2018年08月01日

8月住職日々随想

法 悦 8月号 815号

 過        吉野 弘

 日々を過(す)ごす

 日々を過(あやま)つ

 二つは

 一つことか

 生きることは

 そのまま過ちであるかもしれない日々

 「いかがお過ごしですか」と

 はがきの初めに書いて

 落ち着かない気分になる

 「あなたはどんな過ちをしていますか」と

 問い合わせをするようで ー

青色青光
   さるべき業縁のもよほさば 

 オウム真理教の教祖、麻原彰晃(本名 松本千津夫)以下、元幹部七名の死刑囚が処刑されました。
 驚くべきことに死刑執行の七月六日前夜に、執行責任者である法務大臣や、総理をはじめ閣僚の多くが酒に顔を赤らめ、宴会を楽しんでおられたのです。
 死刑囚本人の恐怖や、死刑囚の家族や現場の刑務官、関係者の方々の深い苦悩を思う時、そのあまりの落差にやり切れなさを禁じ得ませんでした。
 自由主義先進国の中で、実質的にほぼ唯一、死刑存置国である日本ですが、その残虐性と冤罪の場合に取り返しがつかないこと、被害者遺族の方々がそれで本当に救われるのか、などを考えると、この制度に本当に正当性があるのか、大いに疑問です。
日本の多くの方々が誤解しておられようですが、刑罰は被害者の恨みを晴らす為にあるのではなく、あくまで国の秩序を破った事に対するペナルティであり、国の最高権力の行使としてなされるのです。
 親鸞聖人は歎異抄の、唯円坊とのやり取りの中で、「わがこころのよくてころさぬにはあらず。また害せじとおもふとも、百人千人殺すこともあるべし(中略)さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」と、絶対の善人もなければ、絶対の悪人もない。人間とはどこまでも縁次第、まさに業縁存在なのだと、深く重く受け止めておられるのです。

住職日々随想

 2018年7月6日、オウム真理教の犯した数々の罪により、教祖以下七名の死刑が執行されました。
 大方の輿論としては、あれだけの犯罪を犯したのだから、全容は解明しきれなかったが、処刑は当然致し方のないことで、これは一つの区切りなんだと受け止められているようです。
 縁あって死刑囚のひとり、井上嘉浩氏と面会を重ね、何とか生きて償わせる事は出来ないのかと、処刑前日まで、恩赦を求める署名活動をしていた私の友人の僧侶Kさんは、深い悲しみに打ちのめされています。安易な慰めなど何の役にも立たない事と分かっているだけに、わが身の無力を感じます。
 限られた情報しか漏れ出しては来ませんので、全くご存じない方の方が多いのは致し方のないことですが、マインドコントロールから解放され、自らの犯してしまった過ちに真摯に向き合い、深い慚愧のなか、新たにカルトに心とらわれ、過去の自分と同じように、道を誤るかも知れない若者達を、獄中から案じ続け、支援者を通じて何とか役立ちたい、と心砕いていたそんな人だったそうです。そんな人を殺すことが本当に正しい選択だったのでしょうか?
 謝罪する立場に立ったとき、許されるつもりで謝るのか、許してはもらえない覚悟で謝るのか、井上氏の獄中の手紙からは、許されない覚悟で謝っていることがひしひしと伝わってくると。
「罪をめぐる命の痛みと悲しみをじっと静かにかみしめていると、どこからともなくいのちのまなざしを感じます。
 そのようないのちは、私のものでも、誰のものでもなく、人間が作り出す罪や過ちも悲しみや苦しみも、もれなく受け止める底知れぬ愛に満ちながら、同時にどこまでもじっと黙って見つめ、突き放し、一人一人が人として成熟していくようにうながしていく厳しさがあると感じます。
 ただただ静かに涙がこぼれます。」と、獄中の手紙にはあるそうです。
 生きるということは、大なり小なり、罪や過ちを犯さずにはおれないこと。そんな許されるはずのない私をこそ、阿弥陀仏は救わんと誓われました。
 南無阿弥陀仏とあわされる掌の中に、どれだけの数限りない罪業のあることか。わが身の罪業を背負ったとき、初めて阿弥陀仏の慈悲を感じ、その願いの深さに涙するのでしょう。
 今また一人一人、私たちの全てが、ひとつ大きな罪を犯してしまいました。
 
