2018年12月28日

1月住職日々随想

 法 悦 1月号 820号

あけましておめでとうございます
本年も宜しくお願い申し上げます



君も僕も、


ジグソーパズルの一つのピース


一個一個のピースが大事


要らないピースは無いんだ。


君はみんなに支えられ


君はみんなを支えている


        佐賀枝夏文  大谷大学文学部心理学教授



青色青光  
かけがえのないあなたに

 平成二十六年版内閣府の子ども・若者白書(対象年齢、十三歳から二十九歳)に、先進諸外国に比べて、これから未来を担うべき日本の若者達の自己肯定感の低さが、大きな課題と指摘されています。
 自分自身に満足していますかという設問に対し、対象国(韓国・アメリカ・イギリス・ドイツ・フランス・スウェーデン)の平均約8割が、イエスと回答しているのに比べて、日本の若者は最低で、わずかに45%と5割にも届きません。
 また、上手くいくかどうか分からないことに対して、意欲的に取り組もうという意識は、他国の平均8割に対して5割、逆に鬱傾向にある若者は、他国の平均4割に対して約8割、さらには規範意識は高いけれども、社会問題に対する関与や自身の参加意識は、他国の約5割に対して3割でした。
 加えて、四十歳になったとき、幸せになっているかという問いに対しても、他国の平均9割弱に対し、わずか6割との結果が出されています。
 今の自分にも、未来の自分にも、希望がもてない若者達の突出して多いことは、この国の現状に対する若者達の悲鳴にも聞こえます。
 マリナーズのイチロー選手が、出身地の少年野球イチロー杯で「自分が出来ると思っても、出来るとは限らないが、出来ないと思ったら絶対に出来ない」
と、自分で可能性を閉ざさないよう、一番伝えたいこととして、子ども達に訴えていました。
 そう、我々は誰もみな如来の一人子なのですから。

住職日々随想

 平成最後の天皇誕生日、今上陛下が象徴として歩んでこられた、ご自身の思いを語られました。
 奉ってはいるけれども、一人の人として人権を認めず、生まれたときから重い役割を担わせる、天皇制という制度のあり方に問題なし、とは思えませんが、象徴としての役割を模索し続けてこられた、今上陛下のその歩みには頭が下がります。
 特に戦争犠牲者や沖縄の苦難に思いを馳せられ、また戦地や災害被災地を訪れ、その人々に寄り添おうとされる、誠実でまっとうなお姿は、立場の違いはそれぞれあっても、多くの人びとの共感を呼び、自身の向き合い方をも問うてくるものでした。
 ところが、かたや米中貿易戦争をはじめ、世界の政治経済はますます不安定になり、諸外国には排外的な独裁政権が多く誕生しました。
 その気分が伝染するのか、一強安倍政権のもと、唯一の立法府であり、言論の府であるべき国会が、本来の役目である行政のチェック機能まで失って、機能不全に陥り、およそあり得べきもない、行政決裁文書改ざんをはじめとする、不祥事が続発。さらには何があっても、平然と居座り続ける大臣や高級官僚の姿を見せつけられ、戦後、営営と築き上げてきたはずの、民主主義の価値観や徳性が、踏みにじられ音を立てて崩れていこうとしています。
 今上陛下の歩みとの、この対比は一体何なのか?と憤りを禁じ得ません。
 近代保守思想の父と言われている、イギリスの政治家・思想家のエドモンド・バーグはフランス革命を批判していますが、その論拠となっているものは「人間というものは不完全で過ちを犯すものである。」という人間理解でした。であるのに、革命は一部の傲慢な知的エリートの設計図に基づく破壊であると見ていました。
 本来保守というものは、不完全なる人間の行う政治に対して、意見を戦わす中で根気よく合意点を見出し、永遠に微調整し続けることだと政治学者、中島岳志氏も指摘しておられます。
 このことはすでに、親鸞聖人が終生敬慕し続けられた聖徳太子が「十七条の憲法」の十に、「我必ず聖に非ず。彼必ず愚かに非ず。共に是れ凡夫ならくのみ。」と、どこまでも執着の心を捨てられない我々は、いたらぬ者どうし、ともに凡夫。だからこそ、他者の意見にも耳を傾ける耐性を持つ、そういう強いこころの大切さを説いておられます。
 今、世界はますます複雑になり、変数が多くなりすぎて、一つのことが引き起こす波紋を、推し量ることが、難しくなって来ました。その反動なのか、人々は、様々な意見に耳を傾け続ける耐性を失って、考えることを放棄し、白か黒か、右か左か、善か悪か、と声高な意見に引きずられ、単純な二項対立の寛容さの無い思考に陥ってしまっているように思われてなりません。
 我々は先人の知恵に学び、本来の胆力を取り戻さなければなりません。そうでなければ子ども達に、未来に希望を持たせる事など、出来ないのですから。

