2025年05月31日

2025年6月

 法 悦6月号 897号


貧乏とは

少ししか持っていないことではなく

無限に欲があり

いくらあっても満足しないこと

私は質素なだけで、

貧しくはない

私たちは経済発展するために

この地球にやってきたわけではありません。

  「世界で最も貧しい大統領」 元ウルグアイ大統領
      ホセ・ムヒカ

青色青光
 今年の5月13日、ウルグアイの第40代大統領であったホセ・ムヒカ氏
が八十九歳で亡くなりました。
 中古のワーゲンと自転車を日常の足とし、奥様と愛犬と共に清貧な生活を
送り、自身の報酬は一般庶民の水準に合わせ、残りの大部分は貧しい人びと
に寄付され「世界一貧しい大統領」と言われました。
 大学卒業後、軍事政権に対抗する左派武装勢力に属し、自身も13年間
収監されるという経験もしました。
 後に中道左派の政治家となり、2010年から2015年まで大統領職
を務めましたが、任期中、自身を弾圧し投獄した元軍事政権の人びとに
対しても寛容な姿勢を貫き、国民からも広く愛され支持されましたが、
その希有な生き様は、現代人の価値観を問うてくるようです。
 仏教では人間の根源的な欲望を、食欲・財欲・色欲・睡眠欲・名誉欲の
五欲に分類します。
 人間の生存に関わるものを無くすことは困難ですが、「小欲知足
…欲少なく足るを知る」と言われるように、その正体を知り、どう身を
処していくのかが課題なのです。
 今日、世界のごくわずかな超富裕層が富を独占し、貧富の格差の
際限ない拡大が、紛争の頻発などに見られるように、世界全体に 
不安定化をもたらしています。
 富や名誉などは、「結果」として得られる場合もあるでしょう、
が、それを「目標」とすることは、道を誤る元である、とは言えない
でしょうか?

住職日々随想
日本の自死される方の年齢層は中高年、特に男性が多いのが特徴
でした。
近年さまざまな対策や社会の風潮の変化により、中高年の男性の
自殺率は減ってきています。
ところが若者や女性の自死は増加しています。
 なぜ、私たちの希望ともなるべき若者や子ども達の自死が増えて
いるのでしょうか?
 こども家庭庁から令和5年度の「我が国と諸外国のこどもと若者の
意識に関する調査」が公表されました。
 調査対象国は、日本・アメリカ・ドイツ・フランス・スウェーデン
の五カ国、調査対象者は満13歳〜29歳の男女です。
 その調査で際立っていたのは、他国と比較して自分に自信があり、
友人も十分で、長所もあり、自分が好きだと思っている若者・子ども
の少なさ、自己肯定感の低さです。
 さらに自分の考えをはっきり相手に伝えることができるかとの
問いや、うまくいくかわからないことにも意欲的に取り組む事が
できるか、という問いにも肯定的な回答は他国よりも低く、
気がかりなことです。
 様々な要因が相まっての結果ではありますが、「空気を読む」
ことに神経をすり減らす、いわゆる同調圧力を感じずにおれない
文化的傾向は、SNSなどの発達により、近年より強くなった
と言えます。
 これはなにも子ども達だけに限ったものではありません。
数値化された結果に、過度に評価基準を置いてしまう傾向や、
失敗することに対する許容度の低さなど、私たちの社会を覆う
病理でしょう。
 仏教では高上がりして他を見下す「驕慢」、逆に「どうせ
自分なんか…」と自己軽蔑する「卑下慢」、「あんたも私も
チョボチョボや」という小ずるい「等慢」、いずれも他と
比較するこころの有り様を「慢」と捉え、自尊感情をゆがめる
ものとして戒めています。
 また、つらいことがあると、「ずっとこのままだ」と思い
込んでしまうかも知れません。
でもこの世界は全て「諸行無常」、つまり今のつらさも決して
留まることなく、時間とともにその姿を変えていきます。
 また「縁起」という考え方に立てば、全てが相互依存し、
決して固定化された自己は無く、いま「自分はこういうものだ」
と思い込んでいることも、時と共に変わるもの。
たとえうまくいかなくても、比べられてつらくても「そのままの
あなたでいい」、「今ここにいるだけでいい」と伝え続けてきた
のが仏教です。
 わけてもお念仏の生活は、阿弥陀仏の「たとえ世界があなたを
見捨てても、私はあなたを見捨てず、寄り添い続けます」という
如来の願心を賜り続けるなかに、真実の誇るべき自己を見出して
いく歩みなのです。