 罪障功徳の體(たい)となる
 こほりとみづのごとくにて
 こほりおほきにみづおほし
 さわりおほきに徳おほし 「高僧和讃」親鸞聖人

八月の行事

5 日(日)午後1時〜 おみがき清掃ご奉仕
盂蘭盆会法要
14日(火)両日とも午後1時・3時・7時半〜
15日(水)           (計六座)
*読み上げご希望のご法名を書き出してお持ち下さい。
20日(月)午後3 時〜 仏教民謡踊りの会
23日(木)午前10時半〜 ピラティス
28日(火)       南御堂盆踊り参加
31日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会

九月の行事

14日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会gatu
! 秋季彼岸永代経
15日(土)午後2時~ 法要・仏教コーラス発表
          南御堂合唱団共演・ご法話
午後6時〜 法要・ご法話
阿倍野 即応寺住職 藤井善隆師
       *お抹茶お斉接待あります。 
20日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会
25日(火)午後2時〜 門徒女性聞法のつどい27 日(木)午前10時半〜 ピラティス
*本堂内全てイス席、冷房完備、どなた様もお気軽に
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2018年06月30日

7月住職日々随想

法 悦 7月号 814号

 眼が覚めると大雨だった

 困ったなぁと思いました

 ますます大雨になりました

 私が勝手に困っているんだなぁ

 と思いました

                 横山定男 
  遺作詩集「ありのままがありがたい」より



青色青光
  業報にさしまかせて

上記の詩は若い頃から難波別院のご法座に熱心に通い、後に機関紙「南御堂」掲載の写真を長年任されておられた、写真家横山定男さんの七回忌の記念にご遺族が自費出版された詩集「ありのままがありがたい」の中の一編です。
屋外での撮影を予定していたところ、あいにく朝から土砂降りの雨、止むのかな止むのかなと思っていたが、ますます大雨になってしまった。
 しかし、長年仏法聴聞を重ねてこられた横山さんは、自分を見るまなこをしっかりと持っておられたので、全てはご縁、降るべき縁が整えば雨は降り、晴れるべき縁が整えば晴れる、という当然の道理に立ち返ることが出来たのです。
だからこその「私が勝手に困っているんだなぁ」の頷きだったのです。
実に仏道とは自覚道なのです。
仏法という鏡に照らして、我が身の事実が知らされ続ける、そういう営みに他ならないのです。
この事を中国の善導大師は「経教は之を喩ふるに鏡の如し、數々(しばしば)讀み、數々尋ぬれば、智慧を開發(かいほつ)す。」と述べておられます。

