法 悦3月号 894号
「共感」というのは
他人と同じ思いになること
そこに自分の気持ちを
探し当てること
ではなく
むしろ
わからないからこそ わかりたい
と思うところに
生まれるもの
小説家 柴崎友香
青色青光
阿弥陀如来は仏となられる前、
法蔵と名乗られる菩薩様でした。
大乗の全ての菩薩方は、仏道を成就し仏と成るに当たって、必ずお誓いを
立てられますが、法蔵菩薩は「一切の衆生のうち、私の名を称え成仏しない
ものがあるならば、私は仏とは成りません。」という、かつて誰も起こした
ことのない無上殊勝の誓願をお建てになって、気の遠くなるような長い思惟
を重ね、無限の歳月ご修行をされて、ついに阿弥陀仏と成られました。
願が成就しなければ仏とは成らない、と誓われた法蔵菩薩が成仏された、
とはどういうことでしょう?
親鸞聖人が尊ばれた七高僧の第一、龍樹菩薩の『中論』に「観念可燃品」
のお譬えがあります。
「譬えば火は木より出て、火は木を離れることを得ざるなり。木を離れざるを
以ての故に、則ち能く木を焼く。木、火と為る。木を焼いて即ち火と為るが
如し。」と、たいまつを持って灯火を点じて回っているうちに、ついに
たいまつ自身も火となったというお譬えですが、衆生救済のお仕事を無心に
続けるあまり、自らも成仏してしまわれたと。
ということは、一切衆生は「南無阿弥陀仏」と阿弥陀様の御名のもと、
すでに成仏が約束されていると。
私たちはすでに阿弥陀仏の救いに預かっている、お念仏は仏恩報謝の
勤めに他ならないと知られるのです。
住職日々随想
アメリカ第一主義を掲げるトランプ氏が、大統領に就任するやいなや、
矢継ぎ早に大量に発する大統領令により、世界中に混乱と緊張が生まれて
います。
その中には、あまりにも攻撃的で独善的なものや、真偽も定かではない
情報に基づくものも、多くあるように思われますが、検証する暇もない
ほどの量に対応しきれずにいる有様です。
しかし、それはアメリカ一国に限ったことではなく、世界中至る所で、
フェイクニュース(偽情報)が問題を引き起こしています。
司法、立法、行政に次ぐ権力を持つものとして、マスメディアを
「第四の権力」などと呼ぶことがありますが、新聞、テレビ、ラジオ
などの既存メディアそのものも、改めてその存在意義が問われています。
ジャーナリストの上杉隆氏は、まともなメディアの必須条件として
以下のものを挙げています。
1.バイライン(記事に署名がある)
2.ソース(情報源を明らかにしている)
3.クレジット(引用、参照元を明らかにしている)
4.コレクション(訂正欄が有り、人間は間違いを犯すものとの視点に
立って、遠い過去の記事であっても、訂正を記載する)
5.オプエド Op-ed(opposite the editorial page)反対意見を署名付き
で掲載する。
SNSなどの発達によって、誰もが情報の受信者とも発信者とも
なれます。それだけに真偽を見極めるまなこを持ち、誰もが傷つけ合う
ことのない、責任ある心構えを持つが必要なのです。
お釈迦様も仏教に帰依する人が増えたことにより、それを妬む人
から誹謗中傷をお受けになられました。
ある男がお釈迦様に対して、口を極めて悪口雑言の限りを投げつけた
とき、お釈迦様は黙ってただ聞いておられました。が、散々罵った男が
疲れ果てたとき「あなたが家で客人に差し出した食事を、もしその客人が
食べなければ、その食事は結局あなたのものになるだろう。
それと同じように、私はあなたが差し出した悪口を受け取らない
(食べない)。その悪口は、差し出したあなたのものだ。そのまま
持って帰るがよい」とおさとしになられました。
親鸞聖人も「念仏の法を尊ぶ人もあればそしる人もあるだろう」と、
お釈迦様がかねてより説いておられるのだから、念仏をそしる人が
あることは、むしろ念仏の法の真実なることを証していることに
他ならない、と説いておられます。
真宗入門「お守り」法語の味わい
ー法語カレンダー3月号よりー
娑婆の縁尽きてお浄土へ
懐かしい方々が待っている
「倶会一処」 浄土真宗の教えで
「ともに一つところで会う」という事を申します。
存命中は角突き合わせていたような関係であったとしても、
阿弥陀様の極楽浄土では、怨親の別を越えて、相まみえたい
と願う言葉です。
私たちがお称えするお念仏、南無阿弥陀仏は「我にまかせよ、
必ずあなたを救う」という阿弥陀さまのおよび声です。
そのおよび声、願いをそのまま疑いなく聞かせていただき、
娑婆の縁尽きいのち終えて即、阿弥陀さまのお働きによって、
お浄土に参らせて頂くのです。
私たちは死んで冥途のような暗い世界へいくのではなく、
阿弥陀さまの限りない光の世界であるお浄土に参らせて
いただくのです。
そこではお念仏に出遭い、先だってお浄土に還られた
懐かしい方々が「ようこそ ようこそ」と暖かく迎えて
くださることでしょう。
坊守便り ー 音楽法話と節談説教 ー
2月の安泉寺聞法会は、ギターを抱えて
日本全国を回っておられる女性僧侶、鈴木君代師に
オリジナル楽曲とご法話をお聞かせ頂く予定でした。
20年ぶりのご縁でしたが、残念なことにお身内に
急なご不幸があり、二日前にお越しいただけないと
ご連絡を頂きました。
毎月の例会枠でしたが、直前のことでもあり
「今月はコンサートですよ」とご案内していたため、どう
しようかと困惑いたしましたが、様々当たらせていただいて、
幸い、以前にも一度お越し頂き、すばらしく感銘深い節談説教
をお聞かせ下さった、園家信勇師が引き受けて下さいました。
不安な気持ちが一転、嬉しい爽やかな気持ちとなってご門徒
