法 悦5月号 884号
ごはんの時に 六年 山崎まどか
人間は生きるために
にわとりも殺さなくちゃいけないし
豚も殺さなくちゃならない。
生きてるっていうことは
ずいぶん迷わくをかけることなんだ。
自分で自分のこと全部できたら
人は一人ぼっちになってしまう。
他人に迷わくをかけるということは
その人とつながりをもつことなんだ。
他人の世話をすることは
その人に愛をもつことなんだ。
生きるっていうことは
たくさんの命とつながりをもつことなんだ。
お乳をやった私
あたたかいからだを押しつけてきた子牛を
私は思った。 (一部略)
青色青光
最近たまに、いわゆる『墓じまい』『仏壇じまい』の勤行のご依頼を頂く
ことがあります。
後継者がなく致し方ない場合もありますが、中には「子どもには迷惑を
かけたくない。若い者の手を煩わせたくないから」と仰る方もあります。
残念ながら、お内仏やお墓を負の遺産と捉え、自身の存命中に何とかしたい
と思われる方が少なからずおられるようです。
もちろん、あえて迷惑をかける必要はありませんが、生まれてきてから
今日まで、誰の手も煩わさず、何ものにも迷惑をかけずに生きてこれた者が、
一人でもいるのでしょうか? そこには、この身に受け続けてきた恩に頭の
下がらない傲慢さが見え隠れしています。
蓮如上人の和歌に「形見には六字の御名をとどめおく なからん世には
誰ももちいよ」と、真に伝え続けなければならない遺産とは、財産など
ではなく、恩を知って、南無阿弥陀仏と手の合わさるその心なのだと。
確かに形は無くても手を合わせることは、いつでもどこでも可能です。
しかしお浄土の型どりであるお内仏は、かたくなな心を自然に開き、
素直に自身と向き合う事を可能にする、かけがえのない場なのです。
住職日々随想
戦争が 廊下の奥に 立っていた
渡邉白泉
国賓としては9年ぶりに、岸田首相が訪米し、大変な歓迎を受けた
そうです。
その背景には、世界的な安全保障環境の悪化に伴い、民主主義と
いう価値観を共有する両国の関係の重要性が、かつてなく高まっている
との認識があります。
安倍内閣は、多くの国民の懸念と反対の声を押し切り、集団的自衛権
の行使を容認する方針を決めました。
続く現岸田内閣は国会の議論すら経ず、独裁国家さながらに、閣議決定
だけで防衛費の倍増を決めました。
今回の訪米では、さらに一歩踏み込んで、自衛隊と米軍の一体化を
より推し進め、実質的に自衛隊が米軍の指揮権下に入ることを容認する
とともに、『敵基地攻撃能力』という、どこからが攻撃でどこからが
反撃なのかすら曖昧なまま、防衛力を強化するとの名目で、やや旧式な
ミサイルを大量購入するなど、気になる約束を多く交わしてきたようです。
アメリカは言わずと知れた軍事大国、軍産複合体がその経済を支えています。
いわゆる武器商人の中には、「戦争が起きて武器が売れるのじゃない。武器を
売るために戦争を起こすのだ」と豪語する者までいます。
そんな米国にとって、日本はいくら高価でも、型遅れでも、言い値で
『防衛装備品』を買ってくれる上得意でもあります。
タレントのタモリさんが、黒柳徹子さんとの対談で現在の状況を
「新しい戦前のはじまり」と仰いましたが、単なるジョークと笑い飛ばせ
ないものがあります。
事実、この言葉に瞠目された黒柳さんが、改めてこの状況に警鐘を
鳴らすべく「窓際のトットちゃん」の新組版を出版されました。
80年近く続けてきた日米の「主従関係」は、容易に解消できないでしょう。
が、互いに独立し尊重し合い、言うべきことはしっかりと伝えられる、真の
パートナーとなるべく、努力を怠ってはならないのです。
親鸞聖人はご消息のなかで「世の中、安穏なれ。仏法広まれ」と表白して
おられますが、真の平和・安穏への道は、私たち凡夫の「おのれ良ければ全
てよし」とする我執の闇を、仏智を頂き、どこまでも明らかにし続ける
ところにこそあると、お示し下さるのです。
真宗入門 「肩(かた)衣(ぎぬ)」
問い お寺に行くと、ご門徒さんが「肩衣」という
ものを着けておられました。どのような意味があるのでしょうか?
