2020年06月01日

2020年6月

法 悦 六月号 837号


 自身も含め


 誰かを傷つけずには


 いられない


 それほど深い悲しみは


 あなたが


 そのままのあなたを


 受け容れられない


 罪です


青色青光

「自粛警察」という言葉をご存じですか?
政府から緊急事態宣言が発出され、この国
に住むすべての人に、感染予防を目的として、外出の自粛をはじめとする、様々な要請が出されました。
 そういう状況の中、他府県ナンバーの車への嫌がらせや、営業を続ける店舗や遊戯施設などへの直接・間接的な様々な攻撃など、度を超した行動を批判して言うようです。
 こういうリンチ的な現象をもたらした最大の原因は、先ず、なすべき生活保障を後回しにして、とにかく自粛しろと言うだけの、自己責任ベースの政府の要請にあるのではないでしょうか。
 それはいたずらに人々の不安や、不満をあおり、もともとのクレイマーの他罰感情に、大義名分を与え、要請に従わない他者には、正義の鉄槌を下し、存分に力を振るう事が許されるのだという、誤ったメッセージを与えてしまっているものと考えられます。
 残念なことに、メディアもまた、集中的に取り上げ取材することで、かえってこういう暴走を加速させるようにあおっています。
 むしろ今回のような世界的な危機は、歴史の転換点となり得るエポックでもあります。
 であるならば、この危機を真実のみ教えに出遇う勝縁として、自他共に願うべき世界をこそ、あきらかにしてまいりたいことです。

住職日々随想                  

 子供の頃、未来の生活はいったいどの様になっているだろう、と様々想像を巡らしました。
 きっと未来は自宅の大型スクリーンを使って、仕事や学習が出来るようになる。通勤通学も必要なとき以外はせずに済み、ラッシュに悩まされることなく、食事や買い物もボタンひとつで可能になる、などなど。
 奇しくも今回の新型コロナウイルスの感染拡大によって、何年も遅々として進まなかった、リモートワークや在宅学習などが、ふた月足らずの間に急速に普及しました。
 こういう災いが転じた例もありますが、反面各国が鎖国状態のようになっている中、食糧の六割を輸入に頼っている我が国の有り様は、今のままで良いのか、教育はこのままで良いのか、など、生活全般に見直しが必要になっています。
 今回のような感染症の世界的流行は、地球規模の往来の盛んになった現代社会では、これからも繰り返し起こりうると考えられます。
 一日も早い終息は誰もが願うことではありますが、単に元の生活に戻すのではなく、そこから先に、自分ファーストでは成り立たない事実を見据え、さらに一歩、誰もが共に生きあえる世界に前進させることこそ大切なのです。
 蓮如上人は、たくさんのお手紙(御文)を書かれましたが、「後生の一大事を心に掛け、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏申せ」と、たびたび書かれています。
 普通に読めば死してのちの浄土往生について説かれたものと読めます。しかし、今一歩深く味わってみますと、「後生」とは、単に今生のいのち終えて後の来世の事だけを言うのではなく、今日ただいまより後の世、後の人々に対する道しるべとなるような生き方、そういう生き方を、今あなたはしていますかという問いかけであり、そして、その問いに応えていくことこそが「一大事」なのだ、と教えて下さっていると頂くべきなのです。
 私たちは常日頃の生活の中で、「食わねば死ぬ。いい目をしたい」と、目先のことばかりにかかずらわっています。
 確かに激しい問題ではありますが、「いい目をいくらしても、いくら食っていても死ぬ」という厳然たる事実をから目を背けてはいないでしょうか?正に一大事の忘却です。
 じつにこういう時だからこそ、
真実のみ教えに、深く生きる智慧の
眼を賜らねばならないのです。

