法 悦 5月号 860号
ハチドリのひとしずく (南米アンデスの民話)
森が燃えていました
森の生き物たちは
われ先にと逃げていきました
でもクリキンディという名の
ハチドリだけは
行ったり来たり
くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます。
まわりの動物たちがそれを見て
「そんなことをしていったい何になるんだ」
と言って笑います
クリキンディはこう答えました
「わたしは
わたしにできることをしているだけ」
青色青光
美しい羽毛に覆われ、飛ぶ宝石とも言われるハチドリ(ハミングバード)は、もっとも小さい
ものでは2グラムにも満たない、花の蜜を主食とする愛らしい小鳥です。
上記の民話は、そんな小さなハチドリのひとしずくなどでは、大きな山火事を消すことなど
出来っこないと馬鹿にする森の仲間たちを尻目に、自分に果たしうることを無心に果たす、
そのことの尊さを伝えています。
連日ほぼリアルタイムに報じられる、ロシア軍によるウクライナ侵攻のもたらす惨劇に、
胸が痛みます。ありとあらゆる犯罪行為が行われ、生活破壊や重大な環境破壊、家族の離散を
もたらし、あまりにも多くの人々の心身に、生涯癒えることの無い深い傷を与え続ける戦争、
その一日も早い終結が強く願われます。
この民話は、悲劇を前に私一人の力などは何ほどのこともないと諦め、立ちすくむ私たちに
、願いに生きることの大切さを思い出させてくれます。
住職日々随想
宝林宝樹微妙(みみょう)音
自然清和(じねんしょうわ)の
伎楽(ぎが く)にて
哀婉雅亮(あいえんがりょう)すぐれたり
清浄楽(しょうじょうがく)を帰命せよ
七宝樹林くににみつ
光曜(こうよう)たがいにかがやけり
華菓枝葉(けかしよう)またおなじ
本願功徳聚(くどくじゅ)を帰命せよ
清風(しょうふう)宝樹をふくときは
いつつの音声(おんじょう)いだしつつ
宮商和して自然(じねん)なり
清浄勲を礼(らい)すべし
ー浄土和讃ー
この三首のご和讃は、お浄土の木々のすぐれた徳を表され、願生浄土を勧められたものです。
曰くお浄土の木々はそれぞれ七宝で出来ています。そこを薫風が吹き渡るとき、微かな音が
聞こえます。よくよく耳を澄ましてみると、およそ娑婆世界に於いては不協和音となる音も
、それはそれは見事なハーモニーとなって奏でられています。
そのような木々がお浄土に充ち満ちて、互いに照らし合っています。花や果実はもちろん、
枝葉一つ一つに至るまで、阿弥陀仏のご本願の功徳の集りでないものはありません、と。
今も時折、耳をつんざくような大音量で軍歌を流したり、特定の国や国民を誹謗する
スピーチを行うデモに出くわすことがありますが、大声で叫ばれれば叫ばれるほど、発言者の
意に反して耳をふさぎたくなってしまいます。
お浄土の宝林宝樹のお譬えは、心静かに耳を澄ませば、真実ならばストンと胸に落ちる、
逆に大声で他者の口を封じたり、力ずくで押さえつけて我意を遠そうとすることは、
むしろ分断をもたらし、対立の構図しか生み出さない。そのことの愚かさを示唆しているとは
言えないでしょうか。
坊守便り
ー聖徳太子一四〇〇年御聖忌法要ー
今年は聖徳太子が亡くなられて一四〇〇年にあたり、ゆかりのある寺院ではそのご遺徳を
お偲びし、報恩感謝の為の法要が順次勤められています。
「和」を以て物事にあたるという、日本人の精神は太子の影響を大きく受けていることです。
親鸞聖人も太子の仏教の心を礼讃し、二〇〇首以上のご和讃を残しておられます。
安泉寺でも太子のお姿が本堂内陣に掛けられ、おまつりしています。
四天王寺では一〇〇年に一度の大法要が四月二十二日に円成となり、結願法要が行われました。
当日は参道列が本坊から出発し、境内を練り歩き、最後に美しく装飾された石舞台に至る、
仏教伝来の歴史たどる一大絵巻がございました。
私は依頼を頂き、法要に出仕される方々の鎌倉時代の直垂を着付けさせていただきました。
