法 悦11月号 890号
自己がわからない人は
他人を責める
自己がわかった人は
他人を痛む
安田理深
青色青光
「自己がわからない」というのは、自分の心の中にある弱さや迷いにも
気づかない、ということでしょう。
この状態を仏教では無明と捉えていますが、私たちは、何か不都合な
ことや意に沿わないことがあったとき、他人のせいにして攻めたり、
怒ったりしがちです。
それは無明の身であるわが身には目を向けず、問題の原因を常に外に
求めようとするからでしょう。
一方で、「自己がわかった人」とは、わが身を深く理解し、他人を
責めるより、その人の苦しみや悲しみに寄り添う、まさに慈悲、
慈しみ悲しむ心を持つ覚者に他なりません。
仏教で説く縁起の道理は、これ在るが故に彼あり、彼在るが故にこれ
ありと、すべての事柄や存在が相依相対、互いに分かち難く、関係存在
として成り立っていると教えます。
つまり、あれさえなければ、あいつさえいなければと思うことも確かに
ありますが、他の事柄や他者を否定するとき、そこには自己も存在しえない
のです。
自らの姿は鏡に映さなければ見えません。お念仏はわが身を問う営み、
私たちの先輩方はナムアミダブツナムアミダブツと、お念仏にわが身を
聞き開き、日々歩んでいかれたのです。
住職日々随想
今年の9月号の寺報に「情報の訂正は可能だが、感情の修正は難しい。」
という、評論家荻上チキ氏の言葉を紹介させていただきましたが、一度受
け入れてしまった情報によって引き起こされた感情は、虚偽であると
わかっても、容易に改めることが出来ないという性向が誰にもあります。
情報化の極度に進んだ昨今、私たちは日々膨大な情報にさらされており、
中には曖昧なものや虚偽情報など、その見極めを誤ると、場合によっては、
とんでもない事態に発展するものも少なくありません。
最近ではトランプ前アメリカ大統領の、ハイチ移民が住民のペットを
食べているというトンデモ発言から、関東大震災時の朝鮮人大量虐殺の
発端となった、様々な流言飛語まで、枚挙に暇がありません。
情報の真偽を見極める眼を、どのようにして確かなものにしていくのか、
感情の修正が困難である以上、情報伝達のスピードや拡散範囲の広がりを
考えると、虚偽情報は一刻も早く訂正しなければなりません。
よく嘘も方便とは申しますが、仏教で言うところの、嘘と方便は全くの別物。
嘘は他をだまして自らを利する行い、それに対して方便は様々な手立てを
もって、他を利するはたらき。特に仏の衆生を導き、悟りを得しむる為に
なさるおはたらきを善巧方便(ぜんぎょうほうべん)と申します。
親鸞聖人は教行信証の信の巻、真の仏弟子釈に於いて「真」の言は「偽」
に対し、「仮」に対するなり、と述べておられますが、「真」と「偽」
を見定めることは、時に困難を伴いますが、やがて明らかになることも
あります。
では、「仮」とは何でしょうか?
親鸞聖人は「仮」は、「真」に出会うためのもの、わが身を明らかにして
くださるおはたらき、善巧方便でなければならない事をお示し下さいます。
が、「仮」に固執してしまうと「真」を見失ってしまう、ともご注意して
おられます。
唯円様は歎異抄の第十八条に、聖人が常々「煩悩具足の凡夫、家宅無常の
世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあること
なきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」と仰せであったと記して
おられます。
まさにこの娑婆世界には、絶対の善もなければ絶対の悪もない、常に
業縁によって左右されている。
ただただ仏智の不可思議なることをいただき、仏恩を報ずる念仏だけが、
すえとおった真であると、ご教示くださるのです。
真宗入門「お鈴(りん)」
仏様の前には鈴(りん)が置いてあります。「かね」とも呼ばれ、寺院で
用いられる大型のものは「きん」と呼ばれています。
いつ打つの?、打ち方の作法はどうするの?、と思っておられる事と
思いますが、お勤めの始まりや区切り、終わりなど、勤行時の決められた
合図として、撥(ばち)を使って打ちます。
お内仏のお勤めの手順として、お灯明を点じ、線香を焚き、ご本尊を
仰ぎ合掌して、お念仏を称えます。
そして合掌を解き、『正信偈』の場合は、鈴を一打目は音を小さく、
次に二打目は少し大き目に打ち、その後、「帰命無量寿如来」と調声をします。
鈴はお勤めを始める合図、納めの合図となります。ご家族でお勤めをする
ときなどは、正面に座った人(調声人と言います。)の鈴の一打目で
合掌を解き、お勤めを始めます。
勤行本の文字の右側の●印が、鈴を打つ箇所を表しています。
複数の人が一緒にお勤めをする場合、合わせるために、鈴は重要な役割を
はたします。
法語の味わい
ー法語カレンダー11月号よりー
