2019年10月30日

法 悦 2019年11月

法 悦 11月号 830号

 「慚 愧」

 死なれてみて

 初めて

 思い知らされる

 いかに自分が

 その人と

 本当に

 出遇えていなかったか

 ということを


青色青光

「人間死んだらしまいや。何んにも残らん、ただのゴミや。」などとうそぶく人がいます。
 身近なひとの死に会っても、そのように思える人は、ある意味、空しさに耐えることの出来る強い人なのかも知れません。
 しかし、業縁存在の凡夫の身、本当にそのように言い切れるのでしょうか?
 親鸞聖人は、「まず凡夫は、ことにおいて、つたなく、おろかなり。(中略)たとい未来の生処を弥陀の報土とおもいさだめ、ともに浄土の再会をうたがいなしと期すとも、おくれさきだつ一旦のかなしみ、まどえる凡夫として、なんぞこれなからん。(中略)おろかにつたなげにして、なげきかなしまんこと、他力往生の機に相応たるべし。」と仰せです。
 阿弥陀仏の悲願は、他ならぬ悲しみの凡夫にこそ注がれてあるのです。そのことを疑うところに、まことの安らぎはありません。
 自然(じねん)のお働き、阿弥陀仏に南無と頭の下がるとき、広大無辺の大地は、久遠の昔よりすでにして、この身を受け止め続けて下さっていたと知らされるのです。


住職日々随想

 足が治る薬が開発されたら使いますか?
に答えて、「その質問は、歩けない人は、やはりこの世にいない方がいいんだ、というご質問ですね。」 (NHKハートネットより)
 「生きることに意味があるとかないとかは、人間の尺度で決めた命でしょう。こうして存在していることの前には、意味があるとかないとかはたいした問題ではありません。」と、東大生に「そうやって生きることに何の意味があるのですか?」と問われ、ALS患者の岡部宏生さんはそう答えられました。
 金子大栄師の言葉に「一日の空過は、やがて一生の空過となる」とあります。
無為に過ごすことを戒める警句として聞かされて参りましたし、うなずけるものです。
 しかし、日々の生活に空しさを覚えることは、およそ誰れもが経験のあることです。()
 そんな私たちは、この空しさを超えるために、自らの行いに何らかの意味づけをせずにはおれないものを持っていますし、日々忙しく過ごすことで、この空しさをごまかしたりしています。
 それでもごまかしきれずに、折々に空しさに囚われるのは、それが単なる気分の問題などではなく、生き方に深く根ざした問題だからなのです。
 前出の岡部さんの言葉は、そんな私たちの常日頃の心の有り様を、鋭く指弾するもので、気分に支配される心にではなく、「我が身の事実、そのままの私に帰れ」という促しと受け取れないでしょうか。
 我が身のいのちは、思いを叶えたいという欲望の、さらにその奥深くに、一切衆生と共に、空しさを超えて、まことの世界を求めずにはおれないという「願い」を持っています。
 その深い願いに目醒めて生きていくことが、空過の人生を超えていく道であり、帰すべきところを得て、はじめて生きる主体・生き方の質が誇りうるものへと
転ぜられていくのです。


十一月の行事
3 日(日) 午後1時〜 おみがき清掃ご奉仕   
7 日(木) 午前10時半〜ピラティス      
8 日(金) 午後2時〜 仏教コーラスの会   
      12日(火) 午後2時 大逮夜   
報 恩 講       午後6時 御伝鈔   
      13日(水) 午後2時 結願日中  
     ご法話 泉大津南冥寺住職 戸次公正師
          (お抹茶・お斎のご接待有ります。) 
21日(木) 午前10時半〜ピラティス           
28日(木) 午後2時〜  仏教民謡踊りの会
   
十二月の行事
1 日(日)午前10時〜 伝統文化親子教室
1 日(日)日帰りバスツアー「東西本願寺の歴史
    と三十三間堂を尋ねて」  参加費一万円
5 日(木)午前10時半〜ピラティス    77 日(土)午後4時〜 祥月講・同朋の会聞法会
          ご講師 専光寺 島大史師
6 日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会
7 日(土)午後4時〜 祥月講・同朋の会聞法会
          ご講師 専光寺 島大史師
10日(火)午後2時〜 門徒女性聞法の集い  12日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会
15日(日)午前10時〜伝統文化親子教室
15日(日)午後2時〜 おみがき清掃ご奉仕  
      午後4時〜 年末懇親会      
19日(木)10時半ピラティス
31日(火)午後11時〜 歳暮勤行・除夜の鐘















posted by ansenji at 12:30| Comment(0) | 法悦