坊守便り

新型コロナウィルスの感染が拡大
し、私たちの生活は長い自宅待機を
余儀なくされました。
 ステイホームと呼びかけられ自粛
する中、感染の検査はなかなか出来ない状況でした。テレビに出てくる芸能人の方が亡くなり、治療を待っている間に急に病状が悪化したと言う報道には、ただただ恐れが増幅した事でした。
 感染の拡大を抑制するために、密になる事を避け、人と会わない事を合い言葉に日々をつなぎ、仕事はインターネットを利用したテレワークとなりました。「離れたところで働く」「遠くで働く」と言うことです。政府が働き方改革で提案していたことが、ここに来て必要に迫られ、幅広く取り入れられ、今後はさらに日常的にゆきわたりそうです。
 オンラインで会議や、お友達の食事会が行われ、コミュニケーションの取り方も変わっていき、「コロナ禍」が節目の言葉となりそうです。
 とはいえ、みんなで一同に集まる顔と顔のお付き合いは欠かせないことで、コロナウィルスの新規感染者が減少傾向となって、全国的に緊急事態が解除になったことは嬉しいことです。
 安泉寺では、同朋会聞法会、女性会、仏教讃歌、親鸞踊り、ピラティスなど月例で行っています。
 ご門徒さんだけでなく、地域の方も歓迎してお付き合いしています。この交流会で南御堂、東本願寺の行事に、共に参加させて頂くことは何より嬉しいことです。
 六月から状況を確認しながら行事を再開させて頂きます。どうぞよろしくお願いします。

六月の行事

1日(木)午前10時半〜 ピラティス

19日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会

20日(土)午後4時〜 祥月講・同朋の会
            ご講師 即応寺 藤井善隆師

25日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

七月の行事

11日(土)午後4時〜 祥月講・同朋の会
            ご講師 念仏寺 土井紀明師
            
16日(木)午前10時半〜 ピラティス

17日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会

30日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

*六月・七月のの諸行事は、新型コロナウイ ルスの感染終息の状況を見ながら、
 実施可能なものより順次行います。
 感染予防にご留意の上、
 ぜひ、ご参加下さいませ。
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2020年04月26日

2020年5月

法 悦 五月号 836号


 自分が可愛い


 ただそれだけのことで


 生きてきた


 それが深い悲しみと


 なったとき


 ちがった世界が


 開けてきた

        浅田正作     

青色青光

 仏陀は「心によってどこへ行
こうとも、自己より愛しいものを
得ず。このように自己は他者にとっ
ても愛おしい。それゆえ自己を愛するものは、他者を害するなかれ。」と、お説きになられました。
 しかし、先の見通せない不安に満ちあふれた今日の世界、ややもすれば、誰もが「自分ファースト」の独善的な考えに陥りがちです。
 石川県の松任に、山崎ヨンさんという篤信の念仏者がおられました。
 そのヨンさんの所に「不安を取り除いてあげよう」という新興宗教の方が来られたとき
「不安だらけの世の中でねぇ、けどこの不安あんたらにあげてしもうたら、ウラ(私)何をたよりに生きていったらエエがやろ。不安は私のいのちやもん。」と、不安があるからこそ、仏法を鏡とし、業縁によっていかなる振る舞いもする、そんな我が身を問い続けることが出来る、と。現在ほど、一人一人が仏法に出遇わねばならないときはありません。
住職日々随想
 残念ながら、新型コロナ
ウィルスの感染拡大が止まりません。
 三月下旬になって、ようやく東京オリンピック・パラリンピックの延期が決定され、それを待ち構えていたかのように、感染者の急増が発表されました。
 見たくないものは見ない、見ないもの無いことにする。そういう日本人にありがちな、因習的なメンタリティが為政者の中にもあったのか、定かではありませんが、感染拡大に対する対応が遅れ、未だに十分な検査態勢すら整わず、危機に対する構えが出来ずに、漠然とした不安に覆われてしまっている、ということが実情ではないでしょうか。
 三月四月に予定されていた様々な行事やイベント、卒業式や入学式、入社式、結婚式やご葬儀など、すべてが中止もしくは縮小、延期を余儀なくされ、悔しく残念な思いをしておられる方が、少なからずおられます。
 更には国民の誰もが、やむをえぬ場合を除き、外出を控えなければならない、そんな苦しい状況が続いています。
 かつて、阪神淡路大震災や東日本大震災の時もそうであったように、多くの人が先の見えない不安を抱えて心の平衡を失い、気鬱な状態になってしまっています。
 実際この嵐のような状況の中で、唯一できる事は、体力気力を根こそぎ奪われないように温存し、嵐の過ぎ去るのをじっと待つしかないのかもしれません、が、こういった辛さを、お一人お一人の心の中だけに閉じ込めておく事は、精神衛生上宜しくありません。
 辛い苦しい悲しい思いは、いちど言葉や文章にして解放してあげる、そして気持ちの折り合いをつけ、事実を事実として受け止めて、そこを足場として立ち上がることが大切です。
 住職として、仏法をお伝えする事は当然の責務ですが、今ひとつ、せめて、お一人おひとりの思いを受け止める、「愚痴の受け皿」になれればと、常日ごろ願っております。
 愚痴は言うものではありません、こぼれてあふれ出るものなのです。
 ただ、愚痴をこぼされる方々が、多少なりとも思いを受け止めてもらえた、とお感じになって、ご自身の愚痴に気付いていただければ、受け手の心も軽くなります。
 何より、ご本人が単なる愚痴と思っていらっしゃることの中にも、様々な気づきを与えて下さる、ダイヤの原石のようなものを見いだすことすらあるのです。
 勿論望んでんでそうなる訳ではありませんが、今のこの不条理な状況を耐えることで、「心のひだ」が厚くなる、いわば他者に対する共感力や慈しみの心も豊かに
なるのではないでしょうか。

