2019年01月31日

二月 法悦

      821号

慶(よろこ)ばしいかな

心(しん)を弘誓(ぐぜい)の

仏地(ぶつじ)に樹(た)て、

念(ねん)を難思(なんじ)の法海(ほうかい)に流す。

深く如来の矜哀(こうあい)を知りて、

良(まこと)に師教(しきょう)の恩厚(おんこう)を仰(あお)ぐ。

慶喜(きょうき)いよいよ至(いた)り、

至孝(しこう)いよいよ重(おも)し。

 まことによろこばしいことである。
 心を本願の大地にうちたて、
 思いを如来不可思議の大海に流す。
 深く如来の慈悲のお心を知り、
 師のご恩のまことに厚きを仰ぐ。
 身に余るほどの喜びはいよいよ増し
 敬いの思いはますます深まっていく。
                  教行信証 化身土 末巻

 如来は我れなり。されど我れは如来にあらず。
 如来、我れとなりて、我れを救いたもう。
                      曽我量深
青色青光    課題と問題

 私たちは誰もが切実に自身の居場所を求めています。
 居場所と言いましても、単なる場所のことだけではありません。時にそれは自分の地位や立ち位置、もっと言えば、自身の存在の根拠、生きる場とも言い換えることができるかと思います。
 それ故、どこにも自分の居場所がないということほど悲しく、つらいことはありません。
 心を弘誓の仏地に樹てるとは、私の計らいという、偏狭な自我関心を立場とするのではなく、選ばず嫌わず見捨てないという如来の誓いのまことを、自身の依るべき所と頂くことです。
 そして、念を難思の法海に流すとは、私の自我関心の思い(念)を、海のように広やかで差別なき如来の願心に帰入することで、みほとけのお心と一味になるということです。
 身近なことで言えば「老い」の現実に直面した時、それを問題とするのか、それとも与えられた課題とするのかで大きく異なってきます。
「老いは問題ではない。課題である。」 とは、哲学者、鷲田清一さんのお言葉ですが、老いを問題と捉えればアンチエイジングに躍起になるなど、問題解決が第一になって、老い病み死すべき身であるという事実から目を背けることになり、ついには我が身の居場所さえ、失う事になってしまいます。
 しかし老いを課題と捉えれば、それはむしろ、あらがうべきものでなく、伴いながら生きるもの、という立場が、自ずと得られるのです。
 私の身にまでいたりとどいた如来のまことが、私の依って立つべき場となって、ありのままの我が身を、そのまま引き受けるまことの居場所が、自然に与えられるのです。

住職日々随想

 世にくせごと(道理に合わないこと)のおこりそうらいしかば、それにつけても、念仏をふかくたのみて、世のいのり(わが身の安穏を祈るという狭いものではなく、世の中安穏なれ、仏法広まれと、いう深い願い、志願)にこころをいれて、もうしあわせたまうべしとぞおぼえそうろう
           親鸞聖人 ご消息(広本)

 一体なぜこんなことになってしまったのでしょうか?
 名だたる企業がデータの改ざんや隠蔽など、存立そのものをも危うくするような不正に手を染め、加えて、それを監視すべき行政官庁も、決済文書の書き換えや、基幹統計の捏造などなど、今や官民挙げて、至るところで不正がまかり通っています。
 さらに政府は政府で、「沖縄県民に寄り添います」などと言いながら、これ以上の米軍基地は要らないという県民の意思を無視して、自然豊かな辺野古の海を破壊し、土砂を投入し続けています。
 そういった有り様を日々見せつけられるにつけ、なにかもうモラルの底が抜けてしまったかのようで、今まで私たちが大切に受け継ぎ、誇りとしてきたはずの、正直さや公正さといった徳性が、目の前の利害損得に、いともたやすく踏みにじられ、葬り去られようとしています。
 まるで羞恥し慚愧する心まで失ってしまったかのようで、いきどおりを通り越して、虚しさすら覚えるほどです。
 しかしこれはよくよく考えてみますと、今の時代に急に始まったことなどではなく、人類の歴史とともにあった深い闇、と言えるかと思います。
 そんな世をいたむ心が志願となって、真実のみ教えを求め続けてきたのです。
 聖徳太子はこの国を治める根本の理念として、仏教を据えられ、権力を行使する者の守るべき規範として十七条の憲法を制定されました。その第二に「篤(あつ)く三宝(さんぼう)を敬え。三宝とは仏と法と僧となり、則(すなわ)ち四生(ししょう)の終帰(しゅうき)、万国の極宗(ごくしゅう)なり。何(いず)れの世、何れの人かこの法を貴ばざる。ひと尤(はなは)だ悪(あ)しきもの鮮(すく)なし、能(よ)く教うれば従う。それ三宝に帰せずんば、何をもってか枉(まが)れるを直(ただ)さん。」と、真実のみ教えたる仏教に依ってのみしか、誤り多き凡夫を正しい道に歩ましめる事は出来ないと説いておられます。
 そしてそれは我執を離れがたい自力の心に依ってではなく、如来のまことを頂く他力の念仏に
依る他ない事を、親鸞聖人は明らかに
されました。

