2019年12月31日

2020年1月号

法 悦 1月号 832号



君もボクも

ジグソーパズルの

ひとつのピース

一個一個のピースが大事

いらないピースはないんだ

君は、

みんなに支えられ

君は、

みんなを支えている

    心理学者、スクールカウンセラー
         佐賀枝 夏文
                    
青色青光

 何か良くないと思われることが起こったり、不吉とされることに対して、「縁起でもない」「縁起が悪い」などと、眉をしかめることがあります。
 又、逆に「縁起が良い」「縁起を担ぐ」などと瑞兆に対して「縁起」と表現することもあります。
 しかしこれ程、およそ本来の言葉の意味とかけ離れた解釈も有りません。
「縁起」とはじつに仏教の根幹をなす思想で、「これ有れば彼あり。彼有ればこれあり」と、物事は単独で起こったり、存在したりすることはありえない、すべてが相依相対の関係性において生起するもの、と説かれるのです。
 あれさえなければ、あいつさえいなければ、などと思うことがありますが、そう思うときには自身の存在も、不確かなものとなってしまっているのです。
 この事実を忘れるとき、人間はその社会性を見失い、バラバラの単なる「ヒト」になり、深い孤独に沈むものともなるのです。

住職日々随想

 元、農林水産省の事務次官が、わが息子を殺害した事件で、懲役六年の実刑判決が下されました。
 ところが、殺人事件で実刑判決を受けた被告としては、極めて異例なことに、判決から4日後には、高裁の決定により保釈が認められました。
 量刑の軽重について、素人が軽々しく論じることは出来ませんが、情状酌量による減刑を求める世論に配慮した、と捉えられても仕方のないことではないか思われます。
 確かに被告を責めるには酷な状況であったと言えなくもありませんが、そこに引きこもる者に対する社会的な偏見は無いのでしょうか?
 随分以前に読んだ「母よ殺すな」という脳性麻痺の活動家、横塚晃一氏の魂の叫びとも言える名著を思い出します。
 昭和45年に横浜で二人の障がい児を持つ母親が、娘の一人をエプロンのひもで絞殺するという事件が起こりました。
 社会福祉の貧困が生んだ悲劇、施設もなく家庭内療育の指導すらない状況が生んだ悲劇だと報じる、マスコミのキャンペーンや、さまざまなところから出された減刑嘆願署名などにより、結果、殺人事件としては異例の執行猶予付き、2年の実刑判決が下されました。
 今回の事件と同じように、そのような世間の同情論はわかりやすいのですが、そのじつ、殺される側の人権を無視したものと言えないでしょうか?
「障がい者やさまざまな困難を抱える、いわゆる生産性のない者は、殺されても仕方のない存在なのか?」と、横塚氏が会長を務める障がい者団体「青い芝の会」がそう問題提起をしました。
 その声はこの時、黙殺されましたが、彼らの提起した問いかけは、今回の事件にも、通底する問題として、今なお私たちに、いのちに対する態度を問うてくるものです。
仏の「いのちみな生きらるべし」
の叫びは決して封殺されては
ならないものなのです。


一月の行事
7 日(火)午後3時〜囲碁教室     

14日(火)午後2時〜仏教民謡踊りの会 

19日(日)正  午〜同朋の会新年互礼会
            参加費3500円
 *同朋会年会費1000円もご納入下さい。

23日(木)午前10時半〜ピラティス

24日(金)午後2時〜仏教コーラスの会

30日(木)午前10時半〜ピラティス

二月の行事
4 日(火)午後3時〜囲碁教室

6 日(木)午前10時半〜ピラティス

13日(木)午前10時半〜ピラティス

14日(金)午後2時〜仏教コーラスの会

15日(土)午後6時〜地域懇談会
    ご講師 足代健二郎氏     
    参加費(軽食代)1.000円 
20日(木)午後2時〜仏教民謡踊りの会

25日(火)午後2時〜門徒女性
           聞法の集い

*どなた様もお気軽に!

