2020年09月26日

2020年10月

法 悦 10月号 841号


  い ぬ   金子みすゞ


 うちのだりあのさいた日に


 酒屋のクロは死にました


 おもてであそぶわたしらを


 いつでも おこるおばさんが


 おろおろないておりました


 その日 學校でそのことを


 おもしろそうに 話してて


 ふっとさみしくなりました

青色青光

 様々な情報の取得やショッピング、何かの予約、商取引から預貯金まで、
高度に発展したインターネットは、今や、私たちの暮らしに無くてはならないツールとなりました。
 特に、人と人との距離を、出来るだけ取らなければならないコロナ禍の中、在宅勤務や在宅授業などが、多くの現場で取り入れられる事となり、今やこういった新しい生活様式が、ニューノーマルと呼ばれ定着しつつあります。
 そういう利便性向上の反面、匿名で遣り取りされる事の多いSNSの世界では、特定の個人を集中的にやり玉に挙げ、誹謗中傷することが「炎上」と呼ばれ、問題となっています。
 いわゆるヘイトスピーチなどにも通じることですが、直接には面識もない他者を、否、面識もないからこそ、言葉を極めて非難し、溜飲を下げる。そこに見られるのは、一面的な情報に依り、自らの薄っぺらな正義感?に酔って自らを省みない浅はかな姿です。
 お釈迦様は、「ひとは黙して坐するをそしり、多く語るをそしり、また少しく語るをそしり、
およそこの世にそしりを受けざるはなし。」と、私たち凡夫の迷妄を言い当てておられます。
 上記の詩は金子みすゞの代表作のひとつですが、そこで表現されている寂しさは、
まさに菩提心のうずき、微かではあっても確かな、人間を取り戻す手掛かり、と言えないでしょうか。

住職日々随想

 解剖学者の養老孟司氏がその著書の中で、記しておられるのですが、
氏の父君は氏が四歳の時に、結核で亡くなられたそうです。
 その時のことはほとんど記憶にないそうですが、亡くなられる日の朝、父君が飼っていた小鳥を逃がしてやっているのを、不思議な思いで眺めていたことと、その日の夜、眠っているところを起こされ、父親の枕元に連れて行かれて、誰かに「お父さんにさよならと言いなさい。」と促されましたが、何も言えなかった、と、その孟司少年に父君がにっこり微笑み、その直後、激しく喀血して亡くなった、その二つだけ覚えておられたそうです。
 氏は幼い頃から随分長い間、挨拶が苦手で何故か口ごもってしまい、きちんとあいさつができなかったそうで、何故なのかと、自身疑問に思っておられたそうです。
 それが父親の死と関係があることに気づかれたのは、それからずっと後、四十代半ばになって、様々なごたごたや、親戚の葬儀などで気疲れしていた時、通勤途中の地下鉄のホームで、突然、「そうか、あのとき親父に『さよなら』を言えなかったから、自分はこうなったんだ」と気づかれたそうで、じつにそれが、氏のなかで初めて父親が死んだ瞬間だった、と、同時に涙が溢れてきたそうです。
 それからは、挨拶することに何の抵抗もなくなったそうですが、無意識のうちに挨拶をすると父親が死んでしまうと、幼いながらも懸命に抵抗をしていた、それが人生の半ばに至って、ようやく父親の死を受け入れることが出来たんだと、自ら分析しておられます。
 この養老孟司氏の例にも明らかなように、心の傷が深ければ深いほど、現実を受容することは容易なことではないのです。
 殊に私たちの中には「見たくないものは見ない。見ないものは無いことにする。」という、因習的とも言える心が根深くあります。
 哲学者の田中美知太郎氏は、「死の自覚は、生への愛だ」と言われました。死を自覚する生き方は、生への深い愛情を持った充実した人生になるという指摘ですが、仏教は老病死という、見たくないものの最たるものをこそ、逃れられない人生の実相として、深く見つめるところから始まっています。
 この究極のマイナス思考とも言える仏教の地平から見れば、高低の差はあれど、すべてはプラスに転ずる
ご縁と頂かれるのです。

坊守便り
ー 秋季彼岸永代経とお寺でお葬式 ー  

秋の彼岸永代経を勤めさせて頂きました。6月には新型コロナウイルスの
世界的な感染拡大も一時的に抑制され、なんとなくほっとした雰囲気が広がっていました。
そのような気の緩みがまた感染の拡大につながったのか、再び感染者が急増し、
より以上に警戒を要するようになりました。
 当寺彼岸会では、結成10年になる仏教コーラスの会のお歌の披露と、女性部の方々手作りの、盛り沢山なお斎のふるまい、季節の和菓子と抹茶の接待を毎年続けて来ました。
 しかし今年はコロナ禍の為、いずれも行えなくなり、とても残念な気持ちでおりました。
 お世話方の役員さん方と法要の準備をし、ご参詣の皆様をお待ちしておりますと、女性部の皆さんも順にお越し下さいました。
 コーラスの練習が出来ない状態ですので、皆さんお越し下さるだろうかと不安もありましたが、「思い切って出てきました。」と言って下さる方も有り、一同久しぶりの再会を、しみじみと喜び合った事でした。
 そんな折り、女性部長さんのご主人がお亡くなりになり、当寺本堂で葬儀をされました。同朋会員、女性部の皆さんとお通夜で正信偈のお勤めをさせて頂き、葬儀でも最後までお見送りいたしました。出棺では皆が見送る中クラクションを鳴らして車が出ていきました。 クラクションの音がなんとも哀調を帯びて、見送る参列者や遺族の心に響くように感じました。一緒に聞法をしてきた皆さんが揃って霊柩車を見送られる姿に、共に悼むお気持ちがよく伝わりました。コロナ禍の為、家族葬を選ばれる方も多いですが、開かれた形で共に見送るご葬儀に触れたことでした。

十月の行事
1 日(木)午前10時半〜 ピラティス
17日(土)午後4時〜祥月講・同朋の会
ご講師 圓龍寺 門井 斉師
22日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

十一月の行事
8 日(日)午後1時〜おみがき清掃ご奉仕
12日(木)報恩講午後2時〜 大逮夜勤行
   午後6時  御伝鈔拝読
(今年の報恩講はコロナ禍の為
 12日のみとなります。)

19日(木)午前10時半〜 ピラティス
      午後2時〜 仏教民謡踊りの会

*コロナ禍の状況によっては、
急な行事変更もあり得ます。
 尚、感染予防に留意して準備
しておりますが、お越しの節は
マスク等のご着用をお願い申し
上げます。
posted by ansenji at 00:36| Comment(0) | 法悦