答え 肩衣とは、真宗門徒が寺院での法要やお内仏
(仏壇)の前で、お参りするときに用いる礼装品です。
もともとは、江戸時代に礼装の一種として用いられていた裃(かみしも)
が起源で、裃の上半身部分が簡略化され、定着した物が肩衣である
といわれています。
現在では、肩衣をさらに簡略化した「畳肩衣」や「略肩衣」があり、
念珠を手に持ち、肩衣を付けた姿が、真宗門徒の礼装とされています。
種類には、真宗本廟(東本願寺)などで帰敬式(おかみそり)を受け、
仏弟子となる儀式を終えられた方への記念品として、「略肩衣」が授与
されているほか「法義相続・本廟護寺(宗祖親鸞聖人の教えを受け継ぎ、
真宗本廟を崇教護寺すること)の趣旨にご賛同頂いた方が納められた
金員の賞典として、「畳肩衣」「略肩衣」が授与されています。
また、寺院によっては門徒用として、肩衣が作られている場合もあります。
肩衣を持ち運ぶ際には、風呂敷や袋などに納めます。一時的にそばに
置くときも、畳や床に直に置かずに、丁寧に扱うよう心がけましょう。
法語の味わいー法語カレンダー5月号よりー
弱くても 愚かでもいいと 阿弥陀さま
阿弥陀さまの智慧のお働きが「南無阿弥陀仏」というお念仏となって、
「心配するな。必ず護り、救うぞ」と導いて下さいます。
自身念仏者でもあった金子みすずさんの詩の「私と小鳥と鈴と」の中に
「みんなちがってみんないい」という一節があり、その詩情に子供も大人も
魅了されました。
そのような心がふんわり包まれる時代は過ぎ、現代は、多くの人が
生きづらさを感じる時代とのことです。
ひたすら経済成長を追求する現代社会、効率優先で勝ち組となるため
には他を蹴落としてでも、という価値観と「みんなちがってみんないい」
とは相容れません。
わたしをそのままで認め、つらかったら休んでもいいんだよと、決して
見捨てず、いつも寄り添って下さるみほとけが阿弥陀さまです。
坊守便り ーはなまつりー
お釈迦様のお誕生をお祝いする花まつりをお勤めさせて頂きました。
宮殿にお釈迦様を配した花御堂をとりどりの色あざやかな花でかざり、
甘茶を誕生仏にかけて拝みます。
これはお釈迦様がお生まれになったとき「9匹の龍が天から現れ、
甘露の雨を降らせた」という、伝説にちなんでいます。
当寺では、先の境内修復事業で誕生仏の石仏をお迎えし、子供たちの
健やかな成長を念じています。
今年はこどもクラブをされているご門徒の中峯佳代子さんが、子育て中の
親子さんをお誘い下さり、また陽気なウクレレ奏者さんもお連れ下さいました。
また生野区で活動中の紙芝居の会「すみれ会」さんにもご縁をいただき、
皆で紙芝居を楽しみました。
ご門徒の大橋了巳さんが、ゆるキャラ「いくみん」に扮して、大汗を
かきながら大活躍して下さいました。
午後からは同朋会の吉川美登利さんが、折り紙細工のワークショップを
して下さいました。
皆様でスーパーボールすくいや、綿菓子屋さんもして下さったりと、
大人も楽しい花まつりとなりました。
五月の行事
2 日(木)午前10時半〜 ピラティス
16日(木)午前10時半〜 ピラティス
18日(土)午後2時〜 同朋の会聞法会
「歎異抄に聞く」
*「歎異抄」テキストお持ちの方はお忘れなく。
六月の行事
6 日(木)午前10時半〜 ピラティス
15日(土)午前9時〜12時 大阪教区 同朋大会
20日(木)午前10時半〜 ピラティス
* 6月の同朋の会は、教区同朋大会への参加に振り替えます。
参加ご希望の方は安泉寺
06(6731) 4907までご連絡下さい。
2024年04月30日
2024年5月
posted by ansenji at 16:10| Comment(0)
| 法悦
2024年03月28日
2024年4月
法 悦4月号 883号
人間は
したいことをし
なりたいものに
なるためなら
何をしても
許されるのです
児玉暁洋師
青色青光
上記は、真宗大谷派教学研究所所長であり
「宗教者九条の会」の呼びかけ人でもある、
故、児玉暁洋師が、よく口にしておられた言葉です。
「したいこと」「なりたいもの…」とは、たちまち今したいこと、なりたい
ものなどではなく、「心の底から本当に」というニュアンスを伴うもの、
いわば一人ひとりのいのちの底に流れる本有の願心、その願心にこそ随順して
生きよ、という言葉と理解できます。
夢や希望は実現しなければ消えていきます。しかし本有の願心は、いのち
ある限り、否、娑婆のいのち尽きてもなお、受け継がれ保ち続けることの
出来るものなのです。
願心に随順し、願心を拠り所として歩む、その願生浄土の一道に立つとき、
どんな苦しいことがあっても、生き抜く勇気を賜るのです。
2024(令和六年)年三月十日、安泉寺第十六代の前住職、猪甘俊教が
寿算一〇二歳(満一〇〇歳四ヶ月)にて、いのちのふるさと、お浄土に還帰
いたしました。
行きつ戻りつはあっても、願生浄土の一道を、私たちに先だって指し示し、
歩み続けた一生涯でした。
住職日々随想
先に述べましたように、三月十日
安泉寺第十六代前住職の猪甘俊教が、寿算一〇二歳にて、還浄いたしました。
死者・行方不明者、約一〇万五〇〇〇人を出した、関東大震災の発災した
大正十二年に、父、猪甘俊諦、母、桙フもと、三人の姉と三人の妹の真ん中、
