寺に楽しみに来てくれる日です。昨年秋より、
ご縁のあるサックス演奏の会の皆さんが、朝から爽やかな演奏を
聞かせてくださいます。
また「生野読み聞かせの会」の嶽さんが絵本と生野の民話を
ご披露下さいます。
そのほかにも境内でのスーパーボールすくいや、綿菓子作りなど、
子ども達に楽しんで頂きたいことです。
四月の行事
3 日(木) 午前10時半〜 ピラティス
10日(木) 午前10時半〜 ピラティス
17日(木)〜20日(日)
大阪教区・難波別院 宗祖親鸞聖人ご誕生850年・
立教開宗800年慶讃法要
*20日に当寺より団体参拝いたします。
五月の行事
1 日(木) 午前10時半〜 ピラティス
15日(木) 午前10時半〜 ピラティス
17日(土) 午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 圓龍寺 門井 斉師
posted by ansenji at 16:26| Comment(0)
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