2021年08月30日

2021年9月

 法 悦 9月号 852号

のぞみはありませんが


ひかりはあります

         新幹線の駅員さん

 臨床心理師の河合隼雄氏が新幹線の切符を
買おうとしたら、駅員にこう言われた。
 瞬間、この言葉の深い含意に感激し、
同じ言葉を大声で返すと、駅員さんは

「あっ、『こだま』が帰ってきた」

 とつぶやいた。
    朝日新聞「折々の言葉」より

青色青光  
 阿弥陀様は、尽十方無礙光如来・不可思議光如来と、そのお働きに応じて
、そうお呼びする事もあります。
 どんなに希望をなくしても、「光の如来」と称される阿弥陀仏の光は、
私たちの思いを超えて、遮るものなく、ずっとこの身を照らし続けて下
さっています。
 闇を闇と知らされるのは、現に光に遇っている証し。たとえ世界中が私を
見捨てても、私を生かそう生かそうとするいのちの働きは、いのち終える
最後の最後まで、見捨てる事なく、この身を支え続けているのです。
 まさにそのお働きこそが、真如の悟りの世界から、この娑婆世界に
来生した「光如来」に他ならないのです。
 清沢満之師はこのお働きに遇い得た感動を「われ他力の救済を念ずるとき、
我が世に処するの道ひらけ、われ他力の救済を忘れるとき、我が世に処する
の道閉ず」と述べておられます。  

住職日々随想  
 言葉は言霊(ことだま)ひとつの言葉はそれぞれに、ひとつのいのちと
語り継がれてきた歴史を持っています。
 大切に受け伝えていきたい言葉や表現もありますが、若い世代の人々を
中心に、日々新しい言葉や表現も生み出されています。
 もちろんすぐに消えていくものもありますが、初めはなじめず、むしろ
耳障りと感じるようなものも、いつしか市民権を得ていく、という場合
もあります。
 常なるものなど、ひとつとしてないこの世に於ける変化は、好むと
好まざるにかかわらず、受容していくべきものなのでしょう。 
 そのような中にあって、企みをもって意図的に発せられたような言葉や
表現は注意深く観察し、場合によっては拒否すべきではないでしょうか。
とくに近年政権中枢から発せられるものに、違和感を感じずにはおれない
ものが少なからずあります。
 政治学者の中嶋岳志氏も指摘しておられますが、最近の例では、行政や
マスコミが発する「自宅療養」という表現もそれに当たるのではない
でしょうか。
 本来「療養」とは、病を得ても必要な治療を受け、治癒の過程にある
患者が在宅などで経過を観たり、静養して回復を期することを言うので
あって、十分な治療を受けることが出来ないまま、自宅に止め置かれる
ことを言うのではないはずです。
 それをあえて「自宅療養」などと表現するのは、医療行政の失敗を
糊塗するための詭弁と受け止めざるを得ません。
 その他にもいわゆる「さくらを観る会」をめぐる様々な疑惑に対して、
安倍前総理が「募っているという認識だが、募集しているという認識で
はなかった」と答弁した事や、「責任は私にある」と述べながらも、
何も責任は取らない等々、政権中枢が言葉を破壊し、ひいてはモラルを
破壊する事をいとわない姿勢に、暗澹たる気持ちにさせられます。
 私たち真宗門徒は、のちの世、のちの人々のためにも、み教えに
我が身を問いながら、まことの言葉を鏡とし「おかしいことはおかしい」
と明らかにしていく責務があるのではないでしょうか。

坊守便り ー盂蘭盆会ー
 今年も八月十四・十五日と盂蘭盆会をお勤め致しました。
 オリンピックの開催に前後コロナウィルス感染が広がっている状況
でしたので、検温・消毒・換気を徹底し、執り行わせて頂きました。
 受付には、飛沫防止アクリル板を並べて距離を保ち、役員の皆様が
各法要に先立ち、イスや手すりなどを除菌をして下さいました。
 コロナ禍に加え、季節外れの前線停滞により、全国各地で豪雨災害が
多発致しました。 
十三日からすでにどしゃぶりでしたので、急ぎテントを取り寄せ、
本堂からは濡れずに通っていただけるよう準備をいたしました。
 昨年から、日中、夕方に加えて、午前中の座も設け、計五座、
ご参拝も事前調整をさせて頂き、程よく蜜を避け行わせて頂きました。
 住職の挨拶と法話のあと、ご法名を読み上げさせて頂いた順に、
お焼香して頂きました。
 今年も皆様が、亡きご家族を偲び、ご先祖様に思いをはせ、
阿弥陀様にお参り下さいました。良き仏縁をいただけた事と
うれしく思っております。
 また墓地をお持ちのお方の、分骨でのお預かりも徐々に
増えてまいりました。
菩提寺として頼りにして頂き、ありがたい事です。