この日は十二時から篝火をたく二十時までの法要ですので出番に合わせてお着付けしました。
当寺副住職も童舞(わらべまい)をしておりましたので、小学生のころは石舞台で六年間
舞わせて頂いたことがあり、感慨深い春の日の一日となりました。
五月の行事
12日(木)午前10時半〜ピラティス
21日(土)午後2時〜祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 武庫川念仏寺 土井紀明師
26日(木)午前10時半〜ピラティス
午後2時〜仏教民謡踊りの会
六月の行事
5 日(日)午後1時半〜 女性会
オカリナコンサート
9 日(木)午前10時半〜ピラティス
18日(土)午後2時〜祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 光照寺 墨林 浩師
23日(木)午前10時半〜ピラティス
午後2時〜仏教民謡踊りの会
*感染予防には十分配慮し、各行事を行ってまいりますが、感染がさらに拡大した場合、
変更もしくは中止する場合がございます。
2022年04月26日
2022年5月
posted by ansenji at 15:53| Comment(0)
| 法悦
2022年04月02日
2022年4月
法 悦 4月号 859号
すべてのものは暴力におびえる。
すべての(生きもの)にとって
生命は愛(いと)しい。
己が身にひきくらべて、
殺してはならぬ。
殺さしめてはならぬ。
(法句経 130偈)
青色青光
かつて朝日新聞は、毎年元旦に新春のことばと題して、著名人の今年の願いを掲載していました。
昭和十二年の一月一日の新聞には、作家、野上弥生子の「一つのねぎごと(神に祈る事)として、神聖な年神さまにたった一つのお願いごとをしたい。今年は豊作でございましょうか、凶作でございましょうか、いいえどちらでもよろしゅうございます。コレラとペストが一緒にはやってもよろしゅうございます。大地震や大噴火があっても構わない、どうか戦争だけはございませんように…」という一文が載せられ、賛否さまざまに物議を醸しました。
しかしそんな願いも虚しく、その年の七月七日、盧溝橋事件に端を発する日中戦争が勃発、さらに太平洋戦争へと突入していきました。誰も幸せにはなれない愚行を、なにゆえ私たち人間は繰り返すのでしょう?
国連安全保障理事会の理事国、という名の核保有国の横暴を目の当たりにしている今、唯一の被爆国である我が国も、核を持つべきだという方もおられますが、短絡的な意見に与することなく、釈尊のみ教え
に耳を傾け、人類の集合知を総動員して、暴力によらない、真の平和を希求しなければならないのではないでしょうか。
住職日々随想
ーほとけの顔も三度までー
いかに温和な仏様でも、顔を三度もなでられると腹を立てるの意から、どんなに慈悲深い人でも、無法なことをたびたびされると怒ること、と一般的には解釈されていますが、その由来として語り継がれているエピソードが仏典にあります。
お釈迦様は正しくは釈迦族ご出身の尊者、釈迦牟尼世尊または釈迦牟尼仏陀と申しあげます。
お生まれになった釈迦国は、小さいながらも誇り高い血筋の部族でした。その隣国にコーサラ国という、急速に勢力を拡大してきた国がありました。
コーサラ国王は自国の権威付けのため、釈迦国に自分の妻となる女性を送るよう要求しますが、コーサラ国のことを快く思わない釈迦族の長老達は、わざと身分の低い女性の娘を、王女と偽って送り出しました。やがてコーサラ国王と、その女性との間に王子が生まれますが、その女性が身分の低い女性だったことが露見してしまいます。
現代にも続く厳しい身分差別のため、卑しい身分の女性から生まれた子供であると分かった王子は、周りの人達はもちろん父王からも、疎まれてしまいます。