の皆様とお待ちしました。
園家先生は長年現役で本山の御堂の仕事をしておられ、
正しい仏事を知っていただきたいと願われて、お説教の合間に、
仏飯の盛り付けのコツや、大きな花を入れる花筒をご持参
頂き見せて下さいました。
そして、お説教ではお話の盛り上がりに合わせて、皆で
「南無阿弥陀仏」と、大きな声で受けの念仏を称えます。
大きな声でお念仏を呼び掛けながら、自身のことを後回しに、
ひたすら孫の身を案じ骨身を惜しまぬおばあ様のお話で、
私たち凡夫がみ仏を念ずるに先だって、阿弥陀様のお前を
救うのお慈悲が先手であったとのお話しでした。
引き込まれて涙の止まらぬご門徒方でございました。
先生のファンが着実に増えたことでした。
南無阿弥陀仏
三月の行事
13日(木) 午前10時半〜 ピラティス
15日(土) 午後2時〜 春季彼岸会・永代経法要
ご法話 伊勢 道浄寺 酒井正夫師
27日(木) 午前10時半〜 ピラティス
四月の行事
3日(木) 午前10時半〜 ピラティス
10日(木) 午前10時半〜 ピラティス
17日(木)〜20日(日)
大阪教区・難波別院 宗祖親鸞聖人ご誕生850年・
立教開宗800年慶讃法要
*20日に当寺より団体参拝いたします。。
2025年02月28日
2025年3月
posted by ansenji at 01:43| Comment(0)
| 法悦
2025年01月28日
2025年 2月 月
法 悦2月号 893号
敵は誰ですか?
今日の私です
味方は誰ですか?
明日の自分です
明日の自分に
納得してもらうために
今日の自分と
闘うんだ
作詞家 コラムニスト ジェーン・スー
青色青光
イチロー選手が日米で野球殿堂入りを果たしました。
世界中で政治的混乱が生まれ、先行きの見えない時代状況の中、多くの人を
勇気づける快挙と言えましょう。
特に米国での受賞に際しては、全米野球記者協会に10年以上在籍する
記者の方々の投票によって決まるのですが、大方の予想を裏切って、満票に
1票足りないという形での選出となりました。
記者会見に臨んだイチローさんは「1票足りなかったのはすごくよかった。
努力とは違うので補いようがないものだが、不完全な中で、自分なりの完璧を
追い求めて進んでいくのが人生だと思う。不完全であるというのは、生きて
いく上でいいなあと改めて考えさせられた。」と、不完全だからこそ進もう
と思える、という持論を展開されました。
それは「小さいことを重ねることが、とんでもないところに行くただひとつ
の道だ。」という彼の哲学ともつながるものと、改めてうなずかされました。
大谷派児童教化研究会の綱領にも
「いつまでも純粋なれ・いつまでも持続せよ・いつまでも未熟なれ」
があります。
本来、結果は求めるべきものではありません。いつまでも未熟な者として
人生に課題を賜り続ける、それは命尽きるその時まで、わたしを歩ましめる
「道」となって開かれていくもの、まさに往生の道なのです。
住職日々随想
2024年は世界的な選挙イヤーとなり、世界中で多くの既存与党が選挙で
大きく敗北、特に欧州諸国に於いては、移民排斥を求める政党が支持を拡大する
など、右傾化の傾向がより顕著になってきました。
我が国に於いても、与党自民党が大敗し、少数与党となって、今後の政権
運営も、これまでのような独断専行が許されなくなってきました。
その事の良否は今後の議論の動向に掛かっていると言えましょう。
また米国では、アメリカ第一主義を掲げるトランプ氏が大統領に返り咲き、
結果、国際協力の枠組みがゆらぎ、予測しがたい緊張があらゆる所で生まれて
います。
いつの世も混乱、困難のない時代はなかったのかもしれません。
しかしSNSなどの急速な普及により、誰もが発信者、受信者となれるように
なり、扇情的でより過激な言動や根拠不明な情報などによって、日々生み
出される世論(せろん)(ポピュラー・センチメント=世間の空気)が、
熟議のフィルターを通した輿(よ)論(ろん)(パブリック・オピニオン=公的
な意見)を圧倒してしまう、そのような例が数多く見受けられました。
矢継ぎ早に発信される偽情報、それを検証するにはあまりに時間が掛かり、
結局は偽情報が拡散されてしまうという構図が多く見られます。
更にそこには当事者意識が欠けているが故に、より先鋭化してしまいがちな
傾向もあるように思われます。
ある意味、異なる意見同士であっても熟議を重ねて落とし所を模索し続ける、
そういう胆力が必要な「民主主義」、哲学者ボルテールの言葉として知られて
いる「私はあなたの意見には反対だ、が、それを主張する権利は命がけで守る」
に代表されるような、基本的な姿勢が失われかけているのかも知れません。
親鸞聖人は教行信証の後序に「ただ仏恩(ぶつとん)の深きことを念じて、
人倫の嘲(あざけり)を恥じず。もしこの書を見聞(けんもん)せん者、
信(しん)順(じゆん)を因として疑謗(ぎほう)を縁として、信楽(しんぎよう)
を願(がん)力(りき)に彰(あらわ)し、妙果(みようか)を安養(あんによう)に
顕(あらわ)さんと。」と、信じようとすればするほど「疑い」の心が出てくる、
人間存在における「信」ずるという心の深いところには、抜きがたく「疑」が
ひそんでいます。その「疑い、そしる」こころをも、仏道の縁にしてほしいと
聖人は願われるのです。
人類の営みのひとつの到達点とみられていた民主主義ですが、その本当の
完成は「選ばず嫌わず見すてない」という、如来の願心に立つ仏道に帰する
ところに於いてこそある、とは言えないでしょうか?
