2024年06月29日

2024年7月

 法 悦7月号 886号


むずかしいことをやさしく

やさしいことをふかく

ふかいことをおもしろく

おもしろいことをまじめに

まじめなことをゆかいに

そしてゆかいなことは

あくまでもゆかいに

井上ひさし


青色青光

 仏教は難しゅうてよう分からん、と仰る方が少なからずおられます。
 お釈迦様が勤苦(ごんく)六年の思惟によって、明らかにされたお悟りの真実が、たやすく理解できるはずもありません。またお伝えするべき立場の僧侶自身の力不足も相まって、仏教イコール難解、と捉えられるのは、ある意味致し方のない事なのかもしれません。
 お釈迦様もお悟りを開かれて、すぐさま説法されたのではなく、当初「この法は難しい、誰にも正しく受け止めてもらえないのではないだろうか、ただの徒労に終わるのではないだろうか」などと、幾日も逡巡された末、梵天(ブラフマン)の強い要請を受けて、初めて法を説かれたと伝えられています。
(初転法輪)
 まことに私たちが頭で理解した事と、身でうなずいた事には大きな違いがあります。蓮如上人聞書にも、「私の心はカゴの様で、有り難く聴聞したことも、すぐに忘れてしまいます」との悩みに「そのカゴを(仏法の)みずにひたしておけ」と答えておられてます。
 まさに「仏法に私を聞く」その仏法聴聞は、いのちある限り終わりのない、一人(いちにん)一人(いちにん)の歩みなのです。

住職日々随想

死者と生者のつながりが、ごく自然に

暮らしの内外にあってこそ、人びとの心は
 
この世に根をおろす。



 6月23日、沖縄は今年で79回目の慰霊の日を迎えました。
 第二次世界大戦末期、日本本土への連合国軍の侵攻を、一日でも遅らせるための捨て石とされた沖縄に於いて、苛烈を極める地上戦が繰り広げられ、双方合わせて20万人、そのうち地元住民の4分の1にあたる10万人がいのちを奪われました。
 沖縄の日本軍を指揮した、牛島満司令官と長勇参謀長が自決し、組織的な戦闘が終わった日が23日です。が、降伏を宣言せずに亡くなったので、各所で戦闘は継続され、その後、本島南部に追い詰められた多くの住民が、痛ましいことに戦闘に巻き込まれ、あるいは親子共々自決に追い込まれ、犠牲となりました。
 終戦後も沖縄は日本に返還されず、米軍は「銃剣とブルドーザー」と言われる強引な手法で、沖縄の多くの土地を接収し、広大な軍事基地にしていきました。
 1972年に沖縄本土復帰がなされましたが、基地のない平和な沖縄を願う県民の思いはかなわず、その戦略的な位置づけと相まって、基地がなくなるどころか、辺野古沖に新たに米軍基地が計画され、二度の県民投票でNOを突きつけられながらも、政府に無視され埋め立て作業が強行されています。
 加えて、埋め立てにはおよそ適さない、マヨネーズ状の軟弱地盤を埋めるために、今なお少し掘れば、日米両軍の兵士や住民の遺骨が出てくる激戦地、本島南部の土砂を大量投入する計画が発表されました。
 沖縄で40年以上にわたって、ガマと呼ばれる洞窟付近を中心に、丹念に遺骨を収集し続けるボランティア団体「ガマフヤーの会」代表の具志堅隆松さんは、「国策の誤りによって犠牲となった者を、またも犠牲にすることは断じて許されない」と、6月23日現在も、抗議のハンガーストライキをしておられます。
 沖縄の人々の痛みを無視し、人道にもとる蛮行を、見て見ぬふりをする事は、同じ国に住まう者として許される事ではありません。   
 自他一如と認識するみほとけのまなこよりすれば、「おのれ良ければ全て良し」は、あり得ないのです。

