2022年08月01日

2022年8月

法 悦 8月号 863号

昨日生まれたブタの子が
ー「湖畔の宿」の替え歌ー

  昨日生まれたブタの子が
 ハチに刺されて名誉の戦死
 ブタの遺骨はいつ帰る
 昨日の夜の朝帰る
 ブタの母ちゃん悲しかろ

  昨日生まれたハチの子が
 ブタにふまれて名誉の戦死
 ハチの遺骨はいつ帰る
 八月八日の朝帰る
 ハチの母ちゃん悲しかろ

  昨日生まれたタコの子が
 タマに当たって名誉の戦死
 タコの遺骨はいつ帰る
 骨がないから帰れない
 タコの母ちゃん悲しかろ
<
strong>青色青光
 上記の歌は、第二次世界大戦末期に、子供たちの間で広く口ずさまれた
替え歌です。
原曲は往年の大女優、高峰三枝子さんの歌われた服部良一作詞の「湖畔の宿」
です。
戦地に送られた若者たちの間でも、広く愛唱されていたそうで、高峰さんが
慰問先で歌われると、誰もが涙されたそうですが、感傷的でで時局に
そぐわないと、軍当局により禁止されました。
 言論や行動の自由を奪われ、逃げることも出来ず、ただ国のために死ぬ
ことを強制されたとき、人としてなし得る精一杯の抵抗は、人間らしい感情や
思いを持つことで、明日の命も分からない非人間的な極限状況の中だからこそ、
センチメンタルな歌の底に流れる人間性に、自らの「生」に対する愛おしさ
を感じ胸を熱くしたのでしょう。
 じつに身の自由を奪われる事はあっても、心の自由を奪うことは誰にも出来
ないのです。
 勇ましく送り出された若者が、白い布に覆われた骨壺に収まって帰ってくる。
末期には石ころしか入っていないものや、何も入っていないものも有った
言われます。
 そのような中にも、暗い世相を笑い飛ばそうと、誰ともなく替え歌にして、
口伝えに子供たちの間に広まっていったそうです。いつも心に太陽を!と、

住職日々随想 
 安倍晋三元首相の銃撃事件によって、強引な勧誘や洗脳、霊感商法や法外な
献金などにより、カルト宗教ではと疑われていた旧、統一教会(現、世界平和
統一家庭連合)の反社会性が改めて取りざたされています。
 主に与党自民党に、無償で選挙に協力するスタッフを派遣したり、政策秘書
を政権中枢に送り込むなど、そのただならぬ深い繋がりも、露わになって
きました。
 今までも、さまざまな政策決定に影響を与えてきたのではと疑われて
いますが、最近では、家庭に居場所を失った、虐待児や育児放棄の子供たちの
救済も視野に入れ、名付けられようとしていた「こども庁」に、一部の自民党
有力議員が横やりを入れ、「こども家庭庁」と無理矢理「家庭」の二文字を
入れさせたことなども、旧、統一教会(現、世界平和統一家庭連合)の影響が
あったのでは、と怪しまれています。
 それらのことも相まって「宗教と政治の関係」という、古くて新しい課題が、
今また問われています。
 改めて健全な宗教の条件として、以下の五つが考えられないでしょうか。
 一、絶対的に平等であること。
 二、常に公開性を持っていること。
 三、客観的であること。
 四、ありのままの自己自身に目覚めること。
 五、絶対者教祖を立てないこと。
 現実問題として、なかなかそうはなっていなくても、確かな方向性として、
この五つの条件を満たすべく、取り組み続けているところに健全さが保たれ、
政治との関係に於いても、利用し癒着する関係ではなく、健康な緊張関係が
保たれ、ともに深め合っていけるのではないでしょうか。
 今回のような事件が起こると、宗教は恐ろしいもの、関わらない方が身の
ためと、短絡的に捉えてしまう人が出てくることは残念なことですし、宗教
などは自分とは無関係だ、型どおりのことさえしていれば、それで良いんだ、
と思われる方も増えるかも知れません。
 しかし少し考えれば容易に分かることですが、生きているものは必ず死に
ます。まさに人類の致死率は、一〇〇パーセント、逃れるすべは有りません。
 更に言えば、老いも病いも、生きることさえも、何一つとして、思うが
ままになどなりません。残された道は無視し続けるか、諦めるしかないと
なったならば、なんと虚しいことでしょう。
 そうではなく、これらの問題に目を背けず、自らの問いとして謙虚に
真向かって生きていく。そう、宗教は単なる知識や観念ではなく、「生き方」
の問題なのです。
 無関係な人など一人もいないのです。

