法 悦 6月号 861号
こうして
こうすりゃ
こうなるものと
知りつつ
こうして
こうなった
都々逸
青色青光
歌手・コメディアン植木等の父親、植木徹誠は妻の実家である
三重県の大谷派寺院の住職でした。
正義感の強い性格で、近隣の被差別部落の苦しみ悲しみにふれ、
、反戦反差別の行動を貫いた人でした。
戦時中にも出征兵士の激励会で「元来宗教家は戦争に反対すべき
ものである。」との信念から、「戦争というものは集団殺人だ。
それに加担させられることになったわけだから、なるべく戦地では弾の
こないような所を選ぶように。周りから、あの野郎は卑怯だとかなんだとか
言われたって、絶対、死んじゃだめだぞ。必ず生きて帰ってこい。
死んじゃっちゃあ、年を取った親父やお袋はどうなる。
それから、出来ることなら相手も殺すな。」などと説き、何度も治安維持法
違反で投獄されました。
植木等がスーダラ節を売り出すとき、こんな自堕落な歌を父が聴いたら
どう言うだろうと、思い悩んだ末、びくびくしながら父徹誠に聞かせると、
父は「わかっちゃいるけどやめられない。これは自らの凡夫としての愚かさを
問い続けた親鸞様の教えそのものや。」と感激され、自信を持って歌えと
励まされたそうです。
「分かっちゃいるけどやめられない」と愚行を繰り返す私たち。
まさに凡夫の自覚に立ちながら、身と世を問い続けなけらばならないのです。
住職日々随想
めまぐるしく情報が行き交い、次々と人々の関心事が移ろい過ぎて
いく現代社会、「人の噂も七十五日」と言われますが、ややもすれば
ひと月も持たず、わずかな間に上書きされ、そういえばそんな事も
あったなぁと、忘却の彼方に追いやられてしまうそんな事の多さに
驚かされます。
私事ですが九歳でお得度を受け、僧侶のお仲間に入れていただいてから
はや五十五年。僧侶仲間や諸先輩方、たくさんのご門徒の方々のお育てに
預かり今日まで参りましたが、それこそ二世代前の方々などは、まるで
昨日のことのように、何十年も前にあったことを語られる、という事が
よくありました。
今でも鮮明に思い出されますのは「ぼん、堀江の七人切り知ってるか?
(*実際は六人切り)」と繰り返しお聞かせいただいたことです。
曰く、昔、色町であった堀江で明治三十八年、芸妓の妻吉は養父中川萬次郎の
狂刃により、六人斬り事件に巻き込まれ、十七歳で両腕を切り落とされて
しまった。
しかし悲運に屈せず、筆を口にくわえ、多くのすぐれた書画作品を残し、
後には尼僧となって、障害者福祉にも尽力されたという、大石順教尼
という方のお話でした。
当時でもすでに八十年近くも前の話を、まるで昨日のことのように語られていた
わけで、現代と引き比べ、時間感覚の変化の激しさに、思わず考えさせられて
しまいます。
お釈迦様のみ教えは、お経として文字化され、今なお私たちの心の闇を照らし
続けていますが、お経は古代インドのサンスクリット語でシュートラ、
タテ糸という意味があり、時代社会を超えて、途切れる事無く伝えられるように
との願いが託され表されています。
現代社会に生きる私たちも、大切なことを伝え続ける努力を怠らず、
おかしいことはおかしい、と言い続ける責務があるといえましょう。
まさにおかしいことが当たり前の世の中になってしまわぬように。
坊守便り ー植木の剪定ー
美しい春の花の時期が終わると、お寺の境内では毛虫や蚊に悩まされる
毎日がやってきます。
同朋会定例法話会の準備をしながら、いつも集って下さる方に声をかけますと、
早速有志の方が来て下さいました。
新緑の青葉も少し虫付いていましたので、すっぱりと切り落とし、木々の
下刈りも出来ました。
最後に自然由来の防虫剤を隅々まで振りかけて仕上がりました。