真宗入門 「占い」
私達の身の回りには、テレビ番組をはじめ、さまざまな雑誌など、ふと目に
つくだけでもたくさんの占いがあります。
星座占いやラッキーカラーなどなど、それらの情報に一喜一憂する事も多い
のではないでしょうか。
私たちはそうやって知らず知らずのうちに、占いの結果に生き方が左右され
ているのかもしれません。
誰しも自己中心に、都合が良いように生きたいという思いがあります。
占いの情報は、自己中心の心を表面的には満たしているようでいて、実は
かえって本当に大切なことを見えなくさせてしまっているのです。
仏教は自分の作り出す「善い・悪い」という価値観を越えていく教えです。
自分の都合を中心とする心と、その心が作り出す愚かな自分の姿に気づく事が
大切なのです。
それは、善い事や悪い事などの出来事を、自分の人生を問い直す大切な
ご縁にしていくということです。
お念仏を申し、仏様の教えにうなずいて生きる者には、占いなどに縛られる
必要のない、自分の人生を主体的に歩みつくせる道が開かれるのです。
法語の味わい ー法語カレンダー2月号よりー
これが最後の会話になるかも
優しい言葉を届けたい
お寺には、実に様々な方が参詣にお越し下さいます。
先日も「父は猪飼野の出身ですが、長らく京阪沿線で暮らしていました。
仕事が定年を迎えたので、関西の家は片付け、母の実家の四国で余生を送ります。
父は毎年お盆には欠かさずお参りに来ましたが、もう伺えません」と、ご両親
からご先祖の供養を引き継いだという、息子さんご家族がご挨拶に来られました。
「今日、一緒に来た娘は今月嫁に行くんです。」とお話し下さいました。
一期一会の出遇いがたくさんございます。
ご本山から頂いた結婚念珠をお渡し致しました。爽やかなご家族でした。
また今月は、同朋の会役員の貝増さんの奥様のご実家のお母様を本堂で
お見送りさせて頂きました。
この5年間に6人のひ孫さんが安泉寺に初参りされ、いつもご一緒されて
いました。
お手次寺のご住職と共に、安泉寺からお見送りさせて頂き、有り難い
ことでした。
車椅子に乗って境内から阿弥陀様に手を合わされるお姿が、今も目に
浮かびます。 南無阿弥陀仏
坊守便りー 子どもみまもり隊 ー
大阪市では、子ども達の安全を確保するため、一定の時間、子どもの生活
ゾーンにとどまるなどして、周辺の子供を見守る活動をしています。
決まった形式は無いため、学校区によりかたちは様々です。
鶴橋小学校では、朝の通学時、町会ごとの集合地点から小学校まで送って
います。
私も昨年4月から、みまもり隊のお仲間に入らせていただきました。
かわいらしい新1年生が3人おり、ランドセルがとても大きく見えました。
高学年のお姉ちゃんに手を引かれて集合し、列をつくって学校に向かいます。
私は蛍光色のジャンパ-を着用して帽子を被り旗をさげて付き添います。
子ども達も少しずつなれてきたので、この冬休みには本堂に遊びに
来てもらいました。
プロジェクターでアニメ「窓際のトットちゃん」を上映し、子ども達の
お母さんが、たこ焼きを作って下さいました。
お寺の本堂に入った事がなかった子ども達も元気に走り回り、冬の楽しい
思い出にしてくれました。
二月の行事
6 日(木) 午前10時半〜 ピラティス
15日(土) 午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
♪ オリジナルソングとご法話の集い
ご講師 鈴木君代師
20日(木) 午前10時半〜 ピラティス
三月の行事
13日(木) 午前10時半〜 ピラティス
15日(土) 午後2時〜 春季彼岸会・永代経法要
ご法話 伊勢 道浄寺 酒井正夫師
27日(木) 午前10時半〜 ピラティス
敵は誰ですか?
