2025年07月01日

2025年7月

 法 悦7月号 898号

世界がもし100人の村だったら
 (2025年版)


 世界がもし100人の村だったらー
50人が男性、50人が女性、うちLGBTが6人、こどもや若者が39人、
25〜64歳が52人で、65歳以上が9人です。
 100人のうち、59人はアジアから来ました。
18人はアフリカ、9人はヨーロッパ、8人は中南米5人は北米、1人は
オセアニアからです。
 みんなそれぞれのことばを話しています。
中国語を話す人は12人、スペイン語が6人、英語が5人、70人はそれぞれ
ちがう言語を持っています。
 100人のうち、十分食べ物のある人は88人、 
飢餓や栄養不足の人が9人、肥満の人は13人です。 100人のうち、
安全な水を使える人は74人で、使えない人は26人。安全なトイレを
使えるのは59人で、定期的な医療を受けられる人は70人です。
 100人のうち、読み書きができる人は86人
そのうち高等教育を受けたことがある人は8人です。
 100人のうち、1人が村中の富の45%を持ち、中間層は40人、
最貧困の人は50人です。   

青色青光
 上記は、25年前に数多くのインターネットの投稿から紡ぎ出された
ネットロア(民話フォークロアをもじって作られた造語、ネットの中で
形成された物語)を「世界がもし100人の村だったら」というタイトルで
まとめられたものを、現在のデータを当てはめてみるとどうなるのか、
と試作してみました。
 当時世界人口は62億人、現在82億人です。貧富の格差は更に拡大し、
社会不安の要因になっています。
 我が国でも主食である米の価格が、例年の倍以上になるなど、まさに
令和の米騒動がおこりました。
米の消費量の減少や長年の減反政策、農業従事者の高齢化や流通の目詰まり
など、様々な要因が語られていますが、未だ不透明感は払拭出来ていません。
 我が国の食糧自給率が四割を切るなか、天候不順や国際情勢の変化など、
輸入に大きく依存する現状は、食糧安全保障の観点からも、農政を抜本的に
見直す国民的議論が必要だと思われます。
 そのような状況にも関わらず、大量の食糧を廃棄し続ける私たちの食生活の
ありようは、大きな問題です。
 清沢満之師は「大悲回向の分限に於いて、互いに相愛相扶すべし」と
求施(ぐせ)の二原則「汝の有する所は、求めに応じて之を施すべし。
汝の欠くる所は、之を有する者に就いて求むべし。」と示されました。
所有ということは一時的に預かっただけで、我が物と執することは、天に
背くことであると戒められました。