ただ南無阿弥陀仏
親鸞様のご生涯
「ただ念仏して、弥陀にたすけまいらすべし。」と、親鸞聖人は常々
仰っておられた、と歎異抄に示されています。
聖人がお念仏の本当の意味に出遇われたのは、二十九歳の時の、
法然上人との出遇いに於いてです。
それまで、自らの努力で仏のさとりに到ることを、命がけで学ばれて
いたのですが、学べば学ぶほど、仏のさとりとはほど遠い、自らの姿が
明らかになりました。ここに意を決して法然聖人の元に行かれたのです。
そこで、阿弥陀如来は久遠劫来「南無阿弥陀仏」と、声の仏さまとなって、
この身と常に共にいてくださり、どんなことがあっても、我が国浄土へ
迎え取り、仏となさしめん、と誓われた仏さまであったと信知されました。
ここに聖人はこの誓いのまことに、おまかせする人生を歩まれる事と
なったのです。
御伝鈔に、臨終の一念にいたるまで、「ついに念仏の息たえましまし
おわんぬ」と表されたように、ただ南無阿弥陀仏のご生涯でした。
ー坊守便りー
報恩講をお勤めします
浄土真宗を開かれた宗祖親鸞聖人は、1262年の十一月二十八日、
そのご生涯を閉じられました。
私たち真宗門徒が、お念仏の教えに生きられた聖人をはじめ、数多くの
先達に思いを馳せつつ、一年に一度、最も大切な法要として勤めるのが
報恩講です。
全国各地の真宗寺院でお勤めされるのはもちろん、在家報恩講
(お取り越し)として、ご門徒のお宅で、僧侶をお招きして、家族親戚や
ご近所の有縁の人びとも共にお勤めをし、ご法話を聴聞するという習わしが、
今も北陸などでは熱心におこなわれているそうです。
大阪でも私が安泉寺に嫁に来た頃は、何件か自宅でお勤めになる方が
ありました。ご法話を喜ばれた、まさに「妙好人」のお姿が目に浮かびます。
十月一日に、同朋会の役員をお勤め頂いた竹中公彦さんがお亡くなりに
なりました。
先代のお父様のころから、お寺のお役をして頂き、阿弥陀様の前で手を
合あわされる、まさに法義相続を大切にされた、こころやさしい方でした。
同朋会員の皆様と、本堂でお見送りさせて頂きました。ありがたい
ご縁でした。南無阿弥陀仏
十一月の行事
3 日(日)午後1時〜 おみがき清掃ご奉仕
7 日(木)午前10時半〜 ピラティス
12日(火)午後2時〜報恩講
5時〜御伝鈔拝読
ご講師 泉大津 南冥寺住職
戸次公正師
21日(木)午前10時半〜 ピラティス
十二月の行事
5 日(木)午前10時半〜 ピラティス
8 日(日) 日帰りバスツアー
神戸「人と防災センター」モダン寺 須磨寺見学「一弦琴の演奏」
15日(日) 午後3時〜
おみがき清掃ご奉仕
31日(火)午後 11時半〜
歳暮勤行・除夜の鐘
2024年11月30日
2024年11月
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| 法悦
2024年09月30日
2024年10月
法 悦10月号 889号
ひとりとして生まれ
ひとり死ぬのだから
かけがえのない尊いひとりなのに
その事実から逃れるために
事実をおおいかくし
紛らわすための明るさを求めようとする
人生が虚飾に満ちるのはこのためだ。
養護施設「暁学園」施設長 祖父江文宏著
「季節を動かすこどもたち」より
青色青光
上記の文章は、長年、養護施設の園長として奮闘してこられた、祖父江文宏氏
の著作からのものですが、その中で、親と離れて学園で暮らすこども達の
誰もが、一人っきりになる場所を持っている。
それは切羽詰まった暴力的とも言える激情が求めさせるところだと、以下の
ように述べておられます。
「五〇通りの人生には、五〇通りの、親と離れなければならなかった理由が
ありますが、理由はいつも親と大人達の側の理由でしかなく、誰ひとりとして
納得のいく理由で学園にやってきたこどもはいないのです。
納得よりは疲れが、希望よりはあきらめが、親が去った事実によって生み
出され、こども達を侵してきたのです。
こども達が、ひとりの場所を求めるのは、生まれ出る前の母親の胎内を求める
からかもしれません。
だから学園のこども達が求めるひとりになれる場所は、身体中の哀しさを
涙にして流す場所なのです。」
ひとはお釈迦様が仰るように「独り生まれ、独り死し、独り去りて、
独り来たる」存在、あまりにも早くから、その根源的な事実を受け止めざる
を得ないこども達、小さな胸の内の悲しみの深さに心痛みます。
が、それはこの子たちだけでなく、じつは誰もが向き合わなければならない、
我が身の事実なのです。
住職日々随想
まもなく放送終了となるNHK朝の連続テレビ小説「虎に翼」は、人と司法
の関わりという難しい題材を取り上げ、ジェンダー差別や家族のあり方、
戦争犯罪や原爆裁判、DVと尊属殺人など、現代にも通じるさまざまな課題を
提示し、吉田恵里香氏の優れた脚本と共に、楽しく、そして深く考えさせ
