2023年04月28日

2023年5月

 法 悦 5月号 872号

 まず凡夫は、ことにおいて、つたなく、おろかなり。(中略)たとい未来の
生処を弥陀の報土とおもいさだめ、ともに浄土の再会をうたがいなしと期す
とも、おくれさきだつ一旦のかなしみ、まどえる凡夫として、なんぞこれ
なからん。(中略)おろかにつたなげにして、なげきかなしまんこと、他力
往生の機に相応たるべし。
 人間の八苦のなかに、さきにいうところの愛別離苦、これもっとも切なり。
まず生死界の、すみはつべからざることわりをのべて、つぎに安養界の常住
なるありさまをときて、うれえなげくばかりにて、うれえなげかぬ浄土を
ねがわずんば、未来もまた、かかる悲歎にあうべし。
つぎにかかるやからには、かなしみにかなしみをそうるようには、ゆめゆめ
とぶらうべからず。もししからば、とぶらいたるにはあらで、いよいよ
わびしめたるにてあるべし。酒はこれ、忘憂の名あり。これをすすめて、
わらうほどになぐさめて、さるべし。さてこそとぶらいたるにてあれと、
おおせありき。しるべし。

青色青光
毎年二月十五日には、大阪市仏教会の主催で涅槃会(お釈迦様ご入滅日
の法要)が厳修されます。
 殊に四天王寺本坊の五智光院で営まれる折には、本堂内陣に巨大な
涅槃図をおまつりし、各宗派年交代回り持ちで、それぞれの宗派の勤行式
で仏コを讃嘆致します。
 差し支えのない限り毎年お参りさせていただいておりますが、間近で
巨大な涅槃図を拝ませていただきながら、いつも思い起こされますのが、
上記の覚如上人著の「口伝鈔」の親鸞様のお言葉です。
 頭北面西右脇に横になっておられるお釈迦様の周りには、多くの仏弟子方
のみならず、生母の摩耶夫人が天上から駆けつけておられるお姿や、
様々な動物なども描かれています。
が、いつも注目させられるものが、お釈迦様の入涅槃を嘆き悲しみ失神した
アナン尊者、その彼に水を掛けて蘇生させようとする兄弟子の姿です。
「お前は一体何を聞いてきたんだ」としかりつけている、その声が聞こえて
くるように思われるのです。
 この時点では、いまだ悟っておられないアナン尊者。
その嘆きは私たち凡夫とも等しく思われてなりません。「他力往生の機に
相応」「酒はこれ、忘憂の名あり…」と、親鸞様の温かいまなざしを感じず
にはいられません。

住職日々随想
 
 「その質問には答えるべきではない」と、お釈迦様が肯定も否定も
なさらなかった問いを「無記」と言います。
 すなわち、世間は永遠に存在するのかしないのか?またその限りは
あるのか無いのか?如来は死後も存在するのかしないのか?
命とこの身は同じなのか異なるか?などといった質問で、知的関心から
問う事を、戯論(けろん)と称し、その問いに応えることもまた戯論である
と退けられ、仏教者の取るべき態度をお示しになられました。
 その事を「毒矢のお譬え」と言われている話でお説きになっておられます。
 曰く、ある商人の一行が山道を進んでいると、どこからともなく一本の
毒矢が放たれ、主人に突き刺さりました。供の者が急ぎ引き抜こうと
しましたが、「ちょっと待て、この矢はだれが射たのか。男か、女か。
その者の名前は。何のために矢を射たのか。矢に塗られた毒はどんな毒か。
それらが分かるまで、この矢を抜いてはならん」と言い張りました。
そうこうするうち、全身に毒が回り商人は死んでしまったと、「無常は迅速、
まさに今も老いや病、死の苦しみがわが身の現実としてあるではないか。
私はこの苦悩の根本原因と、その解決の道を説いている、急ぎ問うべき人生の
一大事とは何なのか、よくよく知らねばならない」と。では、お釈迦様は
こういった問いに、全く応えられなかったのかと言えば、そうではありません。
 お釈迦様の在家のお弟子に、マハー・ナーマンという方がおられました。
病に苦しんでおられるこの方を見舞われたお釈迦様に、「このとおり年老い、
治る見込みの無い病を得、この先いのち終えて一体どうなるのか、不安で
なりません。」と、苦しい胸の内を打ち明けられたとき、「マハー・ナーマンよ、
そなたは私の教えをよく守り、正しい生活を送ってきた。
それ故マハー・ナーマンよ、死してのち、そなたのその身は滅ぶであろう
けれども、そなたのその心は、必ずや勝れたところに生まれるであろう」と。
 知的関心から発せられたような問いではなく、身の苦悩から発せられた、
実存的な問いに対しては、沈黙されるのでなく、むしろその慈悲と救済の
お心をもって、お応えになられたと戴くことが出来ないでしょうか。
 それはまた、阿弥陀様が衆生を一子の如く憐愍される、ご本願として、
今もこの私の身に至り届いています。
まさに念仏は「我をたのめ必ず救わん」という親の呼び声であり、また「応」
と応える子の返事なのです。

