2019年09月29日

2019年 10月号 法悦 

法 悦 10月号 829号

「ことだま」


 ひとつの言葉で

 けんかして

 ひとつの言葉で

 仲直り

 ひとつの言葉は

 それぞれに

 ひとつの命を持っている



青色青光

 月参りなどでいろいろなお宅にお伺いいたしますが、中には聴力の衰えた方も少なからずおられます。出来るだけ滑舌良く、大きな声でお話しする様に心がけていますが、さぞかしご不自由だろうと思います。
 しかし何故か補聴器を使われない方もおられます。そんな方のお一人になぜ補聴器を使われないですかとお訊ねしましたところ、すべての音が大きくなって、かえって聞き取りづらいからとのことでした。
 人間の耳は、ただ単に音を聞くのではなく、無意識に音を聞き分けているのです。
だからこそ、騒々しいところや雑踏の中でも、会話することが出来たりするのです。
 現代社会は、マスコミやネットなども含め、膨大な量の情報が、日夜垂れ流され続けています。
 正しく聞き分ける智慧ある耳を持たないと、容易に誤った扇情的な言葉に流されてしまい、判断を誤る事になってしまいます。
 智慧ある耳は、まことの言葉、仏法聴聞によってこそ養われるのです。

住職日々随想

 人間の本性は「処罰されない」
ことが保証されている環境で、どうふるまうかによって可視化される。
「今ここでは何をしても誰にも咎められることがない」とわかった時に、人がどれほど利己的になるか、どれほど残酷になれるか、どれほど卑劣になれるか、私は経験的に知っている。そして、そういう局面でどうふるまったかを私は忘れない。それがその人間の「正味」の人間性だと思うからである。(内田 樹)
 宗教の「宗」はムネ、それは真ん真ん中、まさに私を支える大黒柱です。  
この柱が虫食いであったり、貧弱なものであったなら、わずかな外乱によって揺れ動き、時に倒壊の危機をももたらします。
その様なものに、このかけがえのない私の人生の、その重さを支える事は出来ません。
「私は宗を持たない。無宗教だ」などとうそぶく人は、ふわふわと漂い流され、人生をむなしく終えていかなければならないでしょう。
 前述の思想家、内田氏のの言葉は、常に自らを問ってくる光となる、まことの「宗」をよりどころとする人と、そうでない人とのふるまいの違いを言い当てていると思います。 仏説涅槃経にも「山川草木悉皆成仏。一切衆生悉有仏性」とあり、誰もが皆、仏性すなわち仏となる種を、深く蔵していると示されています。
 しかし、いかに優れた種があっても、そこに適切な日光や養分など、さまざまな条件(ご縁)が整わなければ、花を咲かせ、良い実をなすということはありません。
 仏法に私を問う、聞法の生活の中においてこそ種は育ち、立派に自らを支える柱となり、やがては歓喜の花を咲かせ、まことの実を結ぶものともなるのです。
仏法に遇わぬ人に成る実は、やせ細り時に腐臭を放つものとなるのでしょう。
 「腹は立ちますよ、凡夫だからね。でも如来様に根を切ってもらっているから、(腐った)実がならぬだけです。」(妙好人 物種吉兵衛)


十月の行事

6 日(日)午前10時半〜伝統文化親子教室   
8 日(火) 午後2時〜  門徒女性聞法の集い  
10日(木) 午前10時半〜ピラティス      
11日(金) 午後2時〜  仏教コーラスの会   
17日(木)午後2時〜  仏教民謡踊りの会   
19日(土)午後4時〜  祥月講同朋の会聞法会 
             ご法話 圓龍寺住職 門井 斉師
24日(木) 午前10時半〜ピラティス      
27日(日) 午前10時半〜伝統文化親子教室   

十一月の行事

3 日(日) 午後1時〜 おみがき清掃ご奉仕   
7 日(木) 午前10時半〜ピラティス      
8 日(金) 午後2時〜 仏教コーラスの会   

      12日(火) 午後2時 大逮夜   
報 恩 講       午後6時 御伝鈔   
      13日(水) 午後2時 結願日中  
     ご法話 泉大津南冥寺住職 戸次公正師
          (お抹茶・お斎のご接待有ります。) 

21日(木) 午前10時半〜ピラティス           
28日(木) 午後2時〜  仏教民謡踊りの会   
*12月1日(日)日帰りバスツアー 京都市内 
posted by ansenji at 12:19| Comment(0) | 法悦