2018年03月26日

4月住職日々随想


 もう二〇年以上前のことになります。私がご本山の全国児童夏の集いのスタッフをしていたときの話ですが、当時私たちスタッフのリーダーをしておられた先輩から聞かされた話に、驚きと戸惑いを禁じ得ませんでした。
 それは、その先輩のお友達の方の奥さんが、出産に臨んで母子ともに大変危険な状態になられたそうです。その時、主治医の先生から、お母さんか赤ちゃんか、どちらかを諦めてもらわないといけないかもしれません、と言われた時に、その男性がすかさず「どうか子どもだけでも助けてください」と言われたそうです。
 それを聞いた私たち若いスタッフは、なんてひどい夫なのだと思ったのですが、先輩は「当然でしょう」とおっしゃいました。釈然としない私たちに「親なのだから当然です」と重ねておっしゃいました。
 果たしてどうなのか、未だすっきりとは解決のつかない問題ですし、そういった局面に出会わないことを祈るばかりですが、実際子を持つ親とならせて頂きますと、自らの命に代えても子供を守りたい、という願いも当然のことと気付かされます。
一昨年の津久井やまゆり園での、障がい者大量殺傷事件の折にも、深く考えさせられたのですが、最近になってまた、浮上してきた人権問題があります。
 それは、旧優生保護法に基づいて、障がい者やさまざまな疾病を抱える方々に、本人の意思を無視して、不妊手術が強制的に行われたという問題で、被害にあわれた方々が、子どもを産めない、無念な苦しい胸の内を、訴訟を起こすという形で、ようやく語られるようになったことです。
 他方で近年、出生前診断が広く行われるようになり、ますます命の選別が広がってまいりました。まさに、優生思想は過去の話ではなく、私たちの身に備わる罪業と言っても過言ではありません。
「全て命は尊いものなのだ」と誰もが思い、口にも致しますが、事実として本当に尊び、また尊ばれているのでしょうか?
かつて様々な人権問題に取り組んでこられた、九州大谷短期大学の園田久子先生は「人はいじめもするし、差別もするし、殺しもするよ」と喝破されました。
 深く罪業の身を顧みることなく、自身善人として振る舞うことの欺瞞を思い知らされることです。
その罪業の我が身を明らかにするものは、如来のお知恵を賜わること以外ありません。
 親鸞聖人は教行信証に、源信僧都の「平等にして一子のごとし。かるがゆえに、我、極大慈悲母を帰命し礼したてまつる。」を引用されて、一切衆生を皆ひとり子の如くに見そなわはす阿弥陀如来に帰命し礼すべき事の尊さを述べておられます。
深く畏れを持って、心したいことです。

四月の行事

5 日(木)午前10時半〜 ピラティス

12日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

13日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会

21日(土)午後2時〜 祥月講同朋の会聞法会
ご法話 専光寺 島洸陽師

24日(火)午後2時〜 門徒女性聞法の集い
               浄土和讃29

12日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

五月の行事
14日(月)午前10時半〜 ピラティス

18日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会

19日(土)午前中   桜祭り参加

22日(火)午後2時〜 門徒女性聞法の集い
               浄土和讃 29
24日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

26日(土)午前9時〜 大阪教区同朋大会参加

*本堂内すべて椅子席、どなた様もお気軽に。
posted by ansenji at 18:24| Comment(0) | 住職日々随想