坊守便り
ー花まつりー
 四月九日に当寺本堂にて、花まつりの法要をお勤めさせて頂きました。
別名「灌仏会」とも言われる仏教行事です。
 花御堂の中央の誕生仏に甘茶をそそぎ、子供の健やかな成長を念じます。
 南御堂のゆるキャラ、ブットン君にも来て頂き、ピアノに合わせて
三帰依を唱和し、お勤めしました。
親子合わせて三十名ほどのご参加があり、一人ずつ順番に、花御堂に
手を合わせて頂きました。
 境内では綿菓子作り体験と、スーパーボールすくいなどをして楽しみ、
ブットン君と記念写真をとりました。
 解散後、一度帰宅した四人の子供さんが感謝状を持ってこられ、今日一日
お寺で過ごして、とても楽しかったと書いて下さっていました。嬉しい事です。
 第二部は若者のコンサートです。最初に装束を着け、若院と友人により
正式なお勤めをいたしました。一般の若者たちが本格的な法要を体験する
機会は、あまり無いことかもしれません。今後も子供たちや若者にも
お伝えし、お寺に親しみを持って頂きたい事です。若いお父さんお母さん
子供たち、若者と一緒に楽しい花まつりでした。

五月の行事
18日(木)午前10時半〜 ピラティス

20日(土)午後2時〜琵琶演奏を聴く集い
 「嫁おどし肉付きの面」その他
              演者 野田孝子さん
25日(月)午前10時半〜 ピラティス

六月の行事
1 日(木)午前10時半〜 ピラティス

15日(木)午前10時半〜 ピラティス

17日(土)午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
      ご法話 専光寺 前住職 島洸陽師