住職日々随想
 毎年6月23日は沖縄慰霊の日です。
1945年8月15日に日本はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏いたし
ましたが、本土決戦に先立つ同年3月、米軍をはじめとする連合国軍が
沖縄本島に上陸し、住民を巻き込んだ激しい戦闘が行われました。
 この世の地獄をすべて詰め込んだ、と称されるほどの3ヶ月の激戦に
よって、日米の全戦没者20万人、うち沖縄出身の軍属を含む県民12万人、
実に沖縄県民の4人に1人が命を落としました。
 ずいぶん以前になりますが、初めて沖縄に研修で訪れたとき、那覇の
市街地の中心部にも、櫛の歯が抜けたかのように、空き地や空き家が
少なからず見られました。
ガイドの方に伺うと「これらの空き地が多くあるのは、一家全員が
沖縄戦で亡くなり、跡を継ぐ人がいなくなったからです。」と
教えてくださいました。
 戦後80年になる今現在も、激しい戦闘や集団自決のあった、ガマと
呼ばれる洞窟やその周囲には少し掘れば遺骨が出てきます。
 特に戦闘の激しかった本島南部で、40年以上にわたって、沖縄戦戦没者の
遺骨や戦争遺物収集のボランティアをしておられる、ガマフヤーの会代表の
具志堅隆松さんは、「国の誤った政策によって命を落とされた犠牲者の方々を
、なんとか遺族の方々に返してあげたい。」と、祈りを込めて、手にカマ
を持ち、地を這うようにして、丁寧に収集作業を続けておられます。
 そんな少し掘れば遺骨の出てくるような沖縄の土も、辺野古大浦湾の
マヨネーズ状の軟弱地盤を埋めるための土砂として投入しています。
が、具志堅さんは「戦争犠牲者の方々の遺骨の混じった土を、また国策で
踏みにじるような行為が許されてよいわけがない」と、新基地建設を
推し進める政府に、抗議しておられます。
 そのような状況の中、今年5月に与党の参議院議員が、沖縄戦で犠牲に
なった学徒隊の生徒や教員らを慰霊する「ひめゆりの塔」の説明書きに
ついて「要するに日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆりの隊が死ぬこと
になり、米軍が入ってきて沖縄が解放された、とそういう文脈で書いてる。」
「歴史を書き換えられると、こういうことになっちゃう」と沖縄の戦後教育を
批判するなど、曖昧な記憶を根拠に、事実に基づかない主張をし、誤りを
指摘されても謝罪にもならない言い訳を繰り返し、沖縄県民の怒りを買って
います。
 阿弥陀仏の四十八願の第一に「無三悪趣の願…私、法蔵の建立する国に
地獄、餓鬼、畜生が在ったならば私は仏にはなりません」と誓われ、その誓願が
成就し、すでに十劫の昔に成仏しておられると、だからこそ私たち念仏者は
仏願を念じ、わが身の業と向き合い続けられるのです。 

真宗入門

ー浄土真宗のご本尊は阿弥陀如来ー
 ご本尊とは、信仰のよりどころとして礼拝する仏様や菩薩様のことを言い、
各宗派によって異なります。
 例えば、釈迦如来、毘盧遮那仏。大日如来などがありますが、それ以外の
仏様を安置しているところもあります。
 浄土真宗のご本尊は阿弥陀如来です。「阿弥陀」とはもともとインドの言葉で
「無量寿」「無量光」の二つを意味しています。
「如来」は「私に真理がはたらく」ということを意味しています。
色も形もない、思い描くこともできない真理が私たちの思いやはからいを
超えた〈はたらき〉として表現されたものが、阿弥陀如来です。
 ご本尊には〈木像〉〈絵像〉〈名号〉があります。阿弥陀如来が右手を上げ、
左手を下げている木像と絵像の姿は、悩み苦しむ私達を救おうとされるお姿を
表したもので、限りない智慧と慈悲を表しています。
 また、後光、光背と言われる、背後にある飾りも、阿弥陀如来のはたらきは
、一切衆生を照らし出す光そのものであることをを表しています。

法語の味わい 
  ー法語カレンダー7月号よりー
 迷惑かけどおしで 
 ここまで生かされた


「人に迷惑をかけてはいけない」とは、自己を戒めるものであり、誰が聞いても
正しい言葉です。
 けれど、はたしてそうなのでしょうか?親鸞聖人は、「私の身には煩悩が
満ち満ちており、欲望も多く、怒りや腹立ち、そねみやねたみの心ばかりが
絶え間なく起こり、まさに命が終わろうとするその時まで、止まることも
消えることも絶えることもない」「おのれよければ全てよし」と、自己中心的な
生き方を止める事など出来ないのが、わが身だと教えて下さっています。
 阿弥陀様は、この私から離れぬというお慈悲のあらわれとして、南無阿弥陀仏
となり、危うい私であると見抜き、見守っていてくださいます。
 そうでありますゆえ、お念仏を申すこの身は、人だけではなく、
あらゆるものに迷惑をかけずには生きられぬ身だと知らされます。