真宗入門 「ご本尊」


 本山・真宗本廟(東本願寺)から授与されるご本尊の裏には、「方便法身尊形(ほうべんほっしん
そんぎょう)」と書かれています。
「方便」とは「導き」という意味で、私たちを真実に導く仏さまのおはたらきと、その具体的な手立てを指します。
 阿弥陀如来は、もとより「いろもなく、かたちもましまさず」(「唯信鈔文意」)とあるように、目に見えるも
のではありません。
 阿弥陀如来の「一切衆生を救わずにはおかない」というおはたらきが、私たちの為に、あえて形となって現れてくださった、その尊いおすがたを「方便法身尊形」と言い表すのです。
 ですから、阿弥陀如来は単なる礼拝の対象なのではなく、法(真実)が形をとって、私たち凡夫にはたらきかけてきてくださっているおすがた。
 そのおはたらきと、私達との出遭いが「南無阿弥陀仏」という、お名号として表現されているのです。

法語の味わい ー法語カレンダー7月号よりー

 仏(ぶつ)事(じ)はいのちと向き合う
 慶(よろこ)びごとでありたい 


 一般的に仏事のイメージといえば、お葬式や法事だけと思われがちです。
 しかし実際には、初参式、結婚式、起工式など人生の様々な場面で仏事がいとなまれます。
 仏事の本来的な意味は、「仏が衆生を救済する事業、すなわち衆生教化のはたらきのこと」とあります。
仏様が私を救うおはたらきのことなのです。
 仏さまのおはたらきは、誕生から死ぬまで、いいえ、生まれる前から、いのち終えたあとまで 、私の人生を貫いてはたらいてくださっています。
 私たちは、ともすれば日常の雑事にばかり目を奪われ、知らぬ間に、いのちと向き合うことがすくなくなっているのではないでしょうか?
 この私のいのちは、仏さまに願われた大切ないのちであると気づかせてくださる尊いご縁が、仏事をいとなむということなのです。

坊守便りー第47回教区同朋大会ー

 今年も教区同朋大会が行われました。
昭和37年に「真宗門徒一人もなし」という自己批判に立ち、大谷派宗門あげて宗祖のみ教えに帰ろうを
スローガンに始まった運動が同朋会運動です。
 当時、戦後復興が進み、日本社会全体が高度経済成長期を迎え、地方から都会へと人口流入が加速し、特に大都市では、急激な人口増加のなか、隣に住む人の名前すらわからないというように、地域や人と人とのの結びつきが希薄になっていきました。
 そういった世相を反映し、新たに都市住民となった人びとを巻き込み、新興宗教が数多く生まれました。
 大谷派も、前述のように、ご門徒との関係が形ばかりになり、真の念仏者がいなくなってしまっているのではないか、という反省のもと、真宗同朋会運動が、今に続く信仰の復興運動として産声を上げました。
 今回、コロナ禍も一段落し、ようやく皆が参加の出来る大会となりました。
 「私達は何を求めて生きているのだろうか」をテーマに三重教区の藤井慈等先生が、「仏願を帰依処とし、わが身を信ずる信に立ち返らねばならない」と、熱のこもったお話をして下さいました。

七月の行事
4 日(木)午前10時半〜 ピラティス

6 日(土)午後2時〜 同朋の会聞法会
          「歎異抄に聞く その2」
 *「歎異抄」テキストお持ちの方はお忘れなく。

18日(木)午前10時半〜 ピラティス

八月の行事
1 日(木)午前10時半〜 ピラティス

4 日(日)午後1時〜 おみがき清掃ご奉仕

盂蘭盆会法要
12日(祝)午後5時 別座法要 
      *読経のみ・ご法名読み上げはございません。
14日(水)午後1時 ・午後3時・夕方7時  
15日(木)午前10時・昼1時 (計五座)
   *詳細は改めて、ご案内申し上げます。

22日(木)午前10時半〜 ピラティス





             





















































































































































































































































