2018年01月26日

2月住職日々随想

 二〇一八(平成三〇)年の元日の朝、この国全体が生産活動を休んでいるからか、晴れ渡った空はとても青く澄んで、眩しいほどでした。
それを見上げながら、日頃私たちが目にする空が、いかに晴れた空であっても、実は濁った大気のベール越しのものだったのだと気付かされ、見ているようで実は見えていなかったんだと、改めて知らされました。
 私たち真宗門徒が、日頃慣れ親しんでいるお聖教の中に「末代無智の」の御文が有ります。
この御文に限らず、お聖教はいずれもそうですが、自分事としてきちんと読んでみると、誠に深く考えさせられる、智慧の光に満ち溢れています。
 短く平易な言葉で綴られたこの御文の冒頭の「無智」という事ですが、よく門徒物知らず、門徒は何にも知らなくてもいい気楽なもんや、などと思っている方が結構おられるようです。
しかし、門徒物知らずとは真宗門徒は物忌みをしない。いわゆる迷信俗信の類には囚われず、ただお念仏ひとつと、むしろ物忌みしない事を、誇りとしてきたということの謂であり、深くお聖教に親しんできた歴史がその事からもうかがい知れるのです。
 そして今ひとつ、無智という事をわが身に照らし味わってみますと、清沢満之が「知らざるを知らずとなせ、これ知れるなり」とお示し下さったお言葉にも重なってまいります。
 誰れに限らず、私たちのものを見るまなこには、道の右側から見れば真ん中あたりは左に見え、道の左側から見れば、真ん中あたりは右に見えるというように、どうしても偏りが生まれます。
親鸞聖人も「親鸞も偏頗(へんぱ)あると聞きそうらえば…」と、なんびとも凡夫は偏りなく見るまなこは持たないと、自覚のお言葉を述べておられます。
 私たちのものを見るまなこには避けがたく偏りがあり、わかったつもりでいる事にも、どうしても未知の部分が残るという自覚に立った、謙虚な姿勢が大切な事と知れるのです。
よく「あなたのことはわかっているよ」などと言う事がありますが、仮に愛情から発した言葉であったとしても、そこには支配の論理が隠されています。
 そうではなく、夫婦親子兄弟というような親密な間柄であったとしても、自分以外の他者の心の中には、絶対に理解し得ないものがあると、他者に対して敬意を持つという事は、その自覚に立って相対することに他ならないのです。

二月の行事
27日(火)午後2時〜 門徒女性聞法の集い
  浄土和讃28
14日(水)午前10時半 ピラティス

17日(土)午後4時〜  祥月講同朋の会
      武庫川 念仏寺住職 土井紀明師
22日(木)午後2時〜  仏教民謡踊りの会

16日(金)午後2時〜  仏教コーラスの会

27日(火)午後2時〜 門徒女性聞法の集い
  浄土和讃28
三月の行事
4 日(日)午後1時〜 おみがき清掃ご奉仕

15日(木)午後2時〜仏教民謡踊りの会

16日(金)午後2時〜仏教コーラスの会

24日(土)午後2時・午後6時
春季彼岸会永代経法要
ご講師  石川県 妙徳寺住職
        芳原 里詩師
*本堂内すべて椅子席、床暖房完備、どなた様もお気軽に。
*3月の門徒女性聞法のつどいはお休みです。
posted by ansenji at 10:04| Comment(0) | 住職日々随想
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