坊守便り ー 異文化交流 ー

 知り合いのお寺の坊守さんから、アメリカ・オレゴン州の大学の学生に
コリアタウンの案内をお願いしたいとのご依頼を頂きました。
 日本と韓国の交流の歴史を学んでいるということで、2人の先生と20人ほど
の学生さんがこられました。 当日の朝には京都の禅宗のお寺で、座禅を経験して
こられたとのことでしたが、《つるのはし》遺跡を観て安泉寺に到着されました。
 お寺の歴史や、阿弥陀様、親鸞聖人、聖徳太子、七高僧、眞宗のお話など、
住職が説明いたしました。
 先生方は日本語を上手に話され、学生さんも日本語を少し学んでおられて、
しっかりお話を聞いてくださいました。
 学生さん達はその他にも韓国語、中国語を学んでおられ、この後、韓国を
訪ねるとのことでした。
 安泉寺での滞在時間が長くなってしまい、他の処を十分にご案内ができません
でしたが、お帰りになる時、たくさんの寺院を訪ねたが、一番良い思い出のお寺に
なった、と帰っていかれたとのことでした。
 皆さん学ぶ意欲が強く、沢山の事を住職に質問していかれました。
 人と人との交流は何よりの思い出と、善き出会いのひとときを過ごさせて
いただきました。

七月の行事
3 日(木) 午前10時半〜 ピラティス

12日(土) 午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
       ご講師 円明寺 島 章師

17日(木) 午前10時半〜 ピラティス

八月の行事
3 日(日) 午後1時〜  おみがき・清掃ご奉仕

7 日(木) 午前10時半〜 ピラティス

10日(日) 午後1時〜  盂蘭盆会準備

盂蘭盆会
14日(木) 午後1時・3時・夕方7時
15日(金) 午前10時・午後1時 (計五座)

* 詳細につきましては、改めてご案内申し上げます。

* 8月16日〜20日、当寺夏期休暇を
   頂きます。













































































































































































































































posted by ansenji at 19:53| Comment(0) | 法悦

2025年05月31日

2025年6月

 法 悦6月号 897号


貧乏とは

少ししか持っていないことではなく

無限に欲があり

いくらあっても満足しないこと

私は質素なだけで、

貧しくはない

私たちは経済発展するために

この地球にやってきたわけではありません。

  「世界で最も貧しい大統領」 元ウルグアイ大統領
      ホセ・ムヒカ

青色青光
 今年の5月13日、ウルグアイの第40代大統領であったホセ・ムヒカ氏
が八十九歳で亡くなりました。
 中古のワーゲンと自転車を日常の足とし、奥様と愛犬と共に清貧な生活を
送り、自身の報酬は一般庶民の水準に合わせ、残りの大部分は貧しい人びと
に寄付され「世界一貧しい大統領」と言われました。
 大学卒業後、軍事政権に対抗する左派武装勢力に属し、自身も13年間
収監されるという経験もしました。
 後に中道左派の政治家となり、2010年から2015年まで大統領職
を務めましたが、任期中、自身を弾圧し投獄した元軍事政権の人びとに
対しても寛容な姿勢を貫き、国民からも広く愛され支持されましたが、
その希有な生き様は、現代人の価値観を問うてくるようです。
 仏教では人間の根源的な欲望を、食欲・財欲・色欲・睡眠欲・名誉欲の
五欲に分類します。
 人間の生存に関わるものを無くすことは困難ですが、「小欲知足
…欲少なく足るを知る」と言われるように、その正体を知り、どう身を
処していくのかが課題なのです。
 今日、世界のごくわずかな超富裕層が富を独占し、貧富の格差の
際限ない拡大が、紛争の頻発などに見られるように、世界全体に 
不安定化をもたらしています。
 富や名誉などは、「結果」として得られる場合もあるでしょう、
が、それを「目標」とすることは、道を誤る元である、とは言えない
でしょうか?