唯一の男子として誕生いたしました。
大谷大学宗教学科在学中には、世界的な禅研究の第一人者、鈴木大拙師の
薫陶も受けました。
第二次大戦末期、学徒兵として海軍航空隊に所属していましたが、幸か
不幸か、硫黄島に向けての出陣の直前、硫黄島部隊玉砕の報に接し、外地に
赴くことなく生還いたしました。
その後、七尾マサノの次女、美枝子と結婚、三女一男を得、病気気味の
父俊諦の後を継いで、若干二十八歳にて、安泉寺の第十六代目住職と
なりました。
そうした中、定時制高校の教員も兼職し、また保護司として、矯正指導
にも取り組んでおりました。
また、前住職は何事につけエネルギッシュで、オートバイでの長距離
ツーリングや社交ダンス、三味線、パソコン等々、興味関心のあることには、
常に前のめりな姿勢を保ち続けておりました。
九十八歳で周囲の自主返納の勧めにもかかわらず、運転免許証の更新を
いたしました。十年以上四輪車には乗っていなかったのですが、教習所
での実車運転も難なくこなしたことには驚かされました。
住職在位の五十年、そしてその後も九十九歳十ヶ月で療養生活に入る
まで、自分のことは自分で行い、現住職を助けて、法務もこなしてくれて
おりました。
そんな前住職は、軽度の脳梗塞を発症して入院するまで、七十四年前に
始めた毎月の寺報「法悦」にも、昨年九月まで寄稿し続け、
「安泉寺同朋の会」発足、発展にも尽力し、今日の安泉寺の礎を築きました。
真宗大谷派住職として、あるべき当たり前の姿とは申せ、実際にいのち
尽きるまで勤め続けられたことは、実に希有なことでございました。
まことによく働きよく遊び、その生を全うし尽くしました。まさに
門信徒の皆様をはじめ、数限りない方々のお支えを頂いてこれたからこそ、
歩み続けることの出来た一〇〇年でございました。
ご縁を頂きました皆様方に、篤く御礼申し上げます。
真宗入門 「念珠」
ー念珠の起源についてー
念珠の起源については諸説ありますが、念珠は仏前で身なりを整えて合掌
・礼拝する際に用いるものです。珠の数は、百八の煩悩ということから、
百八個を基本とし、その半数の五十四個、さらにその半数の二十七個が
一般的なようです。
ただし、真宗では、煩悩を滅するため、あるいは念仏を称えた数を数える
ために、念珠を用いることはありません。
お寺へのお参りをはじめ、葬儀やご法事などの仏事のときには、必ず持参
しましょう。
蓮如上人は数珠を持たずに合掌礼拝するのは、仏を手づかみにするような
ものだと戒めておられます。
合掌はご本尊・阿弥陀如来の前で、手のひらを合わせ、その両手に念珠を
かけます。このとき、両手の手首はみぞおちあたりになります。
両肘は張らず、指先はまっすぐに伸ばし、横から見ると、手指の線は、
体の線に対して、おおよそ45度の角度になります。
そして「南無阿弥陀仏」と心静かにお念仏を称えます。
法語の味わいー法語カレンダー四月号よりー
釈尊のお出ましで
阿弥陀さまの大悲に遇う
歌手のさだまさしさんの『いのちの理由』という曲があります。
『私が生まれてきた訳は、父と母に会うため』と唄います。
『何のために生まれてきたの』と、問いかけています。
親鸞聖人は釈尊に「あなた様は2,000年の昔、 阿弥陀仏の
浄土を説くためにこそ、インドにお生まれくださいました」と喜び
讃えておられます。
そしてあらゆる経典を拝読され、「親鸞さん、私はあなたに
阿弥陀様の大悲に出遇っていただきたくてね、南無阿弥陀仏にあって
いただきたくてね」という、釈尊の深いお呼びかけに出遇われました。
親鸞聖人はこの出遇いに感動し、釈尊を讃えられました。それ故、
浄土真宗は弥陀・釈迦の二尊教とも言われるのです。
坊守便り ー前住職が還浄ー
3月10日に前住職がお浄土に還りました。
先の戦争に従軍し海軍に所属し訓練では九州や横浜に出向いていた
そうです。
当地での任務や訓練生活を、断片的に語っていましたが、帰還して
しばらくは気力も出なかったそうです。
その後、大学に復学して、日曜学校子供会の活動に、熱心に励んだ
ようで、他寺にも伺い、自坊でも教化活動に熱心だったようです。
当寺かよって下さった方々には特別な思い出があり、この度も
お見送り下さいました。
その後、定時制高校の教員をし、退職後は全国同朋会運動に賛同
して、安泉寺同朋の会を作りました。
会員の方々とは、共によく聞法し、よく旅にも出かけ、ご一緒に
楽しい時間をすごしたようです。
そのような志を引き継ぎ、現在の住職・坊守・若院も仏跡参拝や
各種講座に取り組んでおり、教化活動が伝承されていることを何より
喜んでいました。
病気が末期である事も、亡くなる3日前まで本人にもわからない様子で、
機嫌良く過ごしてお浄土へと参りました。「死ぬ事はこわくない、
先に行って待ってます」と元気に話す声が聞こえそうです。南無阿弥陀仏
四月の行事
4 日(木)午前10時半〜 ピラティス
7 日(日)午前10時〜午後1時 花祭り子ども会
お子様には軽食などもご用意いたします。
25日(木)午前10時半〜 ピラティス
*四月の同朋の会は花祭りに振り替えます。
大人の方もぜひご参加下さい。
五月の行事
2 日(木)午前10時半〜 ピラティス
16日(木)午前10時半〜 ピラティス
18日(土)午後2時〜 同朋の会聞法会