坊守便り ー慶讃法要に向けてー  

 令和五年三月二十五日から四月十四日まで、本山では、親鸞聖人お誕生
八五〇年立教開宗八〇〇年の法要が合わせて勤められます。
 少し早いですが、全国の門徒に本山に上山していただく準備が
進められています。
当寺にも上山の要請があり、七月の法話会でお声がけさせて頂きました。
 昨今のコロナ禍・香港での言論統制・ウクライナの戦禍や、最近では
安部元首相の暗殺など暗い出来事が多い事です。そのような世相から
でしょうか。悩みを相談して供養を申し出られる方の問い合わせが、
この春は多かったように思います。
本堂にお越し頂き、阿弥陀様に向かい合っていただきます。ご事情を
お聞きし、お話してお帰り頂きます。
 心の均衡を失くしてしまうような事が数多くある時代です。親鸞聖人の
生きられた時代も、疫病が蔓延し混沌と光の見えない時代であったようです。
そのような中、人々の心の糧となるお言葉、み教えを残して下さいました。
 皆様と共に、慶讃法要をお勤めして聖人のご生涯に学びたいことで
ございます。
      
八月の行事

4 日(木)午前10時半〜ピラティス

7 日(日)午後1時〜 おみがき・清掃ご奉仕

 ー盂蘭盆会法要ー
14日(日)午後1時・午後3時・夕方7時半
15日(月)午前10時・午後1時 (計五座)
 *詳細につきましては後日ご連絡申し上げます。

25日(木)午前10時半〜ピラティス

九月の行事

8 日(木)午前10時半〜ピラティス

 ー秋季彼岸永代経法要ー

17日(土)午後2時・午後6時
     ご法話 阿倍野 即応寺 藤井善隆師   
22日(木)午前10時半〜ピラティス

*感染予防には十分配慮し、各行事を行ってまいりますが、感染が
さらに拡大した場合、変更もしくは中止する場合がございます。
posted by ansenji at 23:45| Comment(0) | 法悦

2022年07月02日

2022年7月

 法 悦 7月号 862号


 鮎は

 瀬に住む

 小鳥は森に

 わたしゃ

 六字の

 うちに住む

    六連島のお軽同行 


青色青光
 大乗仏教の実践行である六波羅蜜の第一に「布施行」が説かれますが
「施者・受者・施物にとらわれない」三輪清浄の心で施しをなす「財施」
の他に、「無財の七施…身施・心施・眼施・和顔施・床座施・房舎施」
があります。
 分けてもひとに居場所を施す床座施・房舎施は、現代人にとって最も
必要なものではないでしょうか。  
 連日の報道に見られますように、ロシアのプーチン政権による、
ウクライナ侵略が止まない中、かつて人々の日常生活を育んだ町が、
見るも無惨ながれきの山となり、住民が住み慣れた町を追われ、
居場所を奪われる姿に、憤りを禁じ得ません。
 しかしよくよく考えてみますと、それは戦災に会っておられる方々だけ
のことではなく、「私は、貴方は、ここに居ていいんだ」と思える居場所、
老いも若きも男も女も、誰も排除されない社会をこそ求めずにはいられない、
それはまさに魂の願いなのです。
 上記の詩は念仏子守歌として、五木の子守歌の節をつけて歌い継がれてきた
もので、今を生きるものだけではなく、先だってお浄土の諸仏となられた
懐かしいあの人この人、そんな方々とも出会える場が、私の称える
南無阿弥陀仏の念仏の中に開かれてある、と詠っています。