住職日々随想
日本の自死される方の年齢層は中高年、特に男性が多いのが特徴
でした。
近年さまざまな対策や社会の風潮の変化により、中高年の男性の
自殺率は減ってきています。
ところが若者や女性の自死は増加しています。
 なぜ、私たちの希望ともなるべき若者や子ども達の自死が増えて
いるのでしょうか?
 こども家庭庁から令和5年度の「我が国と諸外国のこどもと若者の
意識に関する調査」が公表されました。
 調査対象国は、日本・アメリカ・ドイツ・フランス・スウェーデン
の五カ国、調査対象者は満13歳〜29歳の男女です。
 その調査で際立っていたのは、他国と比較して自分に自信があり、
友人も十分で、長所もあり、自分が好きだと思っている若者・子ども
の少なさ、自己肯定感の低さです。
 さらに自分の考えをはっきり相手に伝えることができるかとの
問いや、うまくいくかわからないことにも意欲的に取り組む事が
できるか、という問いにも肯定的な回答は他国よりも低く、
気がかりなことです。
 様々な要因が相まっての結果ではありますが、「空気を読む」
ことに神経をすり減らす、いわゆる同調圧力を感じずにおれない
文化的傾向は、SNSなどの発達により、近年より強くなった
と言えます。
 これはなにも子ども達だけに限ったものではありません。
数値化された結果に、過度に評価基準を置いてしまう傾向や、
失敗することに対する許容度の低さなど、私たちの社会を覆う
病理でしょう。
 仏教では高上がりして他を見下す「驕慢」、逆に「どうせ
自分なんか…」と自己軽蔑する「卑下慢」、「あんたも私も
チョボチョボや」という小ずるい「等慢」、いずれも他と
比較するこころの有り様を「慢」と捉え、自尊感情をゆがめる
ものとして戒めています。
 また、つらいことがあると、「ずっとこのままだ」と思い
込んでしまうかも知れません。
でもこの世界は全て「諸行無常」、つまり今のつらさも決して
留まることなく、時間とともにその姿を変えていきます。
 また「縁起」という考え方に立てば、全てが相互依存し、
決して固定化された自己は無く、いま「自分はこういうものだ」
と思い込んでいることも、時と共に変わるもの。
たとえうまくいかなくても、比べられてつらくても「そのままの
あなたでいい」、「今ここにいるだけでいい」と伝え続けてきた
のが仏教です。
 わけてもお念仏の生活は、阿弥陀仏の「たとえ世界があなたを
見捨てても、私はあなたを見捨てず、寄り添い続けます」という
如来の願心を賜り続けるなかに、真実の誇るべき自己を見出して
いく歩みなのです。

真宗入門「浄土真宗のお寺」
 仏教寺院には宗派によって、それぞれ異なった特徴があります。
 私たちの浄土真宗のお寺は、本堂に特徴があります。
それは一人でも多くの人がお参り出来るようにと、僧侶が出仕し
お勤めする内陣よりも、参拝者が座れる場所の方を、とても広く
取っているところです。
 他の宗派のお寺は、本堂を僧侶の修行の場、と捉えているのに
対して、浄土真宗のお寺は門徒が仏様のお話を聞く場、聞法の
道場として開かれています。
 また、すべての真宗のお寺では、親鸞聖人のご命日をご縁に
勤める「報恩講」を、一年中で最も大切な行事として、いかなる
困難な時もお勤めしてきました。
 報恩講は親鸞聖人のご遺徳を偲び、お念仏のみ教えのいわれを
聞き開く、真宗門徒にとって最も大切な法要なのです。
 本山、真宗本廟「東本願寺」では、毎年11月21日から28日
(ご命日)までの七昼夜、8日間にわたるお勤めがあり、御正忌
とも称していします。
 聖人のお書きになった「正信偈」 「文類偈」をお勤めし、中日の
25日のお逮夜勤行の後には「御伝鈔」が拝読されます。
 私達がお念仏に出遇えたのも、聖人のご苦労あればこそと、
その足跡を尋ねご遺徳を偲び、報謝の思いを新たにするのが報恩講、
私たちは報恩講教団なのです。