られる内容に富んでいて、司法の現場で活躍する方々からも広く支持されて
いるそうです。
そのドラマの中、家裁判事の主人公にナイフを向けながら、問題行動を
起こした少女の発した「どうして人を殺してはいけないの?」に既視感を
覚えました。
それは、もう何十年も前に放映された「十代しゃべり場」という討論
番組の中での出来事ですが、ひとりの青年が唐突に同じ疑問を口にしました。
が、その場にいた参加者や司会進行役の大人をはじめ、誰からも言葉が
出ず、場が凍り付いたようになってしまった事と、重ね合わせ思い出し
たからです。
その青年も人の命を奪うことは許されないと、ずっと聞かされ続け、
十分承知していたに違いありません。が、現実の社会はどうか、と言えば、
各地の紛争や戦火の中で殺し殺される事実が厳然として存在している、
そのことに対する批判が「どうして人を殺してはいけないのか?」という
言葉になって出てきたものと了解していました。
今回ドラマの中では、主人公に「奪われた命は元には戻せない。死んだ
相手とは言葉を交わすことも、ふれあうことも何かを共有することも、
永久に出来ない。だからひとは生きることに尊さを感じて、人を殺しては
いけないと本能で理解している。」
「理由がわからないからやっていいじゃなくて、わからないからこそ、
奪う側にならない努力をすべきと思う。」と言わせ、なるほどと思わず
膝を打ちました。
原始経典の法句経に、お釈迦様の「すべての者は暴力におびえる。
すべての生きものにとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、
殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」のお言葉があります。
後に仏弟子の戒律の第一として、アヒンサー(不殺生戒)が設けられ
ましたが、そこにはお釈迦様のご出身の部族が、隣国の王子の激しい
恨みを買い、お釈迦様をしてもとどめることが出来ずに、老いも若きも
皆殺しにされた、という痛ましい歴史をお持ちだったからこそ生まれた、
まさに血を吐くようなお言葉だったのです。
真宗入門「お仏供(ぶく)(お仏飯(ぶつぱん))」
お内仏にお備えする白いごはんをお仏供(お仏飯)と言います。
「盛槽(もつそう)」と言われる筒に、ところてんを押し出すように、
ごはんを詰めて突き出し、仏器と呼ばれる器に、円筒形に形を整え
盛り付けます。
朝ご飯を炊いたときに、最初のごはんを先に述べましたように
盛り付け、ご本尊正面の上卓(うわじょく)に一つお備えします。
このとき仏供台があればその上に置きます。
大型のお内仏でスペースがあれば、上卓にお仏供を一対お備え
します。
また、正面の両脇がけが親鸞聖人・蓮如上人の御影であれば、
それぞれの前にもお備えします。
お仏供は朝お勤めの後にお備えし、正午過ぎにお控えします。
お内仏はお浄土の象(かたど)り、蓮の花は悟りの象徴です。
わけても、お仏供は煩悩の濁りに染まぬ白蓮華を表しています。
ですからお仏供は「お供えする」とは申しません。お浄土に
すでに備わっている荘厳を整える、という意味で「お備えする」
と表現します。
ちなみに大谷派(お東)では、開いた蓮の花のように円筒形に、
本願寺派(お西)では蓮のつぼみのように三角すいに盛り付けます。
法語の味わい
ー法語カレンダー10月号よりー
ご法座に集える喜び
ようこそ ようこそ
世間の濁りに染まぬ白蓮華(妙好華)のように、とりわけ篤信の
真宗門徒を「妙好人」と称します。
妙好人、因幡の源左さんは「ようこそ、ようこそ、さてもさても」
が口癖でした。ようこそとは因幡(鳥取)地方の方言で「ありがとう」
の意味もあります。
阿弥陀様が、さてもこんな煩悩具足の私、この源左を、
「助けるぞ」と誓って下さった。
ありがとう、ありがとう」と、常に仏恩を喜ばれたのです。
源左さんのような、そうした先達方の願いを受けて法座に会い、
朋・同行と願生浄土の道を確かめ合う、かけがえのない場が
ご法座なのです。
ー坊守便りー
生野の歴史愛好会「いくナビ」の方々と鶴の橋、木村権右衛門邸跡、
御幸森神社など歴史の一コマ一コマを丁寧に説明していただきながら、
ご一緒に歩きます。
10月12・13日の二日間の行事です、どうぞこの機会に、
ふるってご参加ください。
今年三月に還淨致しました前住職が、青年でありました頃は、
鳥のさえずる川原に田んぼ、そしてその中に集落のある農村でした。
そんな猪飼野・生野区が現代の機能的な街と変化していく、
こもごものお話、江戸時代から昭和まで、猪飼野の大地主であった、
木村権右衛門氏の人となりなどを、猪飼野の歴史を研究されている、
猪飼野探訪会の小野賢一さんにお話いただきます。
高度経済成長の中、発展著しい昭和の時代には、顧みられなかった