住職日々随想 ティク・ナット・ハンを偲んで
 もしもあなたが詩人なら、この紙のうえに雲が浮かんでいるのが、はっきり
見えることでしょう。雲がなければ雨は降りません。雨が降らなければ、
木は育ちません。
そして木がなければ紙はできないのですから、この紙がこうしてここにある
ために、雲はなくてはならないものなのです。もしここに雲がなかったなら、
ここにこの紙は存在しません。
 この紙をもっと深く見ていたら、この紙のなかに太陽の光も見えてきます。
太陽がなければ森は育ちません。実際、太陽がなければ、何も生きてゆく
ことができません。それで太陽もまた、この一枚の紙のなかに存在している
ことがわかるのです。
 もっと深く見つめてみると、木こりが見えてきませんか。木こりが木を
切って製紙工場に運び、紙がつくられます。
そのうちに小麦も見えてくるでしょう。
木こりは日々のパンがなければ生きられないので、木こりの食べるパンになる
小麦も、またこの紙のなかにあるわけです。
 それから木こりの両親も見えてきますね。このようにどんどん深く見て
ゆけば、数えきれないほどたくさんのものがあってはじめて、ここに一枚の
紙が存在するということに気づくでしょう。
 もう少しこの紙を見ていると、私たち自身もこの紙のなかに見えてきます。
ここに自分を見つけるのは、そうむずかしいことではありません。
だから、あなたのこころも、私のこころも、ここに参加しているのです。
この一枚の紙のなかには、あらゆるものが入っているのです。
ここにないものをひとつでも捜すことはできません。
時間、空間、地球、雨、土壌のなかの鉱物、太陽の光、雲、川、熱etc.
すべてのものが、この一枚の紙のなかに共存しているのです。
「ここにある」とは「ともにある」ことです。
私たちが、あるいは、何かのものが、ただ自分だけで存在するということは
ありえないのです。
 いま挙げたなかの何かひとつでも、もとに戻してみたらどうなるでしょうか。
太陽の光を太陽に返してみましょう。
そうしたら、この一枚の紙は存在するでしょうか。いいえ、太陽の光がなければ
何ものもありえません。そして、木こりを母親に戻してみても、この一枚の紙は
ここには存在しなくなります。
 要するに、この一枚の紙は紙以外のあらゆるものからできているのです。
もし紙以外のすべてのものを、もとのところに戻してしまったら、紙は存在しません。
ここにあるのはこんなに薄い一枚の紙切れなのに、このなかには宇宙に存在する
ものすべてが含まれ、共存しているのです。
                         『微笑みを生きる』より
 前記の文章は今年の一月に亡くなった、ベトナム出身の禅僧で、ダライ・ラマ
14世と並び称される、世界的平和運動家でもあったティック・ナット・ハンの
代表作の抜粋で、かくも詩的且つ的確に、華厳経の説く「一即多・多即一」の
縁起の思想を表したものは、ちょと他には見当たりません。
 今回のロシアによる蛮行により、世界中にもたらされた食糧危機など、
さまざまな悪影響を見るにつけ、まさに世界はすべてつながっている、争いは
右手と左手が傷つけ合う様なものである、という事実が露わになりました。
 師はベトナム戦争のとき、ただ平和を祈るだけでなく、双方の前線に趣き、
仏教の視点から和平を説き続けました。
彼の僧侶仲間の内には「焼身供養」と称し、自身ガソリンをかぶって火を放ち、
双方に和解を求める、そんな行動をした方も少なからずおられました。
 戦災孤児たちの社会支援や、戦死者の遺体回収事業などを行い、1966年
渡米後、ベトナム仏教徒の代表として、ベトナム戦争終結の和平提案を行う
など、その活動が広く認められ、1967年度のノーベル平和賞の候補にも
なりました。
 そのような師の活動は、社会参加し行動する仏教
「エンゲージド・ブディズム」として、その後の仏教界に大きな影響を与え
続けました。