坊守便り
  阿弥陀様のお煤払い         
 今回、安泉寺のご修復百年事業としまして、
瓦の全面葺き替えをして新調瓦となりました。そうして素晴らしい美しい姿が見えてきますと、大屋根妻側材木や、続き棟になる下屋根・塀の瓦の傷みが露わとなり、それぞれの補修もし、長年の泥やほこりの汚れのついた壁も、真新しく白く塗り替えの出来た事です。
 山門も点検して頂きました。屋外にさらされているため手すりに傷みがあり根元から朽ちていることがわかりました。安全のため手すりはすべて新調となりました。早くわかってよかったです。
 こうして御堂の外側はすっかり美しくなりました。そのような中、長年お寺を大切にしてくださったご門徒さんが本堂でご葬儀をなさいました。その際に担当しておられた葬儀社の方から仏具のお手入れの優れた技術をもっている方がある。と言う情報をいただきました。
 本堂正面の阿弥陀様のおられる、お内陣の扉の中央には安泉寺山号額がかかっています。山号額の周りには深く彫り込んだ鳳凰の欄間があります。その上は木の彫り物となっています。いつも本堂大掃除の際には彫り物のほこりも掃除できないかなと思っていましたので来て頂きました。
 職人さんが下見に来られました。その際言われたことには『私のところは、珍しい技術があるという事で、何度かテレビ取材を受けています。この度、阿弥陀様を洗うところをテレビで放映したいという申し入れがあります。ちょうど良いタイミングで安泉寺さんのお仕事のお話がありました。受けてみられますか?』と言われました。
 何と阿弥陀様を、お洗いして煤を払うとは如何なものでしょうか。と思いましたが、住職と相談いたしました。阿弥陀様も何百年の蝋の燻りで黒くなっておられる、すっきりなさるのも良い事であるかもしれないという事になりました。
 当日はテレビ東京・テレビ大阪、仏教新聞「文化時報」もお越しになり、職人さん5名とスタッフ6名の大人数の見守る中、阿弥陀様は特殊な泡に包まれてするりと金の輝きを取り戻されました。
 台座からは黒くて見えなかった年号が現れました。寛永3年一六二六年約四〇〇年前の作と阿弥陀様が製作された年もはっきりと読み取れました。
 また、輝きを取り戻された阿弥陀様を仰ぎ見て、ありがたい事だと思いました。

五月の行事
16日(土)午後4時〜
     祥月講・同朋の会
六月の行事
20日(土)午後4時〜 祥月講・同朋の会

*五月六月の諸行事は、新型コロナウイルス
 のさらなる感染終息の見通しが立たない現 段階では実施が困難となっております。
 祥月講・同朋の会のみ、内勤めの形で勤行 致します。
 感染予防にご留意の上、お参り下さいませ。

posted by ansenji at 23:40| Comment(0) | なんでも質問箱

2020年03月02日

2020年3月


法 悦 3月号 834号

  胸の泉に         塔 和子

 かかわらなければ

 この愛しさを知るすべはなかった

 この親しさは湧かなかった(略)

 人はかかわることから

 さまざまな思いを知る(略)

