2019年05月01日

法悦 2019年5月

      法 悦 5月号 824号




  ただなれど


  ただになるまで


  ただならず


  ただになりえて


  ほんにただただ
                    





青色青光


 宗祖親鸞聖人は、法然上人からいただかれた「ただ念仏して、弥陀に助けられまいらすべし。」のお言葉を、終生大切に憶念し続けられました。
 俺が我れがという、自力の執着の捨て難さに絶望し、その絶望の底を打って、まなこの開かれたところに、初めてうなづかされた真実が、まさに「ただ念仏して」と念じ続けてくださる、阿弥陀仏の広大無辺なご本願の世界でした。
 それこそが釈尊をして、目覚めたひと「ブッダ」たらしめた願いであるとともに、その願いに順じて歩むところに、一切衆生のよって立つべき「仏道」があると明らかにされたのが、七高僧をはじめとする浄土の祖師方です。
 そして祖師方の伝統を「ただ念仏して」と確かめられたのが法然上人であり、さらにその念仏を、仏恩を憶念し続ける「報謝の念仏」といただかれた方が宗祖親鸞聖人なのです。
 仏説阿弥陀経に「難中の難これに過ぎたるなし」この「ただ念仏」が、いかに難いか、そして、ただ念仏となりえたときに開かれる世界のなんと広大無辺なことか、ただただ仏恩報謝しかありません。


住職日々随想

 「末代無智の、在家止住の男女たらんともがらは…」これは蓮如上人の書かれたお手紙、御文の五帖一通目、冒頭のお言葉です。
 先日、あるお宅の月命日で、最後にこの御文を拝読させていただきました。
 すると、そのお宅のご主人が「この御文は、在家の我々門徒を見下して、書かれているんやないですか?」と、ややきつい口調で尋ねられました。
 なるほど、そういう風に聞こえることもあるのか、これはきちんとお伝えしなければと、以下のようなお話をさせていただきました。
 末代とは、お釈迦様がお隠れになって、最初の五〇〇年間は、み教えを守り行じてお悟りを得るものがある正法の時代。そして、行ずるものはあるが悟りに至るもののない像法の時代が一〇〇〇年、そして、そのあとに来るのが、行ずる人もお悟りに至る人もいなくなるという末法の時代、いわゆる末代です。
 浄土真宗は生活者の仏教、教えをお伝えする立場を僧侶、一般を在家と名付けただけで、ともに御同朋御同行、分け隔てはないのです。
 そして、無智ということは、知識が乏しいということではなく、まさに智慧が浅いということをおっしゃっているのです。
 我々現代人は、昔の人と比べれば、いっぱしの知識人であるかのように思っていますが、およそ知識は「身についたもの」認知症にでもなれば、なくなってしまうこともあります。
 それに対して智慧は「身に備わるもの」日々の生活の中ではぐくまれ、やがてはその方の人となりとまで成っていくもので、どのような日常を送っておられるかで決まってくるものでしょう。
 お釈迦様は、厳しいカースト差別のある古代インドで、「ひとは生まれや育ちによって、卑しい尊いが決まるのではない。人はその行いによって卑しい尊いが決まるのだ。」と、いのちの平等を説き、各々わが身の行いに、どう対峙していくのかを明らかにされたのです。
 蓮如上人の御一代記聞書には、ある人が「私の心はかごに水を入れるようなものです。ご法座の席ではありがたく尊く思うのですが、やがてはいつもの迷い心に返ってしまいます。」と言うと、蓮如上人は「そのかごを水につけよ」と、わが身を仏法の水につけておきなさいと、諭しておられます。
 まさに念仏と聞法の生活のなかで、自然に身に備わる信心の智慧が徳となって、真に心豊かな仏恩報謝の歩みを送ることができるのです。