皆さん、すっかり汗をかかれました。ご協力有り難うございました。
また、庭木に新芽が出てくるのが楽しみです。
こんな時必ず参加して下さる総代夫人の倉橋美代子さんが、先月亡くなりました。
めんどうな手作業や重い荷物の買い出しに声をかけない時は、「聞いてな〜い」
「うち、声かからんかった」と後から怒られました。
いつも賑やかな声で本堂の場を盛り上げて下さいました。一ヶ月ほどお会い
しない間に急な骨折から亡くなりました。本堂でご葬儀を行わせて頂き、
同朋会員も参加してお通夜に正信偈を唱えて見送らせて頂きました。さみしい事です。
「うちのお寺」「うちの雅美(坊守)さん」と「うち(家)」のなかにお寺が入って
いる方でした。なつかしい口調を思い出し、有り難いご縁を大切に思うことです。
六月の行事
5 日(日)午後1時半〜 第6回女性のつどい
オカリナコンサート
9 日(木)午前10時半〜ピラティス
18日(土)午後2時〜祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 光照寺 墨林 浩師
23日(木)午前10時半〜ピラティス
午後2時〜仏教民謡踊りの会
七月の行事
7 日(木)午前10時半〜ピラティス
9 日(土)午後2時〜祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 未定
28日(木)午前10時半〜ピラティス
午後2時〜仏教民謡踊りの会
*感染予防には十分配慮し、各行事を行って
まいりますが、感染がさらに拡大した場合、
変更もしくは中止する場合がございます。
2022年05月27日
2022年6月
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| 法悦
2022年04月26日
2022年5月
法 悦 5月号 860号
ハチドリのひとしずく (南米アンデスの民話)
森が燃えていました
森の生き物たちは
われ先にと逃げていきました
でもクリキンディという名の
ハチドリだけは
行ったり来たり
くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます。
まわりの動物たちがそれを見て
「そんなことをしていったい何になるんだ」
と言って笑います
クリキンディはこう答えました
「わたしは
わたしにできることをしているだけ」
青色青光
美しい羽毛に覆われ、飛ぶ宝石とも言われるハチドリ(ハミングバード)は、もっとも小さい
ものでは2グラムにも満たない、花の蜜を主食とする愛らしい小鳥です。
上記の民話は、そんな小さなハチドリのひとしずくなどでは、大きな山火事を消すことなど
出来っこないと馬鹿にする森の仲間たちを尻目に、自分に果たしうることを無心に果たす、
そのことの尊さを伝えています。
連日ほぼリアルタイムに報じられる、ロシア軍によるウクライナ侵攻のもたらす惨劇に、
胸が痛みます。ありとあらゆる犯罪行為が行われ、生活破壊や重大な環境破壊、家族の離散を
もたらし、あまりにも多くの人々の心身に、生涯癒えることの無い深い傷を与え続ける戦争、
その一日も早い終結が強く願われます。
この民話は、悲劇を前に私一人の力などは何ほどのこともないと諦め、立ちすくむ私たちに
、願いに生きることの大切さを思い出させてくれます。
住職日々随想
宝林宝樹微妙(みみょう)音
自然清和(じねんしょうわ)の
伎楽(ぎが く)にて
哀婉雅亮(あいえんがりょう)すぐれたり
清浄楽(しょうじょうがく)を帰命せよ
七宝樹林くににみつ
光曜(こうよう)たがいにかがやけり
華菓枝葉(けかしよう)またおなじ
本願功徳聚(くどくじゅ)を帰命せよ
清風(しょうふう)宝樹をふくときは