屈辱を受けた王子は、王位を簒奪し、深く恨みをいだく釈迦国を滅ぼすため出兵します。ところが、その途上、お釈迦様が炎天下の中、枯れ木の下で端座しておられました。不審に思った王が「尊者よ、なにゆえあなたはそのようなところにおられるのですか?」と尋ねると「大王よ、親族の木陰は涼しいものだ。」と、ともに親族同士の両国、どうか矛を収めて欲しいと身を挺して諭されたのでした。
お釈迦様を蹴散らしていくわけにもいかない王は、引き返していきました。そのようなことが三度あったそうですが、やはり、恨みをいだく王の心を静めるには至らず、四度目の出兵のとき「まさにこれは釈迦族の犯した罪の報い、受けねばならない業なのか」と、軍勢を見送られました。
結果、釈迦族は老いも若きも、男も女も皆殺しにされ、ついに絶滅してしまいました。
巻頭の法句経のお言葉には、そういった出来事を、身を以て経験されたお釈迦様の、恒久平和を願う深い悲願が込められてあるのです。
坊守便り ー春の彼岸会ー
長引くコロナ自粛の中、春の永代経・彼岸会法要をお勤めさせて頂きました。
新型オミクロン株は年明けから爆発的に感染者数が増え、殊に大阪は感染者数に対し、高齢の死亡者数が全国でも特別に多く、気の抜けないことでした。
救急車を要請しても、搬送先が決まらないと問題となっていましたが、とうとうお寺にご縁の深いご門徒さんが、この医療の逼迫に巻き込まれお亡くなりになりました。
心臓の具合が悪く医師の緊急治療が必要でしたが、受け入れ先が決まらず、救急車で長く待機されたそうです。
住職主催の囲碁クラブにご参加下さり、本堂行事にも積極的にご協力下さいました。同朋会の皆さんとご一緒にお悔やみに伺いました。
蔓延防止期間も一区切りとなりましたが、この期間にコロナ感染ではなく、コロナ禍の影響を受けられた方が多くおられたと、永代経に際し、思い巡らせご供養させて頂いたことでした。
そのような中、同朋の会・女性部の皆さんとも久しぶりにお会いしたことを喜び、伊勢からのご講師、酒井先生が熱く語られる「あるがままの大切ないのち」のお話を共に聞法致しました。
また、小さなお子さんとお参り下さった若いお父さんの姿も、心嬉しい春のお彼岸でした。
四月の行事
7 日(木)午前10時半〜ピラティス
16日(土)午後2時〜祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 円明寺 島章師
21日(木)午前10時半〜ピラティス
午後2時〜仏教民謡踊りの会
五月の行事
12日(木)午前10時半〜ピラティス
21日(土)午後2時〜祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 念仏寺 土井紀明師
26日(木)午前10時半〜ピラティス
午後2時〜仏教民謡踊りの会
*感染予防には十分配慮し、各行事を行ってまいりますが、感染がさらに拡大した場合、変更もしくは中止する場合がございます。
すべてのものは暴力におびえる。
すべての(生きもの)にとって
生命は愛(いと)しい。
己が身にひきくらべて、
殺してはならぬ。
殺さしめてはならぬ。
(法句経 130偈)
青色青光
かつて朝日新聞は、毎年元旦に新春のことばと題して、著名人の今年の願いを掲載していました。
昭和十二年の一月一日の新聞には、作家、野上弥生子の「一つのねぎごと(神に祈る事)として、神聖な年神さまにたった一つのお願いごとをしたい。今年は豊作でございましょうか、凶作でございましょうか、いいえどちらでもよろしゅうございます。コレラとペストが一緒にはやってもよろしゅうございます。大地震や大噴火があっても構わない、どうか戦争だけはございませんように…」という一文が載せられ、賛否さまざまに物議を醸しました。
しかしそんな願いも虚しく、その年の七月七日、盧溝橋事件に端を発する日中戦争が勃発、さらに太平洋戦争へと突入していきました。誰も幸せにはなれない愚行を、なにゆえ私たち人間は繰り返すのでしょう?