法語の味わい 

ー法語カレンダー6月号よりー
 あたまを下げる あたまが下がる
 一字違いで…

 私たちは利害損得が絡めば、心の中ではいかに不承知でも、頭を
「下げる」こともあります。
 しかし、あたまが「下がる」のは、真実に出遭い、この身が
うなずくところにしかありません。
 今日の厳しい競争社会の中では、お先にどうぞ、とばかりは
言っておれない現実があります。
 でも、ひとつしかない大事なものであっても、「半分ずつ
しましょうね」とか、「交代にしましょうね」と、気遣うこころの
余裕のある方の回りには、何か爽やかな陽だまりが出来ている
ようなところがあります。
 それは本人も気付かぬうちに、真実の世界にふれ、あたまが
下がっているからに違いありません。

坊守便り ー大阪教区学習会 ー
 ハンセン病問題に学ぶ学習会に参加しました。
大谷派僧侶であり代々医師でもあった小笠原登という方が
おられました。
 小笠原家では登の祖父が長崎で医術を学び、母親が薬剤師と
して薬の調合をしていました。
 ハンセン病(らい病)は有史以来存在していました。
江戸時代にも患者はおられ、非人として差別されてはいましたが、
市井で共に生活し、隔離されてはいませんでした。
 ところが昭和6年から、らい病患者が市中にいることは、
文明国家として恥ずべきことだ、との声が上がり、無らい県運動が
全国的に展開されました。
 結果ハンセン病患者の強制隔離政策が実施され、発症された
方々は家族と別れ、故郷を離れ、名前も変え、男女ともに断種、
避妊手術を強要されました。
 小笠原氏は隔離政策に異を唱え、勤務先の病院、自宅の医院でも、
ハンセン病との診断報告はせず、長年にわたって治療を続けました。
 ハンセン病菌は結核菌に比べても、感染力は強くはありませんし、
戦後はプロミンという特効薬も入り、完治する病ともなりましたが、
神経を冒される症状に伴う身体的欠損などの後遺症により、その後も
忌避され続けました。
 残念なことに、日本のハンセン病政策は世界的に隔離政策が
なくなった後も、30年以上続けられました。
 今回、小笠原氏の事績に学び、仏教徒として、真宗門徒として、
国を超え、民族の違いを超えて、生きとし生けるものの誰もが、
この世にただひとりの存在、かけがえのないもの同士として認め合い、
ともに御同朋として出会っていくべき存在である、ということを
学ばせていただきました。

六月の行事
12日(木) 午前10時半〜 ピラティス

19日(木) 午前10時半〜 ピラティス

21日(土) 午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
       ご講師 念仏寺 土井紀明師
七月の行事
3 日(木) 午前10時半〜 ピラティス

12日(土) 午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
       ご講師 円明寺 島 章師