ご講師 未 定
*能登地震被災者支援の募金呼びかけに対しまして、 門信徒皆様より
計、27万9550円の、義援金を お寄せ頂きました。
早速ご本山を通じ、被災地支援 に役立たせて頂きます。
ご協力の程、誠にありがとうございました。
篤く御礼申し上げます。
人間は
したいことをし
なりたいものに
なるためなら
何をしても
許されるのです
児玉暁洋師
青色青光
上記は、真宗大谷派教学研究所所長であり
「宗教者九条の会」の呼びかけ人でもある、
故、児玉暁洋師が、よく口にしておられた言葉です。
「したいこと」「なりたいもの…」とは、たちまち今したいこと、なりたい
ものなどではなく、「心の底から本当に」というニュアンスを伴うもの、
いわば一人ひとりのいのちの底に流れる本有の願心、その願心にこそ随順して
生きよ、という言葉と理解できます。
夢や希望は実現しなければ消えていきます。しかし本有の願心は、いのち
ある限り、否、娑婆のいのち尽きてもなお、受け継がれ保ち続けることの
出来るものなのです。
願心に随順し、願心を拠り所として歩む、その願生浄土の一道に立つとき、
どんな苦しいことがあっても、生き抜く勇気を賜るのです。
2024(令和六年)年三月十日、安泉寺第十六代の前住職、猪甘俊教が
寿算一〇二歳(満一〇〇歳四ヶ月)にて、いのちのふるさと、お浄土に還帰
いたしました。
行きつ戻りつはあっても、願生浄土の一道を、私たちに先だって指し示し、
歩み続けた一生涯でした。
住職日々随想
先に述べましたように、三月十日
安泉寺第十六代前住職の猪甘俊教が、寿算一〇二歳にて、還浄いたしました。
死者・行方不明者、約一〇万五〇〇〇人を出した、関東大震災の発災した
大正十二年に、父、猪甘俊諦、母、桙フもと、三人の姉と三人の妹の真ん中、
唯一の男子として誕生いたしました。
大谷大学宗教学科在学中には、世界的な禅研究の第一人者、鈴木大拙師の
薫陶も受けました。
第二次大戦末期、学徒兵として海軍航空隊に所属していましたが、幸か
不幸か、硫黄島に向けての出陣の直前、硫黄島部隊玉砕の報に接し、外地に
赴くことなく生還いたしました。
その後、七尾マサノの次女、美枝子と結婚、三女一男を得、病気気味の
父俊諦の後を継いで、若干二十八歳にて、安泉寺の第十六代目住職と
なりました。
そうした中、定時制高校の教員も兼職し、また保護司として、矯正指導
にも取り組んでおりました。
また、前住職は何事につけエネルギッシュで、オートバイでの長距離
ツーリングや社交ダンス、三味線、パソコン等々、興味関心のあることには、
常に前のめりな姿勢を保ち続けておりました。
九十八歳で周囲の自主返納の勧めにもかかわらず、運転免許証の更新を
いたしました。十年以上四輪車には乗っていなかったのですが、教習所
での実車運転も難なくこなしたことには驚かされました。
住職在位の五十年、そしてその後も九十九歳十ヶ月で療養生活に入る
まで、自分のことは自分で行い、現住職を助けて、法務もこなしてくれて
おりました。
そんな前住職は、軽度の脳梗塞を発症して入院するまで、七十四年前に
始めた毎月の寺報「法悦」にも、昨年九月まで寄稿し続け、
「安泉寺同朋の会」発足、発展にも尽力し、今日の安泉寺の礎を築きました。
真宗大谷派住職として、あるべき当たり前の姿とは申せ、実際にいのち
尽きるまで勤め続けられたことは、実に希有なことでございました。
まことによく働きよく遊び、その生を全うし尽くしました。まさに
門信徒の皆様をはじめ、数限りない方々のお支えを頂いてこれたからこそ、
歩み続けることの出来た一〇〇年でございました。
ご縁を頂きました皆様方に、篤く御礼申し上げます。
真宗入門 「念珠」
ー念珠の起源についてー
念珠の起源については諸説ありますが、念珠は仏前で身なりを整えて合掌
・礼拝する際に用いるものです。珠の数は、百八の煩悩ということから、
百八個を基本とし、その半数の五十四個、さらにその半数の二十七個が
一般的なようです。
ただし、真宗では、煩悩を滅するため、あるいは念仏を称えた数を数える
ために、念珠を用いることはありません。
お寺へのお参りをはじめ、葬儀やご法事などの仏事のときには、必ず持参
しましょう。
蓮如上人は数珠を持たずに合掌礼拝するのは、仏を手づかみにするような
ものだと戒めておられます。
合掌はご本尊・阿弥陀如来の前で、手のひらを合わせ、その両手に念珠を
かけます。このとき、両手の手首はみぞおちあたりになります。
両肘は張らず、指先はまっすぐに伸ばし、横から見ると、手指の線は、
体の線に対して、おおよそ45度の角度になります。
そして「南無阿弥陀仏」と心静かにお念仏を称えます。
法語の味わいー法語カレンダー四月号よりー
釈尊のお出ましで
阿弥陀さまの大悲に遇う
歌手のさだまさしさんの『いのちの理由』という曲があります。
『私が生まれてきた訳は、父と母に会うため』と唄います。
『何のために生まれてきたの』と、問いかけています。
親鸞聖人は釈尊に「あなた様は2,000年の昔、 阿弥陀仏の
浄土を説くためにこそ、インドにお生まれくださいました」と喜び
讃えておられます。
そしてあらゆる経典を拝読され、「親鸞さん、私はあなたに
阿弥陀様の大悲に出遇っていただきたくてね、南無阿弥陀仏にあって