古き佳き時代の歴史を、皆さんとご一緒に学びたいと思います。
二日目には、琵琶の弾き語りをベテラン野田勝香さんに、大坂夏の陣
で名をはせた、木村家ゆかりの名将、木村重成にまつわる「伽羅の冑」、
親鸞聖人の関東行脚のご苦労を現わした「石の枕」を演じていただきます。
十月の行事
3 日(木)午前10時半〜 ピラティス
12日(土)午後3時〜 生野歴史講演会
(生野エキスポ協賛事業)
13日(日)午後3時〜 琵琶の演奏会
(生野エキスポ協賛事業)
*12.13日両日とも午後1時より猪飼野街歩き
いくナビ・ツーデイズがございます。
17日(木)午前10時半〜 ピラティス
19日(土)午後4時〜 同朋の会聞法会
ご講師 能登教区七尾 安泉寺住職 国分大慶師
*被災地能登の現況報告も兼ねてご法話いただきます。
遠方より来られますので4時からに変更いたします。
27日(日)午前9時〜 難波別院報恩講団体参拝
十一月の行事
3 日(日)午後1時〜 おみがき清掃ご奉仕
7 日(木)午前10時半〜 ピラティス
12日(火)午後2時〜報恩講
5時〜御伝鈔拝読
ご講師 泉大津 南冥寺住職
戸次公正師
21日(木)午前10時半〜 ピラティス
ひとりとして生まれ
ひとり死ぬのだから
かけがえのない尊いひとりなのに
その事実から逃れるために
事実をおおいかくし
紛らわすための明るさを求めようとする
人生が虚飾に満ちるのはこのためだ。
養護施設「暁学園」施設長 祖父江文宏著
「季節を動かすこどもたち」より
青色青光
上記の文章は、長年、養護施設の園長として奮闘してこられた、祖父江文宏氏
の著作からのものですが、その中で、親と離れて学園で暮らすこども達の
誰もが、一人っきりになる場所を持っている。
それは切羽詰まった暴力的とも言える激情が求めさせるところだと、以下の
ように述べておられます。
「五〇通りの人生には、五〇通りの、親と離れなければならなかった理由が
ありますが、理由はいつも親と大人達の側の理由でしかなく、誰ひとりとして
納得のいく理由で学園にやってきたこどもはいないのです。
納得よりは疲れが、希望よりはあきらめが、親が去った事実によって生み
出され、こども達を侵してきたのです。
こども達が、ひとりの場所を求めるのは、生まれ出る前の母親の胎内を求める
からかもしれません。
だから学園のこども達が求めるひとりになれる場所は、身体中の哀しさを
涙にして流す場所なのです。」
ひとはお釈迦様が仰るように「独り生まれ、独り死し、独り去りて、
独り来たる」存在、あまりにも早くから、その根源的な事実を受け止めざる
を得ないこども達、小さな胸の内の悲しみの深さに心痛みます。
が、それはこの子たちだけでなく、じつは誰もが向き合わなければならない、
我が身の事実なのです。
住職日々随想
まもなく放送終了となるNHK朝の連続テレビ小説「虎に翼」は、人と司法
の関わりという難しい題材を取り上げ、ジェンダー差別や家族のあり方、
戦争犯罪や原爆裁判、DVと尊属殺人など、現代にも通じるさまざまな課題を
提示し、吉田恵里香氏の優れた脚本と共に、楽しく、そして深く考えさせ
られる内容に富んでいて、司法の現場で活躍する方々からも広く支持されて
いるそうです。
そのドラマの中、家裁判事の主人公にナイフを向けながら、問題行動を
起こした少女の発した「どうして人を殺してはいけないの?」に既視感を
覚えました。
それは、もう何十年も前に放映された「十代しゃべり場」という討論
番組の中での出来事ですが、ひとりの青年が唐突に同じ疑問を口にしました。
が、その場にいた参加者や司会進行役の大人をはじめ、誰からも言葉が
出ず、場が凍り付いたようになってしまった事と、重ね合わせ思い出し
たからです。
その青年も人の命を奪うことは許されないと、ずっと聞かされ続け、
十分承知していたに違いありません。が、現実の社会はどうか、と言えば、
各地の紛争や戦火の中で殺し殺される事実が厳然として存在している、
そのことに対する批判が「どうして人を殺してはいけないのか?」という
言葉になって出てきたものと了解していました。
今回ドラマの中では、主人公に「奪われた命は元には戻せない。死んだ
相手とは言葉を交わすことも、ふれあうことも何かを共有することも、
永久に出来ない。だからひとは生きることに尊さを感じて、人を殺しては
いけないと本能で理解している。」
「理由がわからないからやっていいじゃなくて、わからないからこそ、
奪う側にならない努力をすべきと思う。」と言わせ、なるほどと思わず
膝を打ちました。
原始経典の法句経に、お釈迦様の「すべての者は暴力におびえる。
すべての生きものにとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、
殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」のお言葉があります。
