2025年01月28日

2025年 1月

 法 悦2月号 893号




敵は誰ですか?

今日の私です

味方は誰ですか?

明日の自分です

明日の自分に

納得してもらうために

今日の自分と

闘うんだ

作詞家 コラムニスト ジェーン・スー

青色青光
 イチロー選手が日米で野球殿堂入りを果たしました。
世界中で政治的混乱が生まれ、先行きの見えない時代状況の中、多くの人を
勇気づける快挙と言えましょう。
 特に米国での受賞に際しては、全米野球記者協会に10年以上在籍する
記者の方々の投票によって決まるのですが、大方の予想を裏切って、満票に
1票足りないという形での選出となりました。
 記者会見に臨んだイチローさんは「1票足りなかったのはすごくよかった。
努力とは違うので補いようがないものだが、不完全な中で、自分なりの完璧を
追い求めて進んでいくのが人生だと思う。不完全であるというのは、生きて
いく上でいいなあと改めて考えさせられた。」と、不完全だからこそ進もう
と思える、という持論を展開されました。
 それは「小さいことを重ねることが、とんでもないところに行くただひとつ
の道だ。」という彼の哲学ともつながるものと、改めてうなずかされました。
 大谷派児童教化研究会の綱領にも
「いつまでも純粋なれ・いつまでも持続せよ・いつまでも未熟なれ」
があります。
 本来、結果は求めるべきものではありません。いつまでも未熟な者として
人生に課題を賜り続ける、それは命尽きるその時まで、わたしを歩ましめる
「道」となって開かれていくもの、まさに往生の道なのです。

住職日々随想
 2024年は世界的な選挙イヤーとなり、世界中で多くの既存与党が選挙で
大きく敗北、特に欧州諸国に於いては、移民排斥を求める政党が支持を拡大する
など、右傾化の傾向がより顕著になってきました。
 我が国に於いても、与党自民党が大敗し、少数与党となって、今後の政権
運営も、これまでのような独断専行が許されなくなってきました。
その事の良否は今後の議論の動向に掛かっていると言えましょう。
 また米国では、アメリカ第一主義を掲げるトランプ氏が大統領に返り咲き、
結果、国際協力の枠組みがゆらぎ、予測しがたい緊張があらゆる所で生まれて
います。
 いつの世も混乱、困難のない時代はなかったのかもしれません。
しかしSNSなどの急速な普及により、誰もが発信者、受信者となれるように
なり、扇情的でより過激な言動や根拠不明な情報などによって、日々生み
出される世論(せろん)(ポピュラー・センチメント=世間の空気)が、
熟議のフィルターを通した輿(よ)論(ろん)(パブリック・オピニオン=公的
な意見)を圧倒してしまう、そのような例が数多く見受けられました。
 矢継ぎ早に発信される偽情報、それを検証するにはあまりに時間が掛かり、
結局は偽情報が拡散されてしまうという構図が多く見られます。
 更にそこには当事者意識が欠けているが故に、より先鋭化してしまいがちな
傾向もあるように思われます。
 ある意味、異なる意見同士であっても熟議を重ねて落とし所を模索し続ける、
そういう胆力が必要な「民主主義」、哲学者ボルテールの言葉として知られて
いる「私はあなたの意見には反対だ、が、それを主張する権利は命がけで守る」
に代表されるような、基本的な姿勢が失われかけているのかも知れません。   
 親鸞聖人は教行信証の後序に「ただ仏恩(ぶつとん)の深きことを念じて、
人倫の嘲(あざけり)を恥じず。もしこの書を見聞(けんもん)せん者、
信(しん)順(じゆん)を因として疑謗(ぎほう)を縁として、信楽(しんぎよう)
を願(がん)力(りき)に彰(あらわ)し、妙果(みようか)を安養(あんによう)に
顕(あらわ)さんと。」と、信じようとすればするほど「疑い」の心が出てくる、
人間存在における「信」ずるという心の深いところには、抜きがたく「疑」が
ひそんでいます。その「疑い、そしる」こころをも、仏道の縁にしてほしいと
聖人は願われるのです。
 人類の営みのひとつの到達点とみられていた民主主義ですが、その本当の
完成は「選ばず嫌わず見すてない」という、如来の願心に立つ仏道に帰する
ところに於いてこそある、とは言えないでしょうか? 