いただきたくてね」という、釈尊の深いお呼びかけに出遇われました。
親鸞聖人はこの出遇いに感動し、釈尊を讃えられました。それ故、
浄土真宗は弥陀・釈迦の二尊教とも言われるのです。
坊守便り ー前住職が還浄ー
3月10日に前住職がお浄土に還りました。
先の戦争に従軍し海軍に所属し訓練では九州や横浜に出向いていた
そうです。
当地での任務や訓練生活を、断片的に語っていましたが、帰還して
しばらくは気力も出なかったそうです。
その後、大学に復学して、日曜学校子供会の活動に、熱心に励んだ
ようで、他寺にも伺い、自坊でも教化活動に熱心だったようです。
当寺かよって下さった方々には特別な思い出があり、この度も
お見送り下さいました。
その後、定時制高校の教員をし、退職後は全国同朋会運動に賛同
して、安泉寺同朋の会を作りました。
会員の方々とは、共によく聞法し、よく旅にも出かけ、ご一緒に
楽しい時間をすごしたようです。
そのような志を引き継ぎ、現在の住職・坊守・若院も仏跡参拝や
各種講座に取り組んでおり、教化活動が伝承されていることを何より
喜んでいました。
病気が末期である事も、亡くなる3日前まで本人にもわからない様子で、
機嫌良く過ごしてお浄土へと参りました。「死ぬ事はこわくない、
先に行って待ってます」と元気に話す声が聞こえそうです。南無阿弥陀仏
四月の行事
4 日(木)午前10時半〜 ピラティス
7 日(日)午前10時〜午後1時 花祭り子ども会
お子様には軽食などもご用意いたします。
25日(木)午前10時半〜 ピラティス
*四月の同朋の会は花祭りに振り替えます。
大人の方もぜひご参加下さい。
五月の行事
2 日(木)午前10時半〜 ピラティス
16日(木)午前10時半〜 ピラティス
18日(土)午後2時〜 同朋の会聞法会
ご講師 未 定
*能登地震被災者支援の募金呼びかけに対しまして、 門信徒皆様より
計、27万9550円の、義援金を お寄せ頂きました。
早速ご本山を通じ、被災地支援 に役立たせて頂きます。
ご協力の程、誠にありがとうございました。
篤く御礼申し上げます。
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| 法悦
2024年02月26日
2024年3月
法 悦 3月号 882号
「私たち高校生にできることはありま
せんか? 自宅待機はもういやです。」
岡山県総社市の高校一年生
シンガーソングライターのさだまさしさんは大災害があると、支援物資を
積んで現地に歌いに行く。揶揄されても「偽善活動」だと笑って。
2018年の西日本豪雨災害の時、総社市長宛てにこんなツィートが
届いたと知る。
市長は即刻「市役所に手伝いに来て下さい」と返した。
翌朝千人のの中高生が集結し、「市政が悪くてデモが起きたか」と市長が
慌てたとか。 『さだの辞書』
朝日新聞 鷲田清一「折々のことば」より
青色青光
元日に発生した能登半島地震から、はや二ヶ月、各自治体からの応援職員の
派遣や、災害ボランティアの段階的受け入れも始まり、ようやく復興に向けて
の動きが本格化してきました。
しかし上下水道などのライフラインの復旧までには、多くの困難が残され、
長期の避難生活を強いられる方々も少なくありません。
上記の文章は、朝日新聞に連載されている哲学者、鷲田清一氏のコラム
からの抜粋です。
あびせられる中傷に対して「慈善活動」ではなく、「偽善活動」と
軽やかに言ってのける、さだまさしさんの姿勢は実にすがすがしいものです。
また、高校生の故郷の復旧に力を尽くしたいという思いと、市長さんの
勘違いが、大変な状況のなかでの、ほっと心和まされる一幕です。
仏教で菩薩の精神を表す言葉として「安危共同(あんきぐどう)」があります。
安き時、楽しい時だけでなく、危難にあえぐ時にこそ、自然に身が動き
寄り添う、共に支えあう真実の共同体を求める心が、何より尊いものなのです。
住職日々随想
今回最大四メートルもの地盤隆起が起こり、港も道路も使用不能となった、
能登半島北端の珠洲市。
この地に関西・中部・北陸の電力会社三社の原発建設計画が発表されたのが
1976年、関電が高屋地区に、中部電が寺家(じけ)地区に、それぞれ
100万キロワット級の大型原発を建てる計画でしたが、地元の大谷派僧侶・
塚本真如(まこと)さんを中心に、住民らが反対運動を展開しました。
当初反対だった住民の半分が、札束にものをいわせる電力各社に懐柔される
など、町が真っ二つに分断されるなか、四半世紀に及ぶ粘り強い運動と電力
需要の伸び悩みにより、計画は2003年に凍結されました。
今回の地震の後、塚本さん方には遠近各地より「よくぞ原発建設を止めて
下さった」とお礼の連絡があったそうです。
志賀原発も福島の事故以来運転を停止していましたが、直下に活断層がある
との指摘も受けており、もし運転していたら能登半島全域のみならず、日本は
もとより、他国にまで深刻な放射能汚染をまき散らしていたに違いないと
考えられ、ぞっといたします。
世界中で発生する地震の二割以上が集中する我が国はまた、54基の原発の
存在する、世界第4位の原発大国でもあります。
かくも危険なものと人間は共存できません。にもかかわらず、福島の事故で
私たちはいったい何を学んだのでしょうか?