今日の私です
味方は誰ですか?
明日の自分です
明日の自分に
納得してもらうために
今日の自分と
闘うんだ
作詞家 コラムニスト ジェーン・スー
青色青光
イチロー選手が日米で野球殿堂入りを果たしました。
世界中で政治的混乱が生まれ、先行きの見えない時代状況の中、多くの人を
勇気づける快挙と言えましょう。
特に米国での受賞に際しては、全米野球記者協会に10年以上在籍する
記者の方々の投票によって決まるのですが、大方の予想を裏切って、満票に
1票足りないという形での選出となりました。
記者会見に臨んだイチローさんは「1票足りなかったのはすごくよかった。
努力とは違うので補いようがないものだが、不完全な中で、自分なりの完璧を
追い求めて進んでいくのが人生だと思う。不完全であるというのは、生きて
いく上でいいなあと改めて考えさせられた。」と、不完全だからこそ進もう
と思える、という持論を展開されました。
それは「小さいことを重ねることが、とんでもないところに行くただひとつ
の道だ。」という彼の哲学ともつながるものと、改めてうなずかされました。
大谷派児童教化研究会の綱領にも
「いつまでも純粋なれ・いつまでも持続せよ・いつまでも未熟なれ」
があります。
本来、結果は求めるべきものではありません。いつまでも未熟な者として
人生に課題を賜り続ける、それは命尽きるその時まで、わたしを歩ましめる
「道」となって開かれていくもの、まさに往生の道なのです。
住職日々随想
2024年は世界的な選挙イヤーとなり、世界中で多くの既存与党が選挙で
大きく敗北、特に欧州諸国に於いては、移民排斥を求める政党が支持を拡大する
など、右傾化の傾向がより顕著になってきました。
我が国に於いても、与党自民党が大敗し、少数与党となって、今後の政権
運営も、これまでのような独断専行が許されなくなってきました。
その事の良否は今後の議論の動向に掛かっていると言えましょう。
また米国では、アメリカ第一主義を掲げるトランプ氏が大統領に返り咲き、
結果、国際協力の枠組みがゆらぎ、予測しがたい緊張があらゆる所で生まれて
います。
いつの世も混乱、困難のない時代はなかったのかもしれません。
しかしSNSなどの急速な普及により、誰もが発信者、受信者となれるように
なり、扇情的でより過激な言動や根拠不明な情報などによって、日々生み
出される世論(せろん)(ポピュラー・センチメント=世間の空気)が、
熟議のフィルターを通した輿(よ)論(ろん)(パブリック・オピニオン=公的
な意見)を圧倒してしまう、そのような例が数多く見受けられました。
矢継ぎ早に発信される偽情報、それを検証するにはあまりに時間が掛かり、
結局は偽情報が拡散されてしまうという構図が多く見られます。
更にそこには当事者意識が欠けているが故に、より先鋭化してしまいがちな
傾向もあるように思われます。
ある意味、異なる意見同士であっても熟議を重ねて落とし所を模索し続ける、
そういう胆力が必要な「民主主義」、哲学者ボルテールの言葉として知られて
いる「私はあなたの意見には反対だ、が、それを主張する権利は命がけで守る」
に代表されるような、基本的な姿勢が失われかけているのかも知れません。
親鸞聖人は教行信証の後序に「ただ仏恩(ぶつとん)の深きことを念じて、
人倫の嘲(あざけり)を恥じず。もしこの書を見聞(けんもん)せん者、
信(しん)順(じゆん)を因として疑謗(ぎほう)を縁として、信楽(しんぎよう)
を願(がん)力(りき)に彰(あらわ)し、妙果(みようか)を安養(あんによう)に
顕(あらわ)さんと。」と、信じようとすればするほど「疑い」の心が出てくる、
人間存在における「信」ずるという心の深いところには、抜きがたく「疑」が
ひそんでいます。その「疑い、そしる」こころをも、仏道の縁にしてほしいと
聖人は願われるのです。
人類の営みのひとつの到達点とみられていた民主主義ですが、その本当の
完成は「選ばず嫌わず見すてない」という、如来の願心に立つ仏道に帰する
ところに於いてこそある、とは言えないでしょうか?