真宗入門 「占い」
 私達の身の回りには、テレビ番組をはじめ、さまざまな雑誌など、ふと目に
つくだけでもたくさんの占いがあります。
 星座占いやラッキーカラーなどなど、それらの情報に一喜一憂する事も多い
のではないでしょうか。
 私たちはそうやって知らず知らずのうちに、占いの結果に生き方が左右され
ているのかもしれません。
 誰しも自己中心に、都合が良いように生きたいという思いがあります。
占いの情報は、自己中心の心を表面的には満たしているようでいて、実は
かえって本当に大切なことを見えなくさせてしまっているのです。
 仏教は自分の作り出す「善い・悪い」という価値観を越えていく教えです。
自分の都合を中心とする心と、その心が作り出す愚かな自分の姿に気づく事が
大切なのです。
 それは、善い事や悪い事などの出来事を、自分の人生を問い直す大切な
ご縁にしていくということです。
 お念仏を申し、仏様の教えにうなずいて生きる者には、占いなどに縛られる
必要のない、自分の人生を主体的に歩みつくせる道が開かれるのです。

法語の味わい ー法語カレンダー2月号よりー
 これが最後の会話になるかも
 優しい言葉を届けたい 


 お寺には、実に様々な方が参詣にお越し下さいます。
 先日も「父は猪飼野の出身ですが、長らく京阪沿線で暮らしていました。
仕事が定年を迎えたので、関西の家は片付け、母の実家の四国で余生を送ります。
父は毎年お盆には欠かさずお参りに来ましたが、もう伺えません」と、ご両親
からご先祖の供養を引き継いだという、息子さんご家族がご挨拶に来られました。
「今日、一緒に来た娘は今月嫁に行くんです。」とお話し下さいました。
一期一会の出遇いがたくさんございます。
ご本山から頂いた結婚念珠をお渡し致しました。爽やかなご家族でした。
 また今月は、同朋の会役員の貝増さんの奥様のご実家のお母様を本堂で
お見送りさせて頂きました。
 この5年間に6人のひ孫さんが安泉寺に初参りされ、いつもご一緒されて
いました。
お手次寺のご住職と共に、安泉寺からお見送りさせて頂き、有り難い
ことでした。
 車椅子に乗って境内から阿弥陀様に手を合わされるお姿が、今も目に
浮かびます。  南無阿弥陀仏

坊守便りー 子どもみまもり隊 ー
 大阪市では、子ども達の安全を確保するため、一定の時間、子どもの生活
ゾーンにとどまるなどして、周辺の子供を見守る活動をしています。
決まった形式は無いため、学校区によりかたちは様々です。
 鶴橋小学校では、朝の通学時、町会ごとの集合地点から小学校まで送って
います。
 私も昨年4月から、みまもり隊のお仲間に入らせていただきました。
 かわいらしい新1年生が3人おり、ランドセルがとても大きく見えました。
 高学年のお姉ちゃんに手を引かれて集合し、列をつくって学校に向かいます。
私は蛍光色のジャンパ-を着用して帽子を被り旗をさげて付き添います。
 子ども達も少しずつなれてきたので、この冬休みには本堂に遊びに
来てもらいました。
プロジェクターでアニメ「窓際のトットちゃん」を上映し、子ども達の
お母さんが、たこ焼きを作って下さいました。
 お寺の本堂に入った事がなかった子ども達も元気に走り回り、冬の楽しい
思い出にしてくれました。


二月の行事

6 日(木) 午前10時半〜 ピラティス

15日(土) 午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
     ♪ オリジナルソングとご法話の集い 八分音符
               ご講師 鈴木君代師