17日(木) 午前10時半〜 ピラティス

   自身の弱さを認め 必要なとき
   手助けを求めることができることこそ 
   ほんとうの強さ























posted by ansenji at 23:14| Comment(0) | 法悦

2025年04月30日

2025年5月

 法 悦5月号 896号



 悲しみが濁れば

 愚痴になる

 怒りが濁れば

 憎悪になる

 愚痴も憎悪も

 常に外に向かって

 こころが動く

不純な悲しみや怒りは

 自他を傷つけずにはおれない

              宮城 師 

青色青光
 4月21日、信者十三億人を擁する、カトリック教会のフランシスコ教皇が、
八十八歳で亡くなりました。
 清貧な生活を好まれ、過去のカトリック教会の犯した過ちに対して、懺悔の
表明をされました。
 また世界の安寧と平和を祈りつつ、薬物依存症患者や性的少数者に寄り添う
など、改革派教皇とも称されていました。
 そこに見られるのは、宗教の本来持つべき利他と寛容の精神と言えるで
しょう。
仏説無量寿経に「国富民安、兵戈無用」、つまり仏の赴くところは国豊かに
して、武器も軍隊も必要が無く平和が保たれている、とあります。 
また、親鸞聖人のお手紙にも「御報恩のために、御念仏、こころにいれて
もうして、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれと、おぼしめすべしとぞおぼえ
そうろう」とあります。
 相愛大学の新井俊一教授は「浄土真宗は祈りなき宗教と言われますが、
だからと言って祈りを排斥するよりも,浄土真宗は如来の祈りの上に立つ
宗教と、言い換えた方がいいのではないか」と提起しておられます。
 現実の娑婆世界には、真実の平和や永遠の安らぎはありません。
しかし、我々にかけられた如来の祈りを憶念するところに、求めずに
おれない心が念仏生活に研ぎ澄まされて、諦めず歩む力となっていくのです。

住職日々随想 
浄土真宗のご法事では、お釈迦様のご説法を文字に起こしたお経、中でも
浄土三部経を読誦いたします。
 八万四千とも言われる、およそ全ての経典が、お釈迦様が舎利弗などの、
仏弟子の問いにお応えになって述べられたお説法を、文字にしたものです。
 ところが仏説阿弥陀経だけは、どなたかの問いにお応えになった
というのではなく、問わず語りに、つまり、お釈迦様ご自身が一番残し
置きたいお言葉をお述べになったお経「無問自説の経」「出世本懐の経」
と称されています。
 この阿弥陀経の冒頭には、お釈迦様が舎衛国の祇樹給孤独園という
ところに、1250人の阿羅漢、数多くの菩薩や仏弟子方と共に居られた
とき、舎利弗を主な聞き手、対告衆(たいごうしゅう)として、
阿弥陀如来の極楽浄土の素晴らしい諸相と、そのお徳を六方におわします
諸仏方が褒め称えられ、お念仏する願生者を守護して、必ず仏陀の悟りを
得しめることが説かれています。
 ではなぜお釈迦様は、ご自身の出世の本懐をお説きになったのでしょうか?
 祇樹給孤独園、略して祇園精舎と言われている場の持つ願いに、深く
感応されたからに違いありません。
 その由来とは、コーサラ国にスダッタという名の大金持ちの商人が
いました。熱心な在家の仏弟子となったスダッタは
「鰥寡孤独(かんかこどく)」…鰥は連れ合いに先立たれた男、寡は
同じく連れ合いに先立たれた女性、孤は親を亡くした孤児、そして
独は独居老人、などの身寄りの無い方々に、施しをするという善行に励み、
「給孤独長者」と親しく呼ばれていました。
 この長者は年来の願いとして、お釈迦様に長くお留まり頂き、親しく
お説法をお聞かせ頂きたいと念じておりましたが、たまたま目にした
ギータ王子の所有する園があまりに素晴らしいので、ぜひ分けてほしい
と懇願しました。
 が、王子は自身もお気に入りの園だと断ります。それでも懲りずに
願い出る長者に根負けし「この園に黄金を敷き詰めれば、その分だけ
分けてやろう。」と難題をふっかけました。ところが喜んだ長者は自身の
財産を全て黄金に替え、早速敷き詰め始めました。たちまち無一文になり
ましたが、それでも懸命に働き、一枚また一枚と敷き詰めていきました。
 その姿を目にしたギータ王子が、その理由を尋ね、深く心打たれ、
それならばと共に精舎を建てて、お釈迦様をお迎えいたしました。
 そんな場の持つ深い願いこそが、お釈迦様のお心に響き、問わず語りに、
一番この世にお残しになりたかった、阿弥陀仏のお救いをお説きに
なったのです。