住職日々随想
 疑謗を縁として


 去る六月十八日の朝、大阪府北部を中心に地震が発生いたしました。お亡くなりに成られた方々をはじめ、様々な被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
 かくいう私も驚かされた一人ではありますが、特にお一人暮らしの方などは、心細く恐ろしい思いをなさったことと拝察いたします。
 遠方の友人知人や親戚の皆さんから、安否をお尋ね頂き、有り難いことと思っております。
 そのような中にあって、またかと腹立たしく思わずにはおれない出来事もありました。
 それは、ツイッターなどインターネット上の書き込みに「シマウマが動物園から逃げた。」「京セラドームに亀裂が入った」などはまだしも、「外国人がコンビニや商店を襲う」という悪質なものまでありました。
 犯罪心理学では、曖昧な情報×私における関心事=デマと言う公式があるそうです。
ネット上という検証の困難なところで流布される曖昧な情報と、人々の不安な心がデマを容易に拡散してしまうという困った事象ですが、これには悪しき先例が関東大震災の時にもありました。
 それは「朝鮮人が混乱に乗じて井戸に毒を放り込んだ。社会主義者がこの機に乗じて国家転覆を謀っている」などという悪質なもので、当時一般市民が組織していた自警団や警察によって、数千人に及ぶ在日朝鮮人や社会主義者などが捉えられ、虐殺されるという事件が起きました。
 演出家、俳優の千田是也(せんだこれあ)氏も、朝鮮人と間違えられ殺されかけましたが、歴代天皇の名を答えることが出来たので、九死に一生を得たという経験から、あえて千駄ヶ谷でコリアンと間違えられ殺されかけたから、千田是也と強烈な批判を込めて、芸名として名乗られたそうです。
 不安な気持ちから疑心暗鬼に陥っている心には、少し落ち着いて考えれば、明らかにデマと分かるような情報も、容易に信じられてしまうようです。
 親鸞聖人はその主著「教行信証」化身土末巻に『信順(しんじゅん)を因とし、疑謗(ぎほう)を縁として、信楽(しんぎょう)を願力に彰し、妙果を安養に顕さん。』と、仏を信じひたすら「たのむ」心だけでなく、人間という存在の根っこに抜きがたくある「疑い・謗る」心すら、仏道という人間成就の縁になるのだと、
お諭し下さるのです。

七月の行事
5 日(木)午前10時半〜 ピラティス
10日(火)午後2時〜 門徒女性聞法のつどい 
               浄土和讃 31 
14日(土)午後4時〜 祥月講同朋の会聞法会
ご法話 伊勢道淨寺前住職 酒井正夫師
19日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会
20日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会
22日(日)午後2時〜 着付けクラブ
                ゆかた講習会
八月の行事
5 日(日)午後1時〜 おみがき清掃ご奉仕

14日(火)盂蘭盆会法要
両日とも午後1時・3時・7時半
15日(水)*読み上げご希望のご法名を書き出
       してお持ち下さい

20日(月)午後2時〜 仏教民踊踊りの会

27日(月)28日(火)南御堂盆踊り参加

31日(金)午後2時〜仏教コーラスの会
*8月のティラピスは日にち未定です。

*どなた様もお気軽に、本堂内全てイス席・冷房完備です。
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2018年05月31日

六月 住職日々随想


悲しい時、腹が減っていると、

余計に悲しくなる。辛くなる。

そんな時はメシを食え。

もし死にたいくらい悲しいことがあったら、

とりあえずメシを食え。

そして一食食ったら、

その一食分だけ生きてみろ。

それでまた腹が減ったら、

一食食べて、その一食分生きるんだ。

そうやってなんとかでもしのいで

命をつないでいくんだよ。


   中学生作家 鈴木るりか著
         「さよなら田中さん 」より

<青色青光>

 藤井聡太さんをはじめ、ローティーンの人々の活躍には驚かされる事がありますが、文学の世界にも驚異の新人が現れました。
 上記の文章は中学生作家、鈴木るりかさんが、十四歳の誕生日に出版した連作短編小説、「さよなら田中さん」からのものです。
 貧しいながらもたくましく生きる、土木作業員のお母さんと、小学六年生の女の子、田中花実の母子家庭の日常を、楽しく、時にほろりとさせられるエピソードとともに描いた傑作ですが、主人公、花実の友人の少年が、お受験に失敗して、母親の心ない言葉に傷つけられ、家を飛び出し町をさまよった末、川に飛び込もうとしているのを見つけた花実の母親が、空腹の少年をアパートに連れて帰り、ご飯を食べさせてやりながら語った言葉で、生きるための力強い励ましです。
 断言いたしますが、人としてこの世に生まれて、死にたい人など一人もありません。ただ、生きることが苦しくつらい、困難だ、死ぬしかないのではないかと、思い詰めるひとはいます。
 だからこそ生きることの支援が必要なのです。今、支援の手を差しのべる私が、いつ支援をしてもらわなければならないようになるか分からないのですから。
 苦悩の衆生を捨てじと、十劫の昔から寄り添ってくださっている阿弥陀仏の誓いのまことを、お念仏と共に喜ばせていただきたいものです。 