一月の行事


11日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会

17日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会 

20日(日)正午〜   安泉寺新年互礼会


二月の行事

5 日(火)午後1時〜  囲碁教室


9 日(土)午後     地域法話懇談会

16日(ど)午後2時〜  祥月講同朋の会聞法会
                  講師 未定

 生野区仏教会70周年
    記念講演と映画のつどい 
            於、生野区民センター 
仏教民謡踊りの会

*本堂内全てイス席、床暖房完備、どなた様もお気軽に

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2018年10月31日

11月住職日々随想

法 悦 11月号 818号

浄土は
言葉のいらぬ世界
人間の世界は
言葉の必要な世界
地獄は
言葉の通じぬ世界
曽我量深

青色青光
言葉は何のために…

 最近ではとんと聞かれなくなりましたが、以前はご門徒のお婆ちゃんに、「お婆ちゃんいつまでも元気で結構やねぇ。」などと言うと「へい、わてはほんまに、業が深こうおますよってになぁ。」などと返ってきたものです。
 もちろんひとに向かって「業が深い」などと言うべき言葉ではありません。しかし無邪気に長生きを喜び求めておられる姿より、ご自身、苦労は多くても、まだまだこの娑婆でのお役が済んではいないと、しみじみ頂いておられる、長年風雪に耐えてきた方の言葉の持つ深さに、感銘を受けたものです。
 翻って、現代の我々はどうでしょうか?
悪しき風潮として、とかくスピーディな結論を急ぐあまり、単純でわかりやすい答え、是か否か、敵か味方か、正か邪か、という二者択一的なものを求め、結果、場合によっては薄っぺらなポピュリズムが蔓延するということにもなっています。
 言葉の必要な人間界にあっては、情理を尽くし、じっくりと語り合い、場合によっては、理解も共感も絶した他者との「気まずい共存」をも受け入れていってこそ、本来豊かであったはずの社会が取り戻せるのではないでしょうか。
言葉はこころとこころを結ぶためにこそ有るのです。

住職日々随想

 「歳とって、ほんまにあかんもんになりましたわ。根気は無うなるし、聞いたことは右から左、ちょっとしたことするにも時間がかかる、何よりあっち痛いこっち痛いて、身体がすぐに悲鳴あげよります。ほんまにつまらん、あかんもんになりましたわ。」と、月詣りなどの折り、そんな嘆き節をよく伺います。
 何十年も一生懸命まじめに頑張って生きてきて、とどのつまりが、間に合わんつまらんものになったとならば、こんな悲しいことはありません。
 最近、某代議士が雑誌にLGBTいわゆる性的少数者の方々には、生産性が無いからそこに税金を使うことは無駄だ、という極めて差別的で、人権意識の欠如した文章を載せ、多くの批判を招きました。そこにまたそれを擁護する「評論家?」のとんでもない論文などが、火に油を注ぐかたちとなり、ついには雑誌廃刊に至るという一連の騒動がありました。
 また私たち現代人は、つい目先のことだけに追われ、何事もすぐに忘れてしまいますが、一昨年には、相模原障がい者施設大量殺傷事件が発生しました。事件を引き起こした容疑者が「私が殺したのは人ではない。意思疎通の出来ない人間は安楽死させるべきだ。」と、主張していることなどと考え合わせると、こういったいわゆる優生思想は、決して一過性のものではなく、私たちのうちに根深く宿るものと言えるでしょう。
 じつに私たち凡夫は、いつも善し悪しで物事をはかります。生産性があるとか無いとか、何かが出来るとか出来ないとか、間に合うとか間に合わんとか、都合の良いものを善しとし、都合の悪いものは排除の対象とさえし、時に他者を切り刻み、時には自己軽蔑の思いで、自身をも切り刻む、人間の生きる意味をそんなところに求める、じつに私たち凡夫の都合の物差しこそが問われている、とは言えないでしょうか。 
 宗祖親鸞聖人は自然法爾釈のご和讃に