真宗入門「東本願寺と西本願寺」
 浄土真宗には十派の宗派があります。
どうして、東本願寺と西本願寺などに別れているのでしょうか?
 もともとは一つの「本願寺」でしたが、江戸時代初めに東西に分立
しました。
 その発端は、戦国時代におこった「石山合戦」にあると言われています。
 これは天下統一を目指していた織田信長から、当時の本願寺の本拠地、
石山本願寺(現在の大阪城あたり)の明け渡しを要求されたことに
始まります。
 明け渡しを拒み一〇年に及ぶ合戦をしましたが、宗主・顕如上人は
紀州に退去しました。
 長男・教如上人は親鸞聖人の御座所を守ろうと、本願寺に籠城しましたが、
援軍も断たれ、最後には本願寺を明け渡しました。
 信長の死後、教如上人は十二代を引き継ぎましたが、一年も経たない
うちに豊臣秀吉の命により、弟・准如上人に宗主を譲りました。
 その後、徳川家康から七乗烏丸の土地の寄進を受けた教如上人が、
東本願寺を創立し現在にいたっています。

法語の味わい 

ー法語カレンダー5月号よりー
 こんな私でも
 阿弥陀様は背を向けない。

 阿弥陀さまは、私たちの病名を「煩悩具足の凡夫」と診断してください
ました。
 煩悩海に沈みきって、むなしく終わっていく重病人とのお見立てです。
 ところが私はと言えば、そんな事どこ吹く風というように、阿弥陀様に
背を向けっぱなしでした。
 阿弥陀様のお救いは、煩悩や苦しみを持つ者すべてを、無条件で救済
してくださる慈悲のお働きです。
「勝手にせえ」と背中をむけずに「あんたを見捨てたら阿弥陀は阿弥陀
ではなくなる。」と見守って下さる、いのちのみ親なのです。

坊守便り ー 慶讃法要 ー
 大阪教区慶讃法要が、4月17日
から20日まで、南御堂で行われました。
 浄土真宗の宗祖親鸞聖人のご誕生
850年、立教開宗800年の節目
でもあります。
 私達は、この法要で親鸞聖人がこの世に生まれて下さったこと、
「浄土の真宗」というみ教えを私達に遺して下さったことを慶び、
法要を厳修させていただきました。
 安泉寺では、2年前にご本山の法要に先立って、お待ち受けの
慶讃法要を勤めさせて頂きました。
 また昨年には、本山の法要に団体参拝させて頂きました。
 今年も本堂に慶讃法要のポスターを掲示させて頂き、有志の方々に
参拝をお願い致しました。
 当寺のご門徒様には、おそろいのTシャツを着用して頂き、今回は
最前列でお詣りさせて頂きました。
その模様はユーチューブでも生配信されたようです。
 住職は、今回も全体の法要を先導するお役目を、四日間務めさせて
いただきました。
 坊守も大阪教区坊守会からの要請で、有資格僧侶の装束を着用し、
二日間、法要と庭儀のお練りに参加させて頂きました。
 当日はご門主の息子さんの新門さまが、朗朗としたお声を響かせて
下さり、宗務総長も締めくくりのご挨拶で「大きな節目を迎えま
したが、今からが始まりですよ。」と、気持ちの引き締まるお言葉を
頂きました。とても嬉しく楽しい法要でした。       合掌

五月の行事

1 日(木) 午前10時半〜 ピラティス

15日(木) 午前10時半〜 ピラティス 

17日(土) 午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
       ご講師 圓龍寺 門井 斉師

六月の行事
 
5 日(木) 午前10時半〜 ピラティス

21日(土) 午後2時〜 祥月講・同朋の会聞法会
       ご講師 念仏寺 土井紀明師

19日(木) 午前10時半〜 ピラティス


私たちが失ったのは 泣くという体験です。
無関心のグローバル化が 
泣くという力を奪ったのです。

        フランシスコ ローマ教皇















































































































































































































































posted by ansenji at 14:02| Comment(0) | 法悦