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2019年11月26日

2019年12月号

法 悦 12月号 831号

「祝婚歌」          吉野弘

ふたりが睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは長持ちしない事だと
気付いているほうがいい
完璧を目指さないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
ふたりのうちどちらかが
ふざけているほうがいい 
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは相手を傷つけやすいものだと気付いているほうがいい
立派でありたいとか正しくありたいとか
無理な緊張には色目を使わず
ゆったりゆたかに
光りを浴びているほうがいい
健康で風にふかれながら生きていることのなつかしさにふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そしてなぜ胸が熱くなるのか黙っていても二人にはわかるのであってほしい

青色青光

 宮城師が、たびたびご法話の中で紹介されていた言葉に、「人間の愚かさとは、何事に対しても答えを持っているという事である。(ミラン・クンデラ)」があります。
 私たちは物事の一面のみを捉えて、そこで得た答えを握りしめ、ときに他者を攻撃するための材料にまでする事があります。
 しかし、仏教ではそういう有り様こそが、まさに無明(むみょう)であると教えられています。
 無明ということは、無知であるという事ではありません。
 そうではなく、知識としてわかった事としてしまうところに、心を開いて意に沿わない他者の言葉にも耳を傾け、さらに聞き直し、問い直すという事をしない、そういう頑迷さをこそ言うのです。
 上記の詩は、結婚を祝し、その門出に当たって手向けられたものですが、誰もが至らぬ者どうし、その自覚なくして、豊かな人生を歩む事など叶わぬ事なのです。

住職日々随想

言葉は言霊(ことだま)とも言われます様に、発せられたときに命が与えられ、場合によっては、発した人の思いを超えて広がり、時代の空気をも作り出します。
 また、言葉は時に人々を励まし癒やすこともありますが、逆に、居場所を奪い、命すら奪うこともあります。
 今日SNSなど、ネット上で脊髄反射的に発せられる言葉の数々、その多くが熟考した上でのものでないだけではなく、負の感情むき出しの故に、伝播する早さは想像以上で、結果、社会に多くの毒を垂れ流してしまっています。
「ナチズムはひとつひとつの言葉、言い回し、文脈を通じて大衆の血と肉の中に自然と入り込んでしまっている。そういった言葉は本人になり代わって思考し、精神のあり方まで方向づけてしまう。
 じつに言葉はごくわずかなヒ素の一服のようなものかもしれない。無意識に呑み込まれ、なんの効き目も表さないように見えはするが、しばらく時間が経つと、やはりその毒性は現われる」(ユダヤ人言語学者 クレンべラー)
 熟考せずその場の感情にまかせて発せられた言葉が、やがてホロコーストをも生み出すものとなるかも知れません。
 それ故、危うい言葉の群れに時代を支配されてはならないのです。
 およそ仏教では十悪=身口意(しんくい)の三業(さんごう)に渡る罪、すなわち、身業(殺生、偸盗、邪淫)・口業(悪口、両舌、妄語、綺語)・意業(貪欲、瞋恚、愚痴)と称される罪のうち、口に関わっての罪が最も多く説かれます。
 まさに、口は災いの元とも言われます様に、いのちの願い如来のご本願に照らされてみれば、それは決して人ごとなどではなく、我が身にも備わる無明性に深く根ざしたものと知らされます。
お念仏を称えつつ
心したいことです。


十二月の行事
1 日(日)午前10時〜伝統文化親子教室
1 日(日)日帰りバスツアー「東西本願寺の歴史と三十三間堂を尋ねて」
5 日(木)午前10時半〜ピラティス  
6 日(金)午後2時〜仏教コーラスの会 
7 日(土)午後4時〜祥月講・同朋の会 
       ご講師 専光寺 島大史師
10日(火)午後2時〜門徒女性聞法の集い
12日(木)午後2時〜仏教民謡踊りの会 
15日(日)午前10時〜伝統文化親子教室
15日(日)午後2時〜おみがき清掃ご奉仕
      午後4時〜 年末懇親会   
19日(木)午前10時半〜ピラティス  
31日(火)午後11時〜歳暮勤行除夜の鐘

一月の行事

7 日(火)午後3時〜囲碁教室     
14日(火)午後2時〜仏教民謡踊りの会 
19日(日)正  午〜同朋の会新年互礼会
            参加費3500円
 *同朋会年会費1000円もご納入下さい。
23日(木)午前10時半〜ピラティス
24日(金)午後2時〜仏教コーラスの会
30日(木)午前10時半〜ピラティス