いつつの音声(おんじょう)いだしつつ
宮商和して自然(じねん)なり
清浄勲を礼(らい)すべし
ー浄土和讃ー
この三首のご和讃は、お浄土の木々のすぐれた徳を表され、願生浄土を勧められたものです。
曰くお浄土の木々はそれぞれ七宝で出来ています。そこを薫風が吹き渡るとき、微かな音が
聞こえます。よくよく耳を澄ましてみると、およそ娑婆世界に於いては不協和音となる音も
、それはそれは見事なハーモニーとなって奏でられています。
そのような木々がお浄土に充ち満ちて、互いに照らし合っています。花や果実はもちろん、
枝葉一つ一つに至るまで、阿弥陀仏のご本願の功徳の集りでないものはありません、と。
今も時折、耳をつんざくような大音量で軍歌を流したり、特定の国や国民を誹謗する
スピーチを行うデモに出くわすことがありますが、大声で叫ばれれば叫ばれるほど、発言者の
意に反して耳をふさぎたくなってしまいます。
お浄土の宝林宝樹のお譬えは、心静かに耳を澄ませば、真実ならばストンと胸に落ちる、
逆に大声で他者の口を封じたり、力ずくで押さえつけて我意を遠そうとすることは、
むしろ分断をもたらし、対立の構図しか生み出さない。そのことの愚かさを示唆しているとは
言えないでしょうか。
坊守便り
ー聖徳太子一四〇〇年御聖忌法要ー
今年は聖徳太子が亡くなられて一四〇〇年にあたり、ゆかりのある寺院ではそのご遺徳を
お偲びし、報恩感謝の為の法要が順次勤められています。
「和」を以て物事にあたるという、日本人の精神は太子の影響を大きく受けていることです。
親鸞聖人も太子の仏教の心を礼讃し、二〇〇首以上のご和讃を残しておられます。
安泉寺でも太子のお姿が本堂内陣に掛けられ、おまつりしています。
四天王寺では一〇〇年に一度の大法要が四月二十二日に円成となり、結願法要が行われました。
当日は参道列が本坊から出発し、境内を練り歩き、最後に美しく装飾された石舞台に至る、
仏教伝来の歴史たどる一大絵巻がございました。
私は依頼を頂き、法要に出仕される方々の鎌倉時代の直垂を着付けさせていただきました。
この日は十二時から篝火をたく二十時までの法要ですので出番に合わせてお着付けしました。
当寺副住職も童舞(わらべまい)をしておりましたので、小学生のころは石舞台で六年間
舞わせて頂いたことがあり、感慨深い春の日の一日となりました。
五月の行事
12日(木)午前10時半〜ピラティス
21日(土)午後2時〜祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 武庫川念仏寺 土井紀明師
26日(木)午前10時半〜ピラティス
午後2時〜仏教民謡踊りの会
六月の行事
5 日(日)午後1時半〜 女性会
オカリナコンサート
9 日(木)午前10時半〜ピラティス
18日(土)午後2時〜祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 光照寺 墨林 浩師
23日(木)午前10時半〜ピラティス
午後2時〜仏教民謡踊りの会
*感染予防には十分配慮し、各行事を行ってまいりますが、感染がさらに拡大した場合、
変更もしくは中止する場合がございます。
ハチドリのひとしずく (南米アンデスの民話)
森が燃えていました
森の生き物たちは
われ先にと逃げていきました
でもクリキンディという名の
ハチドリだけは
行ったり来たり
くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます。
まわりの動物たちがそれを見て
「そんなことをしていったい何になるんだ」
と言って笑います
クリキンディはこう答えました
「わたしは
わたしにできることをしているだけ」