エネルギー価格の高騰もあり、原発再開を容認する世論がじわじわと増加
しています。
放射能は、核種によっては何万年も汚染し続けるというのに、我々の忘却の
スピードはあまりに早いと言わざるを得ません。
ずいぶん以前にもご紹介させて頂いたのですが、現復興大臣の高木毅氏の
亡父で、元敦賀市長を16年間勤められた高木孝一氏が、1983年に羽咋市で
行った原発講演会に、なぜ原発がやめられないのかその理由の一端が伺えます。
*以下、発言中、不適切な差別表現も含まれますが、発言内容 そのまま、事実に即して記載いたします。
「…まあそんなわけで、短大は建つわ、高校はできるわ、50億円で運動公園は
できるわね。火葬場はボツボツ私も歳になってきたから、これも今あのカネで
計画しておる、といったようなことで、そりゃあもうタナボタ式の街作りが
できるんじゃなかろうか、と、そういうことで私は皆さんに(原発)を
お薦めしたい。これは(私)信念を持っとる、信念!
…えー、その代わりに100年たって片輪が生まれてくるやら、50年後に
生まれた子どもが全部片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりません
けど、今の段階では(原発を)おやりになった方が良いのではなかろうか…
こういう風に思っております。どうもありがとうございました。」
(会場大拍手)
思わず絶句してしまいそうになる発言ですが、私たち凡夫の無明の闇は限りな
く深い。
それ故、阿弥陀様は無量の慈悲で兆歳永劫のご修行を成就されたのです。
真宗入門 「合掌」
お参りをするときには手を合わせますが、それはなぜなのでしょうか?
私たちは、人に会ったときや別れのときには挨拶をします。いろいろな挨拶が
ありますが、仏さまへの挨拶は礼拝と呼ばれ「合掌(=手のひらを合わせる)」
もその一つの方法です。
合掌は、インドなどでは昔から行われていて、仏教とともに日本に入ってきた
ようです。インドでは、今でも人と会ったときに互いに合掌して「ナマステー」
と言います。「ナマス」には「南無」、「テー」は「あなたに」という意味で、
「南無あなたに(=あなたに礼拝します)」という「うやまい」の心を表す
作法です。
このようにインドでは、合掌という作法はもともと仏教が起こる以前から
あり、それが仏教徒の中でも行われるようになったのです。
真宗の教えをいただくものは、ご本尊・阿弥陀如来の前で合掌して、
「南無阿弥陀仏」と唱えます。
真宗門徒の生活は、合掌をもって始まると言ってよいでしょう。
真宗門徒にとって合掌は礼拝にとどまらず、阿弥陀如来の呼びかけと
それに応えるお念仏の心が表された形なのです。
法語の味わい
ー法語カレンダー三月号よりー
別離の涙に
倶会一処の浄土あり
『仏説阿弥陀経』に「倶会一処」とあります。ともに一処であうという意味で、
お浄土で先に往かれた方とまた会わせていただくということです。
大切な亡き人を見送った悲しみに寄り添って下さる阿弥陀様のお言葉です。
この事は大切なその方を見送ったあなたに、おくやみの言葉をくださり、
「見送ったこちらはさみしくなりますが、亡きあの方は、今ごろお浄土で
なつかしい人に沢山出迎えてもらって、賑やかにされてることでしょうね」
と言ってくださいます。
かの方が亡くなり、初めて響いてくる仏様のお言葉を頂くことです。
かの方を偲ぶ私に身を以て届けて下さった事です。
坊守便りー地域懇親法話の集いー
「節談説教を聞く会」
地域懇親法話の集いを開催させて頂きました。本年は節談説教という特徴の
ある法話をされるご講師・園家信勇師にお越し頂きました。
節談説教は古くから浄土真宗のご法座で伝承され、親しまれきたもので、
高座に登った説教師が、話の中に独特の節回しを付け聴衆の感情を高揚させ
ながら語るお説教です。
その独特なスタイルは、落語や講談などの今日の「語り芸」の原点とも言える
ものです。
浄土真宗の根本的なお話を聞くと共に、落語などの演芸に通じるような
語り口を楽しみました。
外陣の門徒さんは、講師の導きで、合図をされた時に、合掌して「南無阿弥陀仏