*感染予防には十分配慮し、各行事を行いますが、感染が
さらに拡大した場合、変更もしくは中止する場合がございます。



























































































































































































































































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2021年04月02日

2021年4月

法 悦 4月号 847号

  さくら    茨木のりこ

ことしも生きてさくらを見ています

ひとは生涯に何回ぐらい

さくらをみるのかしら

ものごころつくのが十歳ぐらいなら

どんなに多くても七十回ぐらい

三十回 四十回のひともざら

なんという少なさだろう

もっともっと多く見るような気がするのは

祖先の視覚もまぎれこみ重なりあい

霞(かすみ)立つせいでしょう

あでやかとも妖しとも不気味とも

捉えかねる花のいろ

さくらふぶきの下をふららと歩けば

一瞬名僧のごとくにわかるのです

死こそ常態

生はいとしき蜃気楼と

青色青光

 春は出遇い、そして、別れの季節。
そんな春を彩る花の中でも、櫻花は、その淡く優しい色合いと、散り際の
潔さから、特別な感慨をもたらしてくれます。
 若い頃には無邪気に春の訪れを喜べたりもいたしますが、歳を重ねれば重ねる
ほど、来年も又この季節に巡り会うことが出来るのだろうかと、自らに問い返さ
ずにはおれなくなることが増えてまいります。
 ギリシャ神話に、死者は「レテ」という忘却の川を渡って此の世に再生する
ので、前世の記憶を失って生まれてくると説きますが、たとえそうでなくても、
記憶の断片がいのちの底に残っているのか、初めて目にし、耳にするはずのもの
にも、感動するということが、不思議と誰の身にも起こります。
 親鸞聖人のあきらかにされたお念仏のみ教えと、現代社会の様々な課題とを
切り結びながら、常に新たな課題を提起して下さり、九十歳で西帰された、
故、和田稠師は、晩年のご講演の折り「こうしてお目にかかるのは初めての方
もおられますが、不思議と、どなた様もお懐かしいような、お名残惜しいよう
な、そんな気持ちが致します。」とたびたび仰っておられ、何かそこには、
生死の別を超えて響き合う、いのちの不思議を感じずにはおれませんでした。
 まさに死こそ常態、生はいとしき蜃気楼と、願生浄土の歩みとして、生が
確かに頂かれることです。

住職日々随想
 米国スタンフォード大学の心理
学者、ジェニファー・エバーハート氏は、人は何故差別をするのか?悪意なき
偏見をめぐって『無意識のバイアス』という書を著されました。
 その冒頭には、彼女が受けた衝撃的な出来事が紹介されています。
 5歳の長男を連れて飛行機に乗ったとき、息子が一人の男性を指さして
「あの人お父さんみたいだね」と、ところがその男性は長髪で彼女の夫は坊主
頭、身長も夫よりは低く、黒人男性であると言うこと以外、似ても似つかない
のに何故?と思っているとき息子が「あの男の人、飛行機を襲わないといいね」
と衝撃の一言、「何故そんなことを言うの」と問いただしても、息子は答えら
れずに悲しそうな顔をするだけ、彼女は息子にまで刻み込まれた、人種的偏見に
打ちのめされた、と。
 人は誰しも悪意の有無にかかわらず偏見、いわゆるバイアスを持っています。
偏見は偏見として自覚しないと、差別と格差を生み出す心は、次々と伝播し
再生産されていってしまいます。
 お釈迦様はお生まれになってすぐに七歩歩まれ、天と地を指さして「天上天下
唯我独尊、われ世に於いて無上尊となるべし。」と獅子吼されました。
その時、大地は喜びにうち震え、天からは妙なる音楽が流れ、花びらが舞い、
甘露の雨が降り注いだと伝えられ、その伝説にならい、世界各地の仏教国に
於いて、四月八日には降誕会(ごうたんえ)もしくは灌仏会(かんぶつえ)と
称して、花御堂の誕生仏に甘茶を掛けて、お釈迦様の誕生を祝う行事が営まれ
ます。
 お釈迦様がお生まれになって、すぐに七歩歩まれたと言うことは、迷いの六道
を超えてお悟りを開かれたことを、さらに天と地を指さして天上天下唯我独尊と
獅子吼されたのは、私が一番偉いなどと仰ったのではなく、「天の上にも天の下
にも、いま誕生したこのおいのちは、かけがえのない尊いものなのです。」と、
此の世に生を賜った、どのいのちもすべて尊いものと、カーストという厳しい
差別が当たり前の時代に、いのちの絶対平等性を示されたのです。 
 およそ仏教では、比べることの出来ないものを比べる心を「慢」といい、煩悩
の一つとして戒めています。
 いわゆる高上がりをして他を見下す心を驕慢心、その逆に「どうせ自分なん
かは」と卑下し、自己軽蔑する卑下慢、そして「あんたも私もチョボチョボや」
とする小ずるい心を等慢と、いずれも迷いの煩悩と教えられています。
 親鸞聖人は正信偈の中で「不断煩悩得涅槃」と、阿弥陀仏をたのむところに
賜る、断ずることの出来ない煩悩を、煩悩としてまっすぐに見つめ続け、
どこまでも課題として担っていける、そのような人として、日々あらたに誕生し
続ける「念仏成仏の一道」をあきらかにされたのです。