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2024年05月29日

2024年6月

 法 悦6月号 885号

 十に曰(い)わく、
忿(こころのいかり)を絶ち瞋(おもえりのいかり)を棄(す)てて、
人の違(たが)うことを怒(いか)らざれ。
人皆心有り。
心おのおの執(と)れること有り。
彼是(よみ)すれば我は非(あしみ)す。
我是(よみ)すれば彼は非(あしみ)す。
我必ず聖(ひじり)に非(あら)ず。
彼必ず愚かに非(あら)ず。
共に是(こ)れ凡夫(ただひと)ならくのみ。
是(よ)く非(あ)しき理(ことわり)、誰か能(よ)く定むべけん。
相共に賢(かしこ)く愚かなること、鐶(みみかね)の端(はし)無きが如し。
是(ここ)をもって、彼人(かれひと)瞋(いか)ると雖(いうと)も、
還(かえ)りて我が失(あやま)ちを恐れよ。
我独(ひと)り得たりと雖(いうと)も、
衆(もろもろ)に従いて同じく挙(おこな)え。
          聖徳太子 十七条の憲法

青色青光
 ウクライナで、パレスチナで、スーダンで、まさに世界各地で紛争や戦火が絶えず、憎しみが新たな悲しみを産み、その悲しみがまた新たな憎しみを産み続けるという、負の連鎖が止まるところを知りません。
 いずれの国も自らにこそ大義があると、その正当性を主張して譲りませんし、さらにそこに「神の正義」に従う我々こそ正しいと、宗教的権威を政治的に利用し出すと、問題はより複雑に、より過烈さと残虐性を増していきます。
 上記の十七条の憲法は、官僚の守るべき規範として、聖徳太子が仏教精神に基づき制定されたものです。
 その第十条に、縁がもよおせば、どんなことをしでかすかも知れない、まさに業縁存在であるわが身の事実に深く頷く、その凡夫としての自覚があって初めて、いたずらに自身の正当性を声高に主張せず、他者の意見にも耳を傾けることが出来るのだと。まことに誰も皆いたらぬ者どうし、なればこそ、互いに敬意をもって、相対すべき事の大切さが
説かれています。
 今にいたるも、色あせない警句です。

住職日々随想

自身は現にこれ罪悪生死の凡夫

曠劫より已来 常に没し常に流転して

出離の縁あることなし
(善導大師)

 最近、北海道選出の与党参議院議員によるパワハラ問題が報道され、世間の耳目を集めました。
 各所で威圧的な言動で市役所職員などを罵倒したり、多額の公費を使わせて、たびたび東京まで市の幹部を呼びつけたりと、そのあまりに権力を笠に着た横柄な態度が明るみに出て、釈明に追われるという事でした。
 昨今の人権意識の高まりに伴い、かつては、ややもすれば見過ごされてきた「ハラスメント…嫌がらせ」の持つ問題性があらわになり、大きな社会問題として認識されるようになってきました。
 ハラスメントとは、他者に不快な思いや苦痛を与える言動や行動を指しますが、具体的には性的な嫌がらせ、いじめ、暴言、身体攻撃、パワーハラスメント等多岐にわたり、職場や学校、公共の場や家庭内等々、様々なところで起こりえます。
 そしてハラスメントをする側は、多くの場合、そうと意識もせずに行ってしまいますが、受けた側の心や身体に、深刻な影響をもたらす事例が多数報告されています。
 歌手の三波春夫さんが「お客様は神さまです」と、ステージでいつも口にしておられたご挨拶の言葉が、その独特の言い回しと共に広く流布していますが、それは本来ステージを観に来られた観客への、感謝と敬意を表すために、謙譲の表現をもって仰ったものです。
 それがいつの間にか、物やサービスを提供する側と、対価を支払う顧客との「上下関係」のように曲解されて、広まってしまったところから、いわゆるカスタマーハラスメントが生じる一因となってしまいました。
 ことわざに「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とありますが、自信のない人ほど上目に見た者にへつらい、下目に見た者に居丈高になります。それは自身に対する信を見失っている証左です。他人事ではありません。
 親鸞聖人は善導大師のお言葉によって、わが身が現に救われようのない罪悪生死の凡夫、であるが故に、阿弥陀如来のご本願が我ら一切衆生に注がれてあると、自身を深く信ずる根拠と信知されました。

真宗入門 「お内仏の安置」

問い  新築を建てました。
実家には仏壇がありますが、新しい
家にも仏壇は必要なのでしょうか?