真宗入門 「占い」
私達の身の回りには、テレビ番組をはじめ、さまざまな雑誌など、ふと目に
つくだけでもたくさんの占いがあります。
星座占いやラッキーカラーなどなど、それらの情報に一喜一憂する事も多い
のではないでしょうか。
私たちはそうやって知らず知らずのうちに、占いの結果に生き方が左右され
ているのかもしれません。
誰しも自己中心に、都合が良いように生きたいという思いがあります。
占いの情報は、自己中心の心を表面的には満たしているようでいて、実は
かえって本当に大切なことを見えなくさせてしまっているのです。
仏教は自分の作り出す「善い・悪い」という価値観を越えていく教えです。
自分の都合を中心とする心と、その心が作り出す愚かな自分の姿に気づく事が
大切なのです。
それは、善い事や悪い事などの出来事を、自分の人生を問い直す大切な
ご縁にしていくということです。
お念仏を申し、仏様の教えにうなずいて生きる者には、占いなどに縛られる
必要のない、自分の人生を主体的に歩みつくせる道が開かれるのです。
法語の味わい ー法語カレンダー2月号よりー
これが最後の会話になるかも
優しい言葉を届けたい
お寺には、実に様々な方が参詣にお越し下さいます。
先日も「父は猪飼野の出身ですが、長らく京阪沿線で暮らしていました。
仕事が定年を迎えたので、関西の家は片付け、母の実家の四国で余生を送ります。
父は毎年お盆には欠かさずお参りに来ましたが、もう伺えません」と、ご両親
からご先祖の供養を引き継いだという、息子さんご家族がご挨拶に来られました。
「今日、一緒に来た娘は今月嫁に行くんです。」とお話し下さいました。
一期一会の出遇いがたくさんございます。
ご本山から頂いた結婚念珠をお渡し致しました。爽やかなご家族でした。
また今月は、同朋の会役員の貝増さんの奥様のご実家のお母様を本堂で
お見送りさせて頂きました。
この5年間に6人のひ孫さんが安泉寺に初参りされ、いつもご一緒されて
いました。
お手次寺のご住職と共に、安泉寺からお見送りさせて頂き、有り難い
ことでした。
車椅子に乗って境内から阿弥陀様に手を合わされるお姿が、今も目に
浮かびます。 南無阿弥陀仏
坊守便りー 子どもみまもり隊 ー
大阪市では、子ども達の安全を確保するため、一定の時間、子どもの生活
ゾーンにとどまるなどして、周辺の子供を見守る活動をしています。
決まった形式は無いため、学校区によりかたちは様々です。
鶴橋小学校では、朝の通学時、町会ごとの集合地点から小学校まで送って
います。
私も昨年4月から、みまもり隊のお仲間に入らせていただきました。
かわいらしい新1年生が3人おり、ランドセルがとても大きく見えました。
高学年のお姉ちゃんに手を引かれて集合し、列をつくって学校に向かいます。
私は蛍光色のジャンパ-を着用して帽子を被り旗をさげて付き添います。
子ども達も少しずつなれてきたので、この冬休みには本堂に遊びに
来てもらいました。
プロジェクターでアニメ「窓際のトットちゃん」を上映し、子ども達の
お母さんが、たこ焼きを作って下さいました。
お寺の本堂に入った事がなかった子ども達も元気に走り回り、冬の楽しい
思い出にしてくれました。
二月の行事
6 日(木) 午前10時半〜 ピラティス
15日(土) 午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
♪ オリジナルソングとご法話の集い

ご講師 鈴木君代師
20日(木) 午前10時半〜 ピラティス
三月の行事
13日(木) 午前10時半〜 ピラティス
15日(土) 午後2時〜 春季彼岸会・永代経法要
ご法話 伊勢 道浄寺 酒井正夫師
27日(木) 午前10時半〜 ピラティス
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| 法悦
2025年01月10日
2025年1月
法 悦1月号 892号
あなたが自己を認識したければ
世界のうち
あらゆるものに
目を向けなさい
あなたが世界を認識したければ
あなたのうち
自身の深みに
目を向けなさい
ルドルフ・シュタイナー
青色青光
ルドルフ・シュタイナー(1861-1925)は、ドイツ、オーストリアで活躍した
思想家、哲学者、教育者です。知識偏重教育に対する疑問から、子ども達の
感情や意志に働きかける「総合芸術としての教育」を構想し、教育現場でその
理念を実践しました。
そういった取り組みに賛同する、いわゆるシュタイナー学校が、現在
60数カ国に約1,000校が開校され、世界規模の運動となりました。
日本でも不登校児が急速に増加するなか、シュタイナー学校の理念を
取り入れたフリースクールが、学校法人として認可され始め、多くの注目を
集めています。
そういった理念とも相通じるものが、黒柳徹子さんの「窓ぎわのトット
ちゃん」の舞台となったトモエ学園で、音楽教師だった小林宗作氏が欧州で、
リトミックを学び、ワルドルフ学校(シュタイナー学校)をはじめ、
さまざまな新しい教育を実践している学校を訪ね、子ども達の自由な表現や、
自発的な意志が育まれていく教育に大きな感銘を受け、帰国後、問題児と
見られていた子ども達の為に新たに設立したものでした。
仏教に於ける救いの根本は自己受容というところにありますが、
トモエ学園のどこまでも子ども達自身の持つ伸びる力を信じるあり方は、
「我が名称えよ、そのまま迎えん」という阿弥陀様の呼びかけを聞きひらく、
お念仏のみ教えにも通底していると言えましょう。
住職日々随想
今回の第216国会に於いて石破首相が所信表明演説の中で紹介して
おられた石橋湛山は、「一切を棄(す)つるの覚悟」(東洋経済新報・大正
10年社説)で朝鮮、台湾、満州などの植民地、権益の放棄を主張し、
「大日本主義の幻想」(同)で軍事力による膨張主義を批判し、平和な
貿易立国を目指す「小日本主義」を提唱しました。
そして「いかなる民族といえども、他民族の属国たるを愉快とする
ごとき事実は古来ほとんどない」と、植民地の人々の心情に対する、
日本人の想像力の欠如を指摘し批判しました。
事実、第二次世界大戦以後、世界中の植民地で独立の気運が高まり、
多くの国や地域が、宗主国からの独立を果たしました。
殊に「パクス・ブリタニカ」と称され、19世紀から20世紀初頭
まで、世界に覇を唱えた大英帝国も、植民地経営の力を失い、
いくつかの小さな島国を除き、イギリス連邦と言われる緩やかな
連合体を残して、今に到っています。
昨今、日本の経済的地位の低下に対する反動からか、「日本は
すごい国なんだ」と主張する言説が、特にネット空間などで多く
見られるようになってきましたが、それは湛山の言う「大日本主義
の幻想」を捨てきれずにいるから、と言えないでしょうか?