坊守便り ー春季彼岸永代経ー  
 新型コロナの新規感染者数が徐々に減り始め、少しずつ地域の行事も
再開されてきました。
 お寺の女性副部長さんは地元、鶴橋連合町会の女性部長さんです。
 百歳体操が再開され、ふれあい喫茶のサービスも販売のみですが再開
されたそうです。
 当寺も役員さんとのご相談の上、例年の二座を一座に短縮して、春季彼岸会を
お勤めしました。月に何度かの女性の講座もコロナ禍のためお休みしていました
ので、ご参詣頂けるのか心配いたしましたが、お餅屋さんにお願いしたお斎が
すべて無くなるほどで、嬉しいことでした。
 ご法話のご講師は、安泉寺でも馴染みが深くなった、伊勢の酒井正夫先生で、
「尊さについて」の講題でお話を頂きました。
 本当の尊さ、人間の尊厳とは何なのかをいつもお話くださいますが、今回は
コロナ禍に触れ、私たちはこのコロナ禍で大きな生活の制限をうけ、
生活スタイルの変更も余儀なくされました。でも、そのことは自分にとって
本当に大切なものは何だったか立ち止まり考える、生き方を問い直す出来事でも
あったとお話し下さいました。
 老いと病についてもお話されました。少子化と超高齢化のなか、人生百年時代
のこころのあり方を問い直し、病になることも無駄ではない、人生におこる
出来事に何一つ無駄なものはなく、どんな出来事も無意味ではない、切り捨てる
のではなく、受け止めていく、そんな念仏の生活をお話下さいました。
 ご門徒の皆様と彼岸永代経をお勤めし、ご法話を聴聞させていただけて、
嬉しい事でした。

四月の行事

1 日(木)午前10時半〜ピラティス

15日(木)午前10時半〜ピラティス
      午後2時〜仏教民謡踊りの会

17日(土)午後2時〜祥月講・同朋の会
    ご講師 武庫川念仏寺 土井紀明師

*本年四月より祥月講・同朋の会の開始時刻を繰り上げ
 2時からとさせていただきます。   

五月の行事

6 日(木)午前10時半〜ピラティス

15日(土)午後2時〜祥月講・同朋の会
              講師 未定 

20日(木)午前10時半〜ピラティス
      午後2時〜仏教民謡踊りの会


*コロナ禍の状況に依りましては、急な行事変更 もあり得ます。
 尚、感染予防に留意して準備致して おりますが、お越しの節はマスク等の
 ご着用を、宜しくお願い申し上げます。
posted by ansenji at 16:04| Comment(0) | なんでも質問箱

2020年06月01日

2020年6月

法 悦 六月号 837号


 自身も含め


 誰かを傷つけずには


 いられない


 それほど深い悲しみは


 あなたが


 そのままのあなたを


 受け容れられない


 罪です


青色青光

「自粛警察」という言葉をご存じですか?
政府から緊急事態宣言が発出され、この国
に住むすべての人に、感染予防を目的として、外出の自粛をはじめとする、様々な要請が出されました。
 そういう状況の中、他府県ナンバーの車への嫌がらせや、営業を続ける店舗や遊戯施設などへの直接・間接的な様々な攻撃など、度を超した行動を批判して言うようです。
 こういうリンチ的な現象をもたらした最大の原因は、先ず、なすべき生活保障を後回しにして、とにかく自粛しろと言うだけの、自己責任ベースの政府の要請にあるのではないでしょうか。
 それはいたずらに人々の不安や、不満をあおり、もともとのクレイマーの他罰感情に、大義名分を与え、要請に従わない他者には、正義の鉄槌を下し、存分に力を振るう事が許されるのだという、誤ったメッセージを与えてしまっているものと考えられます。
 残念なことに、メディアもまた、集中的に取り上げ取材することで、かえってこういう暴走を加速させるようにあおっています。
 むしろ今回のような世界的な危機は、歴史の転換点となり得るエポックでもあります。
 であるならば、この危機を真実のみ教えに出遇う勝縁として、自他共に願うべき世界をこそ、あきらかにしてまいりたいことです。