二月の行事

5 日(火)午後1時半〜  囲碁教室

7 日(木)午前10時半〜 ピラティス

9 日(土)午後6時〜    地域講話・懇談会
  ロンドンパラリンピック セイリング日本代表
                西山 克哉さん
16日(土)午後4時〜  祥月講同朋の会聞法会
                 法話 住 職
21日(木)午前10時半〜 ピラティス

24日(日)午後1時〜 生野区仏教会70周年記念講演と映画のつどい 
            於、生野区民センター 
28日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

*二月の門徒女性聞法のつどいは、祥月講同朋の会聞法会に代えさせて頂きます。

三月の行事

5 日(火)午後1時半〜  囲碁教室

7  日(木)午前10時半〜 ピラティス

8 日(金)午後2時〜   仏教コーラスの会

14日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会

16日(土)午後2時・6時 春季彼岸永代経法要
        ご法話 伊勢道淨寺 酒井正夫師

28日(木)〜29日(金) 
    中部ブロック門徒聞法のつどい一泊研修会
                                福井・松任方面

*本堂内全てイス席、床暖房完備、どなた様もお気軽に

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2018年12月28日

法悦

法 悦 12月号 819号


あなたは


この地球にあなたきり


私は


この地球に私きり


どこのだれもが


ただ一人


おひさまひとつと同じこと


輝け、人間、かけがえのないいのちたち

        詞衆「たいまつ」より    むの たけじ


青色青光   むのたけじさんをご存じですか?

 むのたけじ(武野武治)さんは、一昨年八月一〇一歳で亡くなられた、反骨のジャーナリストです。
 秋田の貧しい農家で生まれたむのさんは、苦学の末、東京外語大学を卒業、その後、朝日新聞に入社、太平洋戦争には従軍記者として戦地に赴かれました。
 そんな中、軍部の圧力に屈し戦争の悲惨な真実が伝えられず、多くの犠牲者を出してしまった。そのことに深い責任を感じ、朝日新聞を退社されました。
 その後、地元秋田の横手に帰り、週刊新聞「たいまつ」を三〇年にわたり発行し続けられました。
 常にジャーナリストとして矜持をもって、世の動きに目をこらし、亡くなる最後の最後まで、人間の尊厳を踏みにじる最たるものである戦争の絶滅を、命をかけて訴え続けられました。
 大無量寿経には「国豊民安、兵戈無用」と、仏の赴かれるところは、一人ひとりの尊厳が保たれ、民が安んじ、兵=軍隊も、戈=武器も要らない、真実の平和な世界がもたらされると説かれています。
 しかしながら現実社会は、差別や暴力、不正や不平等がはびこり、絶望的な状況になってきています。
 それでも、むのさんは若い人たちの中に、権威や地位、年齢で相手を判断せず、当てにならないものは当てにしないで、友達を一番に大切にし、かつ互いの違いを受け入れ、自立した心を持っている姿を見い出し、待ち望んでいた新しい日本人が生まれてきている「希望は絶望の中にこそある」と、人生の結論に「たいまつ」を見ておられました。