遣隋使、小野妹子を中国に派遣した聖徳太子の伝記「聖徳太子伝暦」
には、「敬礼救世観音、伝灯東方粟散王」と記されています。
その中にある「粟散辺土(ぞくさんへんど)」とは日本の異名、
粟の様に散在する小国土の意味で、歴史学者の伊藤聡氏は、太子伝
以降、粟散辺土を日本の別称とするという理解が広まったと述べて
おられます。
親鸞聖人もこの伝記を受けて「尊号真像銘文」に、新羅国より
日羅という聖人がやってきて、聖徳太子を礼して「敬礼救世観音
大菩薩」と、聖徳太子は仏法のともしびを、この和国にお伝え
くださる救世観音に違いないと述べ、「粟散王ともうすは、
このくにはきわめて小国なりという。粟散というは、あわつぶを
ちらせるがごとく、ちいさきくにの王と聖徳太子のならせたまい
たるともうしけるなり。」と記しておられます。
大陸から見れば辺境の小さい国、ではあるけれども、日出ずる国、
しかも和をもって貴しと成す、言わば平和を希求する「和国」
としての誇りを持つ国という。 湛山の言を俟つまでもなく、
我々も和国の精神に立ち帰るべき時代に来ているのではないでしょうか。
真宗入門「日取りの迷信」
日の良し悪しはあるのでしょうか?
「六曜」(先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口)これは中国の時刻・
日の吉凶占いが、室町時代に日本に伝わったもので、それが日本
独自の形になり、江戸時代から一般的に使われるようになった
と言われています。
友引は「共引」と書き「共に引き合い勝負なし」、仏滅は「物滅」と
書き「物がなくなる」と、勝負事の占いなどに使われていました。
友引は「友を引く、友を道連れにする」とも言われ、葬儀を
行わないようにし、仏滅は「仏も滅する、最も凶の日」と祝い事は
避けられ、逆に大安は「大いに安し、万事に良い日」と婚礼などが
多く行われていますが、仏教の教えとは関係のない「迷信」です。
どうして、迷信に惑わされるのでしょうか?私達が何かを
決めなければならないとき、占いや「他人がいうから」と世間の
考えで決定しようとします。
それは自分にとって都合の悪い事が起ったとき、世間のせいに
押しつける自己中心的な心の表れなのです。
私達の人生は都合の悪い事の方が多いかもしれません。
迷信とは、私達の都合を根とした自己中心的な心であり、人間
として本当に大切な事、後生の一大事を忘れている姿なのです。
真宗のみ教えは、あらゆる迷信に惑わされることなく、
どんな苦悩も引き受けて生きていくことが出来る道があることを、
私達に教えて下さっています。
どんな日も、私達に取ってはかけがえのない一日なのです。
法語の味わい
ー法語カレンダー1月号よりー
今年もあえた元旦会
阿弥陀様にご挨拶
当寺では、年末31日は除夜の鐘を撞くためにお参り下さった
皆様と、年の瀬勤行をお勤めし、共にその一年を振り返ります。
そして、勤行の終わった方から鐘楼に上がって頂き過ぎゆく
一年、迎える一年と高らかに鐘を撞いていかれます。
数分の間に新年となり、また本堂に入って阿弥陀様にご挨拶
されます。
真夜中なのですが、この日ばかりは新年となり、すがすがしい
気分で、阿弥陀様にご挨拶いたします。
コロナ禍では飛沫を避け、お茶のもてなしは失礼していました
が、ようやく本堂に皆様をお迎えできます。
阿弥陀様にご挨拶ください。
阿弥陀様も暖かいまなざしでお待ち下さっておられます。
南無阿弥陀仏
坊守便り
ー 阪神淡路大震災30年 ー
今年の秋から冬にかけて、何度か研修に参加致しました。
阪神淡路大震災発生から、三十年の節目となる年ということ
もあり、三度、神戸に伺う機会を得ました。
坊守会の研修では、寺院での学習と共に、阪神淡路大震災の
足跡も辿らせて頂く事となり、常時無料開放された屋外見学施設
である「神戸港震災メリアルメモリアルパーク」を訪ねました。
被災したメリケン波止場、崩れた岸壁、傾いた街灯など、
当時そのままの姿で保存されていました。
また安泉寺の日帰りバスツアーでは、防災・減災の世界的
拠点となることを目的とされている施設である
「人と防災未来センター」にまいりました。
震災発生の瞬間を再現した迫力のある映像上映や、被災者から
提供された数多くの資料展示もあり、衝撃を感じつつ学ばせて
頂きました。
また生野区仏教会研修では、東遊園地に伺いました。
1・17震災のつどいが行われている所ですが、ここに慰霊と
復興のモニュメントがあり、犠牲者の慰霊と市民の励ましの場
となっています。
また五月には能登地震の被災地に伺いました。
復興への道のりは長く、生活の復旧はまだまだです。
阪神淡路大震災から30年、伝え続けて下さるボランティアの
方々のお話を伺い、震災の遺構を巡り、災害復興への連帯の
メッセージを頂いてまいりました。
