2017年08月29日

9月住職日々随想

住職日々随想
卑近な例で恐縮いたしますが、過日の朝の連続ドラマ「ひよっこ」のなかで、主人公が自由についての思いを語る場面がありました。
おそらくは作者の岡田惠和氏の考えを、主人公に語らせているのでしょう。
 曰わく、自由とは自ら選択することで、他人から見れば大変だなぁと思えるようなことも、自らの意思に従って選び取ったことならば、当人にとっては不幸でも不運でもなく、むしろその結果を積極的に受け入れることのできるものなのだと言わせていました。
そこに現れたものを、仏教のことばでいえば、「自在」と言い変えることができると思えます。
遠い過去世に於いて、法蔵菩薩がご本願を誓われるに先立って、「世自在王仏」つまり、世に於いて真に自由にして自在なる精神を生きておられるみ仏、自らにその存在根拠を持っておられるみ仏のみ元にましまして、一切衆生の救われる道を求められたと、仏説無量寿経に説かれています。
法蔵菩薩の問いに対し世自在王仏は、「汝自当知(他者に答えを求めるのではなく、自ら明らかにしなさい)」と示され、法蔵菩薩は五劫という無限の時間思惟され、ついにご本願を明らかにされたと説かれています。
実に、自由にして自在なる精神は浄土教仏教の土台ともいうべきもので、自らの根源にあり、且つ、すべてのいのちあるものと通じる願い、「ご本願」が立ち現われてくる大地となるものだと明らかにされたのです。
ところが最近しばしば、「行き過ぎた自由」という言い回しを耳にするようになりました。
そこにあるのは自ら選択することに倦んで、他者に任せておきながらも、その結果に文句ばかりいう、そういう人が増えてきている事への反動なのではないか、と危惧するところです。
ドイツの思想家・哲学者のエーリヒ・フロムは、ナチズムや日本軍国主義が台頭していた、1941年に著書『自由からの逃走』の中で、孤独と無力感にさいなまれた大衆は、他者との関係、指導者とのより強固な関係を求めて、全体主義に傾斜していくようになると、警句を発していました。実にその指摘が的を射たであったことは、その後の歴史の証明するところです。
 今改めてこの警句に耳を傾ける時、真実を捻じ曲げても恥じる事のない、ポピュリズム政治の広まりの中、たやすく思考停止に陥ってしまう我々の姿勢には、強い不安を感じずにはおれません。
だからこそ今、仏教の根源である自在なる精神の復興を願い、自ら思考し、選び取った事柄はしっかりと担っていく、そんな覚悟を持つべき時なのではないでしょうか。

九月の行事
6 日(水)午前10時半 ピラティス

8 日(金)午後1時 仏教コーラスの会

16日(土)午後2時・夕方6時
      秋季彼岸会永代経法要
ご法話 阿倍野即応寺ご住職 藤井 善隆師

26日(火)〜27日(水)一泊上山奉仕研修

28日(木)午後2時 仏教民謡踊りの会  

十月の行事
4 日(水)午前10時半〜 ピラティス

13日(金)午後1時 仏教コーラスの会
          
17日(火)午後2時 門徒女性聞法のつどい
              浄土和讃 27
19日(木)午後2時 仏教民謡踊りの会 

21日(土)午後4時 祥月講・同朋の会
     ご法話 円龍寺ご住職 門井 斉師
*九月の門徒女性聞法の集いは、彼岸会が有りますのでお休みです。
*九月十月の仏教コーラスは1時からに変更になっております。
posted by ansenji at 00:48| Comment(0) | 住職日々随想