住職日々随想
 外国人材の受け入れに関する法律「改正入管法」が、今国会の最重要法案として審議されています。
 しかし、ニュース報道もそうですが、外国人の受け入れ、ではなく「外国人材」の受け入れ、という表現が多用されている事がとても気になります。
 どちらかといえば、ひとの受け入れではなく、あくまで「材」の受け入れであり、労働者の雇い入れや解雇が、経営者の都合で行ないやすい、有り体に言えば、景気の調整弁としての人材受け入れ枠拡大、そういう意図が透けて見えます。
 確かに少子高齢化に伴う労働力不足は、中小企業や地方において深刻ですし、喫緊の課題であることはうなづけるところです。
実際、担い手が見つからなくて、仕事があっても続けることができなくなっている、そんな現場も少なくありません。
 本来は日本で技術を習得していただいて、その技術を母国の発展のために活用していただくという、国際貢献としての「技能実習制度」を拡大させる形で、新たに必要に応じ、受け入れ枠を拡大していくという事のようですが、この制度、実際の運用面に於いて、不当な低賃金や長時間労働、差別的待遇、そしてその過酷な状況からの「失踪」など、多くの問題がずいぶん以前から指摘されています。
 ところが、そういう問題をなおざりにして、受け入れ枠の拡大で対応しようという、極めて場当たり的な考え方には、とても同意することができません。
 単なる世界的な流れという事でなく、実は多種多様な生き方の許される共生社会を願う、という私たちの本気度が問われているとは言えないでしょうか。
 私たちの何兆という細胞の中には、ミトコンドリアと呼ばれる細胞のエネルギー源となるものが存在しますが、このミトコンドリアは母親を通じてのみ子孫に受け継がれるという性質を持っています。
そのミトコンドリアを分析することで、対象者がどの遺伝系に属するかが分かるそうです。
 そしてその調査の結果、全世界は55.6種類、ヨーロッパ全域は、14の遺伝系から成り立っている事が判明したそうですが、驚くべきことに、この狭い日本列島に全ヨーロッパをも上まわる、実に16もの遺伝系が存在するそうです。
 つまり、日本人はもとより単一民族などではなく、多種多様な遺伝系から成る国民だと言え、それは多様な価値観や文化を受容し包摂する、この国が本来持つ豊かさにつながるものであり、強みなのです。
 その本来の豊かさに立ち返り、偏狭な考えにとらわれる事なく、移民受け入れの是非を含めて、この国の未来の有り様を、腰を据えて問っていく、そうすべき時に差し掛かっていると、言えるのではないでしょうか。
 親鸞聖人は、インド人の天親菩薩の「親」の字と、中国人の曇鸞大師の「鸞」の字を自身の名のりとされました。民族や国の違いを超えた真実を、そのお名前に体しておられる、八百年前から、まさに真の世界人であられたのです。そして私たちは…


十二月の行事
2 日(日)日帰りバスツアー
      美山「かや葺きの里」「常照皇寺」を訪ねます。

4 日(火)午後1時半〜 囲碁教室

6 日(木)午前10時半〜 ピラティス

7 日 (金)午後2時〜 仏教コーラスの会

8 日(土)午後4時〜 祥月講・同朋の会聞法会
          ご法話 円明寺 島 章師
16日(日)午後2時〜 おみがき清掃ご奉仕
                年末懇親会
20日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会   