、南無阿弥陀仏」と皆で声を出して「受けの念仏」を唱えます。講師との
掛け合いで、楽しい参加型のご法座と言えましょう。
地域懇親法話のつどいも開催から10年となります。この間、旧村の役員さん
・村の保存会の皆さんにもご参加頂き、また、本年は生野区交流サイトにも
案内をあげさせて頂き参加頂きました。
日ごろお寺にご縁はなくても、ご法座にお越しになりたい方は多く
おられます。
どなた様も是非お気軽にご参加下さいね。
三月の行事
7 日(木)午前10時半〜 ピラティス
10日(日)午後1時〜 おみがき清掃ご奉仕
16日(土)午後2時〜 春季彼岸永代経法要
ご講師 伊勢 道浄寺 酒井正夫師
21日(木)午前10時半〜 ピラティス
四月の行事
4 日(木)午前10時半〜 ピラティス
7 日(日)午前10時〜午後1時 花祭り子ども会
お子様には軽食などもご用意いたします。
25日(木)午前10時半〜 ピラティス
*四月の同朋の会は花祭りに振り替えます。
大人の方もぜひご参加下さい。
*能登地震被災者支援の募金をお預かりしております。
ご協力宜しくお願い申し上げます。
「私たち高校生にできることはありま
せんか? 自宅待機はもういやです。」
岡山県総社市の高校一年生
シンガーソングライターのさだまさしさんは大災害があると、支援物資を
積んで現地に歌いに行く。揶揄されても「偽善活動」だと笑って。
2018年の西日本豪雨災害の時、総社市長宛てにこんなツィートが
届いたと知る。
市長は即刻「市役所に手伝いに来て下さい」と返した。
翌朝千人のの中高生が集結し、「市政が悪くてデモが起きたか」と市長が
慌てたとか。 『さだの辞書』
朝日新聞 鷲田清一「折々のことば」より
青色青光
元日に発生した能登半島地震から、はや二ヶ月、各自治体からの応援職員の
派遣や、災害ボランティアの段階的受け入れも始まり、ようやく復興に向けて
の動きが本格化してきました。
しかし上下水道などのライフラインの復旧までには、多くの困難が残され、
長期の避難生活を強いられる方々も少なくありません。
上記の文章は、朝日新聞に連載されている哲学者、鷲田清一氏のコラム
からの抜粋です。
あびせられる中傷に対して「慈善活動」ではなく、「偽善活動」と
軽やかに言ってのける、さだまさしさんの姿勢は実にすがすがしいものです。
また、高校生の故郷の復旧に力を尽くしたいという思いと、市長さんの
勘違いが、大変な状況のなかでの、ほっと心和まされる一幕です。
仏教で菩薩の精神を表す言葉として「安危共同(あんきぐどう)」があります。
安き時、楽しい時だけでなく、危難にあえぐ時にこそ、自然に身が動き
寄り添う、共に支えあう真実の共同体を求める心が、何より尊いものなのです。
住職日々随想
今回最大四メートルもの地盤隆起が起こり、港も道路も使用不能となった、
能登半島北端の珠洲市。
この地に関西・中部・北陸の電力会社三社の原発建設計画が発表されたのが
1976年、関電が高屋地区に、中部電が寺家(じけ)地区に、それぞれ
100万キロワット級の大型原発を建てる計画でしたが、地元の大谷派僧侶・
塚本真如(まこと)さんを中心に、住民らが反対運動を展開しました。
当初反対だった住民の半分が、札束にものをいわせる電力各社に懐柔される
など、町が真っ二つに分断されるなか、四半世紀に及ぶ粘り強い運動と電力
需要の伸び悩みにより、計画は2003年に凍結されました。
今回の地震の後、塚本さん方には遠近各地より「よくぞ原発建設を止めて
下さった」とお礼の連絡があったそうです。
志賀原発も福島の事故以来運転を停止していましたが、直下に活断層がある
との指摘も受けており、もし運転していたら能登半島全域のみならず、日本は
もとより、他国にまで深刻な放射能汚染をまき散らしていたに違いないと
考えられ、ぞっといたします。
世界中で発生する地震の二割以上が集中する我が国はまた、54基の原発の
存在する、世界第4位の原発大国でもあります。
かくも危険なものと人間は共存できません。にもかかわらず、福島の事故で
私たちはいったい何を学んだのでしょうか?