住職日々随想                  

 子供の頃、未来の生活はいったいどの様になっているだろう、と様々想像を巡らしました。
 きっと未来は自宅の大型スクリーンを使って、仕事や学習が出来るようになる。通勤通学も必要なとき以外はせずに済み、ラッシュに悩まされることなく、食事や買い物もボタンひとつで可能になる、などなど。
 奇しくも今回の新型コロナウイルスの感染拡大によって、何年も遅々として進まなかった、リモートワークや在宅学習などが、ふた月足らずの間に急速に普及しました。
 こういう災いが転じた例もありますが、反面各国が鎖国状態のようになっている中、食糧の六割を輸入に頼っている我が国の有り様は、今のままで良いのか、教育はこのままで良いのか、など、生活全般に見直しが必要になっています。
 今回のような感染症の世界的流行は、地球規模の往来の盛んになった現代社会では、これからも繰り返し起こりうると考えられます。
 一日も早い終息は誰もが願うことではありますが、単に元の生活に戻すのではなく、そこから先に、自分ファーストでは成り立たない事実を見据え、さらに一歩、誰もが共に生きあえる世界に前進させることこそ大切なのです。
 蓮如上人は、たくさんのお手紙(御文)を書かれましたが、「後生の一大事を心に掛け、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏申せ」と、たびたび書かれています。
 普通に読めば死してのちの浄土往生について説かれたものと読めます。しかし、今一歩深く味わってみますと、「後生」とは、単に今生のいのち終えて後の来世の事だけを言うのではなく、今日ただいまより後の世、後の人々に対する道しるべとなるような生き方、そういう生き方を、今あなたはしていますかという問いかけであり、そして、その問いに応えていくことこそが「一大事」なのだ、と教えて下さっていると頂くべきなのです。
 私たちは常日頃の生活の中で、「食わねば死ぬ。いい目をしたい」と、目先のことばかりにかかずらわっています。
 確かに激しい問題ではありますが、「いい目をいくらしても、いくら食っていても死ぬ」という厳然たる事実をから目を背けてはいないでしょうか?正に一大事の忘却です。
 じつにこういう時だからこそ、
真実のみ教えに、深く生きる智慧の
眼を賜らねばならないのです。

坊守便り

新型コロナウィルスの感染が拡大
し、私たちの生活は長い自宅待機を
余儀なくされました。
 ステイホームと呼びかけられ自粛
する中、感染の検査はなかなか出来ない状況でした。テレビに出てくる芸能人の方が亡くなり、治療を待っている間に急に病状が悪化したと言う報道には、ただただ恐れが増幅した事でした。
 感染の拡大を抑制するために、密になる事を避け、人と会わない事を合い言葉に日々をつなぎ、仕事はインターネットを利用したテレワークとなりました。「離れたところで働く」「遠くで働く」と言うことです。政府が働き方改革で提案していたことが、ここに来て必要に迫られ、幅広く取り入れられ、今後はさらに日常的にゆきわたりそうです。
 オンラインで会議や、お友達の食事会が行われ、コミュニケーションの取り方も変わっていき、「コロナ禍」が節目の言葉となりそうです。
 とはいえ、みんなで一同に集まる顔と顔のお付き合いは欠かせないことで、コロナウィルスの新規感染者が減少傾向となって、全国的に緊急事態が解除になったことは嬉しいことです。
 安泉寺では、同朋会聞法会、女性会、仏教讃歌、親鸞踊り、ピラティスなど月例で行っています。
 ご門徒さんだけでなく、地域の方も歓迎してお付き合いしています。この交流会で南御堂、東本願寺の行事に、共に参加させて頂くことは何より嬉しいことです。
 六月から状況を確認しながら行事を再開させて頂きます。どうぞよろしくお願いします。

六月の行事

1日(木)午前10時半〜 ピラティス

19日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会

20日(土)午後4時〜 祥月講・同朋の会
            ご講師 即応寺 藤井善隆師

25日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

七月の行事

11日(土)午後4時〜 祥月講・同朋の会
            ご講師 念仏寺 土井紀明師
            
16日(木)午前10時半〜 ピラティス

17日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会

30日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

*六月・七月のの諸行事は、新型コロナウイ ルスの感染終息の状況を見ながら、
 実施可能なものより順次行います。
 感染予防にご留意の上、
 ぜひ、ご参加下さいませ。
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posted by ansenji at 22:26| Comment(0) | なんでも質問箱