  よしあしの文字をもしらぬひとはみな
   まことのこころなりけるを
   善悪の字しりがほは 
   おおそらごとのかたちなり
 
  是非しらず邪正もわかぬ
 このみなり
   小慈小悲もなけれども
 名利に人師をこのむなり

どんなときのどんなあなたも、今いるあなたは、この世にたったひとりのかけがえのない存在です。

十一月の行事
1 日(木)午前10時半〜 ピラティス
3 日(祝)午後1時〜 おみがき清掃ご奉仕
6 日(火)午後1時半〜5時 囲碁教室
9 日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会
  報 恩 講
12日(月)午後2時〜 大逮夜            
      夕方6時〜 御伝鈔拝読
13日(火)午後2時〜 結願日中         
   ご法話 泉大津 南溟寺 戸次公正師
    (お抹茶・お斎のご接待有ります。)
15日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会
29日(木)午前10時半〜 ピラティス
十二月の行事
2 日(日)日帰りバスツアー
美山「かや葺きの里」「常照皇寺」を訪ねます。
6 日(木)午前10時半〜 ピラティス
7 日 (金)午後2時〜 仏教コーラスの会
8 日(土)午後4時〜 祥月講・同朋の会聞法会
          ご法話 円明寺 島 章師
16日(日)午後2時〜 おみがき清掃ご奉仕
                年末懇親会
20日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会   
31日(月)夜11時半〜 歳暮勤行・除夜の鐘
*本堂内全てイス席、床暖房完備、どなた様もお気軽に
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2018年09月26日

法 悦 10月号 817号

行く川のながれは

絶えずして

しかももとの水にあらず

よどみに浮ぶうたかたは

かつ消えかつ結びて

久しくとゞまることなし

世の中にある人とすみかと

またかくの如し
(中略)
すなはち人皆あぢきなきことを述べて

いさゝか心のにごりもうすらぐと見えしほどに

月日かさなり年越えしかば

後は言の葉にかけて

いひ出づる人だになし
             「方丈記」  鴨長明
青色青光
 
のど元過ぎれば…


 大阪北部地震に豪雨被害、殺人的な猛暑、さらには台風21号、北海道地震と息つく暇もなく大きな天災が日本を襲い、まさに災害列島に住まいしている現実を、改めて思い知らされた夏でした。
こういう時にあって、思い起こされるのは、平安時代末期に著された鴨長明の方丈記です。
 上の冒頭の文は、平家物語などと共に世の無常を表したものとして、つとに有名ですが、その方丈記には、当時、京の都を襲った、安元三年の大火、治承四年の辻風、養和の大飢饉、元歴の大地震など、さまざまな危難災害の記述があり、別名「災害文学」とも称せられています。
わけても飢饉の折の「その思ひまさりて、心ざし深きはかならずさきだちて死しぬ。そのゆゑは、我が身をば次になして、男にもあれ女にもあれ、いたはしく思ふかたに、たまたま乞ひ得たる物を、まづゆづるによりてなり。されば父子あるものはさだまれる事にて、親ぞさきだちて死にける。」との記述には、惨たるこの世の極苦と、衆生の末通らぬ慈悲の持つ悲しみが著され、胸を打ちます。
 しかしこの方丈記に於いて、注目すべきはむしろ上記の後半の部分ではないでしょうか?
 苦々しくどうにもならないという諦めが、月日を重ねるうちに、人の口にも上らなくしてしまう。
 私たちは見たくないものは見ない、見ない物は無いことにして、忘却の彼方に追いやってしまいます。
実に、大切なことほど心に刻み続けるべきなのに…