<住職日々随想>
 かつて同朋会運動を支え、活躍された仲野良俊先生が、インドの仏跡を訪ねられた折、ガイドの青年に「あなたの人生の目標は何ですか?」と尋ねると、すかさず、「ビモクシャ!(解脱だ)」と答えが返ってきて大変驚いたと。
 それこそ日本の若者に限らず老人に至るまで、この青年の様に、人生の目標を見定めている人が、どれだけいる事かと、深く考えさせられたとお話しされました。
 「終活」と言う言葉が、近年広く用いられるようになりました。物事を始めるときは、弾みであったり、計画を立て準備を整えてであったり、形は様々ではありますが、何事につけ幕引きという事は難しいものかと思います。
ことに自身の人生の最後について考える「終活」というような事は、自らの事だけに却ってイメージしづらく、なおかつ、それまで見ないようにしてきたことにも、目を向けなければならないので、大変心を悩ませる事になると思います。
 仏教の故郷であるインドでは、先にご紹介した青年に限らず、古来より、人の一生を「学生期(がくしょうき)・家住期(かじゅうき)・林住期(りんじゅうき)・遊行期(ゆぎょうき)」の四つの時期に分け、それぞれの時期の過ごし方に明確な方向性をもっておられます。
まず「学生期」というのは、まさにさまざまに学問し、生きる上での知恵と知識を身に付ける時期と捉えています。
  次に、「家住期」というのは、働き家庭を持ち子供を育て、人としての責任を果たす時期と捉えます。
 次に、「林住期」というのは、世俗の様々な雑事を離れ、隠生し宗教的生活をする事を目指す時期と捉えます。
 最後に、「遊行期」というのは、生涯の終わりに臨んで、聖なる川ガンジスを目指して旅に出、たとえ、たどり着けなくて途中、野垂れ死ぬような事があったとしても、その遺灰をガンジスの支流にでも流してもらえれば、来世の幸福が約束される、というものです。
 日本は今、かつて人類が経験したことがないような超高齢社会を迎えようとしています。
 そのような中にあって、現役を退いた後の過ごし方、まさに林住期を如何に生きるのか、そして人生の終わりを、如何に迎えるのかという事は、誰にとっても切実な問題と言わねばなりません。もちろん、そのまま当てはめる事は出来ませんが、インドのこのような思想に、学ぶべきものがあるのではと思われるのです。
 かつて写真家、藤原新也氏の写真集「メメント・モリ(死を想え)」の中の、ガンジス川のほとりで犬に食べられる人間の姿を捉えた一枚の『人間は犬に食われるほど自由だ』のキャンプションが思い出され、野垂れ死ぬことをも、魂の解放と受け入れている彼の人々と、狭い視野で「終活」を語る我々と、彼我の落差を思わずにはおれません。

六月の行事
7 日(木)午前10時半〜 ピラティス

8 日(金)午後2時〜   仏教コーラスの会

16日(土)午後4時〜祥月講・同朋の会聞法会 
  ご法話  光照寺住職  墨林 浩相師
24日(日)午前10時〜 女性のつどい
      「朗読とお話し・お楽しみ懇親会」
    大谷大学幼児教育科講師 蓮岡 修先生

28日(木)午後2時〜  仏教民謡踊りの会 

29日(金)午後2時〜  仏教コーラスの会
七月の行事
5 日(木)午前10時半〜 ピラティス

10日(火)午後2時〜 門徒女性聞法のつどい  浄土和讃 31 
14日(土)午後4時〜 祥月講同朋の会聞法会
ご法話 伊勢道淨寺前住職 酒井正夫師

19日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

20日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会

22日(日)午後2時〜 着付けクラブ
                ゆかた講習会
*どなた様もお気軽に、本堂内全てイス席・冷房完備です。
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