後に仏弟子の戒律の第一として、アヒンサー(不殺生戒)が設けられ
ましたが、そこにはお釈迦様のご出身の部族が、隣国の王子の激しい
恨みを買い、お釈迦様をしてもとどめることが出来ずに、老いも若きも
皆殺しにされた、という痛ましい歴史をお持ちだったからこそ生まれた、
まさに血を吐くようなお言葉だったのです。
真宗入門「お仏供(ぶく)(お仏飯(ぶつぱん))」
お内仏にお備えする白いごはんをお仏供(お仏飯)と言います。
「盛槽(もつそう)」と言われる筒に、ところてんを押し出すように、
ごはんを詰めて突き出し、仏器と呼ばれる器に、円筒形に形を整え
盛り付けます。
朝ご飯を炊いたときに、最初のごはんを先に述べましたように
盛り付け、ご本尊正面の上卓(うわじょく)に一つお備えします。
このとき仏供台があればその上に置きます。
大型のお内仏でスペースがあれば、上卓にお仏供を一対お備え
します。
また、正面の両脇がけが親鸞聖人・蓮如上人の御影であれば、
それぞれの前にもお備えします。
お仏供は朝お勤めの後にお備えし、正午過ぎにお控えします。
お内仏はお浄土の象(かたど)り、蓮の花は悟りの象徴です。
わけても、お仏供は煩悩の濁りに染まぬ白蓮華を表しています。
ですからお仏供は「お供えする」とは申しません。お浄土に
すでに備わっている荘厳を整える、という意味で「お備えする」
と表現します。
ちなみに大谷派(お東)では、開いた蓮の花のように円筒形に、
本願寺派(お西)では蓮のつぼみのように三角すいに盛り付けます。
法語の味わい
ー法語カレンダー10月号よりー
ご法座に集える喜び
ようこそ ようこそ
世間の濁りに染まぬ白蓮華(妙好華)のように、とりわけ篤信の
真宗門徒を「妙好人」と称します。
妙好人、因幡の源左さんは「ようこそ、ようこそ、さてもさても」
が口癖でした。ようこそとは因幡(鳥取)地方の方言で「ありがとう」
の意味もあります。
阿弥陀様が、さてもこんな煩悩具足の私、この源左を、
「助けるぞ」と誓って下さった。
ありがとう、ありがとう」と、常に仏恩を喜ばれたのです。
源左さんのような、そうした先達方の願いを受けて法座に会い、
朋・同行と願生浄土の道を確かめ合う、かけがえのない場が
ご法座なのです。
ー坊守便りー
生野の歴史愛好会「いくナビ」の方々と鶴の橋、木村権右衛門邸跡、
御幸森神社など歴史の一コマ一コマを丁寧に説明していただきながら、
ご一緒に歩きます。
10月12・13日の二日間の行事です、どうぞこの機会に、
ふるってご参加ください。
今年三月に還淨致しました前住職が、青年でありました頃は、
鳥のさえずる川原に田んぼ、そしてその中に集落のある農村でした。
そんな猪飼野・生野区が現代の機能的な街と変化していく、
こもごものお話、江戸時代から昭和まで、猪飼野の大地主であった、
木村権右衛門氏の人となりなどを、猪飼野の歴史を研究されている、
猪飼野探訪会の小野賢一さんにお話いただきます。
高度経済成長の中、発展著しい昭和の時代には、顧みられなかった
古き佳き時代の歴史を、皆さんとご一緒に学びたいと思います。
二日目には、琵琶の弾き語りをベテラン野田勝香さんに、大坂夏の陣
で名をはせた、木村家ゆかりの名将、木村重成にまつわる「伽羅の冑」、
親鸞聖人の関東行脚のご苦労を現わした「石の枕」を演じていただきます。
十月の行事
3 日(木)午前10時半〜 ピラティス
12日(土)午後3時〜 生野歴史講演会
(生野エキスポ協賛事業)
13日(日)午後3時〜 琵琶の演奏会
(生野エキスポ協賛事業)
*12.13日両日とも午後1時より猪飼野街歩き
いくナビ・ツーデイズがございます。
17日(木)午前10時半〜 ピラティス
19日(土)午後4時〜 同朋の会聞法会
ご講師 能登教区七尾 安泉寺住職 国分大慶師
*被災地能登の現況報告も兼ねてご法話いただきます。
遠方より来られますので4時からに変更いたします。
27日(日)午前9時〜 難波別院報恩講団体参拝
十一月の行事
3 日(日)午後1時〜 おみがき清掃ご奉仕
7 日(木)午前10時半〜 ピラティス
12日(火)午後2時〜報恩講
5時〜御伝鈔拝読
ご講師 泉大津 南冥寺住職
戸次公正師
21日(木)午前10時半〜 ピラティス
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| 法悦
2024年09月01日
2024年9月
法 悦 9月号 888号
過去に目を閉ざす者は
結局のところ
現在にも盲目となります。
非人間的な行為を
心に刻もうとしない者は、
またそうした危険に
陥りやすいのです。
1985 年5 月8 日「荒れ野の40年」
ヴァイツゼッカー ドイツ連邦大統領演説より
青色青光
陸前高田の「奇跡の一本松」をご存じでしょうか?