31日(月)夜11時半〜 歳暮勤行・除夜の鐘

一 月の行事
8 日(火)午後1時半〜 囲碁教室

11日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会

17日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会 

20日(日)正午〜   安泉寺新年互礼会

24日(木)午前10時半〜 ピラティス

*本堂内全てイス席、床暖房完備、どなた様もお気軽に

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1月住職日々随想

 法 悦 1月号 820号

あけましておめでとうございます
本年も宜しくお願い申し上げます



君も僕も、


ジグソーパズルの一つのピース


一個一個のピースが大事


要らないピースは無いんだ。


君はみんなに支えられ


君はみんなを支えている


        佐賀枝夏文  大谷大学文学部心理学教授



青色青光  
かけがえのないあなたに

 平成二十六年版内閣府の子ども・若者白書(対象年齢、十三歳から二十九歳)に、先進諸外国に比べて、これから未来を担うべき日本の若者達の自己肯定感の低さが、大きな課題と指摘されています。
 自分自身に満足していますかという設問に対し、対象国(韓国・アメリカ・イギリス・ドイツ・フランス・スウェーデン)の平均約8割が、イエスと回答しているのに比べて、日本の若者は最低で、わずかに45%と5割にも届きません。
 また、上手くいくかどうか分からないことに対して、意欲的に取り組もうという意識は、他国の平均8割に対して5割、逆に鬱傾向にある若者は、他国の平均4割に対して約8割、さらには規範意識は高いけれども、社会問題に対する関与や自身の参加意識は、他国の約5割に対して3割でした。
 加えて、四十歳になったとき、幸せになっているかという問いに対しても、他国の平均9割弱に対し、わずか6割との結果が出されています。
 今の自分にも、未来の自分にも、希望がもてない若者達の突出して多いことは、この国の現状に対する若者達の悲鳴にも聞こえます。
 マリナーズのイチロー選手が、出身地の少年野球イチロー杯で「自分が出来ると思っても、出来るとは限らないが、出来ないと思ったら絶対に出来ない」
と、自分で可能性を閉ざさないよう、一番伝えたいこととして、子ども達に訴えていました。
 そう、我々は誰もみな如来の一人子なのですから。

住職日々随想

 平成最後の天皇誕生日、今上陛下が象徴として歩んでこられた、ご自身の思いを語られました。
 奉ってはいるけれども、一人の人として人権を認めず、生まれたときから重い役割を担わせる、天皇制という制度のあり方に問題なし、とは思えませんが、象徴としての役割を模索し続けてこられた、今上陛下のその歩みには頭が下がります。
 特に戦争犠牲者や沖縄の苦難に思いを馳せられ、また戦地や災害被災地を訪れ、その人々に寄り添おうとされる、誠実でまっとうなお姿は、立場の違いはそれぞれあっても、多くの人びとの共感を呼び、自身の向き合い方をも問うてくるものでした。
 ところが、かたや米中貿易戦争をはじめ、世界の政治経済はますます不安定になり、諸外国には排外的な独裁政権が多く誕生しました。
 その気分が伝染するのか、一強安倍政権のもと、唯一の立法府であり、言論の府であるべき国会が、本来の役目である行政のチェック機能まで失って、機能不全に陥り、およそあり得べきもない、行政決裁文書改ざんをはじめとする、不祥事が続発。さらには何があっても、平然と居座り続ける大臣や高級官僚の姿を見せつけられ、戦後、営営と築き上げてきたはずの、民主主義の価値観や徳性が、踏みにじられ音を立てて崩れていこうとしています。
 今上陛下の歩みとの、この対比は一体何なのか?と憤りを禁じ得ません。
 近代保守思想の父と言われている、イギリスの政治家・思想家のエドモンド・バーグはフランス革命を批判していますが、その論拠となっているものは「人間というものは不完全で過ちを犯すものである。」という人間理解でした。であるのに、革命は一部の傲慢な知的エリートの設計図に基づく破壊であると見ていました。
 本来保守というものは、不完全なる人間の行う政治に対して、意見を戦わす中で根気よく合意点を見出し、永遠に微調整し続けることだと政治学者、中島岳志氏も指摘しておられます。
 このことはすでに、親鸞聖人が終生敬慕し続けられた聖徳太子が「十七条の憲法」の十に、「我必ず聖に非ず。彼必ず愚かに非ず。共に是れ凡夫ならくのみ。」と、どこまでも執着の心を捨てられない我々は、いたらぬ者どうし、ともに凡夫。だからこそ、他者の意見にも耳を傾ける耐性を持つ、そういう強いこころの大切さを説いておられます。
 今、世界はますます複雑になり、変数が多くなりすぎて、一つのことが引き起こす波紋を、推し量ることが、難しくなって来ました。その反動なのか、人々は、様々な意見に耳を傾け続ける耐性を失って、考えることを放棄し、白か黒か、右か左か、善か悪か、と声高な意見に引きずられ、単純な二項対立の寛容さの無い思考に陥ってしまっているように思われてなりません。
 我々は先人の知恵に学び、本来の胆力を取り戻さなければなりません。そうでなければ子ども達に、未来に希望を持たせる事など、出来ないのですから。

一月の行事


11日(金)午後2時〜 仏教コーラスの会

17日(木)午後2時〜 仏教民謡踊りの会 

20日(日)正午〜   安泉寺新年互礼会


二月の行事

5 日(火)午後1時〜  囲碁教室


9 日(土)午後     地域法話懇談会

16日(ど)午後2時〜  祥月講同朋の会聞法会
                  講師 未定

 生野区仏教会70周年
    記念講演と映画のつどい 
            於、生野区民センター 
仏教民謡踊りの会

*本堂内全てイス席、床暖房完備、どなた様もお気軽に

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