答え 浄土真宗の門徒は、ご本尊・阿弥陀如来を安置した仏壇を「お内仏」と呼び習わして来ました。
 ご本尊・阿弥陀如来は、私達を救おうとする色も形もない真実の『はたらき』であり、それが形として表現されたものです。そのような『おはたらき』をお内仏を通して、いただいてきたのが真宗門徒の伝統です。
 お内仏を安置すると言うことは『私たちの人生にとって、本当に大切にしなければならない尊い事は何なのか』と、いつも問いかけて下さる場を賜るということなのです。
 お内仏は、「一人暮らしだから必要ない」とか、「田舎の本家にあるから新しい家には必要ない」とか、人が亡くなり、お葬式や年期法要を勤めなくてはならなくなった時に、購入するものだと思われている方がいます。しかし、お内仏は一人ひとりの心の依り所となる大切なものです。お住まいにはぜひお内仏を安置してください。

法語の味わい ー法語カレンダー6月号よりー

  ダンゴ虫には 日傘なんだ
  雑草と 決めつけていたが

 日本植物学の父と言われた、牧野富太郎博士は、「世の中に雑草という草はない。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている。」と言っておられました。
 私たちはつい雑草などと見下した言葉を平気で使って来ましたがそれは、人間に役に立つか立たないか、必要かもういらないかでいのちと計ってきました。
 庭の草たちは、精一杯いのちを告げています。
その声に「ごめんね。ごめんね。」とためらいながら草を抜かれる方もあるのですよと聞き、頭が下がりました。
 阿弥陀様の眼には、どうでもいい「いのち」はありません。
一人ひとり、名指しで救いを告げてくださいます。

坊守便りー能登地震被災地を訪ねてー
 五月下旬、能登地震被災地で炊き出し支援をするご縁をいただきました。
 地震の起こったその時、大阪にいた私は近所のガソリンスタンドにいて、
あまり揺れは感じませんでした。
ところが現地では立て続けに三度の強い揺れがあり、多くの建物がくずれました。
 当大谷派には能登教区には340ヶ寺の寺院があり、大谷大学の学生のころから、今日まで出遇った多くの友人知人の寺院があります。
 今回は、七尾市にある北陸支援ネットの拠点となる寺院で、現地スタッフにご案内とテント設営などのご準備を頂き、黒島町でハヤシライスとたこ焼きを作り、現地の方のお車で近隣の皆様に配達させて頂きました。
 黒島町は北前船で栄えた船主の住宅群があり、能登ヒバが家屋の外壁に張り巡らされた、美しい伝統建物保存地区ですが、残念なことに多くの家屋がつぶれてしまいました。
 翌日は和倉温泉地区と田鶴地区に伺いました。耐震補強の済んでいない古い寺院は、壁が落ち全体に傾き、途方にくれながらも片付けに奮闘されていました。
 わずかですが、直接支援金をお渡ししてきました。細々とでも支援が続けられたらと感じて帰阪しました。

六月の行事

6 日(木)午前10時半〜 ピラティス

15日(土)午前9時〜12時 大阪教区 同朋大会

20日(木)午前10時半〜 ピラティス

* 6月の同朋の会は、教区同朋大会への参加に振り替えます。
 参加ご希望の方は安泉寺 06(6731) 4907までご連絡下さい。

七月の行事

4 日(木)午前10時半〜 ピラティス

6 日(土)午後2時〜 同朋の会聞法会
          「歎異抄に聞く その2」
 *「歎異抄」テキストお持ちの方はお忘れなく。

18日(木)午前10時半〜 ピラティス


























































































































































































































































posted by ansenji at 21:01| Comment(0) | 法悦

2024年04月30日

2024年5月

 法 悦5月号 884号

 ごはんの時に 六年 山崎まどか

人間は生きるために
にわとりも殺さなくちゃいけないし
豚も殺さなくちゃならない。
生きてるっていうことは
ずいぶん迷わくをかけることなんだ。
自分で自分のこと全部できたら
人は一人ぼっちになってしまう。
他人に迷わくをかけるということは
その人とつながりをもつことなんだ。
他人の世話をすることは
その人に愛をもつことなんだ。
生きるっていうことは
たくさんの命とつながりをもつことなんだ。