五月の行事

7 日(火)午後2時〜  囲碁教室

10日(金)午後2時〜 門徒女性聞法の集い

11日(土)午前9時〜12時 大阪校区同朋大会
                   ご講師 真城 義麿師
16日(木)午後2時〜  仏教民謡踊りの会

18日(土)午後4時〜 祥月講・同朋の会聞法会
          ご法話 円明寺 島 章師23日(木)午前10時半〜ピラティス

28日(火)午後2時〜 仏教コーラスの会

30日(木)午前10時半〜ピラティス

六月の行事

4 日(火)午後2時〜  囲碁教室

11日(火)午後2時〜 門徒女性聞法の集い

15日(土)午後4時〜 祥月講・同朋の会聞法会
          ご法話 光照寺 墨林 浩師
20日(木)午前10時半〜ピラティス

21日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会

27日(火)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

29日(土)午後2時〜 第五組「同朋の集い」
       於、難波別院 
    ご講師 京都教区 法傳寺 長田 浩昭師*「女性の集い」16日か23日の日曜日に、開催 予定です。詳細は決まり次第お伝えいたします。
*現在、本堂大屋根ご修復中ですので、門徒会館(仮御 堂)にお越しください。すべてイス席です。

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2019年03月30日

2019年 4月号 法悦 823号

   

 花を奉る        石牟礼道子

春風萌(きざ)すといえども  
われら人類の劫塵(ごうじん)
いまや累(かさ)なりて 三界いわん方なく昏(くら)し
まなこを沈めてわずかに日々を忍ぶに
なにに誘(いざな)わるるにや
虚空はるかに 一連の花 
まさに咲(ひら)かんとするを聴く
ひとひらの花弁 彼方に身じろぐを
まぼろしの如く視(み)れば
常(とこ)世(よ)なる仄(ほの)明りを 花その懐に抱けり
常世の仄明りとは
あかつきの蓮沼にゆるる蕾(つぼみ)のごとくして
世々の悲願をあらわせり
かの一輪を拝受して
寄る辺なき今日(こんにち)の魂に奉らんとす
花や何
ひとそれぞれの涙のしずくに洗われて 
咲きいずるなり
花やまた何
亡き人を偲ぶよすがを探さんとするに
声に出(いだ)せぬ胸底の想いあり
そをとりて花となし み灯りにせんとや願う
灯らんとして 消ゆる言の葉といえども
いずれ冥土の風の中にて
おのおのひとりゆくときの
花あかりなるを
この世のえにしといい 無縁ともいう
その境界にありて ただ夢のごとくなるも  花
かえりみれば まなうらにあるものたちの御形(おんかたち)
かりそめの姿なれども おろそかならず
ゆえにわれら この空しきを礼拝す
然(しか)して空しとは云わず
現世はいよいよ地獄とやいわん
虚無とやいわん
ただ滅亡の世せまるを待つのみか
ここにおいて われらなお
地上にひらく一輪の花の力を念じて 
合掌す