エネルギー価格の高騰もあり、原発再開を容認する世論がじわじわと増加
しています。
放射能は、核種によっては何万年も汚染し続けるというのに、我々の忘却の
スピードはあまりに早いと言わざるを得ません。
ずいぶん以前にもご紹介させて頂いたのですが、現復興大臣の高木毅氏の
亡父で、元敦賀市長を16年間勤められた高木孝一氏が、1983年に羽咋市で
行った原発講演会に、なぜ原発がやめられないのかその理由の一端が伺えます。
*以下、発言中、不適切な差別表現も含まれますが、発言内容 そのまま、事実に即して記載いたします。
「…まあそんなわけで、短大は建つわ、高校はできるわ、50億円で運動公園は
できるわね。火葬場はボツボツ私も歳になってきたから、これも今あのカネで
計画しておる、といったようなことで、そりゃあもうタナボタ式の街作りが
できるんじゃなかろうか、と、そういうことで私は皆さんに(原発)を
お薦めしたい。これは(私)信念を持っとる、信念!
…えー、その代わりに100年たって片輪が生まれてくるやら、50年後に
生まれた子どもが全部片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりません
けど、今の段階では(原発を)おやりになった方が良いのではなかろうか…
こういう風に思っております。どうもありがとうございました。」
(会場大拍手)
思わず絶句してしまいそうになる発言ですが、私たち凡夫の無明の闇は限りな
く深い。
それ故、阿弥陀様は無量の慈悲で兆歳永劫のご修行を成就されたのです。
真宗入門 「合掌」
お参りをするときには手を合わせますが、それはなぜなのでしょうか?
私たちは、人に会ったときや別れのときには挨拶をします。いろいろな挨拶が
ありますが、仏さまへの挨拶は礼拝と呼ばれ「合掌(=手のひらを合わせる)」
もその一つの方法です。
合掌は、インドなどでは昔から行われていて、仏教とともに日本に入ってきた
ようです。インドでは、今でも人と会ったときに互いに合掌して「ナマステー」
と言います。「ナマス」には「南無」、「テー」は「あなたに」という意味で、
「南無あなたに(=あなたに礼拝します)」という「うやまい」の心を表す
作法です。
このようにインドでは、合掌という作法はもともと仏教が起こる以前から
あり、それが仏教徒の中でも行われるようになったのです。
真宗の教えをいただくものは、ご本尊・阿弥陀如来の前で合掌して、
「南無阿弥陀仏」と唱えます。
真宗門徒の生活は、合掌をもって始まると言ってよいでしょう。
真宗門徒にとって合掌は礼拝にとどまらず、阿弥陀如来の呼びかけと
それに応えるお念仏の心が表された形なのです。
法語の味わい
ー法語カレンダー三月号よりー
別離の涙に
倶会一処の浄土あり
『仏説阿弥陀経』に「倶会一処」とあります。ともに一処であうという意味で、
お浄土で先に往かれた方とまた会わせていただくということです。
大切な亡き人を見送った悲しみに寄り添って下さる阿弥陀様のお言葉です。
この事は大切なその方を見送ったあなたに、おくやみの言葉をくださり、
「見送ったこちらはさみしくなりますが、亡きあの方は、今ごろお浄土で
なつかしい人に沢山出迎えてもらって、賑やかにされてることでしょうね」
と言ってくださいます。
かの方が亡くなり、初めて響いてくる仏様のお言葉を頂くことです。
かの方を偲ぶ私に身を以て届けて下さった事です。
坊守便りー地域懇親法話の集いー
「節談説教を聞く会」
地域懇親法話の集いを開催させて頂きました。本年は節談説教という特徴の
ある法話をされるご講師・園家信勇師にお越し頂きました。
節談説教は古くから浄土真宗のご法座で伝承され、親しまれきたもので、
高座に登った説教師が、話の中に独特の節回しを付け聴衆の感情を高揚させ
ながら語るお説教です。
その独特なスタイルは、落語や講談などの今日の「語り芸」の原点とも言える
ものです。
浄土真宗の根本的なお話を聞くと共に、落語などの演芸に通じるような
語り口を楽しみました。
外陣の門徒さんは、講師の導きで、合図をされた時に、合掌して「南無阿弥陀仏
、南無阿弥陀仏」と皆で声を出して「受けの念仏」を唱えます。講師との
掛け合いで、楽しい参加型のご法座と言えましょう。
地域懇親法話のつどいも開催から10年となります。この間、旧村の役員さん
・村の保存会の皆さんにもご参加頂き、また、本年は生野区交流サイトにも
案内をあげさせて頂き参加頂きました。
日ごろお寺にご縁はなくても、ご法座にお越しになりたい方は多く
おられます。
どなた様も是非お気軽にご参加下さいね。
三月の行事
7 日(木)午前10時半〜 ピラティス
10日(日)午後1時〜 おみがき清掃ご奉仕
16日(土)午後2時〜 春季彼岸永代経法要
ご講師 伊勢 道浄寺 酒井正夫師
21日(木)午前10時半〜 ピラティス
四月の行事
4 日(木)午前10時半〜 ピラティス
7 日(日)午前10時〜午後1時 花祭り子ども会
お子様には軽食などもご用意いたします。
25日(木)午前10時半〜 ピラティス
*四月の同朋の会は花祭りに振り替えます。
大人の方もぜひご参加下さい。
*能登地震被災者支援の募金をお預かりしております。
ご協力宜しくお願い申し上げます。
posted by ansenji at 15:48| Comment(0)
| 法悦