お乳をやった私
あたたかいからだを押しつけてきた子牛を
私は思った。   (一部略)

青色青光

 最近たまに、いわゆる『墓じまい』『仏壇じまい』の勤行のご依頼を頂く
ことがあります。
後継者がなく致し方ない場合もありますが、中には「子どもには迷惑を
かけたくない。若い者の手を煩わせたくないから」と仰る方もあります。
残念ながら、お内仏やお墓を負の遺産と捉え、自身の存命中に何とかしたい
と思われる方が少なからずおられるようです。
 もちろん、あえて迷惑をかける必要はありませんが、生まれてきてから
今日まで、誰の手も煩わさず、何ものにも迷惑をかけずに生きてこれた者が、
一人でもいるのでしょうか? そこには、この身に受け続けてきた恩に頭の
下がらない傲慢さが見え隠れしています。
 蓮如上人の和歌に「形見には六字の御名をとどめおく なからん世には
誰ももちいよ」と、真に伝え続けなければならない遺産とは、財産など
ではなく、恩を知って、南無阿弥陀仏と手の合わさるその心なのだと。
 確かに形は無くても手を合わせることは、いつでもどこでも可能です。
しかしお浄土の型どりであるお内仏は、かたくなな心を自然に開き、
素直に自身と向き合う事を可能にする、かけがえのない場なのです。

住職日々随想

 戦争が 廊下の奥に 立っていた
渡邉白泉

 国賓としては9年ぶりに、岸田首相が訪米し、大変な歓迎を受けた
そうです。
 その背景には、世界的な安全保障環境の悪化に伴い、民主主義と
いう価値観を共有する両国の関係の重要性が、かつてなく高まっている
との認識があります。
 安倍内閣は、多くの国民の懸念と反対の声を押し切り、集団的自衛権
の行使を容認する方針を決めました。
 続く現岸田内閣は国会の議論すら経ず、独裁国家さながらに、閣議決定
だけで防衛費の倍増を決めました。
 今回の訪米では、さらに一歩踏み込んで、自衛隊と米軍の一体化を
より推し進め、実質的に自衛隊が米軍の指揮権下に入ることを容認する
とともに、『敵基地攻撃能力』という、どこからが攻撃でどこからが
反撃なのかすら曖昧なまま、防衛力を強化するとの名目で、やや旧式な
ミサイルを大量購入するなど、気になる約束を多く交わしてきたようです。
 アメリカは言わずと知れた軍事大国、軍産複合体がその経済を支えています。
いわゆる武器商人の中には、「戦争が起きて武器が売れるのじゃない。武器を
売るために戦争を起こすのだ」と豪語する者までいます。
 そんな米国にとって、日本はいくら高価でも、型遅れでも、言い値で
『防衛装備品』を買ってくれる上得意でもあります。
 タレントのタモリさんが、黒柳徹子さんとの対談で現在の状況を
「新しい戦前のはじまり」と仰いましたが、単なるジョークと笑い飛ばせ
ないものがあります。
 事実、この言葉に瞠目された黒柳さんが、改めてこの状況に警鐘を
鳴らすべく「窓際のトットちゃん」の新組版を出版されました。
 80年近く続けてきた日米の「主従関係」は、容易に解消できないでしょう。
が、互いに独立し尊重し合い、言うべきことはしっかりと伝えられる、真の
パートナーとなるべく、努力を怠ってはならないのです。
 親鸞聖人はご消息のなかで「世の中、安穏なれ。仏法広まれ」と表白して
おられますが、真の平和・安穏への道は、私たち凡夫の「おのれ良ければ全
てよし」とする我執の闇を、仏智を頂き、どこまでも明らかにし続ける
ところにこそあると、お示し下さるのです。