               二〇一一年四月
              大震災の翌月に

                       
住職日々随想
 第二次世界大戦の敗戦国はドイツ、ハンガリー、ルーマニア、フィンランドなど、(あまり知られていませんが、イタリアは大戦終結の一カ月前に日本に戦線布告をし、戦勝国に連なっています。)数多くの国や地域がありますが、ほとんどの国が戦後処理を済ませ、相対した国々とも和解をしています。
 ところが我が国では、周辺国に対する国家間の賠償こそなされてはいますが、未だ民事上の戦後処理が十分ではなく、周辺国とのギクシャクとした関係が続いていますし、何より日米地位協定に見られる、まさに米軍占領下にあるかのような、不平等な関係からも脱却できずにいます。
 よく例として取り上げられるのが、ドイツと日本の違いです。
 ドイツは日本と同じ敗戦国でありながら、周辺地域との和解を進め、現在では欧州における指導的な地位まで獲得しています。
 一方の日本は周辺国との間で、虐殺の犠牲者の数などを巡って、未だに論争を繰り返していますが、ドイツでは、資料が焼かれはっきりしない犠牲者の数ではなく、ナチスがホロコーストで大勢の方々を虐殺した、という事実をこそ、事の本質と受け止め、ユダヤ人社会と和解することを優先してきました。
 加えて戦争で被害を与えた国々と「教科書会議」を設立し、長年、ナチス時代に関する記述について、双方の国民が納得できる内容を確認する作業を、長年続けてきました。
そういったたゆまぬ努力によって、米国との地位協定も改善され、駐留米軍もドイツ国内法を遵守する義務があるという、独立国としての当たり前の姿を取り戻しています。
 ところが我が国ではどうでしょう。戦後七〇年を過ぎても米国との地位協定は改善の兆しすらなく、まるで属国のような状態から脱してはいません。
 犯してしまった過ちを過ちとして認める勇気を持てず、見たくないものは見ない、見ないものはないことにしてしまう。そういう意識の積み重ねによって、歴史的事実までもがねじ曲げられ、被害を与えた国々からの本当の信頼は得られてはいません。
 戦後民主主義が米国によってもたらされたもので、日本人自らが思考し勝ち取ったものではないからなのか、理由は様々考えられますが、はっきり言えることは真の自立無くして、本当に和解することも連帯することも出来ないということです。
 四月八日は花祭り。お釈迦様はお生まれになってすぐに七歩歩かれ、天地を指さして「天上天下唯我独尊、我れ世において無上尊となるべし」と獅子吼されました。天地は喜びに満ちあふれ、妙なる音楽が流れ、花びらが舞い、甘露の雨が降ったと伝承されています。
 お釈迦様は私がこの世で一番偉いのだ、などと仰ったのではなく、「今ここに誕生したこの私の命というものは、何者とも比べる必要のない尊いものであり、それは誰にとっても変わらない普遍の真理である」と、差別と暴力が、当たり前のように
渦巻くこの世界に、求めるべき世界を示さ
れたと言えないでしょうか。
まさに命の独立宣言であり、真実の連帯を
開く真理と、尊まねばなりません。


四月の行事

9 日(火)午後2時〜 囲碁教室

12日(金)午後2時〜 門徒女性聞法の集い

18日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会
                          
20日(土)午前九時半〜 桜祭り参加

20日(土)午後4時〜 祥月講・同朋の会聞法会
       ご法話 武庫川念仏寺 土井紀明師

23日(火)午後2時〜 仏教コーラスの会

25日(木)午前10時半〜 ピラティス 

五月の行事

2 日(木)午前10時半〜ピラティス

7 日(火)午後2時〜 囲碁教室

10日(金)午後2時〜 門徒女性聞法の集い

11日(土)午前9時〜12時 大阪校区同朋大会
                   ご講師 真城 義麿師

16日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

18日(土)午後4時〜 祥月講・同朋の会聞法会
          ご法話 円明寺 島 章師  
23日(木)午前10時半〜ピラティス

*本堂大屋根瓦葺き替えのため、門徒会館1階が仮御堂となっております。 

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2019年03月02日

2019年3月

      法 悦 3月号 822号



  みほとけのまなざし




 誰れもがチョボチョボ



 誰れもが平凡



 でも



 誰れもがスペシャル



 大事なひとり子




青色青光    信心かぞえ唄


一つには一切皆苦のこの世まで、神や仏に願掛けて、意のまま気ままに過ごしたい、そんな我が身を知らなんだ、知らなんだ知らなんだ

 二つには、お札やお守りぶら下げて勝手な願い叶えてと、長生き祈るその間にも、死にゆく命と知らなんだ、知らなんだ知らなんだ

 三つには、皆さん病気は治るよと、他人には言うて勧むれど、我が身の風邪さえ治らんと、ほんに今まで知らなんだ、知らなんだ知らなんだ

 四つには、欲の心もみな消えて、静まり返った心こそ、それがほんとのお悟りとは、ほんに今まで知らなんだ、知らなんだ知らなんだ

 五つには、いつも一人じゃなかったと、「お陰様よ」と手の合うた、拝むその身のそのままが、真の仏と知らなんだ、知らなんだ知らなんだ

 知らぬ昔は、いざ知らねども知らせてもろうた今日からは、これではならん!これではならんの思いより手の合うた、拝む姿のそのままが、真の仏と知らなんだ、
知らなんだ知らなんだ