住職日々随想

 災害続きのこの頃。よくご門徒の方々とも相次ぐ災害の報道に、異常気象の影響か、本当にお気の毒なことですね、などと言い合いながらも、「せやけど大阪は結構なところですなぁ。きっとお天道様も、大阪のおばちゃんが怖いから、避けてはるんんでっせ」などと軽口を叩いておりましたが、先日の北部地震や台風に、改めて自身の愚かさを知らされたことでした。
 中国の三大詩人のうち、唐の時代の白居易(白楽天)に、興味深い逸話が伝わっています。
 何らかの事情で中央政界から杭州に左遷させられた白居易が、彼の地の著名な道林禅師を訪ねたおり、禅師が松の木の枝の上に座禅をしている姿に驚き、
「和尚、なにゆえそのような危うきところで坐禅をしておられるのですか?」
「ワシには、あなたのほうが危険に見えるが」
「私はこの度新しく杭州の長官として赴任してきた白居易です。この辺りはすべて私が治めています。何の危険があるというのでしょうか」
「薪を燃やすかのように、煩悩の炎が燃えあがっておる。そのことに気づかずにいて、どうして危険がないなどということが言えようか」
 なるほどと思った白居易が「それでは仏教とは何か一言で教えて下さい。」と問うと、
有名な法句経の七仏通戒の偈、つまり
「諸悪莫作(諸々の悪をなしてはならない) 衆善奉行(衆に善き行いをしなさい) 自淨其意(自らの心を清らかに保ちなさい) 是諸仏教(これ諸仏のみ教えである)」をもって答えました。
それを聞いた白居易があきれて、「そんなことならば幼児でも分かる」と難詰すると、
「三歳の童これを解する事あれども、八〇の翁これ行うこと難し。」と、
この答えに感服した白居易は、その後、道林禅師と長き交誼を結んだと伝わっています。
 このエピソードからも明らかなように、仏教は行為主義に立つ教えで、釈尊のお言葉に「人は生まれ育ちによって、卑しい尊いが決まるのではない。人はその行いによってのみ、卑しい尊いが決まるのだ。」とあることからも明らかです。
 しかし仏教がいかに優れた教えであろうとも、それを正しく行う人がいなければ、単なる知識となり、歩む人を生み出す「仏道」とはなりえないのです。
 親鸞聖人はその深い智眼によって、私たち凡夫は、自力によっては真の仏道を成ずる事は、はなはだ難しく、ただ如来の本願力に信順する事によってのみ、道は開かれてくるのだと教えて下さっているのです。
 無慚無愧のこの身にて 
  まことのこころはなけれども
  弥陀の回向の御名なれば
  功徳は十方にみちたまう

 小慈小悲もなき身にて
  有情利益はおもうまじ
  如来の願船いまさずは
  苦海をいかでかわたるべき(愚禿悲嘆述懐和讃)

十月の行事

2 日(火)午後1時半〜5時  囲碁教室(新設)
10日(水)午前10時半〜 ピラティス
18日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会
20日(土)午後4時〜 祥月講・同朋の会聞法会
  ご講師 円龍寺住職 門井 斉師
25日(木)午前10時半〜 ピラティス
28日(日)午前中   難波別院報恩講団体参拝
30日(火)午後2時〜 門徒女性聞法のつどい

十一月の行事

3 日(祝)午後1時〜 おみがき清掃ご奉仕
6 日(火)午後1時半〜5時 囲碁教室
9 日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会

報 恩 講

12日(月) 午後2時〜 大逮夜            
       夕方6時〜 御伝鈔拝読
13日(火) 午後2時〜 結願日中     
      ご法話 泉大津 南溟寺 戸次公正師
       (お抹茶・お斎のご接待有ります。)

15日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会
22日(木)午前10時半〜 ピラティス
*本堂内全てイス席、冷房完備、どなた様もお気軽に
*12月2日(日) お楽しみ日帰りバスツアー
今年は美山「かや葺きの里」「常照皇寺」を訪ねます。奮ってご参加下さい。詳細は後日お知らせします。
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