真宗入門「浄土真宗のお寺」
 仏教寺院には宗派によって、それぞれ異なった特徴があります。
 私たちの浄土真宗のお寺は、本堂に特徴があります。
それは一人でも多くの人がお参り出来るようにと、僧侶が出仕し
お勤めする内陣よりも、参拝者が座れる場所の方を、とても広く
取っているところです。
 他の宗派のお寺は、本堂を僧侶の修行の場、と捉えているのに
対して、浄土真宗のお寺は門徒が仏様のお話を聞く場、聞法の
道場として開かれています。
 また、すべての真宗のお寺では、親鸞聖人のご命日をご縁に
勤める「報恩講」を、一年中で最も大切な行事として、いかなる
困難な時もお勤めしてきました。
 報恩講は親鸞聖人のご遺徳を偲び、お念仏のみ教えのいわれを
聞き開く、真宗門徒にとって最も大切な法要なのです。
 本山、真宗本廟「東本願寺」では、毎年11月21日から28日
(ご命日)までの七昼夜、8日間にわたるお勤めがあり、御正忌
とも称していします。
 聖人のお書きになった「正信偈」 「文類偈」をお勤めし、中日の
25日のお逮夜勤行の後には「御伝鈔」が拝読されます。
 私達がお念仏に出遇えたのも、聖人のご苦労あればこそと、
その足跡を尋ねご遺徳を偲び、報謝の思いを新たにするのが報恩講、
私たちは報恩講教団なのです。

法語の味わい 

ー法語カレンダー6月号よりー
 あたまを下げる あたまが下がる
 一字違いで…

 私たちは利害損得が絡めば、心の中ではいかに不承知でも、頭を
「下げる」こともあります。
 しかし、あたまが「下がる」のは、真実に出遭い、この身が
うなずくところにしかありません。
 今日の厳しい競争社会の中では、お先にどうぞ、とばかりは
言っておれない現実があります。
 でも、ひとつしかない大事なものであっても、「半分ずつ
しましょうね」とか、「交代にしましょうね」と、気遣うこころの
余裕のある方の回りには、何か爽やかな陽だまりが出来ている
ようなところがあります。
 それは本人も気付かぬうちに、真実の世界にふれ、あたまが
下がっているからに違いありません。

坊守便り ー大阪教区学習会 ー
 ハンセン病問題に学ぶ学習会に参加しました。
大谷派僧侶であり代々医師でもあった小笠原登という方が
おられました。
 小笠原家では登の祖父が長崎で医術を学び、母親が薬剤師と
して薬の調合をしていました。
 ハンセン病(らい病)は有史以来存在していました。
江戸時代にも患者はおられ、非人として差別されてはいましたが、
市井で共に生活し、隔離されてはいませんでした。
 ところが昭和6年から、らい病患者が市中にいることは、
文明国家として恥ずべきことだ、との声が上がり、無らい県運動が
全国的に展開されました。
 結果ハンセン病患者の強制隔離政策が実施され、発症された
方々は家族と別れ、故郷を離れ、名前も変え、男女ともに断種、
避妊手術を強要されました。
 小笠原氏は隔離政策に異を唱え、勤務先の病院、自宅の医院でも、
ハンセン病との診断報告はせず、長年にわたって治療を続けました。
 ハンセン病菌は結核菌に比べても、感染力は強くはありませんし、
戦後はプロミンという特効薬も入り、完治する病ともなりましたが、
神経を冒される症状に伴う身体的欠損などの後遺症により、その後も
忌避され続けました。
 残念なことに、日本のハンセン病政策は世界的に隔離政策が
なくなった後も、30年以上続けられました。
 今回、小笠原氏の事績に学び、仏教徒として、真宗門徒として、
国を超え、民族の違いを超えて、生きとし生けるものの誰もが、
この世にただひとりの存在、かけがえのないもの同士として認め合い、
ともに御同朋として出会っていくべき存在である、ということを
学ばせていただきました。

六月の行事
12日(木) 午前10時半〜 ピラティス

19日(木) 午前10時半〜 ピラティス

21日(土) 午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
       ご講師 念仏寺 土井紀明師
七月の行事
3 日(木) 午前10時半〜 ピラティス

12日(土) 午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
       ご講師 円明寺 島 章師

17日(木) 午前10時半〜 ピラティス

   自身の弱さを認め 必要なとき
   手助けを求めることができることこそ 
   ほんとうの強さ























posted by ansenji at 23:14| Comment(0) | 法悦