この安泉寺の在る生野の地からもお伝えし、協力して
いけたらと思うことです。 合掌
一月の行事
26日(日) 正午〜 同朋の会新年会
30日(木) 午前10時半〜 ピラティス
*一月は1日より5日まで、お寺よりのお参りは
お休みさせていただきます。
二月の行事
6 日(木) 午前10時半〜 ピラティス
15日(土) 午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
♪ オリジナルソングとご法話の集い
ご講師 鈴木君代師・天白真央師
20日(木) 午前10時半〜 ピラティス
ー P S ー
子供は先生の計画にはめてはいけない
自然の中へ放りだしておけ
先生の計画より子供の夢のほうがよっぽど大きいよ
小林宗作
あなたが自己を認識したければ
世界のうち
あらゆるものに
目を向けなさい
あなたが世界を認識したければ
あなたのうち
自身の深みに
目を向けなさい
ルドルフ・シュタイナー
青色青光
ルドルフ・シュタイナー(1861-1925)は、ドイツ、オーストリアで活躍した
思想家、哲学者、教育者です。知識偏重教育に対する疑問から、子ども達の
感情や意志に働きかける「総合芸術としての教育」を構想し、教育現場でその
理念を実践しました。
そういった取り組みに賛同する、いわゆるシュタイナー学校が、現在
60数カ国に約1,000校が開校され、世界規模の運動となりました。
日本でも不登校児が急速に増加するなか、シュタイナー学校の理念を
取り入れたフリースクールが、学校法人として認可され始め、多くの注目を
集めています。
そういった理念とも相通じるものが、黒柳徹子さんの「窓ぎわのトット
ちゃん」の舞台となったトモエ学園で、音楽教師だった小林宗作氏が欧州で、
リトミックを学び、ワルドルフ学校(シュタイナー学校)をはじめ、
さまざまな新しい教育を実践している学校を訪ね、子ども達の自由な表現や、
自発的な意志が育まれていく教育に大きな感銘を受け、帰国後、問題児と
見られていた子ども達の為に新たに設立したものでした。
仏教に於ける救いの根本は自己受容というところにありますが、
トモエ学園のどこまでも子ども達自身の持つ伸びる力を信じるあり方は、
「我が名称えよ、そのまま迎えん」という阿弥陀様の呼びかけを聞きひらく、
お念仏のみ教えにも通底していると言えましょう。
住職日々随想
今回の第216国会に於いて石破首相が所信表明演説の中で紹介して
おられた石橋湛山は、「一切を棄(す)つるの覚悟」(東洋経済新報・大正
10年社説)で朝鮮、台湾、満州などの植民地、権益の放棄を主張し、
「大日本主義の幻想」(同)で軍事力による膨張主義を批判し、平和な
貿易立国を目指す「小日本主義」を提唱しました。
そして「いかなる民族といえども、他民族の属国たるを愉快とする
ごとき事実は古来ほとんどない」と、植民地の人々の心情に対する、
日本人の想像力の欠如を指摘し批判しました。
事実、第二次世界大戦以後、世界中の植民地で独立の気運が高まり、
多くの国や地域が、宗主国からの独立を果たしました。
殊に「パクス・ブリタニカ」と称され、19世紀から20世紀初頭
まで、世界に覇を唱えた大英帝国も、植民地経営の力を失い、
いくつかの小さな島国を除き、イギリス連邦と言われる緩やかな
連合体を残して、今に到っています。
昨今、日本の経済的地位の低下に対する反動からか、「日本は
すごい国なんだ」と主張する言説が、特にネット空間などで多く
見られるようになってきましたが、それは湛山の言う「大日本主義
の幻想」を捨てきれずにいるから、と言えないでしょうか?
遣隋使、小野妹子を中国に派遣した聖徳太子の伝記「聖徳太子伝暦」
には、「敬礼救世観音、伝灯東方粟散王」と記されています。
その中にある「粟散辺土(ぞくさんへんど)」とは日本の異名、
粟の様に散在する小国土の意味で、歴史学者の伊藤聡氏は、太子伝
以降、粟散辺土を日本の別称とするという理解が広まったと述べて
おられます。
親鸞聖人もこの伝記を受けて「尊号真像銘文」に、新羅国より
日羅という聖人がやってきて、聖徳太子を礼して「敬礼救世観音
大菩薩」と、聖徳太子は仏法のともしびを、この和国にお伝え
くださる救世観音に違いないと述べ、「粟散王ともうすは、
このくにはきわめて小国なりという。粟散というは、あわつぶを
ちらせるがごとく、ちいさきくにの王と聖徳太子のならせたまい
たるともうしけるなり。」と記しておられます。
大陸から見れば辺境の小さい国、ではあるけれども、日出ずる国、
しかも和をもって貴しと成す、言わば平和を希求する「和国」
としての誇りを持つ国という。 湛山の言を俟つまでもなく、
我々も和国の精神に立ち帰るべき時代に来ているのではないでしょうか。
真宗入門「日取りの迷信」
日の良し悪しはあるのでしょうか?