青色青光
美しい羽毛に覆われ、飛ぶ宝石とも言われるハチドリ(ハミングバード)は、もっとも小さい
ものでは2グラムにも満たない、花の蜜を主食とする愛らしい小鳥です。
上記の民話は、そんな小さなハチドリのひとしずくなどでは、大きな山火事を消すことなど
出来っこないと馬鹿にする森の仲間たちを尻目に、自分に果たしうることを無心に果たす、
そのことの尊さを伝えています。
連日ほぼリアルタイムに報じられる、ロシア軍によるウクライナ侵攻のもたらす惨劇に、
胸が痛みます。ありとあらゆる犯罪行為が行われ、生活破壊や重大な環境破壊、家族の離散を
もたらし、あまりにも多くの人々の心身に、生涯癒えることの無い深い傷を与え続ける戦争、
その一日も早い終結が強く願われます。
この民話は、悲劇を前に私一人の力などは何ほどのこともないと諦め、立ちすくむ私たちに
、願いに生きることの大切さを思い出させてくれます。
住職日々随想
宝林宝樹微妙(みみょう)音
自然清和(じねんしょうわ)の
伎楽(ぎが く)にて
哀婉雅亮(あいえんがりょう)すぐれたり
清浄楽(しょうじょうがく)を帰命せよ
七宝樹林くににみつ
光曜(こうよう)たがいにかがやけり
華菓枝葉(けかしよう)またおなじ
本願功徳聚(くどくじゅ)を帰命せよ
清風(しょうふう)宝樹をふくときは
いつつの音声(おんじょう)いだしつつ
宮商和して自然(じねん)なり
清浄勲を礼(らい)すべし
ー浄土和讃ー
この三首のご和讃は、お浄土の木々のすぐれた徳を表され、願生浄土を勧められたものです。
曰くお浄土の木々はそれぞれ七宝で出来ています。そこを薫風が吹き渡るとき、微かな音が
聞こえます。よくよく耳を澄ましてみると、およそ娑婆世界に於いては不協和音となる音も
、それはそれは見事なハーモニーとなって奏でられています。
そのような木々がお浄土に充ち満ちて、互いに照らし合っています。花や果実はもちろん、
枝葉一つ一つに至るまで、阿弥陀仏のご本願の功徳の集りでないものはありません、と。
今も時折、耳をつんざくような大音量で軍歌を流したり、特定の国や国民を誹謗する
スピーチを行うデモに出くわすことがありますが、大声で叫ばれれば叫ばれるほど、発言者の
意に反して耳をふさぎたくなってしまいます。
お浄土の宝林宝樹のお譬えは、心静かに耳を澄ませば、真実ならばストンと胸に落ちる、
逆に大声で他者の口を封じたり、力ずくで押さえつけて我意を遠そうとすることは、
むしろ分断をもたらし、対立の構図しか生み出さない。そのことの愚かさを示唆しているとは
言えないでしょうか。
坊守便り
ー聖徳太子一四〇〇年御聖忌法要ー
今年は聖徳太子が亡くなられて一四〇〇年にあたり、ゆかりのある寺院ではそのご遺徳を
お偲びし、報恩感謝の為の法要が順次勤められています。
「和」を以て物事にあたるという、日本人の精神は太子の影響を大きく受けていることです。
親鸞聖人も太子の仏教の心を礼讃し、二〇〇首以上のご和讃を残しておられます。
安泉寺でも太子のお姿が本堂内陣に掛けられ、おまつりしています。
四天王寺では一〇〇年に一度の大法要が四月二十二日に円成となり、結願法要が行われました。
当日は参道列が本坊から出発し、境内を練り歩き、最後に美しく装飾された石舞台に至る、
仏教伝来の歴史たどる一大絵巻がございました。
私は依頼を頂き、法要に出仕される方々の鎌倉時代の直垂を着付けさせていただきました。
この日は十二時から篝火をたく二十時までの法要ですので出番に合わせてお着付けしました。
当寺副住職も童舞(わらべまい)をしておりましたので、小学生のころは石舞台で六年間
舞わせて頂いたことがあり、感慨深い春の日の一日となりました。
五月の行事
12日(木)午前10時半〜ピラティス