 ああ 何億の人がいようとも

 かかわらなければ

 路傍の人

 私の胸の泉に

 枯葉いちまいも

 落としてはくれない
     
青色青光
前記の詩は十四歳でハンセン病
(らい病)を発病、十年後には完治していたにもかかわらず、国の政策によってその後も隔離され続け、満八十三歳で療養所内において亡くなられた、元ハンセン病患者で、詩の世界の最高峰「高見順賞」を受賞された、塔和子(本名、井土ヤツ子)さんの詩です。
 ハンセン病はすでに完治可能な病であるにもかかわらず、その後遺症が身体の欠損などの形で表層的に残ってしまう事が多いということや、神道のケガレの思想、また仏教の「業の思想(為した行為のその結果は、自ら引き受けていかなければならない)」という、思想を誤って、ただあきらめを促す「運命論」として受け止めた事などにより「業病」「忌まわしい血筋の病」と、たたりのように恐れられてきました。
それは、現在も完全には払拭されていません。
 結果、家族は勿論、親戚縁者まで、身内の発症は秘され、患者の存在すらもひた隠しにしてきました。
 歴史は繰り返しませんが韻を踏みます。そうさせない為にも、本名を捨て、故郷さえも捨てさせられた元患者の方々の人間回復が果たされなければ、無関心に過ごしてきた私たちの人間回復の道も閉ざされてしまうのです。住職日々随想         


住職日々随想
 中国の武漢で発生した新型のコロナ
ウイルスが世界中に拡散しつつあります。
 我が国でも二月下旬の時点で、感染経路不明な死亡例を含む患者が発生し、もはや水際対策の有効な時期は過ぎ、蔓延期に入ってしまったと、連日報じられています。
 対応するワクチンも無く、そのメカニズムも明確になっていない未知の病に対する恐れは、私たちの日常にも暗い影を落とし、経済的損失も含め、様々な活動の阻害要因になってしまっています。
 何とか蔓延を食い止め、万一感染しても治癒できるよう、一日も早い治療法の確立が待たれます。
 そんな中、今回の事で改めて思い起こされますのは、病と患者に対する偏見差別の歴史です。
 近くはHIVや梅毒、さらには水俣病やイタイイタイ病、極めつけは人類の歴史とともにあり続けたハンセン病(らい病)などが、まさに偏見差別の対象になってきました。
 わけてもハンセン病は、病気そのものの苦しみもさることながら、患者本人やその家族親族も含めて、厳しい偏見差別にさらされるという、二重三重の悲劇をもたらしました。
 明治政府は、西洋諸国から、らい病に犯された人々を治療救済もせず、放置していると非難されたことを国辱とし、国内五カ所に療養所を開設してその収容に当たりましたが、逃亡する者が後を絶たないことや、富国強兵の国家方針に合わないとして、昭和四年「らい予防法」を制定、さらには戦時下の「祖国浄化」を掲げる「無らい県運動」の流れを受けて、らい病患者の強制収容を推進しました。
 戦後、特効薬のプロミンなどによって、らい病は完治する病となり、療養所内のらい病は撲滅されました。
 しかし、長い歴史の中ですり込まれた偏見差別は根強く、戦後、昭和二十八年になって改正された「らい予防法」でも、隔離政策は維持され続け、平成八年になってようやく廃止、平成十三年には「らい予防法違憲国家賠償訴訟」に於いて被害者が全面勝訴しました。
 そして、昨年には元患者家族を救済するための、国家賠償も行われることになりました。
 真実の浄土とは、本当のものを知りうる智慧によって、本当のものが見えてくる世界のこと。「不都合なものを排除して浄化された世界」は、真実の浄土などではありません。
私たちが真に願うべきは「真実の浄土」です。

三月の行事

5 日(木)午前10時半〜ピラティス

10日(火)午後2時〜門徒女性聞法の集い

13日(金)午後2時〜仏教コーラスの会

17日(火)午後3時〜囲碁教室

19日(木)午前10時半〜ピラティス

21日(土)午後2時・6時
      春季彼岸会永代経法要
   ご講師 伊勢 道浄寺 酒井正夫氏 
26日(木)午後2時〜仏教民謡踊りの会

四月の行事

9 日(木)午前10時半〜ピラティス

10日(金)午後2時〜仏教コーラスの会

12日(日)午後1時〜おみがき清掃ご奉仕

14日(火)午後3時〜囲碁教室

19日(日)午後1時〜
      本堂大屋根ご修復奉告法要
            祝賀の集い
23日(木)午後2時〜仏教民謡踊りの会

30日(木)午前10時半〜ピラティス


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posted by ansenji at 23:43| Comment(0) | なんでも質問箱