「六曜」(先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口)これは中国の時刻・
日の吉凶占いが、室町時代に日本に伝わったもので、それが日本
独自の形になり、江戸時代から一般的に使われるようになった
と言われています。
友引は「共引」と書き「共に引き合い勝負なし」、仏滅は「物滅」と
書き「物がなくなる」と、勝負事の占いなどに使われていました。
友引は「友を引く、友を道連れにする」とも言われ、葬儀を
行わないようにし、仏滅は「仏も滅する、最も凶の日」と祝い事は
避けられ、逆に大安は「大いに安し、万事に良い日」と婚礼などが
多く行われていますが、仏教の教えとは関係のない「迷信」です。
どうして、迷信に惑わされるのでしょうか?私達が何かを
決めなければならないとき、占いや「他人がいうから」と世間の
考えで決定しようとします。
それは自分にとって都合の悪い事が起ったとき、世間のせいに
押しつける自己中心的な心の表れなのです。
私達の人生は都合の悪い事の方が多いかもしれません。
迷信とは、私達の都合を根とした自己中心的な心であり、人間
として本当に大切な事、後生の一大事を忘れている姿なのです。
真宗のみ教えは、あらゆる迷信に惑わされることなく、
どんな苦悩も引き受けて生きていくことが出来る道があることを、
私達に教えて下さっています。
どんな日も、私達に取ってはかけがえのない一日なのです。
法語の味わい
ー法語カレンダー1月号よりー
今年もあえた元旦会
阿弥陀様にご挨拶
当寺では、年末31日は除夜の鐘を撞くためにお参り下さった
皆様と、年の瀬勤行をお勤めし、共にその一年を振り返ります。
そして、勤行の終わった方から鐘楼に上がって頂き過ぎゆく
一年、迎える一年と高らかに鐘を撞いていかれます。
数分の間に新年となり、また本堂に入って阿弥陀様にご挨拶
されます。
真夜中なのですが、この日ばかりは新年となり、すがすがしい
気分で、阿弥陀様にご挨拶いたします。
コロナ禍では飛沫を避け、お茶のもてなしは失礼していました
が、ようやく本堂に皆様をお迎えできます。
阿弥陀様にご挨拶ください。
阿弥陀様も暖かいまなざしでお待ち下さっておられます。
南無阿弥陀仏
坊守便り
ー 阪神淡路大震災30年 ー
今年の秋から冬にかけて、何度か研修に参加致しました。
阪神淡路大震災発生から、三十年の節目となる年ということ
もあり、三度、神戸に伺う機会を得ました。
坊守会の研修では、寺院での学習と共に、阪神淡路大震災の
足跡も辿らせて頂く事となり、常時無料開放された屋外見学施設
である「神戸港震災メリアルメモリアルパーク」を訪ねました。
被災したメリケン波止場、崩れた岸壁、傾いた街灯など、
当時そのままの姿で保存されていました。
また安泉寺の日帰りバスツアーでは、防災・減災の世界的
拠点となることを目的とされている施設である
「人と防災未来センター」にまいりました。
震災発生の瞬間を再現した迫力のある映像上映や、被災者から
提供された数多くの資料展示もあり、衝撃を感じつつ学ばせて
頂きました。
また生野区仏教会研修では、東遊園地に伺いました。
1・17震災のつどいが行われている所ですが、ここに慰霊と
復興のモニュメントがあり、犠牲者の慰霊と市民の励ましの場
となっています。
また五月には能登地震の被災地に伺いました。
復興への道のりは長く、生活の復旧はまだまだです。
阪神淡路大震災から30年、伝え続けて下さるボランティアの
方々のお話を伺い、震災の遺構を巡り、災害復興への連帯の
メッセージを頂いてまいりました。
この安泉寺の在る生野の地からもお伝えし、協力して
いけたらと思うことです。 合掌
一月の行事
26日(日) 正午〜 同朋の会新年会
30日(木) 午前10時半〜 ピラティス
*一月は1日より5日まで、お寺よりのお参りは
お休みさせていただきます。
二月の行事
6 日(木) 午前10時半〜 ピラティス
15日(土) 午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
♪ オリジナルソングとご法話の集い

ご講師 鈴木君代師・天白真央師
20日(木) 午前10時半〜 ピラティス
ー P S ー
子供は先生の計画にはめてはいけない
自然の中へ放りだしておけ
先生の計画より子供の夢のほうがよっぽど大きいよ
小林宗作
posted by ansenji at 00:48| Comment(0)
| 法悦