21日(土)午後2時〜祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 武庫川念仏寺 土井紀明師
26日(木)午前10時半〜ピラティス
午後2時〜仏教民謡踊りの会
六月の行事
5 日(日)午後1時半〜 女性会
オカリナコンサート
9 日(木)午前10時半〜ピラティス
18日(土)午後2時〜祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 光照寺 墨林 浩師
23日(木)午前10時半〜ピラティス
午後2時〜仏教民謡踊りの会
*感染予防には十分配慮し、各行事を行ってまいりますが、感染がさらに拡大した場合、
変更もしくは中止する場合がございます。
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| 法悦
2022年04月02日
2022年4月
法 悦 4月号 859号
すべてのものは暴力におびえる。
すべての(生きもの)にとって
生命は愛(いと)しい。
己が身にひきくらべて、
殺してはならぬ。
殺さしめてはならぬ。
(法句経 130偈)
青色青光
かつて朝日新聞は、毎年元旦に新春のことばと題して、著名人の今年の願いを掲載していました。
昭和十二年の一月一日の新聞には、作家、野上弥生子の「一つのねぎごと(神に祈る事)として、神聖な年神さまにたった一つのお願いごとをしたい。今年は豊作でございましょうか、凶作でございましょうか、いいえどちらでもよろしゅうございます。コレラとペストが一緒にはやってもよろしゅうございます。大地震や大噴火があっても構わない、どうか戦争だけはございませんように…」という一文が載せられ、賛否さまざまに物議を醸しました。
しかしそんな願いも虚しく、その年の七月七日、盧溝橋事件に端を発する日中戦争が勃発、さらに太平洋戦争へと突入していきました。誰も幸せにはなれない愚行を、なにゆえ私たち人間は繰り返すのでしょう?
国連安全保障理事会の理事国、という名の核保有国の横暴を目の当たりにしている今、唯一の被爆国である我が国も、核を持つべきだという方もおられますが、短絡的な意見に与することなく、釈尊のみ教え
に耳を傾け、人類の集合知を総動員して、暴力によらない、真の平和を希求しなければならないのではないでしょうか。
住職日々随想
ーほとけの顔も三度までー
いかに温和な仏様でも、顔を三度もなでられると腹を立てるの意から、どんなに慈悲深い人でも、無法なことをたびたびされると怒ること、と一般的には解釈されていますが、その由来として語り継がれているエピソードが仏典にあります。
お釈迦様は正しくは釈迦族ご出身の尊者、釈迦牟尼世尊または釈迦牟尼仏陀と申しあげます。
お生まれになった釈迦国は、小さいながらも誇り高い血筋の部族でした。その隣国にコーサラ国という、急速に勢力を拡大してきた国がありました。
コーサラ国王は自国の権威付けのため、釈迦国に自分の妻となる女性を送るよう要求しますが、コーサラ国のことを快く思わない釈迦族の長老達は、わざと身分の低い女性の娘を、王女と偽って送り出しました。やがてコーサラ国王と、その女性との間に王子が生まれますが、その女性が身分の低い女性だったことが露見してしまいます。
現代にも続く厳しい身分差別のため、卑しい身分の女性から生まれた子供であると分かった王子は、周りの人達はもちろん父王からも、疎まれてしまいます。
屈辱を受けた王子は、王位を簒奪し、深く恨みをいだく釈迦国を滅ぼすため出兵します。ところが、その途上、お釈迦様が炎天下の中、枯れ木の下で端座しておられました。不審に思った王が「尊者よ、なにゆえあなたはそのようなところにおられるのですか?」と尋ねると「大王よ、親族の木陰は涼しいものだ。」と、ともに親族同士の両国、どうか矛を収めて欲しいと身を挺して諭されたのでした。