*床暖房完備。
 どうぞお誘い合わせの上ご参加下さい。

posted by ansenji at 17:08| Comment(0) | 法悦

2019年10月30日

法 悦 2019年11月

法 悦 11月号 830号

 「慚 愧」

 死なれてみて

 初めて

 思い知らされる

 いかに自分が

 その人と

 本当に

 出遇えていなかったか

 ということを


青色青光

「人間死んだらしまいや。何んにも残らん、ただのゴミや。」などとうそぶく人がいます。
 身近なひとの死に会っても、そのように思える人は、ある意味、空しさに耐えることの出来る強い人なのかも知れません。
 しかし、業縁存在の凡夫の身、本当にそのように言い切れるのでしょうか?
 親鸞聖人は、「まず凡夫は、ことにおいて、つたなく、おろかなり。(中略)たとい未来の生処を弥陀の報土とおもいさだめ、ともに浄土の再会をうたがいなしと期すとも、おくれさきだつ一旦のかなしみ、まどえる凡夫として、なんぞこれなからん。(中略)おろかにつたなげにして、なげきかなしまんこと、他力往生の機に相応たるべし。」と仰せです。
 阿弥陀仏の悲願は、他ならぬ悲しみの凡夫にこそ注がれてあるのです。そのことを疑うところに、まことの安らぎはありません。
 自然(じねん)のお働き、阿弥陀仏に南無と頭の下がるとき、広大無辺の大地は、久遠の昔よりすでにして、この身を受け止め続けて下さっていたと知らされるのです。


住職日々随想

 足が治る薬が開発されたら使いますか?
に答えて、「その質問は、歩けない人は、やはりこの世にいない方がいいんだ、というご質問ですね。」 (NHKハートネットより)
 「生きることに意味があるとかないとかは、人間の尺度で決めた命でしょう。こうして存在していることの前には、意味があるとかないとかはたいした問題ではありません。」と、東大生に「そうやって生きることに何の意味があるのですか?」と問われ、ALS患者の岡部宏生さんはそう答えられました。
 金子大栄師の言葉に「一日の空過は、やがて一生の空過となる」とあります。
無為に過ごすことを戒める警句として聞かされて参りましたし、うなずけるものです。
 しかし、日々の生活に空しさを覚えることは、およそ誰れもが経験のあることです。()
 そんな私たちは、この空しさを超えるために、自らの行いに何らかの意味づけをせずにはおれないものを持っていますし、日々忙しく過ごすことで、この空しさをごまかしたりしています。
 それでもごまかしきれずに、折々に空しさに囚われるのは、それが単なる気分の問題などではなく、生き方に深く根ざした問題だからなのです。
 前出の岡部さんの言葉は、そんな私たちの常日頃の心の有り様を、鋭く指弾するもので、気分に支配される心にではなく、「我が身の事実、そのままの私に帰れ」という促しと受け取れないでしょうか。
 我が身のいのちは、思いを叶えたいという欲望の、さらにその奥深くに、一切衆生と共に、空しさを超えて、まことの世界を求めずにはおれないという「願い」を持っています。
 その深い願いに目醒めて生きていくことが、空過の人生を超えていく道であり、帰すべきところを得て、はじめて生きる主体・生き方の質が誇りうるものへと
転ぜられていくのです。


十一月の行事
3 日(日) 午後1時〜 おみがき清掃ご奉仕   
7 日(木) 午前10時半〜ピラティス      
8 日(金) 午後2時〜 仏教コーラスの会   
      12日(火) 午後2時 大逮夜   
報 恩 講       午後6時 御伝鈔   
      13日(水) 午後2時 結願日中  
     ご法話 泉大津南冥寺住職 戸次公正師
          (お抹茶・お斎のご接待有ります。) 
21日(木) 午前10時半〜ピラティス           
28日(木) 午後2時〜  仏教民謡踊りの会
   
十二月の行事
1 日(日)午前10時〜 伝統文化親子教室
1 日(日)日帰りバスツアー「東西本願寺の歴史
    と三十三間堂を尋ねて」  参加費一万円
5 日(木)午前10時半〜ピラティス    77 日(土)午後4時〜 祥月講・同朋の会聞法会
          ご講師 専光寺 島大史師
6 日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会
7 日(土)午後4時〜 祥月講・同朋の会聞法会
          ご講師 専光寺 島大史師
10日(火)午後2時〜 門徒女性聞法の集い  12日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会
15日(日)午前10時〜伝統文化親子教室
15日(日)午後2時〜 おみがき清掃ご奉仕  
      午後4時〜 年末懇親会      
19日(木)10時半ピラティス
31日(火)午後11時〜 歳暮勤行・除夜の鐘















posted by ansenji at 12:30| Comment(0) | 法悦