真宗入門 「肩(かた)衣(ぎぬ)」

 問い お寺に行くと、ご門徒さんが「肩衣」という
ものを着けておられました。どのような意味があるのでしょうか?
 答え 肩衣とは、真宗門徒が寺院での法要やお内仏
(仏壇)の前で、お参りするときに用いる礼装品です。
 もともとは、江戸時代に礼装の一種として用いられていた裃(かみしも)
が起源で、裃の上半身部分が簡略化され、定着した物が肩衣である
といわれています。
 現在では、肩衣をさらに簡略化した「畳肩衣」や「略肩衣」があり、
念珠を手に持ち、肩衣を付けた姿が、真宗門徒の礼装とされています。
 種類には、真宗本廟(東本願寺)などで帰敬式(おかみそり)を受け、
仏弟子となる儀式を終えられた方への記念品として、「略肩衣」が授与
されているほか「法義相続・本廟護寺(宗祖親鸞聖人の教えを受け継ぎ、
真宗本廟を崇教護寺すること)の趣旨にご賛同頂いた方が納められた
金員の賞典として、「畳肩衣」「略肩衣」が授与されています。
また、寺院によっては門徒用として、肩衣が作られている場合もあります。
 肩衣を持ち運ぶ際には、風呂敷や袋などに納めます。一時的にそばに
置くときも、畳や床に直に置かずに、丁寧に扱うよう心がけましょう。

法語の味わいー法語カレンダー5月号よりー

 弱くても 愚かでもいいと 阿弥陀さま

 阿弥陀さまの智慧のお働きが「南無阿弥陀仏」というお念仏となって、
「心配するな。必ず護り、救うぞ」と導いて下さいます。
 自身念仏者でもあった金子みすずさんの詩の「私と小鳥と鈴と」の中に
「みんなちがってみんないい」という一節があり、その詩情に子供も大人も
魅了されました。
 そのような心がふんわり包まれる時代は過ぎ、現代は、多くの人が
生きづらさを感じる時代とのことです。
 ひたすら経済成長を追求する現代社会、効率優先で勝ち組となるため
には他を蹴落としてでも、という価値観と「みんなちがってみんないい」
とは相容れません。
 わたしをそのままで認め、つらかったら休んでもいいんだよと、決して
見捨てず、いつも寄り添って下さるみほとけが阿弥陀さまです。

坊守便り ーはなまつりー

 お釈迦様のお誕生をお祝いする花まつりをお勤めさせて頂きました。
 宮殿にお釈迦様を配した花御堂をとりどりの色あざやかな花でかざり、
甘茶を誕生仏にかけて拝みます。
これはお釈迦様がお生まれになったとき「9匹の龍が天から現れ、
甘露の雨を降らせた」という、伝説にちなんでいます。
 当寺では、先の境内修復事業で誕生仏の石仏をお迎えし、子供たちの
健やかな成長を念じています。
 今年はこどもクラブをされているご門徒の中峯佳代子さんが、子育て中の
親子さんをお誘い下さり、また陽気なウクレレ奏者さんもお連れ下さいました。
 また生野区で活動中の紙芝居の会「すみれ会」さんにもご縁をいただき、
皆で紙芝居を楽しみました。
 ご門徒の大橋了巳さんが、ゆるキャラ「いくみん」に扮して、大汗を
かきながら大活躍して下さいました。
 午後からは同朋会の吉川美登利さんが、折り紙細工のワークショップを
して下さいました。
 皆様でスーパーボールすくいや、綿菓子屋さんもして下さったりと、
大人も楽しい花まつりとなりました。

五月の行事

2 日(木)午前10時半〜 ピラティス

16日(木)午前10時半〜 ピラティス

18日(土)午後2時〜 同朋の会聞法会
              「歎異抄に聞く」
 *「歎異抄」テキストお持ちの方はお忘れなく。

六月の行事

6 日(木)午前10時半〜 ピラティス

15日(土)午前9時〜12時 大阪教区 同朋大会

20日(木)午前10時半〜 ピラティス

* 6月の同朋の会は、教区同朋大会への参加に振り替えます。
  参加ご希望の方は安泉寺
  06(6731) 4907までご連絡下さい。




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