お釈迦様を蹴散らしていくわけにもいかない王は、引き返していきました。そのようなことが三度あったそうですが、やはり、恨みをいだく王の心を静めるには至らず、四度目の出兵のとき「まさにこれは釈迦族の犯した罪の報い、受けねばならない業なのか」と、軍勢を見送られました。
結果、釈迦族は老いも若きも、男も女も皆殺しにされ、ついに絶滅してしまいました。
巻頭の法句経のお言葉には、そういった出来事を、身を以て経験されたお釈迦様の、恒久平和を願う深い悲願が込められてあるのです。
坊守便り ー春の彼岸会ー
長引くコロナ自粛の中、春の永代経・彼岸会法要をお勤めさせて頂きました。
新型オミクロン株は年明けから爆発的に感染者数が増え、殊に大阪は感染者数に対し、高齢の死亡者数が全国でも特別に多く、気の抜けないことでした。
救急車を要請しても、搬送先が決まらないと問題となっていましたが、とうとうお寺にご縁の深いご門徒さんが、この医療の逼迫に巻き込まれお亡くなりになりました。
心臓の具合が悪く医師の緊急治療が必要でしたが、受け入れ先が決まらず、救急車で長く待機されたそうです。
住職主催の囲碁クラブにご参加下さり、本堂行事にも積極的にご協力下さいました。同朋会の皆さんとご一緒にお悔やみに伺いました。
蔓延防止期間も一区切りとなりましたが、この期間にコロナ感染ではなく、コロナ禍の影響を受けられた方が多くおられたと、永代経に際し、思い巡らせご供養させて頂いたことでした。
そのような中、同朋の会・女性部の皆さんとも久しぶりにお会いしたことを喜び、伊勢からのご講師、酒井先生が熱く語られる「あるがままの大切ないのち」のお話を共に聞法致しました。
また、小さなお子さんとお参り下さった若いお父さんの姿も、心嬉しい春のお彼岸でした。
四月の行事
7 日(木)午前10時半〜ピラティス
16日(土)午後2時〜祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 円明寺 島章師
21日(木)午前10時半〜ピラティス
午後2時〜仏教民謡踊りの会
五月の行事
12日(木)午前10時半〜ピラティス
21日(土)午後2時〜祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 念仏寺 土井紀明師
26日(木)午前10時半〜ピラティス
午後2時〜仏教民謡踊りの会
*感染予防には十分配慮し、各行事を行ってまいりますが、感染がさらに拡大した場合、変更もしくは中止する場合がございます。
すべてのものは暴力におびえる。
すべての(生きもの)にとって
生命は愛(いと)しい。
己が身にひきくらべて、
殺してはならぬ。
殺さしめてはならぬ。
(法句経 130偈)
青色青光
かつて朝日新聞は、毎年元旦に新春のことばと題して、著名人の今年の願いを掲載していました。
昭和十二年の一月一日の新聞には、作家、野上弥生子の「一つのねぎごと(神に祈る事)として、神聖な年神さまにたった一つのお願いごとをしたい。今年は豊作でございましょうか、凶作でございましょうか、いいえどちらでもよろしゅうございます。コレラとペストが一緒にはやってもよろしゅうございます。大地震や大噴火があっても構わない、どうか戦争だけはございませんように…」という一文が載せられ、賛否さまざまに物議を醸しました。
しかしそんな願いも虚しく、その年の七月七日、盧溝橋事件に端を発する日中戦争が勃発、さらに太平洋戦争へと突入していきました。誰も幸せにはなれない愚行を、なにゆえ私たち人間は繰り返すのでしょう?