国連安全保障理事会の理事国、という名の核保有国の横暴を目の当たりにしている今、唯一の被爆国である我が国も、核を持つべきだという方もおられますが、短絡的な意見に与することなく、釈尊のみ教え
に耳を傾け、人類の集合知を総動員して、暴力によらない、真の平和を希求しなければならないのではないでしょうか。
住職日々随想
ーほとけの顔も三度までー
いかに温和な仏様でも、顔を三度もなでられると腹を立てるの意から、どんなに慈悲深い人でも、無法なことをたびたびされると怒ること、と一般的には解釈されていますが、その由来として語り継がれているエピソードが仏典にあります。
お釈迦様は正しくは釈迦族ご出身の尊者、釈迦牟尼世尊または釈迦牟尼仏陀と申しあげます。
お生まれになった釈迦国は、小さいながらも誇り高い血筋の部族でした。その隣国にコーサラ国という、急速に勢力を拡大してきた国がありました。
コーサラ国王は自国の権威付けのため、釈迦国に自分の妻となる女性を送るよう要求しますが、コーサラ国のことを快く思わない釈迦族の長老達は、わざと身分の低い女性の娘を、王女と偽って送り出しました。やがてコーサラ国王と、その女性との間に王子が生まれますが、その女性が身分の低い女性だったことが露見してしまいます。
現代にも続く厳しい身分差別のため、卑しい身分の女性から生まれた子供であると分かった王子は、周りの人達はもちろん父王からも、疎まれてしまいます。
屈辱を受けた王子は、王位を簒奪し、深く恨みをいだく釈迦国を滅ぼすため出兵します。ところが、その途上、お釈迦様が炎天下の中、枯れ木の下で端座しておられました。不審に思った王が「尊者よ、なにゆえあなたはそのようなところにおられるのですか?」と尋ねると「大王よ、親族の木陰は涼しいものだ。」と、ともに親族同士の両国、どうか矛を収めて欲しいと身を挺して諭されたのでした。
お釈迦様を蹴散らしていくわけにもいかない王は、引き返していきました。そのようなことが三度あったそうですが、やはり、恨みをいだく王の心を静めるには至らず、四度目の出兵のとき「まさにこれは釈迦族の犯した罪の報い、受けねばならない業なのか」と、軍勢を見送られました。
結果、釈迦族は老いも若きも、男も女も皆殺しにされ、ついに絶滅してしまいました。
巻頭の法句経のお言葉には、そういった出来事を、身を以て経験されたお釈迦様の、恒久平和を願う深い悲願が込められてあるのです。
坊守便り ー春の彼岸会ー
長引くコロナ自粛の中、春の永代経・彼岸会法要をお勤めさせて頂きました。
新型オミクロン株は年明けから爆発的に感染者数が増え、殊に大阪は感染者数に対し、高齢の死亡者数が全国でも特別に多く、気の抜けないことでした。
救急車を要請しても、搬送先が決まらないと問題となっていましたが、とうとうお寺にご縁の深いご門徒さんが、この医療の逼迫に巻き込まれお亡くなりになりました。
心臓の具合が悪く医師の緊急治療が必要でしたが、受け入れ先が決まらず、救急車で長く待機されたそうです。
住職主催の囲碁クラブにご参加下さり、本堂行事にも積極的にご協力下さいました。同朋会の皆さんとご一緒にお悔やみに伺いました。
蔓延防止期間も一区切りとなりましたが、この期間にコロナ感染ではなく、コロナ禍の影響を受けられた方が多くおられたと、永代経に際し、思い巡らせご供養させて頂いたことでした。
そのような中、同朋の会・女性部の皆さんとも久しぶりにお会いしたことを喜び、伊勢からのご講師、酒井先生が熱く語られる「あるがままの大切ないのち」のお話を共に聞法致しました。
また、小さなお子さんとお参り下さった若いお父さんの姿も、心嬉しい春のお彼岸でした。
四月の行事
7 日(木)午前10時半〜ピラティス
16日(土)午後2時〜祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 円明寺 島章師
21日(木)午前10時半〜ピラティス
午後2時〜仏教民謡踊りの会
五月の行事
12日(木)午前10時半〜ピラティス
21日(土)午後2時〜祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 念仏寺 土井紀明師
26日(木)午前10時半〜ピラティス
午後2時〜仏教民謡踊りの会
*感染予防には十分配慮し、各行事を行ってまいりますが、感染がさらに拡大した場合、変更もしくは中止する場合がございます。
posted by ansenji at 21:21| Comment(0)
| 法悦