20日(木) 午前10時半〜 ピラティス

三月の行事
 
13日(木) 午前10時半〜 ピラティス

15日(土) 午後2時〜 春季彼岸会・永代経法要
   ご法話  伊勢 道浄寺 酒井正夫師

27日(木) 午前10時半〜 ピラティス
























































































































































































































































posted by ansenji at 16:23| Comment(0) | 法悦

2025年01月10日

2025年1月

 法 悦1月号 892号



あなたが自己を認識したければ

世界のうち

あらゆるものに

目を向けなさい

あなたが世界を認識したければ

あなたのうち

自身の深みに

目を向けなさい

  ルドルフ・シュタイナー

青色青光
 ルドルフ・シュタイナー(1861-1925)は、ドイツ、オーストリアで活躍した
思想家、哲学者、教育者です。知識偏重教育に対する疑問から、子ども達の
感情や意志に働きかける「総合芸術としての教育」を構想し、教育現場でその
理念を実践しました。
 そういった取り組みに賛同する、いわゆるシュタイナー学校が、現在
60数カ国に約1,000校が開校され、世界規模の運動となりました。
 日本でも不登校児が急速に増加するなか、シュタイナー学校の理念を
取り入れたフリースクールが、学校法人として認可され始め、多くの注目を
集めています。
 そういった理念とも相通じるものが、黒柳徹子さんの「窓ぎわのトット
ちゃん」の舞台となったトモエ学園で、音楽教師だった小林宗作氏が欧州で、
リトミックを学び、ワルドルフ学校(シュタイナー学校)をはじめ、
さまざまな新しい教育を実践している学校を訪ね、子ども達の自由な表現や、
自発的な意志が育まれていく教育に大きな感銘を受け、帰国後、問題児と
見られていた子ども達の為に新たに設立したものでした。
 仏教に於ける救いの根本は自己受容というところにありますが、
トモエ学園のどこまでも子ども達自身の持つ伸びる力を信じるあり方は、
「我が名称えよ、そのまま迎えん」という阿弥陀様の呼びかけを聞きひらく、
お念仏のみ教えにも通底していると言えましょう。

住職日々随想
 今回の第216国会に於いて石破首相が所信表明演説の中で紹介して
おられた石橋湛山は、「一切を棄(す)つるの覚悟」(東洋経済新報・大正
10年社説)で朝鮮、台湾、満州などの植民地、権益の放棄を主張し、
「大日本主義の幻想」(同)で軍事力による膨張主義を批判し、平和な
貿易立国を目指す「小日本主義」を提唱しました。
 そして「いかなる民族といえども、他民族の属国たるを愉快とする
ごとき事実は古来ほとんどない」と、植民地の人々の心情に対する、
日本人の想像力の欠如を指摘し批判しました。
 事実、第二次世界大戦以後、世界中の植民地で独立の気運が高まり、
多くの国や地域が、宗主国からの独立を果たしました。
 殊に「パクス・ブリタニカ」と称され、19世紀から20世紀初頭
まで、世界に覇を唱えた大英帝国も、植民地経営の力を失い、
いくつかの小さな島国を除き、イギリス連邦と言われる緩やかな
連合体を残して、今に到っています。
 昨今、日本の経済的地位の低下に対する反動からか、「日本は
すごい国なんだ」と主張する言説が、特にネット空間などで多く
見られるようになってきましたが、それは湛山の言う「大日本主義
の幻想」を捨てきれずにいるから、と言えないでしょうか?
 遣隋使、小野妹子を中国に派遣した聖徳太子の伝記「聖徳太子伝暦」
には、「敬礼救世観音、伝灯東方粟散王」と記されています。
 その中にある「粟散辺土(ぞくさんへんど)」とは日本の異名、
粟の様に散在する小国土の意味で、歴史学者の伊藤聡氏は、太子伝
以降、粟散辺土を日本の別称とするという理解が広まったと述べて
おられます。
 親鸞聖人もこの伝記を受けて「尊号真像銘文」に、新羅国より
日羅という聖人がやってきて、聖徳太子を礼して「敬礼救世観音
大菩薩」と、聖徳太子は仏法のともしびを、この和国にお伝え
くださる救世観音に違いないと述べ、「粟散王ともうすは、
このくにはきわめて小国なりという。粟散というは、あわつぶを
ちらせるがごとく、ちいさきくにの王と聖徳太子のならせたまい
たるともうしけるなり。」と記しておられます。
 大陸から見れば辺境の小さい国、ではあるけれども、日出ずる国、
しかも和をもって貴しと成す、言わば平和を希求する「和国」
としての誇りを持つ国という。 湛山の言を俟つまでもなく、
我々も和国の精神に立ち帰るべき時代に来ているのではないでしょうか。