国連安全保障理事会の理事国、という名の核保有国の横暴を目の当たりにしている今、唯一の被爆国である我が国も、核を持つべきだという方もおられますが、短絡的な意見に与することなく、釈尊のみ教え
に耳を傾け、人類の集合知を総動員して、暴力によらない、真の平和を希求しなければならないのではないでしょうか。
住職日々随想
ーほとけの顔も三度までー
いかに温和な仏様でも、顔を三度もなでられると腹を立てるの意から、どんなに慈悲深い人でも、無法なことをたびたびされると怒ること、と一般的には解釈されていますが、その由来として語り継がれているエピソードが仏典にあります。
お釈迦様は正しくは釈迦族ご出身の尊者、釈迦牟尼世尊または釈迦牟尼仏陀と申しあげます。
お生まれになった釈迦国は、小さいながらも誇り高い血筋の部族でした。その隣国にコーサラ国という、急速に勢力を拡大してきた国がありました。
コーサラ国王は自国の権威付けのため、釈迦国に自分の妻となる女性を送るよう要求しますが、コーサラ国のことを快く思わない釈迦族の長老達は、わざと身分の低い女性の娘を、王女と偽って送り出しました。やがてコーサラ国王と、その女性との間に王子が生まれますが、その女性が身分の低い女性だったことが露見してしまいます。
現代にも続く厳しい身分差別のため、卑しい身分の女性から生まれた子供であると分かった王子は、周りの人達はもちろん父王からも、疎まれてしまいます。
屈辱を受けた王子は、王位を簒奪し、深く恨みをいだく釈迦国を滅ぼすため出兵します。ところが、その途上、お釈迦様が炎天下の中、枯れ木の下で端座しておられました。不審に思った王が「尊者よ、なにゆえあなたはそのようなところにおられるのですか?」と尋ねると「大王よ、親族の木陰は涼しいものだ。」と、ともに親族同士の両国、どうか矛を収めて欲しいと身を挺して諭されたのでした。
お釈迦様を蹴散らしていくわけにもいかない王は、引き返していきました。そのようなことが三度あったそうですが、やはり、恨みをいだく王の心を静めるには至らず、四度目の出兵のとき「まさにこれは釈迦族の犯した罪の報い、受けねばならない業なのか」と、軍勢を見送られました。
結果、釈迦族は老いも若きも、男も女も皆殺しにされ、ついに絶滅してしまいました。
巻頭の法句経のお言葉には、そういった出来事を、身を以て経験されたお釈迦様の、恒久平和を願う深い悲願が込められてあるのです。
坊守便り ー春の彼岸会ー
長引くコロナ自粛の中、春の永代経・彼岸会法要をお勤めさせて頂きました。
新型オミクロン株は年明けから爆発的に感染者数が増え、殊に大阪は感染者数に対し、高齢の死亡者数が全国でも特別に多く、気の抜けないことでした。
救急車を要請しても、搬送先が決まらないと問題となっていましたが、とうとうお寺にご縁の深いご門徒さんが、この医療の逼迫に巻き込まれお亡くなりになりました。
心臓の具合が悪く医師の緊急治療が必要でしたが、受け入れ先が決まらず、救急車で長く待機されたそうです。
住職主催の囲碁クラブにご参加下さり、本堂行事にも積極的にご協力下さいました。同朋会の皆さんとご一緒にお悔やみに伺いました。
蔓延防止期間も一区切りとなりましたが、この期間にコロナ感染ではなく、コロナ禍の影響を受けられた方が多くおられたと、永代経に際し、思い巡らせご供養させて頂いたことでした。
そのような中、同朋の会・女性部の皆さんとも久しぶりにお会いしたことを喜び、伊勢からのご講師、酒井先生が熱く語られる「あるがままの大切ないのち」のお話を共に聞法致しました。
また、小さなお子さんとお参り下さった若いお父さんの姿も、心嬉しい春のお彼岸でした。
四月の行事
7 日(木)午前10時半〜ピラティス
16日(土)午後2時〜祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 円明寺 島章師
21日(木)午前10時半〜ピラティス
午後2時〜仏教民謡踊りの会
五月の行事
12日(木)午前10時半〜ピラティス
21日(土)午後2時〜祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 念仏寺 土井紀明師
26日(木)午前10時半〜ピラティス
午後2時〜仏教民謡踊りの会
*感染予防には十分配慮し、各行事を行ってまいりますが、感染がさらに拡大した場合、変更もしくは中止する場合がございます。
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| 法悦