坊守便り ー女性のつどいー  
 「女性のつどい」を開催する事が出来ました。お寺には女性部があり、
お斎作り、仏教コーラス、仏教民謡踊り着付け教室、ピラティス教室
などを行っており、先のご遠忌でもご参加下さり、さまざまお手伝いして
下さいました。
 定例会はなかなか参加できないが、年に何回かであれば参加しますと
言う方々を含め、今回のオカリナコンサートには32名ご参加下さいました。
 これまでのご講師は、アフガニスタンで井戸掘りをされた書房の店主、
大人の紙芝居屋さん、など来て頂きましたが、今回は、オカリナ奏者の方に
お越し頂きました。あたたかい音色の素晴らしい演奏と、楽しい
おしゃべりでした。
 コロナ禍で交流会が出来なくなり、久ぶりの事で、皆様、満面に笑顔の
あふれるひと時でした。
 はじめのご挨拶は本田豊子部長、司会進行には三木ふみこ副部長、最後の
ご挨拶は稲垣洋子副部長でした。
又、お楽しみビンゴ大会は民謡踊りの会、ピラティスの会の方々がして
くださいました。
 コンサートの十日前に、民謡踊り指導の豊原朱加子先生が、お浄土に帰られ、
皆さんと本堂でお見送りさせて頂きました。新年会では一人舞を披露され、
私たちには惜しみなく、丁寧にご指導下さいました。踊りに情熱を傾けられた
お姿が、さみしさと共に偲ばれることです。

七月の行事
7 日(木)午前10時半〜ピラティス

9 日(土)午後2時〜祥月講・同朋の会聞法会
          ご法話 住職
28日(木)午前10時半〜ピラティス 
      
八月の行事
4 日(木)午前10時半〜ピラティス

7 日(日)午後1時〜 おみがき・清掃ご奉仕

 ー盂蘭盆会法要ー
14日(日)午後1時・午後3時・夕方7時半
15日(月)午前10時・午後1時 (計五座)

 *詳細につきましては後日ご連絡申し上げます。

25日(木)午前10時半〜ピラティス

*感染予防には十分配慮し、各行事を行ってまいりますが、感染が
さらに拡大した場合、変更もしくは中止する場合がございます。
posted by ansenji at 00:50| Comment(0) | 法悦

2022年05月27日

2022年6月

 法 悦 6月号 861号


 こうして

 こうすりゃ

 こうなるものと

 知りつつ

 こうして

 こうなった

        都々逸

青色青光
 歌手・コメディアン植木等の父親、植木徹誠は妻の実家である
三重県の大谷派寺院の住職でした。
 正義感の強い性格で、近隣の被差別部落の苦しみ悲しみにふれ、
、反戦反差別の行動を貫いた人でした。
 戦時中にも出征兵士の激励会で「元来宗教家は戦争に反対すべき
ものである。」との信念から、「戦争というものは集団殺人だ。
それに加担させられることになったわけだから、なるべく戦地では弾の
こないような所を選ぶように。周りから、あの野郎は卑怯だとかなんだとか
言われたって、絶対、死んじゃだめだぞ。必ず生きて帰ってこい。
死んじゃっちゃあ、年を取った親父やお袋はどうなる。
それから、出来ることなら相手も殺すな。」などと説き、何度も治安維持法
違反で投獄されました。
 植木等がスーダラ節を売り出すとき、こんな自堕落な歌を父が聴いたら
どう言うだろうと、思い悩んだ末、びくびくしながら父徹誠に聞かせると、
父は「わかっちゃいるけどやめられない。これは自らの凡夫としての愚かさを
問い続けた親鸞様の教えそのものや。」と感激され、自信を持って歌えと
励まされたそうです。
 「分かっちゃいるけどやめられない」と愚行を繰り返す私たち。
まさに凡夫の自覚に立ちながら、身と世を問い続けなけらばならないのです。