真宗入門「日取りの迷信」

 日の良し悪しはあるのでしょうか?
「六曜」(先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口)これは中国の時刻・
日の吉凶占いが、室町時代に日本に伝わったもので、それが日本
独自の形になり、江戸時代から一般的に使われるようになった
と言われています。
 友引は「共引」と書き「共に引き合い勝負なし」、仏滅は「物滅」と
書き「物がなくなる」と、勝負事の占いなどに使われていました。
 友引は「友を引く、友を道連れにする」とも言われ、葬儀を
行わないようにし、仏滅は「仏も滅する、最も凶の日」と祝い事は
避けられ、逆に大安は「大いに安し、万事に良い日」と婚礼などが
多く行われていますが、仏教の教えとは関係のない「迷信」です。
 どうして、迷信に惑わされるのでしょうか?私達が何かを
決めなければならないとき、占いや「他人がいうから」と世間の
考えで決定しようとします。
 それは自分にとって都合の悪い事が起ったとき、世間のせいに
押しつける自己中心的な心の表れなのです。
私達の人生は都合の悪い事の方が多いかもしれません。
 迷信とは、私達の都合を根とした自己中心的な心であり、人間
として本当に大切な事、後生の一大事を忘れている姿なのです。
 真宗のみ教えは、あらゆる迷信に惑わされることなく、
どんな苦悩も引き受けて生きていくことが出来る道があることを、
私達に教えて下さっています。
どんな日も、私達に取ってはかけがえのない一日なのです。

法語の味わい
ー法語カレンダー1月号よりー
 今年もあえた元旦会
 阿弥陀様にご挨拶 

 当寺では、年末31日は除夜の鐘を撞くためにお参り下さった
皆様と、年の瀬勤行をお勤めし、共にその一年を振り返ります。
 そして、勤行の終わった方から鐘楼に上がって頂き過ぎゆく
一年、迎える一年と高らかに鐘を撞いていかれます。
数分の間に新年となり、また本堂に入って阿弥陀様にご挨拶
されます。
 真夜中なのですが、この日ばかりは新年となり、すがすがしい
気分で、阿弥陀様にご挨拶いたします。
 コロナ禍では飛沫を避け、お茶のもてなしは失礼していました
が、ようやく本堂に皆様をお迎えできます。
阿弥陀様にご挨拶ください。
阿弥陀様も暖かいまなざしでお待ち下さっておられます。
                     南無阿弥陀仏

坊守便り
ー 阪神淡路大震災30年 ー

 今年の秋から冬にかけて、何度か研修に参加致しました。
 阪神淡路大震災発生から、三十年の節目となる年ということ
もあり、三度、神戸に伺う機会を得ました。
 坊守会の研修では、寺院での学習と共に、阪神淡路大震災の
足跡も辿らせて頂く事となり、常時無料開放された屋外見学施設
である「神戸港震災メリアルメモリアルパーク」を訪ねました。
 被災したメリケン波止場、崩れた岸壁、傾いた街灯など、
当時そのままの姿で保存されていました。
 また安泉寺の日帰りバスツアーでは、防災・減災の世界的
拠点となることを目的とされている施設である
「人と防災未来センター」にまいりました。
 震災発生の瞬間を再現した迫力のある映像上映や、被災者から
提供された数多くの資料展示もあり、衝撃を感じつつ学ばせて
頂きました。
 また生野区仏教会研修では、東遊園地に伺いました。
1・17震災のつどいが行われている所ですが、ここに慰霊と
復興のモニュメントがあり、犠牲者の慰霊と市民の励ましの場
となっています。
 また五月には能登地震の被災地に伺いました。
復興への道のりは長く、生活の復旧はまだまだです。
 阪神淡路大震災から30年、伝え続けて下さるボランティアの
方々のお話を伺い、震災の遺構を巡り、災害復興への連帯の
メッセージを頂いてまいりました。
 この安泉寺の在る生野の地からもお伝えし、協力して
いけたらと思うことです。             合掌     

一月の行事

26日(日) 正午〜    同朋の会新年会

30日(木) 午前10時半〜 ピラティス
*一月は1日より5日まで、お寺よりのお参りは
 お休みさせていただきます。

二月の行事

6 日(木) 午前10時半〜 ピラティス

15日(土) 午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
     ♪ オリジナルソングとご法話の集い 八分音符
         ご講師 鈴木君代師・天白真央師
20日(木) 午前10時半〜 ピラティス