九月の行事
16日(木)午前10時半〜ピラティス
    秋季彼岸会永代経法要
18日(土)午後2時・午後6時
  ご講師 即応寺 藤井善隆師
30日(木)午前10時半〜ピラティス
午後2 時〜仏教民謡踊りの会
十月の行事
14日(木)午前10時半〜ピラティス
16日(土)午後2時〜祥月講・同朋の会
      ご講師 圓龍寺 門井 斉師 
28日(木)午前10時半〜ピラティス
      午後2 時〜仏教民謡踊りの会        








































































































































































posted by ansenji at 23:14| Comment(0) | 法悦

2021年08月01日

2021年8月

法 悦 8月号 851号

ナチスが共産主義者を攻撃し始めた

とき、私は声をあげなかった。

なぜなら私は共産主義者ではなかったから。

次に社会民主主義者が投獄されたとき、

私はやはり抗議しなかった。

なぜなら私は社会民主主義者ではなかったから。

労働組合員たちが攻撃されたときも、

私は沈黙していた。

だって労働組合員ではなかったから。

そして、彼らが私を攻撃したとき、

私のために声をあげる人は一人もいなかった。

   ドイツ人牧師マルティン・ニーメラー

青色青光  
 私たち日本人にとって、暑さ厳しい
夏は、沖縄の地上戦や二度の原爆投下、そして敗戦
に至る悲惨な歴史から学び、次世代に語り継いでいく大切な節目
でもあります。
 残念ながら今現在も、世界各地で紛争や人権弾圧は、
止むこと無く繰り返されています。
 とは言え、それは決してよそ事などではなく、私たちの
日常にも差別事件やヘイトスピーチなど、姿形を変え、
様々な人権問題が吹き出しています。
 ポーランド国立アウシュビッツ・ミュージアム
唯一の日本人公式ガイド、中谷剛氏は「ホロコーストは
ヒトラー一人が起こしたものではなく、街角のヘイトスピーチ
からジェノサイドはすでに始まっていた。
日本はヘイトスピーチとジェノサイドのどの位置に
立っているのか、改めて考えて欲しい。」と警鐘を鳴らしておられます。
 浄土真宗の先学、清沢満之は「自己とは何ぞや、これ人生の
根本的問題なり」と喝破されましたが、それは又、自身が
どこに立っているのか明らかにしていく営みに他ならないのです。

住職日々随想  
 母去りて
 はじめて親の恩を知り
 母去りて
 いのちの重さを知り
 母去りて
 身の無力を知り
 母去りて
 はじめて人間を知る
 尊きは
 去りてはじめて
 母となりしひと
 藤元正樹(再録)

 去る七月二日、安泉寺前坊守、猪甘美枝子
法名 浄華院釋尼美縁が数え九十三歳にて往生致しました。
ここに生前のご厚誼に対し、書面をお借り致しまして、
厚く御礼申し上げます。
 晩年は認知症を患いグループホームにて、夢うつつの中に
いるような日々を過ごしておりましたが、その生涯を
振り返ってみますと、戦後の復興から、高度経済成長の
右肩上がりの時代を経て、亡くなるまで大病も無く、九人の孫
やひ孫にも恵まれ、子の立場から見ても幸せな人生であったと思えました。
 故、小玉暁洋師が「人間は真実したい事をし、なりたい者になる為なら、
何をしても許されるのだ。」と仰っていましたが、母を見ていると、
なるほどと頷かされることが多々ありましたし、どなたにも
迷惑を掛けずに生きる事など、誰にも出来はしないと思い至れば、
もう少し気ままに生きてもいいのかな、自分を解き放っても許される
のかなと、教えられた気が致します。
 もちろん短所もありましたが、基本的に自分の気持ちに
素直な人であったと思います。
 と、様々批評は出来るのでしょうが、私にとって母とは
いかなる存在であったのか、まさに私の思いに先立って、
存在は既にして在った。
 その事は何度も問い直さなければならないものでしょうし、
その事実の重みは、日を追うごとに深みを増して感じられる
ようになりました。
 まさに去りてはじめて母と出会い直している、そう思われることです。
 
坊守便り ー前坊守還浄ー
 先月七月二日に前坊守、猪甘美枝子
が満91歳8ヶ月で還浄いたしました。
 二十歳で安泉寺に嫁いで来て、七十年の月日を前住職と共に、
お寺の運営に携わって下さいました。
 前坊守の人生の思春期の頃は太平洋戦争の為、軍需工場の
仕事に毎日駆り出され、彩りのない時代であったとお聞きしました。
 終戦後、師範学校で学び、小学校の教員を経て安泉寺に嫁がれました。
当時の猪飼野は地方から人が集まり住宅が増え、門徒さんの数も多く、
役僧さんが数人、お手伝いの女性の方も数人おられ、慌ただしい生活
であったようです。
 そんな中、姉三人と末っ子でありました現住職の四人の子育て
をしてこられました。
 子供達が巣立ってからは、民生委員として地域のお手伝いをし、
南御堂の坊守会長も二期務められました。
 また、戦争により楽しみのなかった青春時代を取り戻すように、
日本舞踊に打ち込んでおられました。
 ここ数年は深い認知症を患い、自身の足で歩行できず、
言葉も忘れていましたが、最後まで耳は聞こえていたようでした。
 コロナ禍ではありましたが、様子を見に訪ね、かける言葉に
「あー、あー」と返してくれていました。最期は深い眠りにつき
静かにお浄土へと旅立たれました。
 十六代目住職を支える坊守としてしっかりと務めをはたし、
次へのバトンをつないでいかれました。ご苦労様でした。
ありがとうございました。

八月の行事
1 日(日)午後1時〜おみがき清掃ご奉仕
5 日(木)午前10時半〜ピラティス
      午後2時〜仏教民謡踊りの会
 盂蘭盆会法要
14日(土)午後1 時・3 時・7時半
15日(日)午前10時・1時 (計5座)
26日(木)午前10時半〜ピラティス

九月の行事
16日(木)午前10時半〜ピラティス
 秋季彼岸会永代経法要
18日(土)午後2時・午後6時
  ご講師 即応寺 藤井善隆師
30日(木)午前10時半〜ピラティス
午後2 時〜仏教民謡踊りの会
*諸行事はコロナウイルスの感染拡大等の状況により
 変更する場合がございます。
*ご来院の折りはマスク着用等五経録お願い申し上げます。
 










































































































































































posted by ansenji at 09:19| Comment(0) | 法悦