東日本大震災の大津波により、幅二キロ約七万本の白砂青松の名勝、高田松原が
消失してしまいました。
が、そんな大災害にも耐え奇跡的に一本残ったのは、樹齢174年樹高28
メートルの赤松の交雑種でした。
見上げるようなその松は、残念ながら震災翌年には塩害により枯れてしまい
ましたが、復興のシンボルとして後世に残したいという人びとの熱意により、
防腐処理などが施され、今にその気高さを誇っています。
誰もがその威容に、つい心奪われてしまいますが、よくよく考えてみますと、
地面の下には樹高より尚深く、梢の広がりより尚広く、しっかりと根が張って
こそ、大災害にも耐えることが出来たに違いありません。
昨今、何事につけコストや時間を重視し、仏事ごとまで簡略にと、先ばかり
に眼を向け、私たちを支える根っこである、自らを育み続けてきたいのちの
歴史を軽んずるような風潮が広がってはいないでしょうか?
そして、その行き着く先には、根無し草のように流され続けるだけの、空疎で
薄っぺらな人間観しか残らなくなってしまうのではと危惧せずにはおれません。
住職日々随想
南海トラフ巨大地震注意が政府より発令され、改めて災害大国に住まう
逃れようのない事実に目を向けさせられました。
そのような中、改めて考えさせられますのは、巨大災害に遭遇した時など
において、我々の取るべき行動はいかにあるべきなのか、ということです。
関東大震災が起こった時、差別され虐げられてきた朝鮮人が、井戸に
毒を放り込んだとか、この機に乗じて武装蜂起し、人びとに危害を加えよう
としている、などの流言飛語が自治体や警察も巻き込んで流布され、
結果、数百人から六〇〇〇人にと、統計には大きなばらつきがありますが、
警察や、一般人によって組織された自警団によって、無残に殺害されました。
昨年一般公開され話題になった、森達也監督の映画「福田村事件」は、
千葉県の農村において、震災の直接の被害は無かったけれど、デマを信じ
扇動された在郷軍人や一般人によって、朝鮮人と間違われた、貧しい
被差別部落民の行商人一団が、妊婦も含め多数虐殺された事件を題材に、
集団化した人びとの狂気が描かれていました。
アフリカの「砂漠飛びバッタ」は、日頃おとなしくお互い距離を保って
草を食んでいますが、飢饉になると集団化し、色も黒く変わって凶暴化する
「相変異」を起こし、作物を根こそぎ食い尽くしながら大移動を繰り返し、
甚大な食糧危機をもたらすそうです。
日本人は災害にあっても規律正しく、互いに助け合う相互扶助の精神に
富んでいる、と賞賛する向きもありますが、裏を返せば自身の判断よりも
周りの意向を優先し、それに合わせて行動する、主体性の欠如が見られ、
条件次第で大変な過ちをも犯しかねない危うさもはらんでいる、
と言えるのではないでしょうか?
福岡県人権研究所副理事長の園田久子氏は、学生達を前に常々「人間は
いじめもするし、差別もするし、殺しもするよ」と人間の本質的な罪業性を
話されるそうですが、お念仏のみ教えにご縁をいただく我々も「自己とは
何ぞや、これ人生の根本的問題なり。」という清沢満之のご教示にもある
ように、主体的に自らを省みつつ、地に足のついた行動が出来るよう、
日々阿弥陀様のご本願を鏡に歩んでまいりたいことです。
真宗入門「お内仏のお給仕」
ーお香(線香)ー
お線香の『香』の由来はインドにあります。インドでは古来より、心身を
すがすがしくするために芳香を漂わす習慣がありました。それを仏教でも
取り入れ、ほとけ様の御前をお荘厳するために、用いられるようになりました。
お線香は、本数は決まっていませんが、土香炉の大きさに合わせて適当な
長さに折り、火をつけてから、火のついたほうを左にして灰の上に寝かせます。
お線香は抹香の代わりとして、燃香に用いられるようになったものですから
立てません。
お線香は、お勤めの前に火をつけますが、もともとは、土香炉の中に敷いた、
香木の樹脂や木片から作られた抹香に、火をつけて燃じていましたが、今は
お線香で代用するようになりました。
このようにお香を燃じていたところから「燃香」と言います。葬儀やご法事の
時は火種を入れた金香炉に、抹香を入れて焚きます。この事は「焼香」と
言います。
香の作法には「燃香」と「焼香」があります。毎日のお勤めには燃香をし、
特別な仏事の時には、その両方を行います。
法語の味わい ー法語カレンダー9月号よりー
沈む夕日に
人生の帰依処をおもう
夏の日は長く、子供達は時間を忘れて遊びに夢中になります。
日が沈みかけて、空の色が赤く染まりかけたら、誰からともなく「いち抜けた」
と言い、家のほうに向かって、走り出していきます。
お日様が帰るのだから、僕たちも帰ろうと言わんばかりにチリジリバラバラ、
それぞれ自分の家を目指しました。それは、そこに安心して帰って行くところが
あるからでしょう。
阿弥陀様は私が帰って行く所として、お浄土をご用意くださいました。
私の人生がどちらに向いて、どうなっていくのかをいくら考え問うても
わからない私に、すでにあなたの帰るところを用意したから、安心して今を