住職日々随想

 千葉県野田市の小学4年、栗原心愛(みあ)さん(10)が、父親による虐待暴行で亡くなるという、痛ましい事件が発生、関わった両親が逮捕されました。
 児童相談所どうしの連携や、教育委員会の対応の問題など、様々な要因が重なり、結果、、小さな命を守ることが出来ませんでした。
 しかし見落としてならないのは、我が子を守るべき親が、暴力をエスカレートさせてしまうその心の弱さ、自身を守る為なら我が子さえ見捨ててしまう弱さにこそ、本当の問題の根があるように思われます。
 自らの弱さを認め、きちんと向き合う事においてしか、問題根絶の方途はないと言えるでしょう。
 私たちの住むこの社会には、ひとは強くあらねばならない。賢くあらねばならない。善き人たらねばならない、という観念が抜き難く有ります。
 しかし、現実問題として、解ってはいても、弱音や愚痴はこぼれます。過ちを繰り返してはならないと思いながらも、つい同じ過ちを犯す事もあります。人に後ろ指されないようにと思ってはいても、罪を犯してしまう事すらあります。まさに凡夫。
 本当に必要なのは、そういう凡夫の弱さをそのままさらけ出すことができ、受け止めてもらえる、そんな社会ではないでしょうか。
 その事を深く考えさせられるお話しが伝わっています。
  福岡博多の聖福寺は、日本最初の禅寺と伝えられています。
 このお寺の住職に仙豪`凡(1750〜1837)という方がおられました。
西の一休とも称され、仙高ウん仙高ウんと地元では親しまれ、その学徳人格においても、広く愛されていました。
 この仙高ウん、美濃国(岐阜県)の貧しい農家の五男坊として生まれ、十一歳で口減らしの為、地元の清泰寺に入寺し、師より義凡の名を与えられました。
 以後、厳しい修行と数年の雲水生活を経て、四十歳の時に月船門下の兄弟子、太室玄昭の推挙により聖福寺に、第百二十三世住職に就任しました。
 住職となって後も自身の厳しい修行も怠らず、後進の育成にも尽力されました。
 仙高ウんは禅画にも独自の境地を開き、ほのぼのとした中にも、禅の心を巧みに表した絵を多く描きました。
 その仙高ウん、いよいよ臨終という死の床にあって、参集した弟子に「和尚様、最期に遺偈(ゆいげ)を賜りとう存じます」と乞われ「死にとうない、死にとうない」と、蚊の泣くような声で言ったところ、 その言葉に驚き慌てた弟子が、「今一言、今一言!」と重ねて乞うと、
 「ほんまに、ほんまに」
と、言い遺して亡くなられたと伝えられています。
 多くの人は、高徳の禅僧にあるまじき臨終と揶揄しますが…、そうでしょうか?
 私見ですが、み仏は弱音を吐こうが、愚痴をこぼそうが、それこそ罵倒しようが、必ず受け止め迎えて下さる、という深い信頼が、仙高ウんにあったればこそ、と頂くべきではないでしょうか。
 まさに、阿弥陀仏のお救いは、そのままなりの私をこそ救う大慈大悲、と受け止める真宗の救済と、禅のお悟りと違わぬものと伺われるのです。


三月の行事

5 日(火)午後1時半〜  囲碁教室

7  日(木)午前10時半〜 ピラティス

8 日(金)午後2時〜   仏教コーラスの会

10日(日)午後1時〜   おみがき清掃ご奉仕

14日(木)午後2時〜   仏教民謡踊りの会

16日(土)午後2時・6時 春季彼岸永代経法要
        ご法話 伊勢道淨寺 酒井正夫師

28日(木)〜29日(金) 
    中部ブロック門徒聞法のつどい一泊研修会
                                福井・松任方面


四月の行事

4 日(木)午前10時半〜ピラティス

5 日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会

9 日(火)午後2時〜 囲碁教室

18日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会
                          
20日(土)午後4時〜 祥月講・同朋の会聞法会

23日(火)午後2時〜 仏教コーラスの会

25日(木)午前10時半〜 ピラティス 


*四月の門徒女性聞法の集いは未定です。

*本堂内全てイス席、床暖房完備、どなた様もお気軽に

posted by ansenji at 18:26| Comment(0) | 法悦