住職日々随想
 めまぐるしく情報が行き交い、次々と人々の関心事が移ろい過ぎて
いく現代社会、「人の噂も七十五日」と言われますが、ややもすれば
ひと月も持たず、わずかな間に上書きされ、そういえばそんな事も
あったなぁと、忘却の彼方に追いやられてしまうそんな事の多さに
驚かされます。
 私事ですが九歳でお得度を受け、僧侶のお仲間に入れていただいてから
はや五十五年。僧侶仲間や諸先輩方、たくさんのご門徒の方々のお育てに
預かり今日まで参りましたが、それこそ二世代前の方々などは、まるで
昨日のことのように、何十年も前にあったことを語られる、という事が
よくありました。
 今でも鮮明に思い出されますのは「ぼん、堀江の七人切り知ってるか?
(*実際は六人切り)」と繰り返しお聞かせいただいたことです。
 曰く、昔、色町であった堀江で明治三十八年、芸妓の妻吉は養父中川萬次郎の
狂刃により、六人斬り事件に巻き込まれ、十七歳で両腕を切り落とされて
しまった。
しかし悲運に屈せず、筆を口にくわえ、多くのすぐれた書画作品を残し、
後には尼僧となって、障害者福祉にも尽力されたという、大石順教尼
という方のお話でした。
当時でもすでに八十年近くも前の話を、まるで昨日のことのように語られていた
わけで、現代と引き比べ、時間感覚の変化の激しさに、思わず考えさせられて
しまいます。
 お釈迦様のみ教えは、お経として文字化され、今なお私たちの心の闇を照らし
続けていますが、お経は古代インドのサンスクリット語でシュートラ、
タテ糸という意味があり、時代社会を超えて、途切れる事無く伝えられるように
との願いが託され表されています。
 現代社会に生きる私たちも、大切なことを伝え続ける努力を怠らず、
おかしいことはおかしい、と言い続ける責務があるといえましょう。
まさにおかしいことが当たり前の世の中になってしまわぬように。

坊守便り ー植木の剪定ー  
 美しい春の花の時期が終わると、お寺の境内では毛虫や蚊に悩まされる
毎日がやってきます。
 同朋会定例法話会の準備をしながら、いつも集って下さる方に声をかけますと、
早速有志の方が来て下さいました。
新緑の青葉も少し虫付いていましたので、すっぱりと切り落とし、木々の
下刈りも出来ました。
最後に自然由来の防虫剤を隅々まで振りかけて仕上がりました。
皆さん、すっかり汗をかかれました。ご協力有り難うございました。
また、庭木に新芽が出てくるのが楽しみです。
こんな時必ず参加して下さる総代夫人の倉橋美代子さんが、先月亡くなりました。
めんどうな手作業や重い荷物の買い出しに声をかけない時は、「聞いてな〜い」
「うち、声かからんかった」と後から怒られました。
 いつも賑やかな声で本堂の場を盛り上げて下さいました。一ヶ月ほどお会い
しない間に急な骨折から亡くなりました。本堂でご葬儀を行わせて頂き、
同朋会員も参加してお通夜に正信偈を唱えて見送らせて頂きました。さみしい事です。
 「うちのお寺」「うちの雅美(坊守)さん」と「うち(家)」のなかにお寺が入って
いる方でした。なつかしい口調を思い出し、有り難いご縁を大切に思うことです。

六月の行事
5 日(日)午後1時半〜 第6回女性のつどい
             オカリナコンサート
9 日(木)午前10時半〜ピラティス

18日(土)午後2時〜祥月講・同朋の会聞法会
ご講師    光照寺 墨林 浩師
23日(木)午前10時半〜ピラティス 
      午後2時〜仏教民謡踊りの会
七月の行事
7 日(木)午前10時半〜ピラティス

9 日(土)午後2時〜祥月講・同朋の会聞法会
     ご講師 未定
28日(木)午前10時半〜ピラティス 
      午後2時〜仏教民謡踊りの会
*感染予防には十分配慮し、各行事を行って
 まいりますが、感染がさらに拡大した場合、
 変更もしくは中止する場合がございます。
posted by ansenji at 23:02| Comment(0) | 法悦