精一杯生き抜いて帰っておいでと、喚び通して喚んでくださる、そのお声が
「南無阿弥陀仏」でありました。
ー坊守便りー
今年も盂蘭盆会法要をお勤めさせて頂きました。
同朋の会の皆様には、本堂の仏具のおみがき、お盆のみのしつらいであります
切り子灯籠、提灯かけ、幕張の準備、大掃除など、猛暑の中、大汗を流して
ご奉仕をして頂きました。有り難く篤くお礼申しあげます。
そんな中、ご門徒の山口節子さんが亡くなったと、ご連絡が入りました。
元、同朋の会会長の山口善三さんの奥様です。
2年前に親鸞聖人ご誕生850年の慶讃法要をお勤めしましたが、さかのぼって
ご誕生800年の慶讃法要で、ご夫婦でお手伝い頂きました。
その後も長く本堂で聞法され、心から仏法を喜ばれた妙好人ご夫妻でした。
50年前の安泉寺の法要は、山門から本堂の縁に木造のスロープを作り、
大がかりな事でした。
今年3月にお浄土に還淨しました、前住職が勤めた大法要を、共に楽しんで
お勤めくださいました。
前住職もお浄土でお待ちしていたことでしょう。
私もお見送りさせて頂き、ありがたいことでした。 合掌。
九月の行事
12日(木)午前10時半〜 ピラティス
19日(木)午前10時半〜 ピラティス
21日(土)午後2時〜 秋季彼岸永代経法要
ご講師 阿倍野 即応寺 藤井善隆師
29日(日)午後1時〜 初心者対象サックス交流会
午後3時〜 秋のジャズ鑑賞会
(生野エキスポ協賛事業)
十月の行事
3 日(木)午前10時半〜 ピラティス
12日(土)午後3時〜 生野歴史講演会
(生野エキスポ協賛事業)
13日(日)午後3時〜 琵琶の演奏会
(生野エキスポ協賛事業)
*12.13日両日とも午後1時より猪飼野街歩き
いくナビ・ツーデイズがございます。
17日(木)午前10時半〜 ピラティス
19日(土)午後2時〜 同朋の会聞法会
ご講師 能登教区七尾 安泉寺住職 国分大慶師
27日(日)午前9時〜 難波別院報恩講団体参拝
過去に目を閉ざす者は
結局のところ
現在にも盲目となります。
非人間的な行為を
心に刻もうとしない者は、
またそうした危険に
陥りやすいのです。
1985 年5 月8 日「荒れ野の40年」
ヴァイツゼッカー ドイツ連邦大統領演説より
青色青光
陸前高田の「奇跡の一本松」をご存じでしょうか?
東日本大震災の大津波により、幅二キロ約七万本の白砂青松の名勝、高田松原が
消失してしまいました。
が、そんな大災害にも耐え奇跡的に一本残ったのは、樹齢174年樹高28
メートルの赤松の交雑種でした。
見上げるようなその松は、残念ながら震災翌年には塩害により枯れてしまい
ましたが、復興のシンボルとして後世に残したいという人びとの熱意により、
防腐処理などが施され、今にその気高さを誇っています。
誰もがその威容に、つい心奪われてしまいますが、よくよく考えてみますと、
地面の下には樹高より尚深く、梢の広がりより尚広く、しっかりと根が張って
こそ、大災害にも耐えることが出来たに違いありません。
昨今、何事につけコストや時間を重視し、仏事ごとまで簡略にと、先ばかり
に眼を向け、私たちを支える根っこである、自らを育み続けてきたいのちの
歴史を軽んずるような風潮が広がってはいないでしょうか?
そして、その行き着く先には、根無し草のように流され続けるだけの、空疎で
薄っぺらな人間観しか残らなくなってしまうのではと危惧せずにはおれません。
住職日々随想
南海トラフ巨大地震注意が政府より発令され、改めて災害大国に住まう
逃れようのない事実に目を向けさせられました。
そのような中、改めて考えさせられますのは、巨大災害に遭遇した時など
において、我々の取るべき行動はいかにあるべきなのか、ということです。
関東大震災が起こった時、差別され虐げられてきた朝鮮人が、井戸に
毒を放り込んだとか、この機に乗じて武装蜂起し、人びとに危害を加えよう
としている、などの流言飛語が自治体や警察も巻き込んで流布され、
結果、数百人から六〇〇〇人にと、統計には大きなばらつきがありますが、
警察や、一般人によって組織された自警団によって、無残に殺害されました。
昨年一般公開され話題になった、森達也監督の映画「福田村事件」は、
千葉県の農村において、震災の直接の被害は無かったけれど、デマを信じ
扇動された在郷軍人や一般人によって、朝鮮人と間違われた、貧しい
被差別部落民の行商人一団が、妊婦も含め多数虐殺された事件を題材に、
集団化した人びとの狂気が描かれていました。
アフリカの「砂漠飛びバッタ」は、日頃おとなしくお互い距離を保って
草を食んでいますが、飢饉になると集団化し、色も黒く変わって凶暴化する
「相変異」を起こし、作物を根こそぎ食い尽くしながら大移動を繰り返し、
甚大な食糧危機をもたらすそうです。
日本人は災害にあっても規律正しく、互いに助け合う相互扶助の精神に
富んでいる、と賞賛する向きもありますが、裏を返せば自身の判断よりも
周りの意向を優先し、それに合わせて行動する、主体性の欠如が見られ、
条件次第で大変な過ちをも犯しかねない危うさもはらんでいる、
と言えるのではないでしょうか?
