2016年10月24日

11月住職日々随想

 生ましめんかな            
                    栗原 貞子

こわれたビルディングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク一本ない地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血のにおい、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ

その中から不思議な声が聞こえて来た。
「赤ん坊がうまれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。

マッチ一本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。

かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず
産婆は血まみれのまま死んだ。

生ましめんかな

生ましめんかな

己が命捨つとも

 住職日々随想
KAROSHIと表記すれば、諸外国でも通じるほど、国際的に認知されるようになってしまった過労死や、過労に起因する自殺。現代日本社会の抱える大きな問題です。
 キリスト教文化圏では、アダムとイブが神の楽園を追放されるとき、女性には出産という罰を与え、男性には労働という罰を与えたと言われています。
 一方、仏教にその心を育まれてきた日本では、出産も労働も与えられた罰とはとらえず、むしろそこに自己実現の喜びを見出してきたのです。
 しかし、グローバル資本主義の極度に進んだ今日、すべては市場経済の中で値踏みされ、以前なら評価されたコツコツと働く事すら、より安価に出来るなら、そちらに乗り換え、ばっさりと切り捨てられる、ということが珍しくもなくなってしまいました。
 そのような厳しい環境の中で生き残るため、市場価値としての自分の「売り」は何なのか?と、そのままの自分を認められたいという欲求を切り捨てて、市場価値のありそうな自身の一部分を、がむしゃらに肥大化させ、切り売りしていく。その先に、ある限界値を超えると、自己破壊してしまい、最悪の場合、過労死や過労自殺を招いてしまう。そういう構図になってしまっているのではないでしょうか?
 本来どのような人も、人はそこに居ることを認められてこそ、つらいことや苦しいことも、喜びの糧にしていく力が与えられてきたはずです。
 そもそも、共同体が共同体として存在するということは、何かの目的に合致するものだけが、その存在を許されるのではなく、都合の善し悪しを超えて、共のあるということが、共同体の実際なのではないでしょうか。
 われわれにとっての本来の国、真実の共同体といわれる「浄土」を願い求め、明らかにしていく歩みが、一人一人の現場で、今こそ始まらなければならないのです。 
十一月の行事

6 日(日)午後1時〜 おみがき清掃ご奉仕

  報 恩 講
 12日(土)午後2時〜 大逮夜       
       夕方6時〜 御伝鈔(宗祖御一代記)拝読

 13日(日)午後2時〜 結願日中      
        ご法話 泉大津 南溟寺 戸次公正師
        (お抹茶・お斎のご接待有ります。)

17日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

28日(月)午後2時〜 仏教コーラスの会

十二月の行事

3 日(土)午後4時〜 祥月講・同朋の会聞法会
        ご法話 武庫川 念仏寺 土井紀明師

12日(月)午後2時〜 仏教コーラスの会

13日(火)午後2時〜 門徒女性聞法のつどい
              和讃に学ぶ 21   

15日(金)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

23日(祝)午後1時〜 おみがき清掃ご奉仕
年末懇親会

*十一月の門徒女性聞法の集いはお休みです。
*本堂内すべて椅子席、床暖房完備、どなた様もお気軽に。
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2016年10月02日

10月 住職日々随想

「もしもあなたが詩人なら」
              ティク・ナット・ハン

もしもあなたが詩人なら、この紙の上に雲が浮かんでいるのが
はっきりと見えるでしょう。
雲がなければ雨は降りません。雨がなければ木は育ちません。
そして木がなければ紙はできないのですから、
この紙がここにあるためには、雲はなくてはならないものなのです。
この紙をもっと深く見ていると、この紙の中に太陽の光も見えてきます。
太陽がなければ森は育ちません。実際太陽がなければ、
何ものも生きていくことができません。
それで太陽もまたこの1枚の紙の上に存在していることがわかるのです。
もっと深く見つめてみると、木こりが見えてきませんか?
木こりが木を切って製紙工場に運び、紙が作られます。
そのうちに小麦も見えてくるでしょう。木こりは日々のパンがなければ
生きられないので、木こりのパンになる小麦もまたこの紙の中にあるのです。
それから木こりの両親も見えてきませんか?
このようにどんどん深く見ていけば、
数え切れないほどたくさんのものがあって、ここに一枚の紙が存在するのです。
もう少しこの紙を見ていると、私たち自身もこの紙の中に見えてきます。
ここに自分を見つける事はそう難しいことではありません。
この1枚の紙に中には、あらゆるものが入っています。
ここに無いものを一つでも探すことはできません。
時間、空間、地球、雨、土壌の鉱物、太陽の光、雲、熱 、
全てのものがこの1枚の紙の中に共存しているのです。

ここにある、とは、共にある、ということなのです。

(*原文の「ビーイングピース 中公文庫」は散文の形式ですが、その意を出来るだけ崩さぬように、詩の形式に整えさせて頂きました。)


 十月住職日々随想

先ごろリオデジャネイロオリンピック・パラリンピックがその幕を閉じました。
世界中から集まった選手たちの活躍は実にすばらしいものでした。
 わけてもパラリンピックは、かつてややもすれば、社会の片隅に追いやられがちだった障害者の方々が、
それこそ健常者の思いもよらないような努力によって、チャレンジしておられる姿に、
まばゆいほどの美しさを感じました。
およそ私たちの社会は、自分たちの望むような都合の良い者だけで構成されているわけでは、
決してありません。それこそ不都合に思えるような人々、意に沿わない人々とも共にあるということが
共同体の姿です。
 中でもある意味、障害者は不都合な存在の典型として扱われてきた歴史があります。
しかし、だからこそ「人間とは何か?」ということを振り返るには格好の素材であり、
生きた具現者であるとも言えるのではないでしょうか。
それは如来の「如実知見」とは対極にある、見たくないものは見ない。
結果、存在しても無い事にしてしまう、根深くずる賢い差別意識を打ってくるものです。
九州博多で様々な人権問題に取り組んでおられる園田久子氏(大谷短期大学講師)は、
大学に入ってきたばかりの学生たちに最初の授業で
「人間はいじめもするし、差別もするし、殺しもするよ。」と投げかけるそうです。
 多くの学生たちはその言葉に驚き、場合によっては激しく反発するそうですが、
それは、してはいけない事と教えられ続け、自分たちもそんなことはしていないと思ってきた学生たちに、
本当のところどうなのか?と深く身の事実を問う視点を与えるものなのです。
 そんな私たちに、ありのままの姿を見せてくださる鏡を心に持ち続ける事を、
善導大師は「経教(お経とみ教え)はこれをたとうるに鏡のごとし。しばしば読み、しばしば尋ぬれば、智慧を開発す。」と、おすすめ下さるのです。

十月の行事

11日(火)午後2時〜 門徒女性聞法の集い 
                   和讃に学ぶ
15日(土)午後4時〜 祥月講・同朋の会聞法会
           ご法話 円龍寺住職 門井 等師

20日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

24日(月)午後2時〜 仏教コーラスの会

十一月の行事

6 日(日)午後1時〜 おみがき清掃ご奉仕

  報 恩 講
 12日(土)午後2時〜 大逮夜       
       夕方7時〜 御伝鈔(宗祖御一代記)拝読

 13日(日)午後2時〜 結願日中      
        ご法話 泉大津 南溟寺 戸次公正師
        (お抹茶・お斎のご接待有ります。)

17日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

28日(月)午後2時〜 仏教コーラスの会

*十一月の門徒女性聞法の集いはお休みです。
*本堂内すべて椅子席、冷暖房完備、
 どなた様もお気軽に。
posted by ansenji at 10:43| Comment(0) | 住職日々随想