ー P S ー
子供は先生の計画にはめてはいけない
自然の中へ放りだしておけ
先生の計画より子供の夢のほうがよっぽど大きいよ 
                   小林宗作


















































































































































































































































posted by ansenji at 00:48| Comment(0) | 法悦

2024年11月30日

2024年12月

 法 悦12月号 891号

   うそとほんと   谷川俊太郎

 うそはほんとによく似てる

 ほんとはうそによく似てる

 うそとほんとは双生児

 うそはほんととよくまざる

 ほんとはうそとよくまざる

 うそとほんとは化合物

 うその中にうそを探すな

 ほんとの中にうそを探せ

 ほんとの中にほんとを探すな

 うその中にほんとを探せ

青色青光

 歌手の中島みゆきさんはデビュー前、自身の詩と歌に絶対の自信を持って
いましたが、谷川俊太郎さんの詩を読んだ瞬間に、ガーンと「やられた」
と思い、そのショックから長い間、正式デビューできずにいたそうです。
 多くの人は一番言いたいことは言えず、何番目かに言いたいことを
やっとなんとか表現する、そんな弱さを持っています。
だからこそ、その言葉にならない胸底の思いを表現し続けている彼らの
詩や歌に共感し、その思いを託すのでしょう。
 一方、今日SNSなどの発達により、誰もが言葉を容易に発信することが
できるようになりました。
しかし、多くの場合匿名で発せられるこれらの情報は、虚実様々に入り
乱れています。
 またそれに触れた人が深い洞察に基づかず、感情に駆動され、ほとんど
脊髄反射的に、時に乱暴な言葉を交えて反応してしまい、大きな混乱を
社会にもたらす、そのようなことも頻発するようになりました。 
 上記は谷川修太郎さんの代表的な詩のひとつですが、平易なことばの中に、
虚実を見極める大切な視点が含まれていることには驚嘆させられます。
そこには仏教の「如実知見」の視座にも相通じるものが有るのです。

住職日々随想

 仏教では、身口意の三業によって生ずる根源的な悪を十悪と言います。
 曰く殺生、偸盗(ちゅうとう)、邪淫、妄語、綺語(きご)、悪口
(あっく)、両舌、貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚癡(ぐち)
または邪見です。
 口は災いの元と申しますが、十悪の内、口に関する悪が四つもあげられ
戒められているのは、口にする言葉によほどの慎重さが求められる
からに他なりません。
 今日SNSやユーチューブなどの動画共有サイト等、情報ツールの急速な
発達普及により、新聞やラジオ、テレビなどのマスメディアに依らずに、
誰もが即座に匿名でも、世界中に動画や意見を発信することが可能となり、
また誰もがその情報を受け取ることができるようになりました。
 しかしその一方、誤った情報や意図的に流されるデマなどが、場合に
よっては世界中を混乱させかねないような、危険性もはらんでいることが
明らかになり、社会問題化してきました。
「デマは真実の二十倍の速さで伝播する」と、十年間ツイッターの追跡調査を
行った、マサチューセッツ工科大学の研究チームが明らかにしています。
 わけても特に深刻な問題は、一度触れた情報に類似の投稿が、アルゴリズム
という情報処理技術により、繰り返し表示され、場合によっては偏った意見
などに、洗脳状態にされてしまうことがあるということです。
 さらに恐ろしいことに、それが誤った情報であったとしても繰り返し繰り返し
触れれば、人はそれを真実だと誤認してしまうという性向があることです。
それはナチスの利用した手法にも相通じるものなのです。
 まさにSNSなどは、場合によっては強大な兵器並みの破壊力をもって、
社会を崩壊させる力を備えているとも言えましょう。
そしてデマによって引き起こされた感情は、激しければ激しいほど、情報が
誤りであると知らされても、容易に変えることが出来ません。
 だからこそデマや誤った情報は、一刻も早く修正しなければならないのです。
 親鸞聖人は「親鸞も偏頗(へんぱ…偏った意見)あるものと聞きそうら
えば…」と自身の凡夫性を表白しておられますように、我に正義有りと固執
することは、いかに正しくても間違いであると示しておられます。
 また、善導大師は観経疏に「経教(きょうきょう)はこれを喩(たと)
うるに、鏡のごとし。」と、内心に仏のみ教えを鏡として持ち、常に自己を
省みることを勧めておられるのです。 