福岡県人権研究所副理事長の園田久子氏は、学生達を前に常々「人間は
いじめもするし、差別もするし、殺しもするよ」と人間の本質的な罪業性を
話されるそうですが、お念仏のみ教えにご縁をいただく我々も「自己とは
何ぞや、これ人生の根本的問題なり。」という清沢満之のご教示にもある
ように、主体的に自らを省みつつ、地に足のついた行動が出来るよう、
日々阿弥陀様のご本願を鏡に歩んでまいりたいことです。
真宗入門「お内仏のお給仕」
ーお香(線香)ー
お線香の『香』の由来はインドにあります。インドでは古来より、心身を
すがすがしくするために芳香を漂わす習慣がありました。それを仏教でも
取り入れ、ほとけ様の御前をお荘厳するために、用いられるようになりました。
お線香は、本数は決まっていませんが、土香炉の大きさに合わせて適当な
長さに折り、火をつけてから、火のついたほうを左にして灰の上に寝かせます。
お線香は抹香の代わりとして、燃香に用いられるようになったものですから
立てません。
お線香は、お勤めの前に火をつけますが、もともとは、土香炉の中に敷いた、
香木の樹脂や木片から作られた抹香に、火をつけて燃じていましたが、今は
お線香で代用するようになりました。
このようにお香を燃じていたところから「燃香」と言います。葬儀やご法事の
時は火種を入れた金香炉に、抹香を入れて焚きます。この事は「焼香」と
言います。
香の作法には「燃香」と「焼香」があります。毎日のお勤めには燃香をし、
特別な仏事の時には、その両方を行います。
法語の味わい ー法語カレンダー9月号よりー
沈む夕日に
人生の帰依処をおもう
夏の日は長く、子供達は時間を忘れて遊びに夢中になります。
日が沈みかけて、空の色が赤く染まりかけたら、誰からともなく「いち抜けた」
と言い、家のほうに向かって、走り出していきます。
お日様が帰るのだから、僕たちも帰ろうと言わんばかりにチリジリバラバラ、
それぞれ自分の家を目指しました。それは、そこに安心して帰って行くところが
あるからでしょう。
阿弥陀様は私が帰って行く所として、お浄土をご用意くださいました。
私の人生がどちらに向いて、どうなっていくのかをいくら考え問うても
わからない私に、すでにあなたの帰るところを用意したから、安心して今を
精一杯生き抜いて帰っておいでと、喚び通して喚んでくださる、そのお声が
「南無阿弥陀仏」でありました。
ー坊守便りー
今年も盂蘭盆会法要をお勤めさせて頂きました。
同朋の会の皆様には、本堂の仏具のおみがき、お盆のみのしつらいであります
切り子灯籠、提灯かけ、幕張の準備、大掃除など、猛暑の中、大汗を流して
ご奉仕をして頂きました。有り難く篤くお礼申しあげます。
そんな中、ご門徒の山口節子さんが亡くなったと、ご連絡が入りました。
元、同朋の会会長の山口善三さんの奥様です。
2年前に親鸞聖人ご誕生850年の慶讃法要をお勤めしましたが、さかのぼって
ご誕生800年の慶讃法要で、ご夫婦でお手伝い頂きました。
その後も長く本堂で聞法され、心から仏法を喜ばれた妙好人ご夫妻でした。
50年前の安泉寺の法要は、山門から本堂の縁に木造のスロープを作り、
大がかりな事でした。
今年3月にお浄土に還淨しました、前住職が勤めた大法要を、共に楽しんで
お勤めくださいました。
前住職もお浄土でお待ちしていたことでしょう。
私もお見送りさせて頂き、ありがたいことでした。 合掌。
九月の行事
12日(木)午前10時半〜 ピラティス
19日(木)午前10時半〜 ピラティス
21日(土)午後2時〜 秋季彼岸永代経法要
ご講師 阿倍野 即応寺 藤井善隆師
29日(日)午後1時〜 初心者対象サックス交流会
午後3時〜 秋のジャズ鑑賞会
(生野エキスポ協賛事業)
十月の行事
3 日(木)午前10時半〜 ピラティス
12日(土)午後3時〜 生野歴史講演会
(生野エキスポ協賛事業)
13日(日)午後3時〜 琵琶の演奏会
(生野エキスポ協賛事業)
*12.13日両日とも午後1時より猪飼野街歩き
いくナビ・ツーデイズがございます。
17日(木)午前10時半〜 ピラティス
19日(土)午後2時〜 同朋の会聞法会
ご講師 能登教区七尾 安泉寺住職 国分大慶師
27日(日)午前9時〜 難波別院報恩講団体参拝
posted by ansenji at 15:04| Comment(0)
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