真宗入門「お勤め・正信偈」

 正信偈は正式には「正信念仏偈」と言い親鸞聖人が長い年月をかけて書かれた
主著「教行信証」の「行巻」の終わりに記されています。
 親鸞聖人が深い感動をもって受け取られたお念仏のみ教えを、親しみやすい
かたちで書き記された『偈』(うた)で、七文字を一句とし、百二十句、
六十行からなっています。
 正信偈に書かれている内容は大きく二つあります。前半は、お釈迦様の
説かれた「仏説無量寿軽」(大経)のみ教えに出遇ったよろこびが書かれ、
後半は、その教えを正しく受け止め伝えられた、七高僧(インド、中国、
日本の七人の僧侶)の教えと、その教えに出遇った感動の言葉が書かれて
います。
 親鸞聖人がいただかれたお念仏のみ教えと、その歴史を受け止め、その
感銘をうたっているのがまさに「正信偈」なのです。
 真宗門徒の朝夕のお勤めとして、「正信偈」をあげることが定着したのは、
今からおよそ500年前の蓮如上人の時代となります。
 蓮如上人は、すべてのひとが日常の暮らしの中で、親鸞聖人のお言葉に
親しみ、真実のみ教えに出遇う事を願われ、それまでのお勤めを『正信偈』
『和讃』のお勤めに変更し、日々の礼拝・勤行と定められました。

法語の味わい

 ー法語カレンダー12月号よりー

一筋縄でいかないのは
 他人ではなく私でした 


 「一筋縄でいかない」とは、普通のやり方では思うようには出来ない、
うまく処理出来ないという意味です。
 難しい仕事や手強い相手など、それまでのやり方や普通の対応ではうまく
いかない事に出会った時に、私達は目の前の難題を解決するのに四苦八苦
します。
難しい問題?でも見方を変えると、難しく考えすぎていたのは、他人では
なく私なのかもしれません。
 凡夫の我執のまなこではなく、阿弥陀様は平等の慈悲心をもって、常に
大きなまなざしで見ていて下さいます。

坊守便り
 ー生野エキスポ協賛事業報告会ー
 9月10月と、エキスポ協賛事業として、安泉寺を主会場に4講座開催させて
頂きました。
 主催者の方から、魅力ある講座が開催出来たので、ぜひ報告会で発表して
欲しいとの依頼があり、区役所6階のホールにて、ご報告させて頂きました。
 歴史講座では、明治・大正の猪飼野の歴史を語って頂き、琵琶の弾き語り
では、猪飼野ゆかりの木村重成、大坂夏の陣での最後の物語を演じて
いただきました。
 街歩きも2日間で約40名参加され、生野区歴史ボランティアの方の説明を
聞きながら、ゆっくりと歩いて歴史を感じていただきました。
 音楽講座では、日頃からライブハウスで演奏されているプロの方々に、
当寺では初めてとなるジャズの演奏をご披露いただきました。
 軽快なおしゃべりとともに、誰もが聞き覚えのある曲を演奏していただき、
時の経つのも忘れて、楽しいひとときを過ごさせていただきました。
 桃谷界隈にお住まいで、本堂に来られたことのなかった方々もたくさん
来られ、満堂となりました。
 また、学生さんなどの若きサックス愛好家の方達に、本堂でセッションを
披露して頂きました。
 総じてお寺を開放して、良きご縁を持つ事が出来、有り難いことでした。

十二月の行事

5 日(木) 午前10時半〜 ピラティス

8 日(日) 午前8時〜   日帰りバスツアー
 神戸「人と防災センター」モダン寺 須磨寺見学「一弦琴の演奏」
15日(日) 午後2時〜
         おみがき清掃ご奉仕 年末懇話会

31日(火) 夜11時半〜  歳暮勤行・除夜の鐘

一月の行事

26日(日) 正午〜    同朋の会新年会

30日(木) 午前10時半〜 ピラティス


*一月は1日より5日まで、お寺よりの
 お参りはお休みさせていただきます。





















































































































































































































































posted by ansenji at 19:16| Comment(0) | 法悦